2011年10月06日

戦力外通告。

何苦楚日記 [単行本] / 田口 壮, 唐澤 和也 (著); 主婦と生活社 (刊)

タグバナ。 [単行本(ソフトカバー)] / 田口 壮 (著); 世界文化社 (刊)

脇役力<ワキヂカラ> (PHP新書) [新書] / 田口 壮 (著); PHP研究所 (刊)

戦力外通告を受けていたらしいですな。
あれは1992年の2月ですからもう何年でしょう(最近、繰り上がり、繰り下がりの計算が面倒になってきた)。

彼がプロの世界に飛び込んできて、ボロボロにされて、復活して、アメリカに行って、ファーム暮らしをして、世界一になって。もう長いですなあ。

まだ頑張るよし。その意気やよし、ということですな。
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2011年07月10日

代表校と出場校。

昔。といっても今もそうなのであるけれど、
代表校と出場校の区別を厳しく言われた時代があった。

夏の高校野球は「全国高校野球選手権大会」。その前身は「全国中等学校優勝野球大会」。
ともかくも選手権、つまりチャンピオンシップである。

一方、春の甲子園は「選抜野球大会」。
つまりはインビテーションゲーム、招待試合である。

だから。
夏は「代表校」といっても春はそう呼ばず、「出場校」という。そんな使い分けもおよそ無益で、
「祝 センバツ出場決定 神奈川代表 ××高校」みたいな懸垂幕が役場に下がっていたりすると、
何なのだろうと一人ごちするのである。

ちなみに。
出場回数についての数え方を。

例えば愛媛の松山商。
戦後の学制改革の時に、一時、松山東高校となっていた時期がある。
松山東高校として出場した回数もカウントする。一方、松山東高校は旧制松山中の時代からの回数と戦後の合併した時期の回数をすべて含めてカウントする

神奈川の慶応。これは戦前は東京で慶応普通、慶応商工(すでに廃校)の両方をカウントする。なお、慶応湘南や慶応志木は別。

てなルールがあるんだけど、そんなこともうどうでもいいのかもね。

神奈川大会開幕。
開幕戦は白山と橘だそうな。

甲子園までの長い道のりである。

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2010年09月08日

1936年以来の夢……。

都市対抗野球は東芝が勝ちましたな。

スタンドではサザエさん一家が今年も踊っていたのだろうか。

それより、JR九州が九仞の功を欠きましたな。
実に1936年以来の悲願ではあったのですが。

当時、門司鉄道局。
門鉄局が後に大分鉄道管理局、鹿児島鉄道管理局と一体化して今に至っているのですけど。
ものには歴史があって、因縁があって、面白いのですから。

そういえば峰崎部屋の木村堅治郎君がJR九州の大の贔屓でしたが。
さぞな悔し涙でしょうな。
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2009年08月22日

阪神甲子園球場。

p1.jpg甲子園球場に行ってきた。

この前書いたけど、今年で25年目の夏。今でも初めてこの球場を訪れた時に、中の通路を抜け、席に着いた時に目の前に広がった青い芝の美しさが忘れがたい。

日本でも特別な球場であります。
その昔、阪神電鉄の若手技師がまだ球場なんてものが日本に満足になかった時代にアメリカに行って、ニューヨーク・ジャイアンツの本拠だったポログラウンドをモデルに作ったと言います。

外観の品格、そして見やすい客席、猥雑だった売店の並ぶ通路。という中の猥雑な通路は新球場ではなくなってしまいました。

koushien.jpgというのは、関係者の動線は1階、観客は2階、3階になり、焼き鳥屋の煙も通路に流れず、赤星のつけ麵やら、球児のカツオたたきどんぶりとか、どこかネズミ王国風というか、模擬店の羅列というか。こちゃこちゃした感じになってしまいました。

競馬場が鉄火場ではなくなっているのと同じように、どこかで軽くなっちゃった感じ。非難する点なんてないんですけどね。

という訳で、新球場はとてもきれいです。
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2009年06月02日

連続試合安打

今、イチローどのが連続試合安打を25に伸ばして、話題になっているようではあるけど。

大リーグ記録は、ディマジオの56試合。
記録が達成されたのは1941年、つまり太平洋戦争開戦前夜ということになる。

そんな時代背景を含めて、スポーツの読み物としては5本の指に入るおもしろさだと思う1冊を紹介しておく。
「ディマジオの奇跡」


まだ、というか、たぶんそんなに売れる本ではなかったし、注目もされなかったけど、ホンマにおもろい本です。
今なら中古で安く買えるみたい。お勧め。
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2009年02月06日

かっぱえびせん。

top_001.jpg大毎ミサイル打線で名をはせた山内一弘氏が他界した。

氏の謦咳に接すること、わずかの機会であったが。
晩年のブルーウェーブでのコーチ時代のこと。
当時の監督土井正三がやたらに気を遣う存在であった。
そして、シュート打ちの名手といわれたが、
その妙技の片鱗は見たことがある。

バックネットの前約30センチのところでネットに向かい合うように立って、バットを捌いて見せたのだ。何度スイングしても、ネットにがちゃんと当たる音もせず、ビシッと振り抜いていた。

そんな妙技も当時のある選手には「今時、そんな切れ味のいいシュートなんて投げる投手はいないよ、パには」と言われ、かっぱえびせんの異名をとったコーチぶりも空回りではあったが。

このころ、入団したのが田口壮であり、鈴木一朗だった。教えを乞うたことがプラスだったか否かは、歴史の示すところである。

オリックスではこの後に来たコーチが中西太。小生は両者を見る機会を得たけど、話がわかりやすいのは明らかに後者、だった。

あと、山内といえば駒場球場での9回2死満塁での振り逃げだろう。振り逃げは2死なら満塁でも起きるという例で、ルールの解説書にはよく出てきたものだ。怪訝な顔をしながらダイヤモンドを一周する姿は想像するだに滑稽である。

そういえば、ノベルティグッズ販売会社をしていたんですよね。

ともあれ、名物コーチが1人また幽冥境をことにした。ご冥福を祈りたい。
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2008年09月09日

都市対抗野球大詰め。

折しも、社会人野球の都市対抗の決勝である。
野球というスポーツを見た時に、都市対抗は一つの頂点である。その面白さがある。
今年はごひいきのいくつかのうち、新日石エネオス(旧日本石油)が決勝に進出した。
となると、応援歌のダッシュ日石である。


同じ神奈川では東芝のコール東芝もあるわけで、日産自動車の世界の恋人、というのも捨てがたい。

ともあれ、昨今「ブラバン甲子園」みたいなCDが売れた実績もあるんだから、この手の社会人野球の応援歌ももっと日の目をみないものかね。きっと、高校野球では新風になると思うのだけど。

とあれ、明日の決勝ではかすかに聞こえるスタンドの音楽に気をつけてみて。
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2008年03月01日

田口のフィリーズ日記。

今年も始まりました。
Mail from So」のメール日記。

去年までのカージナルスから一転、今年はフィリーズでの日記であります。

田口という男は、実にイチローなんかよりも繊細で面白い。
あのおもしろさは話していて数倍だと思います。

今年も読んであげてください。きっと何かが残りますから。
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2007年04月15日

ジャッキー・ロビンソン

0120edfd.jpgジャッキー・ロビンソンといってもピンとこないかもしれない。

黒人初のメジャーリーガーで、1947年の4月15日、ブルックリン・ドジャースでデビューした。当時は野球は白人のスポーツであり、有色人種の加わることができるものではなかった。

時は流れて60年。ニューヨークタイムズによれば、黒人は70年代には30%を占めたものの、今や10%台にまで減っているとはいえ、その分、日本人を始め、ヒスパニックなどが台頭しているのはご存じの通り。もちろん「外国人枠」などという言葉もない。

イラクに侵攻し、それを是とする大統領を信任するのもアメリカなら、こういう先人の遺業を顕彰しようとする空気が生まれるのもアメリカ。98年にこの日が「ジャッキー・ロビンソン・デー」として各球団でイベントが開催されると同時に、全球団で背番号42が永久欠番になっている(その当時から42番を付けていたヤンキースのリベラが今や唯一の例外だが)。

そして今年はケン・グリフィー・Jrの発案で「みんなでこの日は背番号42を付けよう」という話が起き、6球団ではこの日1日だけ全員が背番号42を付けるという。ロビンソンがデビューした当時、対戦を拒否するまで至ったカージナルスでも。ヤンキースでも4人が付けるという。

野茂が、そしてイチローが、そして松坂が大リーグという舞台で活躍しているのはこの先人の遺勲にほかならないし、それを忘れないアメリカという国の不思議さもある。

先人へのリスペクト、なのか。リスペクトという言葉は日本語に訳しにくいと思うけど、歴史を忘れないという点では、よほどどこかの国よりも賢い点がある気がする。
posted by 曲月斎 at 03:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 騙仕合傳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月22日

キャンプイン・田口の場合

taguchi.jpg今年も始まったカージナルスの田口壮のメール通信。彼の通信は実に面白いし、日本の新聞を読んでいるよりも数倍、MLBの雰囲気を伝えてくれる。
田口は実にクレバーな選手であり、個人的にはあの中西太に「おまえ、バントをきちんと練習せい、そうすれば絶対に金が稼げるんだから」と言われて練習をしていた姿を見ているだけに、あれだけ外野手の充実していたカージナルスでプレーをし、値千金のバントを決める姿を見せられると涙腺の弱ってきている身には応えます。

今年は会いに行けるか。でもアイツが現役のうちにカージナルスの試合は見に行きたい。そう思ってます。
posted by 曲月斎 at 05:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 騙仕合傳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする