2007年02月08日

「勧進帳」の稽古

能の世界では今は三読物といって、「正尊」の起請文、「木曾」の願書、そして「安宅」の勧進帳が重く扱われています。

謡っていて気持ちのいいものです。
で、「安宅」の独吟を習いに行きました。

日頃のタバコの所為か、声が続かない(ま、もっとも声を出していないのだからしかたないのであるけれど)。それでも学生時代に覚えた習い性は変わらないので、かつて「爆音謡」とあだ名された通り、声は張り上げなければ気分が悪いし、声を限りと読み上げるばかり。しまいには鼻水は出る、涙は出るの散々のてい。

ただ、勧進帳の部分、地拍子が難しいし、強吟の連続(基本的に謡には弱吟と強吟があって、弱吟には音階があるけど、強吟は音階というよりも息、力付くで音を上げ下げする感じでほとんど音程的な差がない)だし、緩急の付け方が本当に難しい。

じっくり謡い出して、サッと気分を変えてテンポを速め、また緩めて、また運んで……。要は笈の中の適当な文章を空読みしているんだから、そういうことにもなるんだろうし、そこが三塔の遊僧で知恵者の弁慶なのだから。

こりゃ一つ、きちんと仕上げたら面白いかもしれない。舞台で一調をするつもりで頑張ってみますか。でもこういう時、学生はいいな、と思うのであります。部室へ行けば大声を上げていても何の苦情も来ないけど、町中ではそうも行かないから。和田の浜辺なら大丈夫、か。

それと、この手の習い事で、師匠の謡を録音する人も多いけど、それはすべきではないと思ってます。というのは、稽古だって1対1の真剣勝負だからです。この日も、清水寛二との稽古で打切になるところを区切りに先に師匠が謡い、その後を小生が謡い、最後に通して一度謡う、というのをしたのですけど、こういうものはその瞬間しかない、と思って集中する方がいいと思うのであります。こういう時の師匠の謡い方はわかりやすい日本語教室みたいな歌い方をしてくれ、最後に謡になるようにしていくものです。

ところで、家に帰ってから、金剛流と金春流の謡本(旧本)を見たら、ほとんど何も節が付けてないんですね。旧本は。師匠が朱を入れて完成品にする、という作業があった訳で、今の観世流の大成版もやはりそうです。秘密主義という訳ではないでしょうけど、結局は面授するしかない部分が多いのであります。こういう藝事は。

最後に「いやぁ難しい」と漏らしたら、「自分で持ってきたんだから、へへ」と師匠。でもこれはきちんと仕上げますよ。きっと。


posted by 曲月斎 at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 三間四方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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