それは中学、高校の6年間の風景である。母校の教室から、根岸湾の方を眺めていると、そんな景色だった。
わかる授業は古文と日本史ぐらい、数学も英語もダメな生徒はこの景色をボーッと眺めているしかなかった。

そんな生活を送った校舎は、4階建て、1階部分はグランドレベルでカウント外だった。左右に長い校舎で、外観はドイツのバウハウスを連想させる。コンクリート打ちっ放しの壁に、紺色の鉄製のサッシが並ぶ。見ようによっては、サナトリウムともいうような作りだ。
そんな校舎も50年を超え、耐震補強もあって往年の姿ではないが、老朽化で立て替えである。この学園祭が最後の晴れ姿とあって、横浜に戻って、じっくり眺めてきた。
という折に同窓会もあり、集まった同期は30人ほど。
すでに髪の毛の不自由になった者、あるいは腹が突き出た者(ま、自分のことだけど)もあり、6年の春秋を改めて思い返した。