2011年10月25日

藤家虹二亡。

旅のつばくろ 淋しかないか
おれもさみしい サーカス暮らし
とんぼがえりで 今年もくれて
知らぬ他国の 花を見た

というのは昭和9年の「サーカスの唄」。

藤家虹二の訃報を聞いて、この唄を思い出した。

というのは3番にこうある。

朝は朝霧 夕べは夜霧
泣いちゃいけない クラリオネット
ながれながれる 浮藻の花は
明日も咲きましょ あの町で

日本のジャズは基調低音として、サックスよりもクラリネットであった。
それは軍楽に淵源をもつ感覚だろう。

藤家虹二しかり、北村英治しかり。

日本の吹奏楽の歴史の中で、SP版の復刻も多く出回るようになりました。
それらを聞けば、クラリネットの活躍ぶりがよく分かります。

さらにその淵源を考えれば、クラリネットが主役の吹奏楽を実現したのは英国です。

英国の吹奏楽を聴けば、本当にクラリネットの音色が美しい。

ということで、時代の終焉を告げる藤家虹二の訃報、でありました。
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2011年07月30日

あれこれ、新旧取り混ぜて。

幸田露伴。
7/30は蝸牛忌。
別に感慨のある作家ではないのだけど、中学1年の夏休みの課題図書が「五重塔」であった。
わずか12歳のガキに
「木理(もくめ)美(うるは)しき槻胴(けやきどう)、縁にはわざと赤樫を用ひたる岩畳(がんでふ)作りの長火鉢に対ひて話し敵(がたき)もなく唯一人、少しは淋しさうに坐り居る三十前後の女……」みたいな本を読ませる国語教師が居たというのが、今となっては愉快というべきか。

谷中天王寺の五重塔は心中の道連れとなったが、当時岩波文庫★一つの本の記憶は鮮明だ。50円で(いや30円だったかもしれない)買えた鮮烈な記憶は今となってはやすかったと思う。


伊良部秀樹
尽誠学園高卒。
何度かあの高邁な言辞に接する機会があった。
どうでもいいのだけど、そもロッテ入団の当時。
いい投手では12球団すべてが認めるところ。
でもその出自ゆえに(肉親に平成3年法律第77号に抵触するような人物がいたという調査のゆえに、指名を回避した球団が大半だったのが事実。ロッテはよく指名したな、という声がでたもんだ)。
何か、人の生き方をねじ曲げてしまった姿を傍観していた気がする。
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2011年04月21日

田中好子。

C0000205.jpg我が青春のキャンディーズである。

あろうことか、一番年下の田中好子さんが乳癌で他界したという。

img_tanakayoshiko.jpg
何か信じられない心境である。

もちろん、キャンディーズを卒業した後、女優としての活躍はご存じの通り。
「黒い雨」での演技を初め、その持ち味は遺憾なく発揮されてきたと思う。

ただ、どうしてもやはりキャンディーズ時代なのである。
もう4年前の春になるか。後楽園球場跡地で行われたフィルムコンサート。
結局、3人は現れることはなかったけど、こうなってしまうと、姿を見せなかったという3人の決断は見事だったとしかいいようがない。

ひそかな期待、だったのだが。
解散して50年過ぎたころには、年に1度、「年忘れ日本の歌」辺りに出演しないかな、と思っていたんだけどな。
20110101.jpg

ちなみに、ご自身のhpに掲載していた今年の年賀状。
今年はあのフィルムコンサートの時に配られたIDカードをお守り代わりに持ち歩こうかな。

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2011年04月10日

シドニー・ルメット

映画監督のシドニー・ルメット氏が死去したそうだ。

十二人の怒れる男 [DVD] / ヘンリー・フォンダ, マーティン・バルサム, リー・J・コップ, エド・ベグリー, E・G・マーシャル (出演); シドニー・ルメット (監督)
が代表作になるのだろう。

ふと気が付いたのだが、この人は12人で裁くというプロットが好きだったのかもしれない。
というのは個人的には代表作だと思う、「オリエント急行の殺人」オリエント急行殺人事件 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD] / アルバート・フィニー, ローレン・バコール, イングリッド・バーグマン, ジャクリーン・ビセット, ショーン・コネリー (出演); シドニー・ルメット (監督)
も同じテーマである。

ともあれ、享年86歳。ご冥福を祈りたい。
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2011年02月07日

寺岡孝さん。

4b347ccf00fa8.jpg訃報を読み落としていた。
寺岡孝さん。68歳。

プロ野球選手としてはわずかに7年間の生活だったが、コーチとしては約30年以上。こういう人を伯楽というのだろう。

最期は台湾の俊國の監督だった。「1人で台湾に行っていたからね。頼まれて。それで発見が遅れてしまったらしいんだよ。まだ68だからね。若いよね」とはこの人との縁を取り結んでくれた方の惜別の弁であった。

出身は宮崎。でも沖縄がいい、と沖縄に転居していた。

この人の素晴らしさは実直な人柄。かつて横浜にある某球団の社長がチームの成績不振に怒りをなして試合後のロッカールームで罵声を上げたことがある(この社長は今、某有名私立大の理事長である)。その時、すっくと選手の前に立って「選手だって一生懸命にやっているんです」と身を挺したという。らしい逸話だ。

それと、寺さんと言えばノック。右打者で右手でボールを上げるノックなのだが、ボールの軌道がノックバットとジャグリングのように交叉しながら打球が飛び出していく。見れども飽かぬ、とはこのノックで、やはり右打者で左でノックを上げる小林正之と双璧のノックだった。後にも先にもプロ野球ではこれ以上のノックの達人を知らぬ。

最期まで現場にいた、というのが寺さんらしい。合掌。
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2011年01月23日

最後の藝、また一つ。

いとしこいし 漫才の世界 [単行本] / 喜味 こいし, 戸田 学 (編集); 岩波書店 (刊)いとしこいし想い出がたり [単行本] / 喜味 こいし, 戸田 学 (著); 岩波書店 (刊)
とうとう、亡くなりましたな。
喜味こいし師。

相方の夢路いとし師が亡くなったのは2003年。あれが最後でしたな、振り返ると。
いわゆる「しゃべくり漫才」という藝が終わったのは。
米朝師が追悼で「呼称は最後まで君、僕で通したのはいとこいさんのあと、いるんかいな」と惜しんでおられたが、確かにそうですな。

上の本、左は知っていて読んだけど、右はしらなんだ。

でも、NHKのニュース、画面いっぱいに米朝師が出て、悔やみを言うてはると、誰が亡くなったのやらと思いましたな。

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2011年01月15日

こんな話を書くそばから。

実は次々に亡くなっていく方が続くわけで。
新聞の社会面の下には「死亡記事」と呼ばれる一群の記事が並びます。

その記事を見て、句を詠もうと一念発起されたのが今は亡き江國滋氏で、この試みは結構、すごく藝のいる作業です。

正直のところ、575でまとめ上げるほどの文才もないので、こんな形の個人的追悼文を書いているのですが、本当に追いつきません。実をいうと高峰秀子、野沢那智、そして今日訃報の入った細川俊之……。

この人ならでは、という人の訃報が続きます。一方的な回顧なのですけど、追いつけないな、というのがこのごろの実感です。この冬はやはり寒いのかな。
posted by 曲月斎 at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 点鬼簿控 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

亡者続く。

まず1件目。

野村万之介氏。
悟朗.bmpこんな写真のような謹厳実直な方、ではなかった。

壮年から老いの時期に入って、これほど化けた狂言役者も珍しいだろう。
若いころは本当に才気走った感があって、触れればこちらの指が傷つくみたいな感じの役者だった。
いってみれば「硝子の少年」か。
当時、亡者記事にもあるとおり、彼は早大狂言研究会の師範であり、時折、西早稲田に出没するのであった。
少壮だった私などは、サークルの枠を越えてあれこれの付き合いになだれ込んだのであった。
忘れもしない高田馬場・西武。
高田馬場で徹マンをやらせてくれる店で、あの当時、一晩の場代は一人1250円だったか。大きな馬鈴薯ばかりが目立って辛いカレーが500円だった。

万之介氏は年端もいかぬ学生相手に、きちんと大人の麻雀を打ってくれた。小生はあまりにへたくそなので嫌われたようなキもする。それでも勝ち分はきちんとふんだくっていったのだが。

いつだったか。そんな師が化けた姿を見た。
無頼も武骨もすべて、この時期のためだったのか。
すでに最愛の方は失った後だったと思うが。

狂言という藝が行き着くところを見せてくれたような舞台だった。
才気もなにもない。無為自然。それが味わいを生む。「人間国宝」になった萬にも、万作にもない味だった。何であの風が本当の評価を得なかったのか。

茂山千乃丞氏。
mp_actorSennojyo.jpgこの方は天寿を全うされたというべきかもしれない。

天才的な狂言師の4世千五郎を兄に持って、この方は本当に実直に生きたと思う。
茂山千五郎家の狂言で、実は木村正雄とか、佐々木千吉とかいう役者が本当の意味で支えになってきたと思うのだけど、その意味で、無為自然の暴走を繰り返す兄を見事に御した弟だと思う。

舞台では闇夜に咲く白梅のような藝だった、というしかない。どうでもいい「茫々頭」みたいな狂言が不思議と面白く思える藝だった。
狂言役者―ひねくれ半代記 (岩波新書) [ペーパーバック] / 茂山 千之丞 (著); 岩波書店 (刊)今となっては入手も難しいのかもしれないけど、この本はいい意味で自分で書いた戦後狂言史、である。
武智鉄二が目指した演劇の実行者がまた一人逝ったというほかはない。

中村富十郎氏。
tnr1101080757002-n1.jpg天王寺屋である。この人は本当に舞姿のきれいな歌舞伎役者だった。
勧進帳の富樫、船弁慶の知盛。
水際立つ、という言葉はこの人のためにあるのか、と思ったほどだ。本当に母の吾妻徳穂と瓜二つのセンスのよさ。ただ母ほど味わいが濃くなかったのが5代目富十郎の徳だろう。

後ろ盾を失った鷹之資はどうなるのか、という雑念はさておき、藝に精進すればいずれは花も咲こうというもの。将来にそのDNAが発現するのを期待したい。

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2010年10月07日

全国高校野球選手権神奈川大会決勝最短試合時間57分

大沢啓二氏が亡くなった。

直接、お世話になったことはないが、一つ忘れがたい記録を。

1950年全国高校野球選手権神奈川大会。
決勝は希望ケ丘と氏がエースで4番の県商工。
共に一中、商工実習と戦前から神奈川の中等学校野球ではその名知られた名門ではあったのだが。

この年の決勝戦。双方の安打数は希望ケ丘1、県商工2。与四死球は互いに0。
メチャメチャな投手戦である。
試合時間は57分。
今でも神奈川大会の決勝最短時間記録だ。

きちんとした9イニング、正式試合である。試合結果は県商工が1−0。

親分と言われ、立大での活躍、南海や東京時代の戦績が取り上げられることが多い人だが、
高校野球でもこんな記録を残している。
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2010年10月06日

莫山センセ。

書家の榊莫山さんが亡くなられた。

その謦咳に接したことは一度だけだけど、関西でいう、いいおっさん、だった。

NHK教育テレビで一時、書道の講座を持ったことがあったけど、あの人は教えることをまともに聞いていると、天才だったのだな、と分かる。

たとえば拓本を手本に、何げなくやっていることが、実はとんでもなく難しいことであったりした。

中央の書道界から距離を置いた生活を送られたが、その独自性は伊賀上野という街の中途半端な位置、近畿圏でも中京圏でもないというエリアに軸足を置いた生活を貫いた、貫けたからだと思う。

飄々、という言葉が似合うお人柄だった。

ご冥福を祈りたい。
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2010年09月22日

表章さん。

お姿は何度も、能楽堂で見掛けたけど、声を掛けられたのは1度。

法大の能楽研究所でのことだった。

江戸時代の番外の謡本の研究で、原典を当たりにいったときのことだ。
「しっかり勉強してくださいね」と見ず知らずの若輩に声を掛けてくれた。

氏は能の研究では第一人者にて、横道萬里雄氏と共著で出した旧版の岩波古典大系の謡曲集上下は今でもその研究の考え方、手法として今に通じる内容。

そんな研究が戦後の混乱期に芽生えたと思うと、羨ましいような、妬ましいような、また畏敬せざるを得ない現実と。

ともあれ、氏の冥福を祈るばかりである。
著書は極めて……、なのだが。
posted by 曲月斎 at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 点鬼簿控 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月20日

小林桂樹さん。

俳優の小林桂樹さんが亡くなった。

忘れがたい姿というのは、後のテレビで活躍した姿ではなく、
「人生選手」という映画である。

近藤貞雄さんの中指をケガしながらも投手として再起した逸話を元に映画化したもので、1949年封切。
近藤貞雄さんをモデルにした役を小林桂樹さんが演じていたような記憶があって、近藤さんが亡くなった時に一度、照会したことがあった。

無礼な話で、「近藤さんの役は堀雄二さんが演じられて、僕はその敵役です」というのが返答だった。ま、人の記憶なんてあてにならぬし、実に無礼な話だ。
役者六十年

役者六十年

  • 作者: 小林 桂樹
  • 出版社/メーカー: 中日新聞社
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 単行本



ともあれ、こんな馬鹿な話にも丹念におつきあい頂いたことをありがたく覚えている。

ちなみにこの作品は1949年、新東宝。一度だけ、この映画を特に見たのも、もう30年近く昔になってしまった。

ご冥福をお祈りしたい。
posted by 曲月斎 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 点鬼簿控 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする