2008年11月22日

「創価学会の研究」

創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)
「創価学会の研究」


目下、身近で一番の課題は「総選挙」であります。
そこでよく出てくるのが「公明票」という話であります。

この春、大阪の府知事選の時に、行き付けの天五の焼鳥屋で呑んでいたのですが、その店の片隅で、元気のいい一群が居ました。
話を切れ切れに聞いていると、創価学会の青年部の面々らしいんですな。で、選挙に勝った、良かったみたいな話を熱っぽくしている訳です。
こんな熱っぽい語り口、あるいは同席しているメンバーに熱く語りかける口調、というのはどこまでいっても不自然にしか思えなかったのですが、それと同時に、こんな熱っぽい口調というのはどこから来るんだろう、というのが疑問として残りました。

で、島田裕巳とかの本も読みましたけど、依然として釈然としないんですな。

たとえば、日常的に付き合っている公明党の議員とかはごくノーブルに思える。妙に気負ったところがあるわけでもなし、辺りを折伏して廻るような気配もない。まして謗法払いと称して手当たり次第に他の宗教を排斥したあの気迫が滲んでくることもない。

自分が接しているノーブルな公明党の姿と、創価学会のノーブルならざる姿のギャップがどうしても理解できないままに来て居るんですな。

で、この本を読んでどうなのかと言われれば、結局のところ、分からないのでありますが、分からないなら分からないなりに、創価学会という在家仏教組織、新宗教組織が歩んできた部分は後付ができた、とは思います。階級闘争のように分析するつもりはありませんが、かつて日本に存在した「若い根っこの会」や「××県人会」のような要素もあるでありましょうし、在家仏教で日常的に行われていたはずの「おつとめ」をすることに関し、すこぶるメニューを明確にしたこと、いわゆる信者同士の法座が大きな役割を果たしていることなどは改めてなるほどと思う部分でありました。

とあれ、自分とは相容れない部分があるように思いますけど、それはそれ、信教の自由ですから否定するものではありません。
でも、選挙という政治活動に、あそこまで熱心になれる熱情がどこから湧いてくるのか、その疑問を解くものではなかった本でありました。

読み終わった今、創価学会って結局分からんなあ、というところで終わっております。


posted by 曲月斎 at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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