2010年02月21日

いやなクセだが。


円生全集〈第3巻〉 (1967年)

円生全集〈第3巻〉 (1967年)

  • 作者: 三遊亭 円生
  • 出版社/メーカー: 青蛙房
  • 発売日: 1967
  • メディア: −



嫌なクセだけど、念のために唐茄子屋の下りを圓生全集で当たる。
この夜、志ん輔が切った場面はちょうどいいのかも知れないと思い直す。

この青蛙房の圓生全集。輪講ってのが着いて入るんですが、要は東大の落語研究会のメンバーと話し合いをしているのが収録されているわけで、聞く方も聞く方なら、柏木が得意満面で話しているのも何とも鼻持ちならない。

なら、読み直さなきゃいいんですけど、この本が一番手頃なモンで。
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上野鈴本 2月中席夜の部。その2

所用があって。

渋谷から広小路に駆け付けたら、もう中入り後ののいる・こいる。
鈴本は7分の入りというところ。

五明楼玉の輔は「悋気の独楽」。短い持ち時間ながら、手際よくまとめて一席のご機嫌。上々の出来。マクラは前回と同じだったがま、それは寄席ということで。定吉とおかみの遣り取り、造形が面白い。上方ネタを上手にまとめているので関心関心。

奇術の夢葉。前回はサイレントだったが、この日は師匠ゆずりのしゃべり通し。おきまりの鞭をふるってみせて、の一席だった。

さて。

肝心の志ん輔、である。
マクラは前回といっしょ。客席がどうのという噺で、どうこういうことではない。で、どっちへ向かって走り出すのかと思ったら、唐茄子屋政断だった。

勘当になり、吾妻橋で飛び込み(この前も吾妻橋で飛び込む噺だった)、助けられて唐茄子屋になる。天秤棒を担いで、田原町で躓いて唐茄子を売りさばいてもらって、吉原田圃、花魁との思い出噺を混ぜながらの「唐茄子や唐茄子」、売り声もよろしく、誓願寺店に入る前で、切り上げて「唐茄子屋政談の序でございます」。

じゃ、中席の仕舞の日に序でございますもないものだが、時間が経ってみるとそれはそれでいいかという気分になる。

ここで切ってもちょうどいい。

ということで志ん輔の主任はこの日で終わり。鈴本のはね太鼓に送られて帰宅したことであった。
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2010年02月16日

鈴本2月中席夜の部

久しぶりに上野鈴本に出掛けた。

寄席の中でもどうもここは足が向かないのだが。
夜の部は主任が志ん輔。
一昔前の「おかあさんといっしょ」のお兄さんである。

中入り2人前の志ん橋から席へ。
「無精床」
外は霙模様なのに、ボウフラの浮いた水桶もないもんで、季節感もものかは。いかにも時間調整という感じで、申し訳ない。

中入り前が正蔵。
「西行鼓ケ滝」
上方ネタで、西行法師の一藝談。夢の中に出てくる老翁媼に、孫娘という3人が和歌三神だという話なのだが、正蔵は主人公の名を最後の方まで明かさずに運んだ。これはこれでいいのだけどね。でも思い返してみると、鼓ケ滝の名の由来で鼓の音を言い置いたり、きっちり伏線を張っての話の展開。永谷園のお吸い物もないか、というギャグは如何かと思うが、よくこなれていたのは関心関心。

中入り後は漫才でのいるこいる。落語で玉の輔の「宗論」。賛美歌登場バージョンで元番頭さんの見立てでは一朝あたりに教えを請うたのではないかとのこと。奇術伊藤夢葉はこの日はサイレントマジック。

で主任の志ん輔。
何をするかと思えば「文七元結」。
マクラのデキはいま一つだったけど、本題に入ってからの運びはさすがで、聞かせ所の佐野槌の女将の説教の場面、吾妻橋上での手代と主人公の遣り取り、どちらも非常に結構でした。女将の貫禄、大見世といわれた屋台を支える度量と五十両をポンと貸す器量。出入りの職人へのあしらい方など聞いていて気持ちのよいデキ。鼈甲問屋近江屋の手代文七と主人公の遣り取りも江戸弁が歯切れ良く、折しもの天気にふさわしく、寒風吹き抜ける大川の上という感じでよろしかった。近江屋の主人の造形も行き届いて、鳶の頭や番頭との遣り取りに品があって佳。明日の晩も鈴本へ行ってみよかという気分にさせられた。

ただ、この日の入りはどう見回しても30〜40人。熱演が申し訳なくなるような客席の景色ではあったけど。
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2007年02月26日

圓楽引退発表

「三遊亭圓楽 独演会全集 第十二集」

5代目圓楽が25日、引退を表明したそうだ。

この日の国立名人会で「芝浜」を口演した後、記者会見をして「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない。「3カ月けいこしてきて、これですから。今日が引退する日ですかね」と話したという(Asahi.comから)。

ま、74歳。板の上で一人で口演するのが仕事の噺家ならば、それも選択肢の一つだろう。

でも、この発言を聞いて思い出したのは世阿弥の「風姿花伝」の年来稽古条々の「五十有余」で「この頃よりは、大かたせぬならでは手立あるまし。麒麟も老ては土馬に劣ると申事あり」。つまり何にもしないでいるのが一番だ、ということ。だが、続きがある。「さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて善悪見所は少なしとも、花は残るべし。(中略)まことに得たりし花なるがゆへに、能は枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしとなり。これ、眼のあたり、老骨に残りし花の証拠なり」と書き残している。かみ砕いて言えば、本当の名人なら何げないことをしても残りの花が咲いている老木のような風情がある、ということだ。

圓楽がやってきたことは、口跡よく話すことだけだったのだろうか。

8代目の文楽が「大仏餅」で絶句して「勉強しなおして参ります」と引っ込んだのと比べて、引き際という点で、なにかあざとさを感じてしまうのは自分だけだろうか。

さて、関西の重鎮・人間国宝の桂米朝の近況は、轟亭宗匠のhpから息子の小米朝の弁を引用させてもらうと「あの人間国宝は動くんですよ、動くから大変。 81歳、布団の上に敷いた寝茣蓙で滑って、背骨を圧迫骨折した。骨折の瞬間をヘルパーさんが見ていた。雄叫びのような声をあげたと報告があった。人間国宝の雄叫びはしょっちゅうで、お茶をこぼしても叫ぶ。目薬と間違えて、水虫の薬を目に差した時が、一番大きな雄叫びだった」そうだ。一門会でも「始末の極意」を繰り返していたやの情報もあったけど、板の上に足腰が立っているうちは、出続けるのがこれまでの支持への恩返しだと思うのだが。

また、能の話に戻る。ほとんど視力を失っても、舞台で見せた友枝喜久夫の仕舞、そして足が不自由になってからの近藤乾三の一調など、さっと描いたような藝が思い出される。圓楽にはそんな道の選択はなかったのだろうか。「道灌」みたいな噺で藝を見せる心境になかったのが不思議である。
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2007年02月17日

おほつごもり

百席(9)掛取万才/鰍沢
気が付けば大晦日である。

といっても旧暦での話。きょうが師走の30日。ちょうど氷雨が降り始めたものの、今年は暖冬とはいえ、旧暦の時代の歳末というのはこんな陽気だったのか、と思う。

旧暦の大晦日と言えば、まず思い出すのが圓生の掛取万歳。歌舞伎、雑俳、義太夫、喧嘩に最後は三河万歳までやって、1年の掛け取りに来る人間を次々と追い返していく。

一種の藝尽くしみたいな一席だけど、義太夫節など、元々が豆義太夫師だった圓生ならではの藝だった。ちょうど、何も賞は取れなかったけど、映画の「花よりもなほ」みたいな長屋での攻防戦だったのだろう。

一夜明ければ新玉の春、か。

桂文治(1)「掛取り」「火焔太鼓」-「朝日名人会」ライヴシリーズ9


で、ここ横浜では一夜明けると橋の両側が賑やかになる。方や南京町の春節、方や元町のチャーミングセール。というわけで、どちらも商売賑やかになる時節である。

机の前の旧暦カレンダーもやっと新しくなる。
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2007年02月07日

「江戸所払いを命ず」というけれど

大岡越前とか、遠山の金さんとかを見ていると、「江戸所払いを命ず」って出てくるでしょ。轟亭宗匠のサイトでその関連の噺「ちきり伊勢屋」が出たので、岡本綺堂の本とか、圓生全集とかをちょっと調べてみたら……。

重き追放だと武蔵、相模、下野、上野、安房、上総、下総、常陸、甲斐、駿河と山城、摂津、和泉、大和、肥前。それに東海道筋と木曾街道筋が禁足地。

中追放は武蔵、山城、摂津、和泉、大和、肥前、下野、上野、甲斐、駿河に東海道筋と木曾街道筋がダメ。

軽の追放だと江戸十里四方と京、大坂に東海道筋と日光道中筋で、日本橋から五里(20キロ、タクシーで6000〜8000円くらい?)ということになります。大体東は船橋、北は川口、西は三鷹、南は川崎以内の地域への立入禁止。

で、江戸払だと、高輪、四谷の両大木戸、板橋、千住の内側と深川、ということになっているという解説があります。ただ、親の墓参りといういいわけがあったそうでありまするが、ね。

と、調べていて、こりゃ、昭和初期にあった「円タク(1円で距離旧府内だったら無制限というタクシー)」のエリアとほぼ一緒ですな。以前、両国の駅に着けている個人タクシーの大ベテランで、円タク時代から運転手をしているという人がいて、「そりゃ品川の遊郭は一番佳かったですよ。南は八つ山橋のところが境でしたからね。品川の遊郭っていえばその先。追加料金が貰えましたから。新宿もそうだけど、あのころは流行っていなかったからねえ」なんて言っていましたっけ。

ということは、中追放なら、和田浦はOKということですな。それに鎌倉も相模国だからOK。肥前というのは長崎があったからかなあ、とか、江戸時代の量刑について考えた訳でありました。
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2007年02月06日

生恵幸子 死去

生恵幸子が死んだそうだ。

東京では馴染みが薄いかもしれないけれど、人生幸朗とのぼやき漫才は一時代を画したものではなかったか。「まあ、みなさん、聞いてください」「なにいうてんねや、この泥亀」「ごめんなさぃ」というボケとつっこみのはっきりした藝だった。

同じ夫婦漫才で島田洋之介、今喜多代というのも居たけど、調べてみたらボケの旦那はすでに死に、つっこみの妻は今や今日規汰代という芸名に変えて、コメンテーターをしているそうな。鳳啓介、京歌子は亭主が先。

そういえば、兄弟漫才の夢路いとし、喜味こいしの「いとこい」もボケ役の兄の方が先に逝去した。

東京では逆に「かーちゃん、もう帰ろうよ」が決まり文句だった松鶴家千代若、千代菊の夫婦漫才はつっこみの夫人の方が先に他界した。Wけんじはボケの東けんじが先でつっこみの宮城けんじが後。獅子てんや、瀬戸わんやはつっこみのわんやが先。内海桂子、好江はうーん、どっちがつっこみか言いにくいけど、好江が先だった。

うーん、法則性はない、のかなあ。
ところで、「geinin.jp」というhpを発見。そこそこ網羅してあるのに感心した。
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2006年07月02日

小三治の漫談/承前

これもまた、親分との話。

どうしても小三治が漫談でトリを務めたのが納得できないという小生に対して、親分は「あれは寄席だからできる藝。元々6月の下席なんてそんなものですから。素顔の小三治が見られて、僕は楽しかった」といいます。

世の中にはそういう見方もあるのかな、と思う次第。

それが寄席、ま、言ってみれば、ホール落語との差、ライブの楽しさなんでしょうけど、別に小三治が板の上に上がって、漫談をしてくれても何もありがたくない、という小生の考えは毫も揺るがないのであります。
藝人はどんな体調であれ、ベストの舞台を見せるのが使命であり、小三治の実力からすれば、あれはベストの藝ではないからであります。

「だから、志ん朝好きなんですよね。矢来町はそういうことをしなかったから」と言われてしまえば、それまでなんですけどね。

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2006年06月27日

夢は実現する・・・

「会長への道」
東京で落語といえば、古典落語系の落語協会と、新作落語系の落語芸術協会が2大派閥。
で、26日に落語協会の総会が開かれて、会長には三遊亭圓歌に代わって鈴々舎馬風が就任したそうである(ちなみに、芸術協会の方は桂歌丸、上方落語協会は桂三枝がそれぞれ会長)。
ちなみにプロフィールには「豪快な芸風で『禁酒番屋』『親子酒』を得意とする」とあるけど、この人は「会長への道」しか聞いたことがない気がする。
そも落語協会会長は戦後は初代が4代目小さん(46年)、2代目が8代目文治(47年)、3代目が8代目文楽(55年)、4代目が5代目志ん生(57年)、再度文楽が就任(63年)して、6代目圓生(65年)。
72年に5代目小さんが就任して05年から10年、圓歌が会長職を勤めてきた。
別に、会長になったからといって、なにの役得も大してないだろうけど、かつて4天王といわれた志ん朝、小三治、談志、圓楽いずれでもなく、馬風が会長になったというのは意外だった。もっとも、先代会長も「中沢家のひとびと」が得意ネタだったのだから、「会長への道」一本槍だった馬風のことも言えまいが。ただ、せっかく落語ブームといわれている中で、落語のおもしろさをもっと全面に出せる人がトップにいた方が……、という気がするのは所詮素人なんだろうか。でも、夢は叶う、とはいうものの、ハリ扇バシバシの品位ある藝を見せてくれていた馬風師匠が会長とは、ね。
ちなみに今期、理事を降りたのは小朝と雲助。含むところあったと腹をさぐりたくなるのはゲスの勘ぐりかもしれない。
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2006年06月23日

小三治は体調不良?

新宿末広亭6月下席夜の部
という訳で、寄席である。
昼間、ウチの親分に聞くと、「夜の部の主任は小三治ですから」と声を弾ませていたので、そういう選択肢もあるな、と仕事を済ませて、主治医のところでの受診を終えて、銀座から一路、新宿3丁目へ。
着いた時には1階の客席はほぼ満杯。教えてくれた親分の頭も3列目くらいに見えたが、連れが居たようなので声を掛けずに、左右の桟敷の2列目くらいに座り込む。桟敷の1列目が埋まっている感じ。
ちょうど曲芸をやっていたので、あっさりとパス。同じ曲芸でも鏡味系の方が翁家系より何かスマートである。
で、さん八の「親子酒」に繋ぐ。短い時間ながら、きちんとこの日のサッカーW杯のブラジル戦の話から枕を振り始めて、きちんと親子酒に。そして扇橋。こちらは6月の節季払いの時期を意識してか「加賀の千代」。本来は大晦日の話だが、「朝顔に釣瓶取られてもらい水」の句が生きる時期らしくもある。光石宗匠らしい展開か。

で、中入り。燕路が「粗忽長屋」を手際よくやって、写真は若手の漫才の「ロケット団」。ちょっと大阪的で下品な振りが目立つけど、口跡は悪くないし、後はネタを磨くことだろう。将来に期待、というところ。ロケット団


で一朝。「蛙茶番」の圧縮版。鬼一法眼三略巻の天竺徳兵衛を茶番でやるということを一切振らずに、最後に「あそこにアオダイショウが居るから」はないだろう。端折っても端折らなくてもしなきゃ行けないことはあるはず。元々バレがかった噺だから、どう持って行くかなのだが。

さて本題のトリ、小三治である。
黒の五つ紋の羽織に紋付き。すっと平織りの羽織紐をほどいたところまではいい。そこから迷走。「ここに上がる時は何を考えてやろうか、何も考えないで来た時期もあるんですが」ては噺から、どうも二つ、三つは候補を考えてきたらしい。
でも、前に酒の噺あり、長屋ものありと、なってくると同じものは続けられないので避けていく内に、混乱したと説明する。ネタ帳を見ると、昼席初口の前座がやろうと思っていた噺をやっていたとか、同じく楽屋にいた兄弟弟子の扇橋に言われたものはやりたくない、とか。

で、「以前は60歳で死ぬといっていました」という占い師の話やら、「その占い師に言われた干支の中で午と未が良くないと言われたそうで、この日は午の日(正確には壬午)だから体調がよくない」という。途中で市ヶ谷に箪笥町や御納戸町、二十騎町という町名が残った噺に転じ、「これは共産党かぶれの飯沢匡が住んでいたからこういう風になった。頼りになるのは共産党」といったと思ったら、今度は征韓論の噺。日本はし向けられた戦争だったかもしれないけど、日本も回りの国に仕掛けて居るんだ。歴史を知らないといけないという噺になって、「七代将軍吉宗」「四代将軍綱吉」など珍解説続出。最後に天保の改革でその前にあったのは享保の改革(正しくは寛政の改革)、貨幣の改鋳などなど、活字に起こす意味もない漫談が続いた。

何でも出る直前まで、やろうかと思っていた「千早振る」を扇橋に言われて、意地でもやるかと思ったそうだが。

体調の悪いときには仕方ない。でも聞き捨てならぬ惹句があった。「これから寄席ではこうですから」。枕だけ(枕にもなっていないが)を振って45分。やろうと思えば何でも出来るのに。

一番簡単なのは自分の寿命の噺辺りから、死神に持って行ってしまう。占師に疫病神呼ばわりされたかかあの噺から、火焔太鼓に持ち込む。千早がダメなら薬缶にでもするか。

小三治だから何の逃げ手もあったろう。自分で自分の隘路を塞いで行くのを楽しんでいるように見えた。でも。

わるいけど、小三治は、かつて人形町末広で「寝かせといてやれ」といわれる志ん生の芸風ではない。2700円の割り前の半分は小三治目当てだったのが正直なところだ。何か釈然と出来ないままなのである。

ちなみに当の小三治は下がった幕の際まで頭を抱えていたが。体調が悪いなら、回復を祈るや切である。
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2006年05月30日

「高座のそでから」橘蓮二撮影

「写真集 高座のそでから」


手元の本棚を覗く。一番手前の書棚の上段は、落語関係の本。米朝落語選集、圓生全集、古典落語大系、落語事典……。その隙間に入れてあったのがこの人の処女写真集「おあとがよろしいようで」。1996年当時のちくま文庫の表紙を飾っているのが、談志、小朝、志ん朝、小さん。高田文夫監修の文字が躍る。

そして10年。今度は一枚看板での登場だ。「橘蓮二写真集」。解説高田文夫、玉置宏。時の流れの間に、小さんが死に、志ん朝が去り、正蔵襲名があり、宮藤官九郎の「タイガー&ドラゴン」で落語ブームに火が付いて。空前と言われるこの活況は今も続いており、あんなに閑散としていた寄席はおおむねにぎやかなものである。

そんな10年を写したこの1冊。高田文夫が「ご案内」と称する前書きで「96年10月、橘クンは写真集という本屋さんの中の寄席で初めて高座にあがったことになる。このカメラを持った前座さんの腕はことのほか良くて、プロの芸人さん達からもおほめのお言葉を沢山頂いた。10年間の修業の成果を見せる06年、この『高座のそでから』をまたちくま文庫から出せるというご祝儀、いわばこの作品集が写真家橘蓮二の真打披露といった趣きになる」というのはまさに、真打ち昇進披露の口上だろう。
「写真集 おあとがよろしいようで―東京寄席往来」


高座の袖、というのは独特の視点だ。玉置宏の解説によると、落語研究会で8代目文楽の落語を一度、舞台上手からも収録したことがあったという。しかし、非難囂々たるものがあり、以来画像は正面からのものになったという。確かに、枝雀のような背を見せるような躍動的な落語家さんは居るが、基本的には背中は素だ。その素からにじむものが面白い。

10年前の写真集。当時の写真には楽屋に入ることの嬉しさともの珍しさが見える。そして10年。舞台の袖から見た視線がしっかりしたのを思う。今を盛りの花緑も、談春も年輪を積んだのを目の当たりにする。

この1冊に出てくる百数十人の芸人の写真の中で、1枚をといえば、何でもないけど、春団治の1枚が好きだ。出囃子の野崎が聞こえてきて、高座に直ったような感じが素敵だ。そして、第5部ではあの圓楽が末広亭に復帰した2005年5月31日の余一会の日の楽屋の写真がある。小朝、正蔵、木久蔵らに囲まれて真ん中につくねんと座る圓楽の伏し目がちの姿。1978年の分裂騒動以来の年月への思いを雄弁に語っている。写真の怖さ。
追記
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2006年04月07日

柳家三三 真打ち昇進披露興行

末広亭1

 落語協会の今年の真打ち昇進披露。上野鈴本で始まって、4月の上席は新宿末広亭である。5人昇進したので、主任は1人2日。6日、7日は柳家三三がトリを取った。
 末広亭に着いたのは午後6時過ぎ。上々の入りで久し振りに2階の桟敷に上がった。久し振りに上がってみると、欄間には踊り桐の透かし彫りがあったり、末広亭の扁額も堂々と健在。高座はちょうど、左楽が「松山鏡」を掛けていたところ。中入りまでに扇橋の「弥次郎」、曲独楽を挟んで権太楼の「つる」、中入り前がさん喬の代演で木久蔵の毎度の正蔵の漫談と続いた。末広亭2


 真打ち昇進披露口上は、権太楼が司会役。木久蔵、扇橋、三三、師匠の小三治、馬風、円歌と並んで高座はもう一杯いっぱい。この日はボケ役が扇橋。もう何をボケても人に合っているというか、飄々とした味。例によって馬風は野球ネタで振るパターン。手締めは馬風が口上だけ述べたところで、円歌が音頭を取るという仕掛け。一幕の芝居のように見せてしまうから、襲名披露、やはり風情のあるものである。
 漫才、円歌の漫談の後、師匠の小三治が「二人旅」の途中まで。前日は「道灌」をやったそうだが、その話で「実は昼夜入れ替えのない末広亭で、昼の部の前座がこの噺をやっていたのは承知していたのですが、高座に上がってそんな気分になってしまった。自分の弟子が真打ちになるという、気分の高まりというか、きょうのお客さまに言っても仕方ないんですが、同じ噺を2度聞かせることになって申し訳ない」と頭を下げた。「最後に出るということは、同じ噺、同じ趣向の噺も避けなければいけないということで、持ちネタが3つやそこらでははなはだ心許ないものです」てなことを振っての二人旅。茶屋に着く場面前で切り上げた。自分の高座であって自分の高座にはない、師匠としての独特の高揚感、寂寞感。袴を外しての口演だった。
 馬風の漫談は毎度の「会長への道」ではなく、現・林家正蔵の話やら、新小さん襲名の話などなど。口上で「あと15年すれば、円歌も小三治も木久蔵も死んでいるので、私と三三の天下」と持ち上げたが、笑えない気分。
 さてヒザの曲芸を挟んで、三三は「一文惜しみ」と講談ネタ。毎日、講談を聞いているというだけあって、歯切れのいい口跡。サゲのない噺だが、手際良くまとめた。圓生全集などにある活字より、ずっと政談ものに近づけての口演だったが、それは持ち味だろう。
 幕の内から楽屋内の手締めの音が響いてくる中帰宅。いい高座だった。昇進披露は中席が浅草、下席が池袋。
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2005年11月11日

近日来演、なんてことはなかったはずだが。

 「ほんに昔の昔のことよ 我が待つ人も我を待ちけん」と高座に響くのは、地唄舞の名曲「雪」の一節で、上方落語の大作「たちきり線香」の一場面。
 先に落語の筋をさらうと、放蕩の過ぎた若旦那が親族会議で100日間の蔵籠めと決まり、大阪・難波新地のなじみの芸妓小糸の元もふっつりと訪れることができなくなってしまう。「恋はこいでも金持って来い」てな話とは異なり、ホントの恋だったこのなじみの芸妓。恋に焦がれて焦がれ死ぬ。その三七日忌にちょうど蔵籠めが解かれてなじみの店に走った若旦那。すでにこの世のものならぬ身となった小糸の形見・誂えてやった三味線が自然と鳴り始めて……。
 頭書の「雪」が下座の嵌めもの(間奏音楽)としてしっとり高座下手から聞こえてくるっという仕掛けだ。
 何でたちきりの話なのか、というと、8日に上方落語の次の世代を担うだろうと思っていた桂吉朝がわずか50歳の若さで他界したから。月亭可朝から、ざこば、故・枝雀をはじめ、多彩な人材を輩出してきた桂米朝門下でも、、枝雀なき今は師匠の衣鉢を継ぐのは吉朝だろうと思っていただけに、ちょっとショックは大きい。口演を見た「たちきり線香」は上品な大阪船場の商家の空気、そして色街の雰囲気を二つながらに見せた藝だった。胃癌の手術後、昨年11月から休養、今夏復帰したばかりだった。自身のHP「温泉旅館きっちょう亭」には近作のつぶやき一句「そろそろと布団を上げて深呼吸」とあったのに。
 吉朝は「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」も得意としたが、彼の閻魔の庁での隠し藝披露は「米朝、春団治」といった落語家の出の姿をまねてみせるというものだった。高座では「近日来演」と演じたろうものを、早々と出演に廻ってしまったとは。最後の高座は10月27日。その日の様子は産経新聞の記事に詳しい。生前の姿を知る身には目に浮かぶようだ。早過ぎる死を心より悼みたい。
posted by 曲月斎 at 01:34| Comment(0) | TrackBack(1) | 高座下座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする