2008年09月05日

岩波書店の図書7月号

巻頭の「読む人・書く人・作る人」の欄で、「買っても読まない本」という題で、土屋賢二というお茶の水女子大の哲学の先生が小文を寄稿している。この文ほど、妄執を端的に書いた文章も珍しい。



正しくはHPをご覧いただきたい。備忘録代わりに、以下引用は残しておく。



以下引用。


 わたしの家には買っても読まない本が大量にある。原因は向上心が強いことにある。

 暇ができると書店に行くが、そこで本を手に取ると、たいてい読みたくなる。「社会人として経済に無関心でいていいのか」「キリンのことをもっと知るべきだ」「水洗トイレの仕組みも知らないのは恥ずかしい」「砂漠に一人取り残されたときのために必要な知識だ」などと思えてくる。立ち読みしているうちに向上心はつのり、何が何でも今すぐ読まなくてはならないと確信して買う。(中略)

 有益な本ばかりでは人間が偏ってしまうと思い、息抜き用に娯楽書も買う。教育テレビばかり見ているわけにはいかないのだ。

 向上心に燃えて家に帰ってしばらくすると、二つのことに気づく。(1)有益な本を全部読破するには三百歳まで生きなくてはならない、(2)いま自分に必要なのは息抜きだ。

 その日は息抜きのために娯楽書を読み、次の日になると向上心はあとかたもなくなり、行きあたりばったり生活に戻ってしまう。

 有益な本はしばらく身の回りに置いた後、目の届かない本棚にしまって忘れてしまう。その本棚には同じ運命をたどった有益な本がつまっているが、その本棚に入れたからといって捨てたわけではない。いつか読むかもしれないし、何よりも、捨てると向上心を放棄してしまうような気がして捨てられないのだ。

 だから書店に入るときは、余命はわずかだと言い聞かせ、向上心を抑えている。それでも読まない本は増えていく。向上心がそれだけ強いのだ。それにしてはいっこうに向上しないのが不思議だ。


posted by 曲月斎 at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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