2011年06月08日

上州から碓氷峠へ

先週は信州・御代田が現場だった。
利用するのは長野新幹線である。

東京駅でいつものようにチキン弁当を買って車中へ。
と、上野を過ぎた辺りで車内販売が来た。
「とりめし、ある?」と聞いてみると、「ございます」と取り出してくれたのがこれ。
鶏飯.jpg

高崎弁当特製「とりめし」である。

別れた元嫁の実家が前橋、1度だけ一緒に帰省した時に、彼女が教えてくれた。
確かにうまいのである。
ちょっと個人的にはほろ苦い味もあるけど。

鶏飯2.jpg
鶏のそぼろ、鶏の照り焼き、そして海苔の香り高い上にまた鶏。脇にはつくね団子。実に鶏尽くしなのだけど、素朴なごちそう、という感じがして、うれしい。
大正、昭和のころの掛け紙のデザインそのままに味もいい。

本当は崎陽軒のシューマイお弁当のように、箱が経木製だったら、もっとおいしいんだろうけどね。

ということで、実は往路に乗ったあさま号は東京→上野→大宮→軽井沢と停車。高崎は通過だった。

さて。
信越本線といえば碓氷峠である。
日本の鉄道史の中でもここは難所中の難所、北の板谷峠、東の碓氷峠、西の瀬野八(山陽本線の八本松〜瀬野間)と言われた天下の難所。かの「信濃の国」では「穿つ隧道二十六、夢にも越ゆる汽車の旅」とうたった長野県民夢の鉄路の名物は「横川の釜めし」である。

釜めし.jpg

今は信越線も盲腸線になってしまい、横川で行き止まり。当然のことながら、釜飯も峠の上下で売っているのであるが、軽井沢駅は午後8時まで駅構内で売っている。

何と言うことはない釜飯なのだけど、たまにたべるとうれしくなってしまう。

遠く。
高校1年の時であったか。
学校の友達3人に連れてもらってこの峠を越えた。急行能登だったか。

補機をつけるために必ず横川では一時停車があり、あの当時の客車は旧型客車だったから扉も手動、のんびりしたものであった。

そんな思い出も含めて、釜飯がうまいと思う歳になったのだな、と思う。


posted by 曲月斎 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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