2012年02月12日

「能のドラマツルギー」

能のドラマツルギー―友枝喜久夫仕舞百番日記 (角川ソフィア文庫) [文庫] / 渡辺 保 (著); 角川書店 (刊)
渡辺保は好きな評論家である。実に理詰めで単なる印象批評に収まらぬ見識を見せる。
それが故友枝喜久夫の、しかも仕舞を評論する、という1冊である。

能、というか古典芸能の場合、まず梗概を書かないと読者に分かってもらえないという恨みがある。少しでも能を齧ったことのある身にはこれが煩わしい。
それと、能は理屈ではないという経験則。面白くない、眠いという状況から、謡を聞いて脳内で文字変換が起きるようになり、そのうちそれもどうでもよくなる。

僕の場合はその瞬間は豊嶋訓三の班女だったし、能の神の言葉が聞こえるようになると、上手下手の別はその声が聞こえるか否かになった。

ということでこの本は面白いのだけど、ちょっと衒学的であった、という話。
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2011年12月17日

山本東次郎「祇園」

賑やかな曲だった。
縦糸は主人に祇園祭のたいこかつぎを頼まれた太郎冠者とそれを止める嫁。炎天下の重労働だから、やめるように言う妻。引き受けるなら離縁するといい、家を出て行く。

場面変わって祭り当日。
太鼓をかつがされた太郎冠者一行。藝尽くしを披露する。

式三番風の舞に、小袖曽我の相舞を連想させる三段ノ舞、神楽風の鈴ノ段もどき、さらに鞨鼓。
ここまでの藝尽くしが横糸。。

亭主の姿に女房が惚れ直す、というのが縦糸の結末。。

廃曲の復活というご多聞にもれず、ピントのスッキリしない構成が印象に残った。

あのやるせない太郎冠者の味は
東次郎ならではなのだけど。

まだ、工夫ができるかんじだった。

そういえば、今の祇園祭では、綾傘鉾と四条傘鉾と言われる太鼓を叩きながら棒踊りをする出しものが残っています、というか復活しています。それと、巡行の順番を記した籤改めの場面で、籤を示す側が仕舞を披露したり、所作があったり。ああいうのは、風流の気分というのは今でも残っているのでありますな。

あと、山本が補綴したこの狂言、茂山がやったら、京の町衆の気分が出るのかもしれないですな。
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2011年04月12日

「能ナビ」

能ナビ ~誰も教えてくれなかった能の見方~ [単行本] / 渡辺 保 (著); マガジンハウス (刊)
今までにない能の解説書でしょう。

能を昔ながらにただ上演するのではなく、演劇として見直すという立場は、第2次大戦後に観世寿夫が提唱して以来の考え方です。

ただ、現実に能を取り囲む書き手にはその立場は本当に理解されていたのか。
どこかで「お能拝見」の気風が尾っぽとして残ってきた気がします。

その点、渡辺のこの本は、歌舞伎や浄瑠璃、あるいは現代演劇に至るまでの幅広い他の演劇の見聞が生きています。
そしてテキスト(能本)の読み込みに依って生まれる見識などを具体的に案内してくれるています。
総合藝術という謳い文句に踊っているばかりで、感じること、観ることが難しくなってしまいがちな能を芝居として読み解いています。

文章は「渡辺節」なのですけど、自身が能ににじり寄っていった軌跡が生きています。最初は自分も稽古事として踏み込み、能評を書くようになって観る能、そして喜多流の名手・友枝喜久夫に出会い、私淑し、傾倒した日々。筆者の経験が初心者にも、あるいは能に親しんできた者にも新鮮に映ります。

専門用語を遣うと、とかく衒学的になりがちなのですが、遣わない解説は明快にドラマを分解してくれます。ここまで新鮮な解釈を見せられれば、能作者の世阿弥や元雅、金春禅竹、観世小次郎信光も泉下で喜んでいるのではないでしょうか。
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2011年03月02日

「幻視の座−能楽師・宝生閑聞き書き」

幻視の座―能楽師・宝生閑聞き書き [単行本] / 土屋 恵一郎 (著); 岩波書店 (刊)
申し訳ないのだが、主人公の宝生閑の話は実に面白い。

能でワキってのは大体の曲に於いては、最初に出てきて、脇座と呼ばれる舞台右端手前に端座。最後まで動かず、最後に主人公が舞台を去った後、退場していく。ごく存在としては本当にワキ役である。

でも、当代の名人、宝生閑はその面白さ、曲の中での重要性を語っている。
かれこれ能を見るようになって、ずいぶん経つが、そういう視点が必要であったか、という思いもある。

ただ、そこで問題なのは聞き手の技量だ。
よくも悪くも、日本の戦後の能界は観世寿夫という天才の存在が大きな影響を与えてきた。
宝生閑もその影響を色濃く受けた一人だ。
見所の観客のひとりでしかないこの筆者にいたってはましておや。

いつまでも寿夫の幻を追い掛けたいのも分かるものの、それでいいのだろうか。
寿夫がこの世を去ったのは1978年。もう30年余の時の流れがある。

それでもなお、寿夫に頼らざるを得ない、というのはあまりに情けない。

それと同時に、後進に対して、宝生閑は「こんなイメージだったよ」ともどいて話しているのに、それを受けるだけの技量や見識が筆者にはない。

「寿夫を見た世代と見られなかった世代の間には断絶がある」といわれても仕方ないではないか。

歌舞伎の世界でかつて「團菊ジジイ」という一群の見物がいたわけだが、能でも寿夫を「万金丹」としてしまうのは実に情けない。

いい本なのに、宝生閑はしっかりと後世に伝えようとしているのに。
返す返すも残念である。
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2010年08月19日

片山慶次郎師死去。

このところ、この暑さゆえに、訃報が相次ぐ。
京・片山家の次男、慶次郎師がなくなった。katayama-k.jpg

兄の博太郎師の藝はいかにも長男坊らしく、鷹揚なイメージだったが、切れ味という点では慶次郎師の方が上だった気がする。三男の元三郎師は杉浦家を継いでいるのだが。もう片山3兄弟なんていう言い方も過去になったのですな。西町三兄弟という言い方が死語になったのと同様に。

確か長く京大観世会の指導に当たっていたはず。ご冥福を祈るばかりである。
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2010年08月10日

円満井座棟梁。

nobutaka.jpgなくなったよし、だ。

金春流七十九世家元、金春信高、氏である。
そもそも流儀の本拠が奈良にあり、東京では桜間が辛うじて地盤を張ったこの流儀。
その歴史の古さは承知だが、家元の存在感は薄かったというべし。

桜間弓川、桜間道雄と時代に受け入れられた存在が居たにもかかわらず、「その型は家元の書き付けにもある」みたいなことを言っていたオヤジ、という印象しかない。

棺の蓋を覆って価値が決まるとすれば、1)謡本の昭和決定版を出した(これが明朝体のつまらない味も素っ気もない謡本だが)。2)とりあえず金春流を存続させた−−−くらいかなあ。

太夫藝というものがあるとすれば、この人の翁は1度、式能で見た記憶があるが、確かにそれなりの品格だったと思う。

冥福を祈りたい。
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2010年06月27日

長生きも藝のうち。

image_12211234868.jpg新聞の死亡欄を見て、「ああとうとう祥六も死んだか」と思ったら、息子の方だった。

まだ50歳。
能楽師では若死にである。

自分とほぼ同年代だから。
まだ小生が能楽堂にせっせと通っていた頃は、父親の祥六も若手主体の研究会に出ていたのだから、まだ息子の方は部屋住みの身であったか。慶応が坂井音重、学習院は藤波、国学院が武田志房、関根は東大だったか。そう関東観世流学生能楽連盟なんてまだあるのかしらん。

学生のころから元々、家元系の能楽師はほかの流儀以上に疎遠なので、見た舞台があるかどうか。もしかしたら「輪蔵」のツレかなにかで見ていたかもしれない。見た記憶がない。

でも、何で印象に残っていたかというと、別冊太陽の「道成寺」で取材に出てきたから。西村高夫、長島茂と共に、独立5周年記念として彼は道成寺を披いた。その時の話が出ていた。

ともあれ、能楽師としては50歳では何もしていないのと同じ。大動脈瘤解離だそうだが。ご冥福を祈りたい。能楽師は長生きも藝のうちである。
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2010年04月24日

山本則直師逝去。

訃報が出ていた。

狂言の山本則直師である。享年71歳であるという。
大蔵流でも、京都の茂山千五郎家の藝風が華やかなら、東京の山本東次郎家の藝風は剛直。こめかみの血管が切れそうにさえ思うほどの武骨な台詞回しであった。
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故人と兄の4世東次郎、弟の則俊の組み合わせで何度狂言を見たことか。東京では野村萬蔵家が、万之丞、万作、万之介の3人で世評を得ていたころの話だ。剛直といわれる藝風の山本家にあっても、この人はひときわ剛直であったような気がする。

3世東次郎は「乱れて盛んになるよりも、むしろ堅く守って滅びよ」と教えたという。いつも同じ顔ぶれで武骨に演じる狂言がいつか素晴らしく思えるようになっていた。

今は則直の2子・泰太郎に則孝、そして孫・凛太郎、則俊の2子・則重、則秀と顔ぶれが揃い、3兄弟ともにそろって円熟の藝を開花させようかという時期だっただろうに。

あの3兄弟の狂言がもうみられないかと思うと少し寂しい。
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2010年02月18日

「粟谷菊生 能語り」


粟谷菊生 能語り

粟谷菊生 能語り

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ぺりかん社
  • 発売日: 2007/10
  • メディア: 単行本



元々は広島の能楽師の粟谷家。とはいえ、東京で生まれ育った菊生はいかにも東京弁を話す能楽師だった。

学生の頃、何番か見ているはずだが、際立った印象はない。でも、本の中身を読んでいると楽しくなる。

能が分かる人が読めば楽しい。能を知らない人が読んでも、能ってこんなものなのか、舞台の人はこんなことを考えているのか、という発見がある。

以前にも取り上げた世代とは違い、観世寿夫、榮夫、静夫の3兄弟に煽られまくった世代。その世代がすでに老境に入り、記したものだけに、たんに教えられたままではないところが面白いのだ。

また、粟谷家の当主でなかったことも幸いしたのかもしれない。闊達な語り口には次男ならではの伸びやかさがある。

そして何より、こういう形、口調を生かした1冊にまとめ上げた子息の明生師とぺりかん社の編輯者の労を多としたい。丁寧な作り方の本です。
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2009年12月20日

佐野萌さん。

この秋、他界された宝生流の能楽師だ。
亡くなられた時、お身内だけでの葬儀だったと聞いた。
今夜、都内のホテルで偲ぶ会があると新聞で読んだが、そんな席に連なるのも如何かと思い、遠くで手を合わせさせて頂くことにした。

学生の頃、師は「佐野萌演能会」という主催の会を開いておられた。
まだ、宝生流では個人の会を開くのは、近藤乾三クラスの大家以外は、家元に遠慮して自分の会を開くのをはばかっているような空気があった時代。でも師や近藤乾之助、三川泉といった世代がそんな風を破っていった。やりたい能をやる、観客に問う、という。

何度か公演に通い、その感想を送ったりしているうちに、その会のための座談会をするので、来てくれないかと誘われた。場所は水道橋の能楽堂の上にあった師の稽古場。恐れをしらぬ若さだろう。勝手なことも言った気がする。でも余裕で受け止めておられた。sano.jpg(写真は読売新聞hpから)

父君の佐野巌氏も筆まめの方だったが、師も筆まめ。よく文章を書かれた。流儀の機関誌宝生への寄稿だったり、パンフレットへの文だったり。そんなものをまとめた1冊が「謡うも舞うも宝生の」(わんや書店刊)だ。

楽屋での立ち居や、自身の近況から見た話など、いかにも師らしい小気味よさがある。体調を崩されたと聞いていたが、そのままになってしまった。

一期一会とはいうけど、師とはまさにあの夏の日の稽古場でのひとときがじっくり話を伺った唯一の機会だった。でも何か心に残る人だった。

あの座談会の時、隣のビルの地下にあるトンカツ屋「かつ吉」から出前が来た。肉の煮こごりが妙にうまかったのを覚えている。
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2009年10月19日

観世寿夫「砧」「羽衣」

「砧」「羽衣」 観世寿夫 至花の二曲「砧」「羽衣」 観世寿夫 至花の二曲


観世寿夫の砧と羽衣。

泣きたくなるくらいにすごい謡だ。
羽衣なんて、謡をかじった人なら、鶴亀の次くらいに習っているはず。
でも、本当の名人が謡うと全く別の曲に聞こえる。

物着のアシライからクリ、サシ、クセ、舞事、そしてキリと続く。
シテの声の厚みもさることながら、地謡になった時に本当に息のあった謡というのはどういうものか、つくづくと教えられる。
我が大学のサークルでは、羽衣のクセとキリは嫌と言うほど、仕舞の地で謡ったものだ。先輩が口移しで教えてくれた調子、位取りは妙に重々しく、キリなどは小書がついているのではないかと思うくらいに緩急自在なものだった。だが、この音源にはそんな断片が聞き取れた。きっとSさんもAさんもこれにあこがれた末のデフォルメだったのであろう、と。

もちろん、寿夫個人の天賦の才だけではない、集団になってもなお光るその才能には改めて感服。今の銕仙会にその気概はありやなしや。

そして、採算の見込みがあるかどうか分からぬこんな音源を復刻してくれた販売元の気合も改めて高く評価したい。
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2009年10月14日

「能楽囃子体系」復刻!!

id146-1.jpg能楽囃子体系

たまにはマチを歩いてみるものです。
銀座山野楽器を覗いたら……。

あるじゃないですか。
待望久しい「能楽囃子体系」のデジタル盤が。

思わず、値段も見ずに、ハコを抱えてレジに並びましたな。

090330.jpgこのLPレコード6枚組の体系は、1970年代の囃子方の最高峰、というよりも今でも最高峰のメンバーによる演奏です。
今もこれだけの音を出せる囃子方は何人もいやしない。

おまけに、今回は増補分LP2枚も入っていて、お買い得です。

久しぶりにわくわくして買ったCDでしたな。げに犬も歩けば棒にあたるとかや。

素晴らしい演奏は明日、ゆっくり車の中で聞くことにしませウ。
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2009年08月25日

「観世華雪藝談」

hiroko2512-img450x600-1248846748l6xugp62179.jpgもうとうに絶版になっている藝談。観世華雪といってもピンと来る人はすくなかろう。

観世銕之丞家の3代前の当主で、明治から大正、昭和30年代まで活躍した。観世流と梅若流の観梅問題の時の当事者のひとりであり、観世帰参後は若い家元の後見役も務めた。

実直な人です。でも、カラに閉じこもっているだけではない。孫(というか弟の子)らが武智鉄二らの方に加わっても、能に戻ってくるのを見通していたかのような。能に対する自信と誇りがあったのでしょう。

藝談としては散漫のそしりを免れないけど、能楽全書の対談でも垣間見せている通り、昔の一六稽古(能の約250番の演目を1と6の日に順に稽古していくもの。梅若や西町観世では伝統的にこれを続けていた)の話など、確かに興味深いものがあります。

能は今、ちいさなブームと言われたり、各職分の脂がのっている時期でもあります。でもその一方で藝が荒れていると思う局面も多くなってきました。改めて先人の遺訓を振り返るのも悪くないと思います。
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2007年05月03日

荻原達子氏逝去

ogihara-tatsuko.jpg銕仙会の名プロデューサーで、狂言の研究でも一家言を持っていた、荻原達子さんが亡くなった。

観世栄夫氏の運転する自動車に同乗していての事故だという。痛ましいとしかいいようがない。

ご葬儀は実家の方で密葬、その後、時期は未定だが能楽関係者で偲ぶ会を開く計画だという。

荻原さんは、いつも銕仙会の事務所にいて、上演のある日は必ず水道橋にいた。社中(という言い方が似合わないけど)の人以上に社中のことを掌握していたと思う。あの観世寿夫、栄夫、静夫の3兄弟の活躍も、この人抜きには考えられない話だった。

その人となりは、詳しくは響の会の聞き書きをご覧頂くとして、「あなたたちの世代が学生時代にせっせと能に通ってくれた最後かも。しっかり能を見ないとダメよ」と励まされたのを思い出す。歯切れのいい女性だった。

突然の訃報でやり残したことはさぞかし多いことと思う。冥福を祈りたい。(なお、写真は響の会のhpから転載)
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2007年03月29日

高山本店・神田

神田の高山本店といえば、能関係では随一の古書店。
正直のところ、値段は高めだけれども、値打ちのある本が揃っているのは事実である。

先途は金春流の大正改版の揃い本を衝動買いしてしまったのだけど、この前訪れた時、少し驚くような謡本を買った。

大阪の大槻文蔵のところで、廃曲をいくつか復元、上演する試みが続いているが、その謡本だった。

たまたま残っていたのは「樒天狗・松山天狗」「鵜羽」の2冊。1冊800円とちょっと高い値段だったが、まあいいかと手に取った。

奥付けを見て驚いた。持ち主の名がはっきり端正な文字で書いてあったからだ。「浅井文義」と。銕仙会の浅井師の手元から離れた本なのだろう。不思議な感じがしたものだ。
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2007年02月28日

勧進帳/承前

先日、謡の師匠のところに稽古に行った。

また、前回と同様に安宅の勧進帳独吟。やはり、声が続かない。タバコの所為もあるし、長年の稽古不足もある。

特に、勧進帳は歌舞伎でもお馴染みの通り、弁慶が白地の巻物を勧進帳と称して読み上げる場面。ずっと強吟(現在の謡には基本的には弱吟と強吟の2種類のパートがある。弱吟は下→中→上と音階があるのだが、強吟の方は音の上げ下げというより息の強弱。昔は弱吟同様の上がり下がりがあったと言われるが、現在は上音と中音は同じ、下の中音と下音が同じ)なので、息で謡う感じなのである。

さらっと一通り謡った後、師匠のひと言は「音の上げ下げがまだ間違っている。もっと緩急を自在に付ける感じで、そのためにはもっと謡い込むしかないね」。自分では、晩年の近藤乾三の独吟みたいにさらさらと自在に謡うのがイメージだったのだが、たぶん、師匠は先代銕之丞のイメージが脳裏にあるのだろう。

とはいえ、まだ声量だけは何とか。というのは振り返ってみれば大学の4年間、授業に出ない日はあったけど、部室で謡本を開かない日はなかったからだ。先輩が後輩を捕まえて「ちょっとやるか」と始まってみっちり。特に学生の場合は、師匠が教えた通りというよりも、自分で能を観に行って、いいと思ったり、かっこいいと思ったりすることが教える側に混じり込んでいるから、師匠役の色が一人ひとり違う。ともかく理論武装する必要もある。

帰り際、師匠と飲んだ時に、「もっと現役は能を観て欲しいなあ」とつぶやいた。学生時代4年間で、ともかく能は観に行った記憶がある。しかも流儀に拘わらず。その時に見聞きしたことは今でも財産だと思っている。

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今年、師匠は8月9日に多田富雄の新作能「長崎の聖母」を渋谷のセルリアンタワー能楽堂で再演するそうだ。「新作能をやるっていうことはやはり刺激になる。この世界の中にだけいればそれはそれで楽、なのだけどね」
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2007年02月22日

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

こういう晩は「晴れ」の晩なのだろう。
新宿の劇場でロックミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を観て来たのだから。hedwig07_070104.jpg

実に、能、狂言、歌舞伎以外の演劇をライブで観るのは、記憶を探れば、転形劇場の「水の駅」以来、というのだから恐ろしい話ではある。このミュージカルを選んだのは、読売新聞の劇評で誉めていたから。あの新撰組の、また、華麗なる一族にも出ている山本耕史が、どんな芝居を狭い劇場でするんだろう、という興味が先に立った。

結論からいうと、山本耕史は、見事な歌手であった。
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ロックを歌い揚げるパワーは見事だった。でも。芝居とすれば三文芝居になってしまった。なぜか。それは、中村中の存在であり、ウィグを付けている間は山本は所詮、三輪明宏の二番煎じであったからだ。

芝居なのか、山本のコンサートなのかは不文明なのだが(というのは観客の年齢構成を観てもおばはんがすごく目立った)、本当は一人芝居でやった方が面白かったと思う。すべて独白で。それは東ドイツで生まれた少年がアメリカに渡るために性転換手術を受けて、自分の片割れを探し続けるというのが基調低音の芝居で、中村の存在はじゃまでしかない。まして山本の芝居でウィグを外してからの姿こそ、最後の1曲こそ、彼が歌いたかった曲であるというのが、見え見えなので、構成を上手く入れ替えるなり、独白体で仕立てるなり、一人芝居の方が最後も空間が広がっていったような気がして成らない。

日本の男優がゲイの芝居をすると何で、三輪明宏風になってしまうのか。開幕からずっと観ていて不自然な感じだった。何のカタルシスもない。さらに確かに彼がシャウトする声は非常に見事だけど、特に、舞台装置がそれをじゃましていた。字幕を後ろの画面で流すな、といいたい。

ロックのバンドもいいし、バラード系の曲など、本当に彼の天分を感じさせるものだった。だからいいたい。山本耕史の一人芝居にしてしまった方がずっと良かった、と。バンドをオーケストラピットに入れ、マイクスタンド1本で彼に芝居をさせたら、どんなに面白かったろう。不用意な照明とか装置は役者の芝居の力を殺してしまうということを今回の演出家は知るべきである。

14センチのヒールブーツを履いて、網タイツ姿の山本はそれは妖艶だった。
画像2.jpg

でも。妖艶さがストレートに伝わってこないのは中村が脇で余計な芝居をし、バンドも余計なことをしているからだ。蹴り上げた足の美しさは見事だったのに(ただ、それに対して、上半身の捌き方は山本はなっていない。ノリのいい場面でもただ腕をくねらせるだけで、本当に自分がロックロールはしていない。ポンキッキのお遊戯程度だ)。

小さい小屋でやっているサプライズはある。山本の登場シーン。また客席を巡る中村。それぞれに小さい小屋でやっているからだろう。でも、2度観ないと楽しめないような芝居は如何なものか。芝居はどこまで行っても一本勝負である。

アンコールの拍手の中、山本がカーテン(ないのだけど)コールに応じて現れた。レザーのショートパンツ1枚の姿になるので「最後はプロレスみたいな格好になって寒いんですけど……」としゃべりだしたけど、これは言ってはいけない台詞である。客席の芝居の余韻をいっさいリセットしてしまう独白だ。

以下、追記であらすじを掲載しておく。リターンで新宿厚生年金会館で上演するそうだけど、せめて観るなら、小さい小屋の方がいい。追記
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2007年02月08日

「勧進帳」の稽古

能の世界では今は三読物といって、「正尊」の起請文、「木曾」の願書、そして「安宅」の勧進帳が重く扱われています。

謡っていて気持ちのいいものです。
で、「安宅」の独吟を習いに行きました。

日頃のタバコの所為か、声が続かない(ま、もっとも声を出していないのだからしかたないのであるけれど)。それでも学生時代に覚えた習い性は変わらないので、かつて「爆音謡」とあだ名された通り、声は張り上げなければ気分が悪いし、声を限りと読み上げるばかり。しまいには鼻水は出る、涙は出るの散々のてい。

ただ、勧進帳の部分、地拍子が難しいし、強吟の連続(基本的に謡には弱吟と強吟があって、弱吟には音階があるけど、強吟は音階というよりも息、力付くで音を上げ下げする感じでほとんど音程的な差がない)だし、緩急の付け方が本当に難しい。

じっくり謡い出して、サッと気分を変えてテンポを速め、また緩めて、また運んで……。要は笈の中の適当な文章を空読みしているんだから、そういうことにもなるんだろうし、そこが三塔の遊僧で知恵者の弁慶なのだから。

こりゃ一つ、きちんと仕上げたら面白いかもしれない。舞台で一調をするつもりで頑張ってみますか。でもこういう時、学生はいいな、と思うのであります。部室へ行けば大声を上げていても何の苦情も来ないけど、町中ではそうも行かないから。和田の浜辺なら大丈夫、か。

それと、この手の習い事で、師匠の謡を録音する人も多いけど、それはすべきではないと思ってます。というのは、稽古だって1対1の真剣勝負だからです。この日も、清水寛二との稽古で打切になるところを区切りに先に師匠が謡い、その後を小生が謡い、最後に通して一度謡う、というのをしたのですけど、こういうものはその瞬間しかない、と思って集中する方がいいと思うのであります。こういう時の師匠の謡い方はわかりやすい日本語教室みたいな歌い方をしてくれ、最後に謡になるようにしていくものです。

ところで、家に帰ってから、金剛流と金春流の謡本(旧本)を見たら、ほとんど何も節が付けてないんですね。旧本は。師匠が朱を入れて完成品にする、という作業があった訳で、今の観世流の大成版もやはりそうです。秘密主義という訳ではないでしょうけど、結局は面授するしかない部分が多いのであります。こういう藝事は。

最後に「いやぁ難しい」と漏らしたら、「自分で持ってきたんだから、へへ」と師匠。でもこれはきちんと仕上げますよ。きっと。
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2007年02月02日

「安宅」の準備

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謡っていうのは、その台本を謡本といいます。(写真は阿漕、葵上、藍染川の3冊の特製一番本の写真)
観世流、金剛流は檜書店、宝生流、金春流は確かわんや書店がそれれの版元です。(喜多流は独自の刊行会があったような)

袖珍本を見開いたサイズで1ページの携帯版の「百番集」というのもあって、観世流の場合は正続2巻(宝生流は「旅の友」という題名)なのですが、老眼が進んだので、もう節が読めなくなりました。となると、紺色の表紙に観世千鳥が飛んでいる特製1番本を買うしかない(これが高いんですわ)

謡本は詞章の横に胡麻を散らしたような節がついています(胡麻点)。これに会わせて謡っていくのですが、どうにも難しいもんです。特に、「安宅」の勧進帳くらいになると、師匠に直接教わらなければ出来ないようになっているんですから。

という訳で、昨年来の懸案だった、「安宅」の謡本も買ってきたし、あとは師匠のところに行って大声を張り上げるばかり。勧進帳の結びは「天も響けと読み上げたり」でしたな。

そういえば、死んだ元横審委員長で独文学者の高橋義孝は、離島に1冊だけ本を持って行けるとすれば、という問いに言下の下に「謡本100番集」と言っていましたっけ。宝生流を長くたしなんだ方でしたな。
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2006年12月15日

第30回響の会研究公演「井筒」

見所はほぼ満席。大したものだ。動員をかけたのだろうけど、それにしても見所の桟敷が一杯になっていたこと、そして謡本に目を落とす首本党が3人くらいしか見えなかったのは大したことだ。席を中正面1列目の脇側に座る。

最初に銕仙会の当主、銕之丞の仕舞「三山」。観世流では比較的新しい復曲(レパートリーにしていなかった曲を復活させること)で、どこかに上演の時の台本があるはずだが、探すのが面倒なので省く。謡曲大観ではカケリからキリにかけての部分らしい。もともと押し出しの強い体型の現当主。こういう曲はどんなものだろうと思っていたのだけど、例えば1歩目を踏み出す前の一瞬の間、型を見せた後の間が自然と余韻になっていたのが大したものと思う。扇は観世水に鉄線の柄、流儀で初演というのなら、色紋付きじゃなくて普通の紋付きにすべきだったと思う。

狂言は「墨塗」。野村萬蔵以下の出演。野村の狂言は江戸前といえばそれまでだけど、大蔵弥左衛門がやったのは辺りを墨だらけにするほどの演出。空涙の時もきちんと水で湿らせていたような。ここを型だけで見せて、後のどたばたもあっさりとしてしまうのはこの曲の本質を誤っていると思う。

さて肝心の「井筒」。地頭が高夫でシテが寛二。ワキは殿田謙吉。このワキはかつてウドの大木みたいな感じでいい印象がなかったのだけど、謡の感じがかつての森茂好に似てきた。このまま育って、出てきただけでもう満足、みたいなワキに育って欲しいと思う。
以下、あれこれ。
・面の選択の問題。
妙になまめかしいというか、鼻の頭つやつやというか、所帯じみた感じの面だった。深井だったのか、小面だったのか。いずれにせよ、襟が白二つの気品には欠けた。
・立ち居の問題
出てきていきなりひと芝居。ここがまあ、1度目の山場とすれば、寛二はすすっとやってしまった感じ。思い入れたっぷりにやることはないが素っ気ない。居グセの間、位取りはどうだったか。再考の要あり。序ノ舞は、笛に振り回された感じがする。この日の笛は京都の杉市和。東京では馴染みが薄く、82年に金剛の緑旺会で聞いた時にはブオブオの、華美ともいえるような笛を吹いていたのに閉口したのだが久々に聞いて、森田流らしい感じの草書の笛に変わっていた。だから間が等間ではない。本三番目物の序ノ舞も、独自のリズムと間で引っ張っている。だから序の部分ではシテがどう合わせていいのか、とまどっている風にさえ見えた。これが笛が日頃慣れている一噌流の系統だったら、特に藤田大五郎みたいにあの年でも楷書の笛を吹く役者なら全然違っただろう。これはシテの芸風と笛の芸風が最初はさぐり合いになってしまったからだろう。それが証拠に初段目、2段目、と進んでいく内に、シテの中で独特のリズムが出てきた。
・地謡の問題
久々に銕仙会風の地謡だった。頭の高夫の力を讃えていい。銕仙会の地謡は、息がそろって無音の状態からいきなりフルスロットルになるような、ダイナミックさにその魅力がある。若いメンバーを従えて、よく統御したと思う。ただ、1列目は元気が足りない。申し訳ないが寛二、高夫や岡田麗史辺りが前に並んでいたころはもっと図々しかった。あんな遠慮がちの声の出し方では宝生になってしまう。合わせられないというのなら、稽古をすればいい。ましてオーソドックスな曲だ。若手はもっと精進すべきだろう。
・後見の問題
山本順之はちょっと目立ち過ぎ。永島忠侈とともに座っていたが、鐘後見じゃあるまいし、もうすこし所作を自然にさりげなくすることを覚えてもいい年だ。自身も後見の名人といわれた田中幾之助の舞台を見ているはず。もう目立ってしまうことが許される年ではない。

あれこれと難点を挙げてきたけど、総じて一曲を通してみると、立派な舞台だったと思う。シテと地頭がしっかり意思を持って曲を演じるということは大切なことだが、ゆるがせになっていることでもなる。

この会も来年から第2期と称するそうな。個人的には早く、寛二には安宅を、高夫には定家を披いて欲しいと思っている。次のステップが見えてくるような気がするからだ。

帰り際、早大観世会の後輩を紹介された。自分が1年で入部した時に寛二が内弟子から独立して師匠になった年。かれこれ26年になる。彼らの人生を遙かに超えていることに後で気が付く。「大変なOBで……」と紹介されたけど、実際そうなのかもしれない。ご一行10人ほどだったか。今も続いているとは慶賀に堪えない。稲門観世会というと、小生の世代よりもう一つ上の世代。彼らを見ていた時の視線と同じだろう。

一つ。研究公演なのだから、20分でもいい。見所の若い観客と話し合いの時間をもってもいいのではないか。たとえばこの日なら、西村高夫がその任を果たしてもいい。面のこと、装束のこと、見れば分かることでも、ひとこと欲しい。個人的には、金剛流の豊嶋訓三先生の自宅での稽古がなつかしい。白金台にあった自宅に稽古に伺うと、その後はかならず決まってカレーライス。弟子一同ともどもさじを運びながら、あれこれと先生に疑問を投げかけた。先生はそれに答えて「この演出ならこうするけど、この時はこうだったから」という具合に教えてくれた。こんな経験がどれほど貴重だったか。能楽界の自民党の観世流は弟子をもっと大事にすべきである。

帰り際、小生の病気のことを知っている師匠が舞台を終えたばかりながら出てきて、玄関先で「稽古に来いよ」といってくれた。稽古するものは既に決まっていて、三読物(安宅の勧進帳、木曽の願書、正尊の起請文)を上げること。師匠も舞台が終わったから少し時間ができるかな。追記
posted by 曲月斎 at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 三間四方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする