2011年08月29日

「十三人の刺客」#2

つづき、である。

007.jpg

約50年の時を経て、映画も「型」「仁(にん)」で見せる訳にはいかなくなった。
その象徴的な場面が序盤にある。

新篇では、両手両足を切られた百姓一揆の首謀者の娘、というのが登場する。
老中への上申をした江戸家老の一族を殿様が弓で射殺すという場面がある。
旧篇では殿様が斬り殺すという場面はあるのだが。

暴虐残忍な殿様、という人物像を観客に納得させるのには、視覚的にこうするしかないからだ。

実際の処遇として、こういう暴君が出現してしまった場合には「押し込め」「蟄居」という手段がある。薬殺して、幕府には「病死」と届け出る手段もあったろう。
でも、それができない、ということを観客に得心させるには、こういう場面がどうしても必要になる。

両手両足のない少女、というR指定の基となるようなものを出しても。
本当のこの映画の基調低音はこの不虞の姿にある。

006.jpg

次にリーダー像。
役所はすべてに第一線に飛び出していく。しかし、片岡はあくまでも腹の太さ、懐の深さを見せる藝。最終決着の中山道落合宿でも悠長に指揮を執るのが先だ。
「社長シリーズ」の森繁久弥も片岡と同様、しないことが藝なのである。

009.jpg

新篇でもう一つ。秀逸なのが岸部一徳。
千両箱にころび、伊勢谷に犯され。実に剽げた、でも実在感のある役者ぶりだ。
あと、伊勢谷。こんな達者な役者とは知らなかった。どちらかというと白塗りのイメージが強かったのだが、十分砥の粉もできる。藝の幅を広げて欲しいものだ。






posted by 曲月斎 at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀幕緞帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。