面白い本だった。
というのは筆者が自身の脳内に蓄積したありとあらゆる知識を連想で繫いでいく妙技のゆえに。
長年、舞台芸術というのはその藝が演じられた場に居てこそ、すべてを共有できるという前提があるものと思ってきた。つまり再現性を期待しきれない、その場の空気こそ至上であると考えてきた。
だが、平岡は残された音源を手がかりにこれだけ縦横無尽に話を展開する。あたかもジャズ評論家がライブの場に立ち会わず(居合わせず)とも、残された音源を頼りにセッションを評価するように。
もちろん、筆者の及ばないところはある。たとえば音源の残っていない終戦直後の大連での森繁久弥、圓生、志ん生のバレ噺セッション。でも筆者は満州放送協会の番組を探り、当時の記録を探りして、その場の空気がどんなであったか再現を試みる。もちろん、事実の描写ではないけれど、正鵠を射たものであろうとは思うことができる。
それと落語の中に含意する古典の蓄積、たとえば歌舞伎であったり、浄瑠璃であったり、清元、常磐津、富本、一中節、あるいは能、狂言まで連想する限りの藝の下敷きを探り、展開してみせる。その即興性はジャズに通じるものがあるのかもしれない。
筆者が一つひとつ提示するテーマを追い掛けるだけでも、読者はかなりのトレーニングになると思う。そして、こういう舞台芸術の評論もあるのかと改めて思った。
かつて新左翼系の論客として知られた筆者の力量に敬服。楽しかった。