2010年09月05日

東濃行。

先週末は岐阜県南東部、木曽川に沿った一帯・東濃地方に仕事で出かけた。

去年も同じ時期に出かけ、岩村の宿に投宿したのであった。今年も同じところでもいいかな、と思いつつ、風呂場が農薬のような匂いがして閉口したこと、夕食が大きな広間の炉端で、ポツンと1人で炭火焼きに興じなくてはいけなかったこと、などなどを思い出し、別の宿を探すことにした。

ご同業の面々は恵那に投宿する向きが多かった。
ならばと探しては見たものの時すでに遅く、いわゆるビジネスホテルは満員。こういう場合は「××市観光協会」「××町商工会」みたいなHPから宿泊業を探して、電話をしてみるしかない。

今回も探してみると、日本旅館があった。「料理旅館いち川」なる店だ。

旧中山道六十九次のうち46番目の宿場が大井宿。今の恵那だ。ここの角屋なる旅館の後身がこの店であるという。

宿に着くと、女将が出迎えてくれ、仲居どのが離れの部屋に案内してくれる。
そうこうするうちに、菓子と茶が運ばれ、風呂から上がると十五代目女将と十六代目若女将見習いなる女性2人が現れてご挨拶である。

で、べつに頼んだ食事の時は、すでに後期高齢者だという仲居どのが付きっきりでお給仕。日本旅館の飯というのは基本的に酒の肴なので、これをつまみながら一献傾ける。仲居どのがお酌をしてくれるのだが、自分の母親よりも年上の女性の酌というの珍妙なもの。あれこれと昔話に花が咲き、結構面白かった。

さて、離れの部屋はいいのだが、普段は旅館といいながら、宴会が中心の様子、部屋を開けていないので、どうも「納戸」みたいな匂いがする。クーラーを掛けながらも、窓を開け放たないとどうにもたまらぬ。2日目の朝、仲居どのに「枕をよく日に当てておいて欲しい。窓は開けっ放しにしておいて欲しい」と頼み出かける。3日目にようよう納戸臭い匂いは抜けてきたようだった。

ちなみに離れは2間あり、道端の堀割りから水を引き込んだ泉水に臨んだ部屋が松の間、その隣の2階からの避難階段が見える草むらに面しているのが桐の間。ちなみに小生が通されたのは当然のごとく桐の間で、隣の松の間には女優の高畑淳子丈が映画撮影の為、泊まっていたよし。騒がしくなかったかと気がかりだが、聞かされたのは後の祭りである。

数日投宿して、話をしていると、後期高齢者の仲居どのは信州松川の出身だそうな。で、もう1人の仲居どのが地元出身。東海地方の例にもれず、「××ら」という語尾になるのは、お国ぶりである。

とこうかくあれ、最後の勘定に出てきたのは十四代目の女将だそうで、金の計算の反応が少々遅くなっているのは年相応。朝飯に「朴葉味噌をつけて置けば何杯でも飯が食べられる」という信仰をお持ちであったこと以外は、特に問題はなかった。

ともかく、今でもこういう旅館が残っていることがまた、旅の徒然の憂さ晴らしというべきか。


posted by 曲月斎 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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