2009年12月20日

佐野萌さん。

この秋、他界された宝生流の能楽師だ。
亡くなられた時、お身内だけでの葬儀だったと聞いた。
今夜、都内のホテルで偲ぶ会があると新聞で読んだが、そんな席に連なるのも如何かと思い、遠くで手を合わせさせて頂くことにした。

学生の頃、師は「佐野萌演能会」という主催の会を開いておられた。
まだ、宝生流では個人の会を開くのは、近藤乾三クラスの大家以外は、家元に遠慮して自分の会を開くのをはばかっているような空気があった時代。でも師や近藤乾之助、三川泉といった世代がそんな風を破っていった。やりたい能をやる、観客に問う、という。

何度か公演に通い、その感想を送ったりしているうちに、その会のための座談会をするので、来てくれないかと誘われた。場所は水道橋の能楽堂の上にあった師の稽古場。恐れをしらぬ若さだろう。勝手なことも言った気がする。でも余裕で受け止めておられた。sano.jpg(写真は読売新聞hpから)

父君の佐野巌氏も筆まめの方だったが、師も筆まめ。よく文章を書かれた。流儀の機関誌宝生への寄稿だったり、パンフレットへの文だったり。そんなものをまとめた1冊が「謡うも舞うも宝生の」(わんや書店刊)だ。

楽屋での立ち居や、自身の近況から見た話など、いかにも師らしい小気味よさがある。体調を崩されたと聞いていたが、そのままになってしまった。

一期一会とはいうけど、師とはまさにあの夏の日の稽古場でのひとときがじっくり話を伺った唯一の機会だった。でも何か心に残る人だった。

あの座談会の時、隣のビルの地下にあるトンカツ屋「かつ吉」から出前が来た。肉の煮こごりが妙にうまかったのを覚えている。


posted by 曲月斎 at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 三間四方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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