2010年06月27日

長生きも藝のうち。

image_12211234868.jpg新聞の死亡欄を見て、「ああとうとう祥六も死んだか」と思ったら、息子の方だった。

まだ50歳。
能楽師では若死にである。

自分とほぼ同年代だから。
まだ小生が能楽堂にせっせと通っていた頃は、父親の祥六も若手主体の研究会に出ていたのだから、まだ息子の方は部屋住みの身であったか。慶応が坂井音重、学習院は藤波、国学院が武田志房、関根は東大だったか。そう関東観世流学生能楽連盟なんてまだあるのかしらん。

学生のころから元々、家元系の能楽師はほかの流儀以上に疎遠なので、見た舞台があるかどうか。もしかしたら「輪蔵」のツレかなにかで見ていたかもしれない。見た記憶がない。

でも、何で印象に残っていたかというと、別冊太陽の「道成寺」で取材に出てきたから。西村高夫、長島茂と共に、独立5周年記念として彼は道成寺を披いた。その時の話が出ていた。

ともあれ、能楽師としては50歳では何もしていないのと同じ。大動脈瘤解離だそうだが。ご冥福を祈りたい。能楽師は長生きも藝のうちである。


posted by 曲月斎 at 01:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 三間四方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
関観連、現在は六校で存続しております。
慶応、東大あたりは、関観連には所属して
おりませんが、部としては健在ですね。

本日の銕仙会の別会、本女のOBの方とも
そのような話になりました。
Posted by 壁生草 at 2010年06月27日 20:17
壁生草さま。

6校ですか。
小生が現役のころは
法政、日女、日大、国学、学習院、明大、中大、跡見、早大だったか。ともかく9校だった記憶があるのですけどね。

もう絶滅している部も多いでしょう。
どこが加盟していたのか、確認したいと思って、寿夫著作集の4巻目を引っ張り出したところ。でも出てなかった。この本は1981年の清雪忌の手伝いに行ってもらった本。聞けば今日はちょうどテッセンカイ別会で寿夫33回忌、雅雪23回忌追善だったとか。時の流れるのは早いもんです。

長生きも藝のうちと書きましたが、併せて「せぬが花」ということもありますな。
Posted by 亭主軽薄 at 2010年06月27日 23:27
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