2011年06月20日

「夏は来ぬ」

「卯の花の匂う牆に時鳥早鳴き初め……」
聞いたことはあると思います。

佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の「夏は来ぬ」であります。1896(明治29)年5月、『新編教育唱歌集(第五集)』にて発表されたそうでありまして、文部省唱歌ではありません。

一応、著作権が歌詞については存在(佐佐木信綱先生は1963年没)しているそうで、引用はさけますが、引用したとしても、著作権継承者であろう佐佐木幸綱先生は「日本文学概論1」で謦咳に接した恩師(ちなみに欠席が多すぎて「不可」でしたが)ですので、ご寛恕頂けるかとは思うのですが。

で、ひょんなことから。

藤枝在勤中に大変お世話になったKさんから、電話がかかってきました。

「この歌のね、中に出てくる『怠り諫むる夏は来ぬ』って歌詞があるんだけど、どういう意味かな」
車の中でのことですので、PCを開く訳にもいかず、かといって歌詞を丸暗記しているほどの愛唱歌でもない。むしろ昔は「カネボウ絹石鹼」のCMの曲というすり込みの方が強いくらい。

「ま、なまけちゃいかん、という意味でしょう」「何で怠けちゃいかん、なの?」
と疑問は続きます。

そこは千番に一番の兼ね合い、とっさに思いついたのが「眠り流し」の習俗であります。
「眠り流し」とは、睡魔を払う行事で、主として七夕として、水浴をしたり、形代(かたしろ)などを模型船や灯籠・笹竹などにのせて川・海に送り流したりする。東北地方に盛んであるが、北陸・九州などにもみられる。ねぶとながし。

という説明の行事のこと。ちなみにこの「眠り」は日本脳炎のことを指すという説もあるそうですけどね。

で、Kさんには「ともかく夏は暑くて眠い。それを戒める行事もあるくらいだから、夏は怠ける季節っていう季節感があったんじゃない」と連想ゲームのような回答で納得してもらったのであります。

ですが。

よくよく歌詞を見直してみれば、問題の3番であります。
「橘の薫る 軒端の/窓近く蛍飛び交い/おこたり諌むる/夏は来ぬ」
であります。

何のことはない、「ホタルの光、窓の雪」の「螢の光、窓の雪、書読む月日、重ねつゝ、何時しか年も、すぎの戸を開けてぞ今朝は、別れ行く」の東晋・車胤と孫康の故事をふまえて、「怠けちゃいけない」といっているだけで、「眠り流し」は邪推だったような。

強いて言えば、1句目の「橘の薫る」の言葉から「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
」(古今集)を連想させ、戒めるのは昔の人という連想を効かせている気もします。

という訳で「怠りを諫むる」のは他人事ではなかった話。

で、蛍に関連して与謝蕪村がこんな句を残していますな。
「学問は尻からぬけるほたる哉」

そんなものかもね、と思った次第。



posted by 曲月斎 at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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