2016年10月01日

★2016年9月に読んだ本。

2016年9月の読書メーター
読んだ本の数:17冊
読んだページ数:4503ページ
ナイス数:622ナイス

日本震災史: 復旧から復興への歩み (ちくま新書)日本震災史: 復旧から復興への歩み (ちくま新書)感想
「復旧から復興への歩み」という副題の方が本書の内容に相応しい。震災そのものの被害への言及より、その後についての方に重点がある。特に史料の多くなる江戸期以降、大名普請(被災地の住民への雇用対策の意味も持つ)から、請負普請へと変遷する様を、また火山噴火に関連して幕府が執った施策についての言及。明治期以降は備荒儲蓄金法、罹災救助基本法といった法整備に基づく体制へと引き継がれる。関東大震災に際し、当時の内務官僚がインフラの再建と併行して住民が帰還するか否かへの配慮があったのは興味深い。復興はやはり民間主導である。
読了日:9月30日 著者:北原糸子
ユダヤとアメリカ - 揺れ動くイスラエル・ロビー (中公新書)ユダヤとアメリカ - 揺れ動くイスラエル・ロビー (中公新書)感想
米国の人口比で2%のユダヤ系は政治的に影響力を持ってきた。政治意識の高さ、献金、ロビイスト活動が活発……。米国の「戦略的資産」とまで言われたイスラエルという存在だが、本土と米国在住民との間には意識の乖離が生まれていることをきれいにトレースした1冊。「中東唯一の民主国家」という決まり文句が今も惹き付けるのか、旧約聖書の「約束の地」であるからか(ここには福音派の信者の動きもあるという)。イスラエル本土での右傾化と米国内でのホロコーストを身近に見聞きした世代の高齢化が意識のギャップを生むという見立ては興味深い。
読了日:9月29日 著者:立山良司
無縁所の中世 (ちくま新書)無縁所の中世 (ちくま新書)感想
前著に続き、公、武家ではなく、寺院を中心とした中世文化を想定する。生活に困窮した庶民が流動化して都会に流入する世、移民が発生する世。移民のいない大集落は大きなムラだが、旧住民と移民がいる風景は都市だ。移民が発生するところ、無縁所あり(ま、京都に対する叡山)。「人類普遍の無縁を考察する場合、参考になるのはアメリカ史」なんていう分析は首肯できるのだけど。あらゆる局面の史料を繋ぎ併せての立論ぶりは豪快だが、展開について行き切れなかった。史料を読み込んでいない上、時空座標が組み立てられないのに過ぎないのだろうが。
読了日:9月27日 著者:伊藤正敏
寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)感想
日本の中世で一番の権力者は寺社(特に比叡山)であるという命題提起の1冊。特に延暦寺末の祇園社が京の経済面で特権を与える一方で寺銭を稼いでいた、警察司法権に対しての検断不入権を誇り、鴨川以東は勿論、洛中にも勢力を伸ばしていた様を描く。祇園社の祭りが洛中の町衆に支えられているのは確かに証左だ。前著「日本の中世寺院」でも叡山の他、南都、高野山、根来寺などを挙げていて、本書でも挙例の事象があちこちに展開し、年代も交錯するので追い掛けるのが大変ではあるが。要は公権力の行使(徴税も含め)が普くことが近世化なのだ、と。
読了日:9月23日 著者:伊藤正敏
シベリア出兵 - 近代日本の忘れられた七年戦争 (中公新書)シベリア出兵 - 近代日本の忘れられた七年戦争 (中公新書)感想
地図を逆さに見た時のような驚きがある。シベリア出兵が後の15年戦争の姿と相似であること、後の戦争を指導する立場にいた人物が関わっているのに、当時の経験が生かせていないこと。鮮満の権益を守り、あわよくば更に北辺を狙う妄想が膨らんだ結果としての出兵。終結への構想がない戦いが広がる。現地と参謀本部、政府の思惑の食い違いが広がるまま、糊塗弥縫が続く。一般には点(尼港事件等)の知識だが、実は19世紀から続く歴史の一齣、面であるのが分かる。兎も角、兵戈を政府が収められたのは元老(山県有朋)という錨の有無でしかない。
読了日:9月20日 著者:麻田雅文
情報参謀 (講談社現代新書)情報参謀 (講談社現代新書)感想
自民党を支えた広告代理店とその周囲に存在するマーケティング会社の話。その中心にいたという筆者がこういう話を書いているということは、既に次の段階に進んでいるということだ。「政策本位の政治」という建前は別にして、「政治家」が「政治屋」になっているということを端なくも提示した形ではある。中身はWeb上やテレビを監視して、対応策を立てていく。果敢な対策を立てられるだけの資金力(これも政党交付金の一部である)。内容自体はさもありなむ、の水準ながら、「情報は発信しないと存在しないのに等しい」ということ。ちょっと引く。
読了日:9月19日 著者:小口日出彦
鳥獣害――動物たちと、どう向きあうか (岩波新書)鳥獣害――動物たちと、どう向きあうか (岩波新書)感想
本書は街の人の視点である。鳥獣害の話は地方に住んでいれば日常生活の一部である。鹿、猪、猿は日常的にいる。(夜、道を走っていて気付くのが遅れて車にぶつかってこられたら、被害は免れないところ。こういう場合は警察は事故証明を出してくれるのだろうか、保険は、と不安になる)。本書は鳥獣害のルポ部分と、日本人が生み出してきた殺生観の考察の2部構成。個人的には思惟的な部分よりも、実例をきちんと紹介してくれた方がよかった。人口減少、過疎化、耕作放棄と続く連環や荒蕪の地になっても自分の土地と手放せない精神性への言及とか。
読了日:9月19日 著者:祖田修
昭和史講義2: 専門研究者が見る戦争への道 (ちくま新書)昭和史講義2: 専門研究者が見る戦争への道 (ちくま新書)感想
全20講の中で9、10講の「日中戦争における和平工作」、12講の「天皇指名制陸相の登場」は読ませる内容だった。以外は厳しいかも。学会機関誌の「研究往来」みたいな欄を思い出す。新書という体裁で一般に向けて本を書くなら、1)先行論文の引用と論文名の提示ではなく、筆者が知見を咀嚼して記述するべきで、文章がぎこちない篇が多いのが気になる。2)参考文献を挙げる欄を作れるのなら、注釈(特に人名)を入れた方がいい。3)活字版にはあるのかもしれないけど、索引が必要な本ではないか−−てな難点を挙げておく。捷径はないな、と。
読了日:9月19日 著者:
孫文――近代化の岐路 (岩波新書)孫文――近代化の岐路 (岩波新書)感想
華夷の別を立てる伝統的な世界観から、孫文は終生脱し切れなかったのではないか。生涯59年のうち、通算19年に及ぶ亡命生活。筆者は二面神ヤヌスに例えているけど、むしろ「キメラ」のような存在を想う。江南から興った明の朱元璋、太平天国の洪秀全のような姿を念頭に描きつつ、目的のためには手段を選ばない手法。白くても黒くても鼠を捕る猫はいい猫、という論理に繫がる。実力はないので「収」(中央集権)を目指しつつ、「散」(地方分権)を呑まざるを得ない。国共双方の国父という偶像になる前の姿を考える。日本史なら足利義昭……。
読了日:9月18日 著者:深町英夫
近代中国史 (ちくま新書)近代中国史 (ちくま新書)感想
快著。中国の宋〜明〜清と続く中で「眠れる獅子」は欧米流とは全く違う統治、財政構造を築いてきた。欧米が予算主義なら、中国は現額主義。地域貨幣の銭と地域間流通貨幣の銀の二本建て。加えて貿易代金として流入する銀に依存する経済。資本が育たず、関税を抵当にした外資頼りの経済。アヘンすら通貨として経済に組み込んできた歴史はすごい。穀物の増産から人口爆発、そして辺境・海外への流出、流氓化と、清末から国民政府、共産党政府にまで続く民間の感覚をトレースしている。この本を読んでから枝葉の本に読みすすめば、理解は数倍違うはず。
読了日:9月16日 著者:岡本隆司
昭和史講義: 最新研究で見る戦争への道 (ちくま新書 1136)昭和史講義: 最新研究で見る戦争への道 (ちくま新書 1136)感想
編者自身が「得難い本」と記したことに失笑を禁じ得ない。「最先端の専門研究者によってまとめられた」と称する15講で構成されているものの、1)時系列の中で事件や出来事ごとでまとめられているので、前後の講との間で、文脈、扱いに齟齬が出る。2)中央官庁や軍関係、中国の中枢にいた人物の記録に依存している部分が多く、記述内容が政治外交軍事に偏重していて、従来の書物での知見の域を出ない。3)最近で言えば加藤陽子の「戦争まで」や、山中恒の「アジア・太平洋戦史」の方が視野が広い−−等々。研究者はやはり自惚はいかんな、と。
読了日:9月14日 著者:
中国の論理 - 歴史から解き明かす (中公新書)中国の論理 - 歴史から解き明かす (中公新書)感想
史記以来の正史は理非の判断を下した上で記録されてきたという感覚が新鮮。「経・史・子・集」という4部の別に基づき、歴史は儒教的解釈第一、今の考証学や史実第一主義の産物ではない。裏付けになっているのは縦方向の士庶の別、横方向の華夷の差。過去の史実に付会するなど、想定外の思考回路。儒教に深く親しんでいるが故に攘夷思想が生まれ、和魂漢才ならぬ「中体西用」の考えが起こる。清朝後は「三国史」で、毛沢東は「士庶の別」を排して新時代を開いたとしつつも、今は長年の中華思想に回帰してはいないか。嫌いでも面白い、の評が的確。
読了日:9月12日 著者:岡本隆司
天下と天朝の中国史 (岩波新書)天下と天朝の中国史 (岩波新書)感想
血統に裏付けされた皇帝と天の指名に基づく天子。両概念が重なった存在こそが東アジアの支配者たりえる。と同時に漢民族を中心とした中華と周囲の異民族を含めた天下を併せてこそ真の天朝を担うものになる。北方の異民族と南方に逃げた漢族の争覇が王朝の交代になるのだが、易姓革命が起きても信仰、思想的な根幹として儒教が横たわる。中華の国の統治する大天下と日本、朝鮮、越などの小天下が構成する世界。逆に言えば双方とも中華の存在を常に意識せざるをえない世界観を示す。冊封体制や現中国の海洋進出もこの論理の延長線上という読み解き。
読了日:9月10日 著者:檀上寛
昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)昭和芸人 七人の最期 (文春文庫)感想
残酷な本である。喜劇の世界に生きる限り、旬がある。旬が過ぎれば老い、寂寞が立ちこめる。そういう風を感じさせなかったのは巻末の伊東四朗の聞き語りに出てくる三木のり平ぐらいかもしれない。筆者が俎上に取り上げた7人(生で記憶があるのはそのうち4人だが)はこんな晩年を過ごしていたのか、と思う。ダメなのは分かっていてもなお残る自負と執着。昭和の喜劇役者の雰囲気、戦前戦後の空気、興行界の出来事など、登場人物の姿を通して描き出してみせる。読み物ではあるけど研究論文風。なかなかに畳の上での大往生というのは難しい。好著。
読了日:9月5日 著者:笹山敬輔
地域再生の失敗学 (光文社新書)地域再生の失敗学 (光文社新書)感想
至極真っ当。でも、こんな建前論では追いつかない気がする。広島での原爆投下後、被爆直後の広島赤十字病院で、放射線障害が何かも分からぬまま、手探りで治療に当たった医師らが、当時の数少ない検査方法で、血球数を顕微鏡下で数えたという話を思い出しています。白血球が一定数を割り込むと回復が困難になる、という治療経験が生まれたという思い出の記を思い出した。。確か「爆心」(朝日新聞広島支局)で読んだと思うのだけど。白血球 も人口も同じなんじゃないか、と。漠然とした気分になる。地方創生とは所得の増加がゴールなのは確かだが。
読了日:9月4日 著者:飯田泰之,木下斉,川崎一泰,入山章栄,林直樹,熊谷俊人
日本の中世寺院―忘れられた自由都市 (歴史文化ライブラリー)日本の中世寺院―忘れられた自由都市 (歴史文化ライブラリー)感想
中世の寺院(山門、寺門、興福寺、東大寺、高野山、根来寺)が実は宗教施設ではなく、軍産学複合体の都市だった、という解釈は豪快。学侶、行人、聖という3階層のうち、教学を専らにする学侶は約1割、残りは荘園の管理、商工業の統括をする行人が占め、聖は遊行しているので、掌握不可能という姿を高野山の記録から見立てる。顕密体制とはいえ、教義上最高位の大日如来への信仰は影が薄く、実態は大師信仰、太子信仰を中心に「呪術的」な信仰と死者の供養が中心であったとする言説は今の実態を見ても納得がいく。権門体制論を補完する内容に納得。
読了日:9月3日 著者:伊藤正敏
中世京都と祇園祭: 疫神と都市の生活 (読みなおす日本史)中世京都と祇園祭: 疫神と都市の生活 (読みなおす日本史)感想
同題の中公新書の改版。人口が集積すれば当然、疫病の流行が起こる訳で、京都でどうして長年に亘って続けられてきたかがよく分かる。祭神の牛頭天王が抑も最初は疫病を齎す神であったはずが、蘇民将来と出会って疫病除けを約束した神に変身してしまうのがすごい。最初は官や寺社が主催した祭りで、種々の役銭の収入や名誉が祭りの執行者に付随していたのが、室町期から変化。下京に住む町衆主体の祭りに変わっていく。住民自治の精神の発露と見るか、権門の弱体化とみるか。今に続く祭りが全国で都市の生活に不可欠な神祭として享受された不思議も。
読了日:9月1日 著者:脇田晴子

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posted by 曲月斎 at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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