でも、欠席することにした。
出張で埼玉まできている。
足の便を考え、横浜線を終点まで往復である。
翌朝の仕事を考えると、横浜まで往復するのはしんどい。
残念である。
中学、高校と6年間を過ごした校舎も、来年には建て替えの予定だそうだ。建設当時はドイツのバウハウスの影響も残るように見えるこの校舎、考えて見れば壁は校庭側にはなく、前面窓、という作りで、耐震性には大いに問題があったのかもしれないけど、カマボコ板と窓枠を積み重ねて作ったような形はモダンだったに相違ない。
そんな校舎での同窓会だ。
幹事役の同級生、名簿作りからとあって大変だったと思う。慶応のように一致結束よろしきを得る学校とは違い、もともと帰属意識の薄い校風だから。
ともあれ、盛会を祈るばかりだ。
で、同窓会というと必ず思い出すのが春風亭小朝が若いころに書いた随筆の一文。
要旨は。
小朝がまだ新弟子だったころ、師匠の春風亭柳朝の同窓会のお供をした話だ。出世しているように見えるヤツもいれば、そうでもないヤツもいる。でもその風采の上がらないように見える師匠の同級生との話。師匠が「コイツ、小朝っていうの。ひいきにしてやってね」と言うと、「修業はつらいだろうけど、頑張りなさい」と言ってなにがしかのおひねりをくれた、という。おひねりの額を師匠に報告すると「あいつも気を遣ってくれたなぁ。こんな年になると、同窓会に出てくるヤツっていうのはどうにか成ったヤツしか出てこれねえもんなんだ」とつぶやいた、というのである。
もちろん、同窓会。どんなになっても同窓だし、50分の6(ま、25分の3、ざっと馴らして8分の1)の時間、特に多感な時期に同じ教育を受けたわけで(それが予備校と言われようとも)、価値観のある部分はその影響下にあることは否めない(北朝鮮や戦前の日本を見よ)。
どんな話がでるんだろう。
齢五十。確実に人生の折り返し点は過ぎているのだから。