2012年01月11日

軍歌が培ったインフラ。

この前、読み終わった「歌謡曲から昭和を読む」で、軍歌が培ったインフラ、という言葉がありました。
なかにし礼は軍歌の流行で、日本国中、一つのコミュニティとしての一体感が醸成された、ということを言っているのであります。
確かに戦時中の軍歌の力は、時の情報伝達手段として台頭していたラジオの力もあって、大きなものがあったことは想像に難くない。
歌謡曲から「昭和」を読む (NHK出版新書 366) [新書] / なかにし 礼 (著); NHK出版 (刊)
ただ、もう一つ忘れてはいけないのは、文部省唱歌と言われる一群の楽曲です。

20091130005553420.jpg

3年続きのNHK制作にかかる「坂の上の雲」。書かれたのは1968年からです。
世は明治100年、と浮かれた時代。
今回の映像化でも、1969年制作の映画「日本海大海戦」と比べて、楽曲で「本歌取り」ができないんですね。
例えば、広瀬中佐であり、乃木大将とステッセル、であり。

チラとメロディーを流せば、饒舌な説明は不要だったのに、今はそうはいかない。久石譲が一生懸命、叙情的な曲を作らざるを得なかった。

そも、楽曲の命がはかなくなっているんでしょうな。

なかにしは、歌を共有するコミュニティが、県、市、学校と分散縮小し、今やクラブが単位となっていると見ています。
確かに。そうかもしれません。
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2010年08月26日

土佐の国柱。

山本周五郎の掌編に「土佐の国柱」というのがある。

あらすじを言ってしまえば、山内一豊が土佐に入封したものの、地侍の力が強く、領国の統治はうまく進んでいるとは言えなかった。

一豊が特に目を掛けていた高閑斧兵衛は一豊は死の床に伏していたのだが、斧兵衛にただ一人家臣の中で追腹を許した。ただそれには条件があった。追腹は三年後、そして封じられた土佐を平らげることが死出の土産とすることがその条件だった。斧兵衛は地侍と結託する形で、武装蜂起を促し、自ら討たれることで、積年の課題を解決するという荒療治だった……。

ま、長編の「樅の木は残った」と同じようなプロットなのだけど。

今回の民主党の総裁選問題。
小沢一郎の動きは高閑斧兵衛、という見立てだったら面白いんだけどね。

そうはいかないだろうね。むしろ、菅直人の方がそういう立場に見えるかもしれない。
posted by 曲月斎 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月12日

シエラに感謝。

Η?.jpg実は11日朝、とんでもない林道を突っ切っていかなくてはいけない仕事がありました。
5万分の1の地形図では法面が岩壁の連続。で、実際に行ってみたら、落石だらけで、白菜ほどもあるような岩がごろごろ。轍の跡だけがかろうじて残っているような感じ。
しかも山側の側溝に蓋はなし。対向車が来たらすれ違えません、みたいな道でしたけど、何とか乗り切ることができました。

ジムニーシエラを勧めてくれた各位に感謝。
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2007年05月13日

初めて見た……

u[CpX.jpg生まれて初めてライブの航空ショーというのを見物した。
航空自衛隊が基地を開放してイベントをやるのは承知していたが、全国各地の航空イベントの先駆けで、静岡・静浜基地の航空祭があったからだ。

この基地は、戦闘機がブンブンというよりも、全国で2個所しかないパイロットの卵の養成所だそうで(もう1カ所は防府北)、ここでの訓練、適正によって、戦闘機に向くものは九州の芦屋基地に、輸送機やヘリに向いていると判断されれば美保基地に行くのだそうな。

この基地の源は、戦時中の夜襲部隊で、戦時中特攻をしなかったといわれる帝国海軍第131航空隊がいたところ。そののち、米軍の接収期間を挟んで今の姿になっているが、航空基地とはいえ、どこかこじんまりとしている。

それでもこのイベントで、生のブルーインパルスを見るにつけ、なかなかのものであると思ってしまうのはいかんのだろうか。


5月 13日 静浜基地航空祭  
27日 美保基地航空祭 
6月 3日 防府北基地航空祭 
8月 5日 千歳基地航空際 
26日 松島基地航空祭 
9月 9日 百里基地航空祭 
23日 小松基地航空祭 
10月上旬 三沢基地航空祭 
    7日 芦屋基地航空祭 
21日 浜松基地航空祭 
27日 小牧基地航空祭
28日 岐阜基地航空祭
11月 3日 入間基地航空祭
12月 2日 新田原基地航空祭
9日 那覇基地航空祭 

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2006年07月15日

間抜けの階乗

間抜けもここまでくれば大した物だと我ながら惘れるばかりである。

というのも、このところ、名古屋に滞在中で自宅のカギは当然の如く持ち歩いていない。ホテルのデスクの引き出しの中、である。ところが、帰京しなくてはいけない用事が出来て、戻ってきた。用件を済ませて、自宅に戻る途中でハッと気付いた。「カギがない」と。

幸い、近所にマスターキーをお持ちの方がいるので、真夜中にもかかわらず、部屋のドアだけは開けてもらった。何とか部屋に入れば合い鍵はある。
一難去ってまた一難、の心境。この想定外の暑さに、ともかくクーラーを、と思ってスイッチを入れたが、ウンともスンとも動かない。

窓を開け放っても風はぴたりと止んだまま。あまりのことに、近所の真夜中までやっている量販店に出掛けて、冷風除湿器なるものを急遽買う。
コンビニクーラー

とんだ出費である。でも、この暑さ。渋うちわでパタパタとやっていても、近所の温気が胸元に来るばかりで、耐えられるものではない。さぞな五右衛門は熱かったろう、なんて強情を張っている場合ではない。
間抜けの階乗、のような一日であった。
posted by 曲月斎 at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

61年前。

5月29日は横浜大空襲の日。1945年のこの日、横浜は米軍の空襲を受けた。横浜の地元書店、有隣堂の月刊紙「有鄰」の数年前の号にに詳しい事情が出ていたので、要約すると……。
426_y-kusyu_r4_c1.jpg(写真は横浜市史から)
日本の大都市市街地への焼夷弾空襲は3月中旬、4月中旬、5月中旬から6月上旬の3期に分けられるという。3月中旬には東京大空襲に続いて名古屋、大阪、神戸が夜間焼夷弾空襲を受けた。4月には労働者の多い工場周辺の市街地が目標。13日に東京造兵廠があった北区、板橋区から赤羽にかけて、15日は蒲田と川崎、鶴見の工業地帯の周辺。
5月8日にはドイツが降伏します。沖縄戦もほぼ大勢が決し、米軍は中高度で爆撃しようということで、目標地域を選んで狙うことができる昼間の爆撃が始まる。
横浜大空襲はB29の500機による昼間空襲で、硫黄島基地の戦闘機P51の100機が護衛に加わっていたという。 いくつもの丘で区切られた各区域を狙って短時間に集中攻撃を行われたが、米軍は都市市街地の爆撃については、昭和15年の国勢調査を使って都市の人口変化などまで調べ、目標を決めていたという。 この国勢調査を一番よく研究したのは米軍だったという皮肉な言い方もあるくらいだ。
第1目標が東神奈川駅、第2目標が平沼橋、第3目標が市役所のそばの港橋、第4目標はお三の宮(日枝神社)の近くの吉野橋、第5目標が本牧の大鳥国民学校。
海風で目標が煙で隠れないように一番奥の東神奈川からこの順序で、ほぼ9機4列の各編隊が輪番で、4回りほど焼夷弾を投下し、午前9時20分過ぎから1時間ちょっとで投弾を終えたという。
空襲.jpg(写真は「有隣」から)

その5月29日から61年。焼失戸数約3万戸、死者は約4000人(1万人に上るとの推計もある)。
posted by 曲月斎 at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月15日

おみわたり

29784998.jpg信州諏訪湖の周りには、諏訪大社の上社、諏訪大社の下社があります、
湖の上を神が渡っていくのが見えるとされるのが「おみわたり」
今年は3本出現したそうな。

おみわたり2

おみわたり1
posted by 曲月斎 at 03:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月31日

「いち段落」か「ひと段落」か

轟亭宗匠から「やはり広辞苑には『いち段落』しか用例がない」とのご指摘。"湯桶読み"するのも許容かと思っていたが、そうではないようだ。

刺激されて開いたのは、用例が新しい順に列記されている
「大辞林」


「ひと××」の例で、音読み、漢語が来るのは「ひと安心」くらいで確かに「ひと段落」の用例はない。
接頭辞「ひと」の意味として、1)ひとつ、または1回の意味=「ひと房」「ひとそろい」「ひとたび」 2)全体に及ぶさま「ひと夏」「ひと町」「ひとかかえ」 3)軽く1回の動作を行うさま「ひとまたぎ」「ひと風呂浴びる」 4)一定の期間、ものごとがかなりの程度で進むさま「ひと雨来る」 5)ある時期を漠然と指す「ひところ」「ひと夜」

もちろん、和語に「ひと」という接頭辞の付く用例は多い。「段落」の用例は大辞林では「三四郎」を用例にひいているので、同じ時代の辞典ということで
「言海」

を見ると、段落ということばに「件(くだり)の段(きだ)。文章の中の切れ目」とあり、もう「きだ」などという言葉は存じないので、そっちに転ずると「分(キタ)の転。わかち、わかれめ、きれめ、きざみ、段」とある訳で、「ひと段落」も「いち段落」もないわけ。

日本語の成立の背景を考えると、「段落」が漢字2文字の熟語であり、音読みしてるので、「いち段落」が正しいということになるのでありましょう。語感として「段落」が和語に近付いていく過程で「ひと段落」という言い方も出てきたのではないかなと推量する次第。

耳に引っ掛かるもの言いというのは、言葉が活きている以上、変化していくのはやむを得ないのですが、すでに20代、30代の文章に引っ掛かりまくっている世代としては、自分もまたそうであると自戒する次第。
posted by 曲月斎 at 14:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月09日

北斎展

f283a82e.jpg北斎展というのを今、東京国立博物館でやっている。
北斎というと、富嶽三十六景。中でも神奈川沖波裏やら、凱風快晴などなど、カレンダーにもよく出てくる絵柄を思い出す。
で、このなかの、イトイ新聞を見て驚いたのだけど、これらの作品は人生50年と言われた時代に生きて、71〜74歳の時に描きまくった作品だということ。
こりゃかなわんですわな。横山大観の山十図、海十図が揃って発見されたのされないのというのが話題になったけど(足立博物館だっけ)、当の横山大観の台詞だったか、斎藤茂吉のことばだったか、定かではないけど、「勃起する精神力のない藝術はダメだ」という至言が心に残っているのでありますが、それを考えると葛飾北斎なんてお化けのような人物ですわな。

富嶽三十六景ばかりが名画ではないのだけど、あえて名作を並べず、一生を振り返らせようというこの展覧会の企画の意図やよし。ウィークデーにいってみることにしようかな。

何とか、名品が展示替えで消えてしまうまえに。浮世絵だけに専門家が世界中のコレクターから自分の見識を便りに集めてきての展示です。こういう意図のある展示会にはさそわれてしまいますね。神奈川沖並み裏
posted by 曲月斎 at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブログをいじったら

ブログの設定をいじったら、あれこれ変になってしまった。
目慣れたページから一変してしまって。元に戻すのもよく分からないし、設定をあれこれすればいいのだろうけど、ちょっと分からん。
ま、いいか。

いまだに、この仕掛けは良く分かっていない。昔のhtmlの文法なら少しは理解できたけど。当分、このまま、かな。
posted by 曲月斎 at 04:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月04日

ボンカレー

a8d9aa00.gif元町にもなぜか、沖縄物産ショップがある。スパムなどはユニオンよりも安いくらい(余談ながら、スパムって時々、食べたくなる不思議な食品であります。決して天下の珍味という訳ではないのですが。朝鮮料理の部隊鍋には「辛ラーメン」と共に欠かせないと思うけど)でありまして、昔はここで買って帰らないと内地にはない、というものが当たり前にありまする(例えば小魚の塩漬けにしたスクガラスとか、トウガラシを泡盛につけ込んだものとか)。

で、ふと見付けたのが、このボンカレー。松山容子がにっこりとほほえむパッケージが印象的であります。田舎に行けば、この看板が今でも残っているでありましょう。ボンカレーの公式サイトでは今でも「沖縄限定商品」として売っているそうな。松山容子というと、往年のテレビ時代劇では、美人女優の代名詞のような存在でありましたが、レトルトカレーといえばボンカレー、ボンカレーといえば松山容子の笑顔、という図式なんでしょう。

最近は松坂慶子がこのキャラを演じておりますが、少し違う感じですなあ。ちなみに松山容子は1937年生まれ。今でも事務所に所属しておられるような感じではありますが、見掛けませんなあ。ボンカレー
posted by 曲月斎 at 16:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

消える職業

c2233dff.png数日前、新聞紙上で見掛けたこと。全国各地にある灯台で、人が常駐して保守管理しているのは現在2カ所だけで、青森県の竜飛岬灯台は今年で、最後の1カ所となる長崎県男女群島の女島灯台は来年度にも、海上保安庁職員の駐在が廃止されるそうな。

木下恵介監督の「喜びも悲しみも幾年月」ではないけど、灯台守という仕事がなくなってしまうんですねえ。確かに苦労の多い仕事。機械化、自動化できるならそれに越したことはないのだろうけど、そういうものなのかなあ。確かにGPSで航行できるようになっているのだし、何も問題はないのだろうけど。

ちなみに、上記の映画で舞台になった灯台は
観音埼灯台(神奈川県横須賀市)、石狩灯台(北海道石狩市)、女島灯台(長崎県五島市)、弾埼灯台(新潟県佐渡市)、御前埼灯台(静岡県御前崎市)、安乗埼灯台(三重県阿児町)、男木島灯台(香川県高松市)、日和山灯台(北海道小樽市)
だそうであります。

そういえば、気象庁の富士山頂の測候所も冬場の職員の常駐を止めたんだよね。「目視」による観測項目は欠測になることもあるって注記があったっけ。

自分の仕事も……。
posted by 曲月斎 at 06:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする