2011年07月20日

時代の終焉。

魁皇が引退した。

もうすぐ39歳。「お疲れ様」のひとことだ。
とうとう好きな相撲が居なくなってしまった。

魁皇というと忘れられない出来事がいくつもある。

角界で「道場」といえば「双葉山道場」のことであり、時津風部屋のことだった。
鉄筋3階建て。1階は広大な上がり座敷があり、稽古土俵はその奥。
魁皇が土佐ノ海を訪ねてここに来た。玉春日も来た。
この3人が約1時間に亘って申し合いを繰り広げた。
いわばこの3人の三番稽古みたいなものだった。
だれも声を掛けず、黙々と3人の取組が続く。
あれ以上の稽古を見たことがないし、もう見ることもないだろう


まだ、地方巡業の移動が臨時列車だったころ。
函館の次は札幌だった。
先を急いで取組もそこそこに函館空港から丘珠空港への便に乗ろうかという上位力士の多い中で、魁皇は悠々たるものだった。
「どうせ札幌に急いで行ったって何もする訳じゃないし、のんびりいくよ」
臨時列車は確か関取衆は寝台車だったはず。
スキスキの列車で行くというので、確か焼酎を6本差し入れた。
札幌で聞くと「うん、全部飲んじゃった」。
臨時列車のこと。五稜郭で止まり、手稲で止まり、みたいな運行だったはずだが。


好きなお相撲さんがいなくなってしまった。
振り返れば、曙、貴乃花、若乃花、貴ノ浪、武蔵丸の5人に、魁皇、武双山、土佐ノ海、玉春日。さらには琴錦、安芸乃島、貴闘力。こんな豪華なメンツがそろう時代はもう来ることはあるまい。
posted by 曲月斎 at 01:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 知進知退 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月31日

昔の相撲。

年末ですな。

この時期はコストのかからぬ藝がテレビから流れてくる時期。
その点で、今日のテレ東の相撲の特集は面白かった。

上位人気力士(ま、高見盛は別だが)がカオを揃え、魁傑、千代の富士、魁輝が解説役。戦後の相撲をずっと俯瞰するような内容だったのですが。

明らかに今の相撲より、昭和50年代までくらいの相撲の方が面白い。
何で面白いか、というと、綾があるからです。

こういう色の付いたおさらい番組は結構、味わい深いものがありました。
posted by 曲月斎 at 02:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 知進知退 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

大相撲夏場所。

久しぶりに国技館に行った。

青山で手みやげを整え、半蔵門線で錦糸町へ。総武線で両国へ。

両国駅から建設中の東京スカイツリーが見えるのに驚く。

なじみの相撲茶屋に寄って挨拶。久々になる。なじみの1軒では大女将が元気な姿を見せてくれていたが、もう1軒では女将に変わってお嬢さんが帳場に座っていた。在京20軒ある御茶屋でも昔なじみの女将のカオがだいぶへった。こういうところも世代交代である。

用件を済ませて2階に上がると、ベランダからまた東京スカイツリー。どこからも見える。まだ完成時の半分くらいの高さだと聞くが、辺りにしてみれば圧するような存在。ちょっと鬱陶しくはないのだろうか。

相撲がはねた後、本所のもつ焼き屋に寄り、もう1軒はしごして錦糸町から帰宅。ふと、自分にとって相撲が遠いところで興行しているような感じがした。
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2007年11月30日

やめちまえ。

「ご迷惑とご心配をお掛けしたことをおわびします」とある御仁が言ったが、何とも釈然としない。

そもそも不行跡をした場合は、その舞台を去ることでのみ責任をとることができる、としてきた世界。それが何で「頑張ります」などという言葉で不問に付すことが何でできるのだろう。

何のかんばせあってその舞台にのぼることができるというのだろう。見ていて何とも不愉快になった。身じまいという言葉がもう空虚になった今の世相を寂しく思う。

好きとか嫌いとかいう問題ではなく、この件について問われることに対する答えとしてここに書いておく。時代が変わっても、どうなろうとも、不行跡即廃業、がこの世界の鉄則である。
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2007年01月21日

春場所予想番付

春場所の予想番付を作ってみました。
番付編成は関脇以下は8勝7敗で上がり1枚、7勝8敗で下がり1枚、という具合に組んでいきます。

ただし、「上がり優先」という原則があり、勝って地位を上げる要素を持つ力士の方が、降下してくる力士に優先する、という原則と、役力士と平幕の間には隠し枚数が1枚ないし2枚ある、という風に考えます。あと東と西では東が番付半枚上。あと幕内、十両の間にも隠し枚数が2枚くらいあります。あと休場は黒星の扱いですが、同じ下がり枚数の力士がいれば休場力士の方が半枚下、です。つまり、15戦全敗なら原則として15枚降下ですが、15戦全休なら15枚半降下です。それと幕内下位で大勝ちしても、対戦相手によっては横綱、大関と対戦する力士の白星を重く見る傾向があります。
あと、例外は横綱と対戦した力士は基本的には成績不振でも十両には降下させない、ということぐらいでしょうか。原則は。

各位さまも考えてみませんか。以外にパズルのようで面白いですよ。

で、小生の予想番付です。

【東】    【西】
朝青龍 横綱    
千大海 大関 白 鵬
琴欧洲 大関 魁 皇
    大関 栃 東
琴光喜 関脇 琴奨菊
安 馬 小結 時天空
豊ノ島 前1 稀勢里
朝赤龍 〃2 旭天鵬
雅 山 〃3 春日王
普天皇 〃4 豪 風
豊真将 〃5 高見盛

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五穀豊穣のまつりごと

天覧相撲 13日目は天覧相撲だった。場内は満員御礼、熱戦も多く、遠くから眺めている限りでは、両陛下も満足の様子だった。

 今年の元日の朝刊に発表された皇后陛下の御歌に次の一首があった。初場所との題で、「この年の事無く明けて大君の相撲(すまひ)の席に在(ま)せるうれしさ」。天皇陛下のご不例の際には取り止めになったり、在ペルー大使館人質事件の時など、周囲への影響を考えて天覧相撲をしない時もあった。だからこそだろう。何気ない行事、国民と一緒に相撲見物をして、隣に座る陛下と微笑み交わすことに幸せを一人の人間として味わっているように思う。

 そういえば土俵祭りの際に立行司が勤める土俵祭りでの「方屋開口」にこんな文句である。

「天地開け始まりてより陰陽に分かり、清く明らかなるものは陽にして上にあり、これを勝ちと名づく。重く濁れるものは陰にして下にあり、これを負けと名づく。勝負の道理は天地自然の理にしてこれをなすものは人なり。清く潔きところに清浄の土を盛り俵をもって形となすは五穀成就の祭り事なり。一つの兆しありて形となり、形なりて前後左右を東西南北、これを方という。その中にて勝負を決する家なれば今はじめて片屋と云い名づくなり」。

まずはともあれ、今年も天下泰平、五穀豊穣でありたいものだ。きょう千秋楽。

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2006年07月25日

すべてが終わって

神送り

相撲の本場所が終わると、最後の行事が「新序出世披露」。表彰式の終わった後、その場所で新序出世披露された力士の出世を願い、御神酒を回しのみした後、3本締めで観客と共に祝福するという行事であります。
その後、土俵祭りで土俵に迎えた神さまを送り返すという意味で御幣を持った行司(昔は親方だったらしい)を胴上げするのですが、名古屋場所は新序力士は1人だけ。呼び出しの若い衆が胴上げに加わって何とか無事に神送り。

その後がすさまじいんですね。地方場所は。土俵に埋めてあった俵を観客が掘り返し、奪い合うというのであります。
壮絶な争奪戦ぶりなのですが、その後の土俵の姿は見るも無惨なもの。
場所後の土俵

ところで、この俵。ごく普通に藁で編んだものに、土が詰めてあるだけなんですが、持って帰って何に使うのか、今以て謎なのであります。
posted by 曲月斎 at 13:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 知進知退 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

45歳の若さで

北天佑

きょう26日は二十山親方(元大関北天佑)の通夜。
春先に脳梗塞ということで入院、それっきりになってしまったんだから。若いだけに病の進行も早かったようだ。

主を失った部屋、稽古場に設けられた祭壇では笑顔の親方の写真が真ん中に
あった。人間、天命があるとはいえ、それでは割り切れないような気がする。通夜には鳩山由起夫(選挙区だから?)、橘家圓蔵なんていう角界以外の顔も見えたけど。何か割り切れないまま、の気分だわな。

言葉を交わしたのは数度。「俺は出世が早かったから。俺が簡単にできたことが弟子が何度教えてもできないんだよ。歯がゆいよ」と漏らしていたのを思い出す。物静かで真面目。同期の親方衆はもちろん、廃業した同期生も顔を見せていたし、髷を落とした弟子も来ていた。

3度目の改名、勝徳院釈天佑。享年45歳。
posted by 曲月斎 at 03:17| Comment(1) | TrackBack(0) | 知進知退 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

「巨人、大鵬、卵焼き」大鵬幸喜著

「巨人、大鵬、卵焼き―私の履歴書」

相撲界ではいくつかの呼び名がある。
「角聖」といえば何年経っても常陸山であり、「神様」といえば69連勝の双葉山。
そして「大横綱」といえばやはり、この大鵬をさておくわけにはいかない。
樺太敷香の出身。白系ロシア人とのハーフに生まれた筆者が、幕内最高優勝32度を数える大横綱になるまでと、引退後の心境を綴っている。
日経の「私の履歴書」を編集したものだが、これは聞き手の腕が確かだったから成り立った本だといえる。事実関係を抑え、心境を抑制した調子で綴る。
不思議なもので横綱の言葉を身近に聞いていると、文章にも自然とそういう風格が出てくる。最近はまた、定年後は部屋を娘婿の元貴闘力の大嶽親方に譲り、自らは相撲博物館館長として活躍している昨今。また自分が大横綱大鵬であることを思い出したように聞く。
改めて読み直してみるとよく出来ている本だと思う。

ところで、優勝31度の千代の富士、24度の北の湖はそれぞれに、大横綱という名にふさわしい。で、その次に優勝回数の多いあの方はどうなのだろう。このごろすっかり表舞台からは身を潜めているのだが。自然とこの称号が四股名の上に座るだろうか……。
posted by 曲月斎 at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 知進知退 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

消えた最後の1枚

この夏場所、国技館に出掛けられた方は気付いただろうか。
かつての横綱曙の優勝掲額が消えたことを。
200605 025.jpg
ちょうど正面の真ん中にあったのだが、朝青龍の額に取って代わられた。

今の国技館は1辺に8枚、計32枚の優勝額を飾ることができるようになっているのだけど、ちょうどその巡り合わせになったということ。
今回、消えたのは00年九州場所の分まで。明けて01年初場所と夏場所は貴乃花の額が残っているがこれも来年の1月場所前には撤去されるので、今のうちが見納めになる。
ときどき国技館へ行ったときに見上げてみてはどうだろう。いろいろなことを思い出すと思うから。
なお、余談ながら旧蔵前の国技館時代は掲額されていたのは36枚と長方形の建物に合わせた形。両国駅のコンコースには72年春場所の関脇長谷川と、75年九州場所の関脇三重ノ海の掲額が残されているけど、あれは何の意味があるのだろう?

どうせなら、はずしたばかりのものと順次入れ替えにしていった方が面白いのに。

ちなみにはずした額は各優勝者の裁量で処分できると聞いたけど、優勝32回の大鵬も、31回の千代の富士も全部が全部、どこへいったのかは分からないだろうなあ。
posted by 曲月斎 at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 知進知退 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする