2011年08月30日

某月某日。

某日。
菅直人内閣総理大臣が内閣の総辞職を決めた。
そして野田某が総理大臣になった。
一度だけ、藤枝に在勤していたころに会ったことがある。
民主党の落下傘候補の応援演説会でのことだった。
あの歯切れの良さは野党だったからだろうね。

ところで、菅直人君はいつ四国遍路に復帰するのだろう。
再開するときのお約束。
前回、打ち終わったところから打ち始めるのがお約束だ。
たしか53番円明寺だったかな。

後の難所は石鎚山と、横峰寺、雲辺寺辺りか。
無事に打ち終わって高野山に至ることを祈りたい。
あと、ちなみに正式には88番を打った後、山を越えて10番に戻り、1番まで逆打ち。さらに高野山奥の院で打ち納めである。

某日。
まだ暑い。
ということで、東京に出掛けるのがますます嫌になっている。
何も生産せず、受診するのがメーンのお出かけだから。
精神衛生上よろしくないですな。

某日。
サッポロ土産といえば、メロンにトドメを刺す。
家人が喜んでくれるのが何よりである。

メロンといえば「夕張メロン」なのだが、実は8月15日を過ぎるともう仕舞なのだそうだ。
「もう農家が作っていないから。ブランドはあるけど、中身が保証しきれない」とは親しくしているメロン屋のオヤジの言。

で、今の時期は富良野メロンだそうだ。
ちなみにこの店、完熟してしまうと安売りを始めるのだが、富良野メロンにはない。
「1カ月持つからね」
同じメロンでも違うことを知る。何ごとも奥が深い。
posted by 曲月斎 at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 偶然忽然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

某月某日。

某日。
畏友のS君に会う。
文章なんか書くのが嫌で理科系の商売を選んだのに、今は文章を書くのが仕事みたいになっている、と嘆く。
去年はハッカ油を呉れた彼が、今年はラベンダーオイルだった。
9月にまた札幌に出掛ける用事あり。
またの再会を約して別れる。

某日。
千歳空港と那覇空港は何で、あそこまでお土産物が充実しているのであろう。
従って、機内持ち込みの手荷物が大量となる。

帰途はプレミアシートだったので、ラウンジでサッポロクラシックを飲みながら雑用を済ませる。
だるまの中ジョッキくらいのサイズで4杯。ま、元は取ったかな。
機内でも弁当に小瓶のシャンペン2本、白ワイン1本。
こういうところで対価の計算をしてしまうのが、プレミアクラスにはふさわしからぬ小市民、ということになるのであろうが。

某日。
twitterの友人が「SEX会話力」という本を薦めていたので、羽田空港で見付けて購入。でもホテルの枕元に晒しておくのはどうも気恥ずかしい。ルームメークをしてくれるおばさんたちに色情狂のように思われるのは本位ではないので。
書いてあることはある意味で至極まじめなのですけどね。

某日。
今月初旬から引きずっている夏風邪。未だに抜けきらぬ。
喉の痛み、咳。
タバコとの関連性は明らかなのですけどね。
ここまで来たら、これも意思の力ですな。

でもこの前、現場からの帰途、駐車場で咳き込もうと口を開けたら、口中に蚊が飛び込んできた。
少々焦りましたな。無事にはき出すことには成功しましたが。
咳をするときはやはり、周囲によく配慮することが肝要であります。

某日。
このごろ、肩から提げるカメラに、広角のズームをつける機会を増やしている。
18〜35ミリのレンズを買ってはみたものの、今ひとつ遣う場面のイメージが浮かばない。
そういう時は遣ってみるしかない訳で、
浄土寺1.jpg
みたいな写真を撮ってみたりしているんですけどね。
今ひとつよく分からん。
駆け出しのころは35ミリの単焦点レンズ。アフリカに出掛けた時は24ミリの単焦点レンズと不慣れな訳ではないのでありますが。18ミリというといささか。
もう少し練習してみますか。
posted by 曲月斎 at 03:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

支笏湖。

帰任日。
来年のちょっとした大きな現場が恵庭であることを思い出し、位置関係を確認しに立ち寄る。
道.jpg

現場は漁川の上流。谷間の河岸段丘の上、という感じ。
一本道なので、いざ現場で当日となると、結構混雑するかもしれない。

で、ここまで来たのだから、と、支笏湖まで足を伸ばす。飛行機のフライト時刻までまだ間はある。
立ち寄ったのは支笏湖北岸の丸駒旅館。

丸駒.jpg

何でも湖の水位と連動する露天ぶろが名物だそうだ。

これは一見せばやと思うのだが、ここで結構危ういことに気付く。
ガス欠である。

輪厚PAに立ち寄った時にタバコを買うこと、ガソリンを入れることを怠った。
恵庭ICを下りたらあるだろうと思っていたのだが。

結局ないままに山道を走り、とうとう「ガス欠」のランプ点灯。

カーナビで探しても近くにGSがない。104で確認しても「支笏湖周辺にはないですね」。

こうなったら、ともかく旅館の駐車場までたどりついてJAFを呼ぶしかない。
JAFに連絡すると約1時間でつくという。
とりあえず10gの給油を依頼する。
JAF初体験、だった。

「会員様ですからガソリン代だけです」という声が頼もしい。

温泉.jpg

JAFが来る間に日帰り入浴。名物の支笏湖畔の露天ぶろである。湖の水位が上がると、風呂の推進も130aとかになるそうだ。浜離宮の塩入の池同様、砂利敷きの底から湧き出す源泉は50度。湖との水路の高さを調節しながら温度を調えているそうな。

風呂の正面には風不死山。
風不死山.jpg

その向こう側には樽前山がそびえているのだが、この風不死山の方が高いので見えない。

樽前山.jpg
支笏湖温泉街の方に下ると溶岩ドームを頂いた樽前山が見えてきた。

そう。支笏湖温泉街はタバコが買えないのである。
唯一のタバコやが廃業したよし。
支笏湖ホテルの売店でタバコを頒けてもらったような次第。

ガソリンにしろ、タバコにしろ。ともかく備えよ常に、なのである。
posted by 曲月斎 at 02:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

有朋,在遠方至

札幌に滞在中、2人の友人に会った。

ひとりは同い年のY君。
「2次会の時間ぐらいから……」というので、待っていたのだが、待てど暮らせど、来ぬ人をという訳で、半分以上、投げやりになっていたら、ご本人から電話。これから来るという。
ご同業の分野ながら、微妙に感覚はずれる。

札幌に転勤してからは泊まり勤務にも入っているようで、「以前ならスカッと寝られたけど、寝られない。これも年だね」と互いに力無く笑うばかり。

元々は同じ現場でカオを合わせたのがきっかけだけど、もうこの日は映画の話あり、本の話あり。
どうでもよくなっている。

で、もうひとりは予備校時代からの畏友S君。
去年胆囊の摘出を受けたそうで、健康具合を気にしていたのだが、この日も昼間はニドムでラウンドしてきたそうだ。元気そうで一安心。

酒を酌み交わすのはもう何年ぶりだったろう。
予備校のころ。
渋谷のシェーキーズに行くのが唯一の飲み会だったような気がする。2人でピッチャーを何杯も空け、ピザをほおばり。そんな飲み方はもう出来ないのだが。
「12月になって暇になったら、北海道へおいでよ。温泉でも行こうよ」と声を掛けてくれるのがありがたい。

ところで、このY君、S君とも、すすきののバーやまざきにご案内した。
カウンターバーは大の男がしんねりむっつり話をするには格好の場なのかもしれない。
居酒屋や焼き鳥屋のカウンターとは違う、話になる気がする。
posted by 曲月斎 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

「十三人の刺客」#2

つづき、である。

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約50年の時を経て、映画も「型」「仁(にん)」で見せる訳にはいかなくなった。
その象徴的な場面が序盤にある。

新篇では、両手両足を切られた百姓一揆の首謀者の娘、というのが登場する。
老中への上申をした江戸家老の一族を殿様が弓で射殺すという場面がある。
旧篇では殿様が斬り殺すという場面はあるのだが。

暴虐残忍な殿様、という人物像を観客に納得させるのには、視覚的にこうするしかないからだ。

実際の処遇として、こういう暴君が出現してしまった場合には「押し込め」「蟄居」という手段がある。薬殺して、幕府には「病死」と届け出る手段もあったろう。
でも、それができない、ということを観客に得心させるには、こういう場面がどうしても必要になる。

両手両足のない少女、というR指定の基となるようなものを出しても。
本当のこの映画の基調低音はこの不虞の姿にある。

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次にリーダー像。
役所はすべてに第一線に飛び出していく。しかし、片岡はあくまでも腹の太さ、懐の深さを見せる藝。最終決着の中山道落合宿でも悠長に指揮を執るのが先だ。
「社長シリーズ」の森繁久弥も片岡と同様、しないことが藝なのである。

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新篇でもう一つ。秀逸なのが岸部一徳。
千両箱にころび、伊勢谷に犯され。実に剽げた、でも実在感のある役者ぶりだ。
あと、伊勢谷。こんな達者な役者とは知らなかった。どちらかというと白塗りのイメージが強かったのだが、十分砥の粉もできる。藝の幅を広げて欲しいものだ。




posted by 曲月斎 at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀幕緞帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

だるま6・4店

この日は北海道マラソンとコブクロのコンサートがあったそうで、想定外の混雑ぶりであった。

だるま2.jpg

いつも思うのだけど、自分も延々並んだのだろう。
後ろに並んでいる客がいるなら、さっさと食べて、さっさと出ろ、と言いたくなる。

わずか1皿の肉を前に、ジンギスカン鍋の上で、チマチマと食べている姿は何とも恨めしい。
でも、この忍耐が味のうちなのかもしれない。
(実はこの日、食べている最中に左方向からフラッシュが再々たかれた。素人が店内の写真を撮っているのである。ばか面をして肉をつついている絵が残るのは不本意。さっそく物言いに及んだのであった。素人は怖い。この写真1枚も、人相が分かる人いないでしょ。1枚の写真にも気を遣わなくてはいけないのである)。

さておき、約30分ほどは待ったろうか。
だるま3.jpg

めでたく、ジンギスカンである。
実は畏敬するTさんに会えるかと思ったのだが、すでに所用で帰京したよし。
「どうせなら、だるまへでも行ったら」と言われたのが耳に残ってしまった。

だるま.jpg
順番待ちをする間に、ふと見上げるとだるまが鎮座してござった。
だるまのだるま、である。
何をバカなことに関心しているのだろう、と、思う。
posted by 曲月斎 at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜の札幌。

札幌駅.jpg
久しぶりに札幌駅に行った。
以前は千歳空港〜札幌駅というルートであったのだが、最近は千歳空港〜レンタカー。
駅に用事もなく、ご無沙汰であったのだが、駅ビルが完成。
まったく様変わりしていた。

駅前.jpg
本当は紀伊国屋書店に行きたかったのだけど、すでに閉店。
仕方なく夜の札幌観光ということになった。

時計台2.jpg
札幌といえば時計台である。
高校の同期のN君と一緒に来て以来だから、約30年ぶりくらい。
時計台の正面にあった喫茶店のテラスで写真を撮った覚えがあるのだが、そんなものは影も形もなかった。おまけに正面の木が茂り、雰囲気はだいぶちがった。
一瞬、道を間違えたかと思ったのだが、ちょうど10時の鐘の音。
夜のビル街に響いた。
そういえば、このすぐそばが北海道新聞社。
昔の新聞社なら一番活気づいている時間帯だろうが、シンシラシーンと静かなものだ。

大通公園.jpg
夜も更けていたけど、この公園はいつも人がたむろしている。
不思議な空間である。

地デジ放送に切り替わって、テレビ塔はどうなるのだろう。

そのままさらに南に下るとすすきの。
すすきの.jpg

ここまでくれば、めざす「だるま」は目と鼻の先。
行く手は南6条西4丁目である。
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2011年08月24日

地蔵盆。

23日は地蔵盆だった。

関東ではなじみのない行事だが。
1967年。おやじの転勤で横浜から尼崎に転居した。

転校は6月。すぐに夏休みがきた。
夏休みの予定表になぜか記されていたのが「じぞうぼん」。

当たり前の行事なのかもしれないし、特にこの行事は子供会の行事として地域で行われることが多いので、小学校の予定表には欠かせなかったのかもしれない。

何ごとなのか、分からぬままにその日が来て、おどろいた。

高度成長期の尼崎。ともかく公害なんていう話が出る前のことだ。
道路沿いの側溝は下水道代わりだった。でも町の真ん中に田んぼもあった。
たこ焼きは7円1舟から。7円で6個だったかな。
ずるずるのうどん粉を焼いただけのもの。ソースの味しかしなかったけど、おいしかった。

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普段は町の喧噪と埃の中にそっと息を潜めているような地蔵の祠が華やいだ。

幔幕が張られ、提灯がかかり、花が供えられ。
ここの町にも生活があった。

そんな風景に驚きがあり、普段は足を伸ばさないような町まで自転車で駆け回った覚えがある。
当時の自転車は16インチ。

数十年後。甲子園に仕事で行くようになり、ある夏、この町を訪ねたことがある。
アーケードの商店街はすでにシャッター通りになっていた。

変わらないのは小学校の校舎だけ。
当時、小学校1年の時の担任を捜し出し、消息を問うたことがある。「申し訳ない、君のことは覚えていないんですわ。教員生活は長かったですけど、1年生を持ったのは1度だけ。Y君なんかがいた年だと思うんだけどね」
老いた恩師はそういっていたっけ。
posted by 曲月斎 at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「十三人の刺客」#1

近所のDVD屋に行くと、新作コーナーに「十三人の刺客」が登場していた。

十三人の刺客 通常版 [DVD] / 役所広司, 山田孝之, 伊勢谷友介, 伊原剛志, 松方弘樹 (出演); 三池崇史 (監督)

それだけなら、別に驚くには当たらないのだけど、実はこの映画は旧作のリメークであることを知った。十三人の刺客 [DVD] / 片岡千恵蔵, 里見浩太朗, 嵐寛寿郎, 丹波哲郎, 西村晃 (出演); 工藤栄一 (監督)


まず配役の比較から。
左が新版、右がオリジナル。

【刺客】
島田新左衛門(御目付750石):役所広司→(直参旗本):片岡千恵蔵
島田新六郎(新左衛門の甥):山田孝之→:里見浩太朗
倉永左平太(御徒目付組頭):松方弘樹→(与力):嵐寛寿郎
三橋軍次郎(御小人目付組頭):沢村一樹→三橋軍太夫(倉永配下):阿部九州男
樋口源内(御小人目付):石垣佑磨→(三橋配下):加賀邦男
堀井弥八(御小人目付):近藤公園→(三橋配下):汐路章
日置八十吉(御徒目付):高岡蒼甫→(倉永配下):春日俊二
大竹茂助(御徒目付):六角精児→(倉永配下):片岡栄二郎
石塚利平(足軽):波岡一喜→(倉永配下):和崎俊哉
平山九十郎(浪人・剣豪):伊原剛志→(島田家食客):西村晃
佐原平蔵(浪人・槍の名手):古田新太→(浪人):水島道太郎
小倉庄次郎(平山九十郎門弟):窪田正孝→(九十郎の弟子):沢村精四郎
木賀小弥太(山の民):伊勢谷友介→(木曽落合宿郷士):山城新伍

【明石藩】
松平左兵衛督斉韶:稲垣吾郎→菅貫太郎
鬼頭半兵衛(御用人千石):市村正親→内田良平
間宮図書(江戸家老):内野聖陽→(江戸家老):高松錦之助
浅川十太夫(近習頭):光石研→:原田甲子郎
出口源四郎(近習):阿部進之介→:有川正治
×→ 丹羽隼人:北龍二
×→小泉頼母:明石潮
×→仙田角馬:小田部通麿
×→間宮織部:神木真寿雄
×→間宮小浪:高橋漣
×→大野多仲:堀正夫


【幕府】
土井大炊頭利位(老中):平幹二朗→(筆頭老中):丹波哲郎
×→老中:香川良介


【尾張藩】
牧野靭負(木曽上松陣屋詰):松本幸四郎→:月形龍之介
牧野妥女(靭負の息子):斎藤工→:河原崎長一郎
牧野千世(妥女の嫁):谷村美月→:三島ゆり子

【その他】
芸妓お艶・山の女ウパシ(2役):吹石一恵→芸者おえん:丘さとみ
三州屋徳兵衛(落合宿庄屋):岸部一徳→三州屋徳兵衛(木曽落合宿総代):水野浩
両腕両足の無い女:茂手木桜子→×
×→加代:藤純子(富司純子)

時代の変化を感じますなあ。
と、同時に何を見せたいか、という変化を感じる。

この旧作は1963年封切。
日本映画の金字塔「七人の侍」が公開されたのが、1954年。
この間に何があったか。吉田茂→鳩山一郎→石橋湛山→岸信介→池田勇人。
日本は戦後の混乱から脱却し、日米安保改定の熱狂を超え、高度成長期へと突入する。
映画からテレビへ、農村から都会への人口の流動。

七人の侍で黒沢が見せた集団劇による格闘シーン。この本編はこの集団格闘劇を目指したのはいうまでもない。村が宿場町に変わっただけにて、東宝にできた新志向の時代劇を東映も制作して、起死回生の一作としたかったのではないか。あるいは、戦前からの時代劇スターの集団葬送劇とも見ることができる。片岡知恵蔵は主演最後の映画。嵐寛寿郎、月形龍之介・・・。

もうこれらのスターを主役として見る、所作を違和感なく受け入れられる世代がぎりぎりになっていたのではないか。東映はこの作品以降、一気に任侠映画の路線に舵を切っていく。型を見せて満足させる芝居から、情・理の通った劇へ。旧作はその転換点、最後の光芒だったのだ。
posted by 曲月斎 at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀幕緞帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うみほたる。

うみほたる.jpg
和田浦へ行くルートはいろいろだ。

最初に行った時はJR外房線廻り。昔風に言えば、安房鴨川行(勝浦廻り)ということになる。

特急わかしおで約2時間。その先さらに30分。

内房線廻りだと2時間半、その先さらに30分。
館山までしか特急さざなみはいかない。

そのうちに東京の八重洲口から安房鴨川行きのバスを利用するようになり、さらには横浜駅から木更津行きのバスを利用するようになり。

ともかくも今は車を運転するようになって、アクアラインである。

富浦まで高速道路はつながっているのだけど、君津から先のJRが単線になるように、高速道も片側1車線。なぜか2車線の高速とは違って、非常に疲れる。何でだろうね。自分のペースで走れないことが原因だろうね。

その点で、君津ICで下りて、房総スカイライン〜鴨川有料道路というルートの方が楽な気がする。オールドなルートなのだけど。

この日は和田浦行きは往復このルート。
帰りに「うみほたる」に寄った。
ちょうど暮れ方、だった。
posted by 曲月斎 at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

和田浦行。

久しぶりに和田浦に行った。

ちょっと私用があったのと、頼んでおいたTシャツを受け取りに行くのと。

車を飛ばしても2時間。この時間と距離が微妙なものを生み出す。

この町には小さな海水浴場があるのだけど、その海水浴場も21日で終わり。
今は泳げるけど、監視員は居ません。海の家ももうクローズ。
海水浴場.jpg

もう日が暮れ方になっていたので、泳いでいる人もなし。
いるのは浜千鳥ばかりであります。

ちんちん千鳥の鳴く夜は、というのはこの浜で生まれた詩だそうですが。
海の家2.jpg

ここの海の家のチャーシュー麺はなぜかうまいのです。
そういえばビートたけしが「海の家のラーメン」と評した首相はだれのことだったのか。
海の家.jpg

もう少し経つと、ここの夕日はホントウにきれいになります。

ちょうど龍神様のほこらのある辺りに沈むのですけど。

和田浦.jpg

静かになった浜辺で、ちょっとブルーになるのでありました。

ま、柄にもないことなのだけど。
posted by 曲月斎 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月23日

某月某日。

某日。
播州小野への出張の帰り。
まだ夏休みである。
大荷物を抱えている身で新幹線の自由席を右往左往するのは本位ではない。
グリーン車なら指定席が空いているというので、予約を入れる。
だが、である。

後ろの座席のおばさんとおっさん。京都で乗ってくるとズーッとしゃべりっぱなしなのである。
2人とも酔っているので、文句はいいにくい。

でも特に女性の、甲高くて猫撫で声。新幹線の天井に跳ね返って響いてくること夥しい。
結局、新横浜で下車するまで続いた。

グリーン車、プレミアシートに乗って思うことがある。
金を払ったからいいだろう、という考えの人。
申し訳ないが別料金を払っているのは貴兄、貴女だけではない。小生も支払っているのである。
静謐な環境を守って欲しい。

むかし、片岡仁左衛門(大松島)が言っていた。「昔は展望車ってありましてな。それなりの方しかおられなかったですなあ。お金があればいいってもんではなくて、品がありましたなあ」
21日のぞみ64号10号車1番C席の方。よく考えて頂きたい。
てなことを思い出しつつ。

某日。
兵庫の中国道、山陽道沿いには多くのゴルフ場がある。
そして中国道は宝塚トンネルを先頭に必ず渋滞が発生する。

で、通勤の便を考えると便利なポイントがある。
有馬である。
もうずいぶん、この旅館には世話になっている。上大坊。
でも浴室が怖いんですな。風呂自体はいいんですよ。天神泉源の源泉かけ流し。
でも

1)浴室は脱衣室からカギの手に約10段のコンクリート磨きだしの階段を下りなくては行けない。濡れていて滑りやすい。(今回はとうとう、滑落事故を起こしました。うまく左のケツで滑り落ちるようにしたので大事なかったけど、その跡は青あざになっているし、左半身はあちこち痛い。雪山などで滑落したら、何で止まれないのかと思っていたけど、止まれません)、

2)温泉の温度が一定しない。熱すぎて足も入れられなかったり、ぬるすぎても源泉が止まっていたり。(さすがに今回は「せめて30分に1度は巡回していよ」とお願い)

なじみの宿だけに、温泉の質の良さに寄りかかって改良、手直しするのをさぼっているというか。もっといい宿になれるのにね

某日。
出張から帰ると横浜は秋。何かこのところ続いている出張の疲れが出ている気がする。
何もやる気がない。
ま、洗濯物を干さなくては。
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2011年08月21日

播州小野・極楽山浄土寺。

今週の現場は播州小野。
きたことのない土地だった。
要は加古川の上流。姫路の北辺りになる。

今でこそ、播州の小さな町だが、かつては東大寺の荘園・大部庄があったそうな。

小野という地名と全く脳裏で結びつかなかったのだが、平家の南都焼き打ちで焼亡した東大寺大仏を再建するときに、その中心人物となった俊乗坊重源が、その拠点として建立したのが極楽山浄土寺。

浄土寺3.jpg
境内に入ってまず目立つのはこの浄土堂。
大仏様(僕なんかは天竺様って習った)建築様式の建物。
軒先の組み物が確かに力強い。

浄土寺2.jpg

本堂に入ると、快慶が作った(というか慶派の工房で作られた)阿弥陀三尊像が飛び込んでくる。
高さ5・3b、脇侍も3・5b。

堂内は撮影禁止なので、参考写真まで。
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基壇の上にこの三尊像がポンと載っていて、屋根裏の組み物がむきだした堂内に佇立している。
像の後ろははね上げの蔀戸になっていて、外光を取り入れられるようになっていて、謂わば逆光のなかに像が立つという趣向。
ここまでは解説書を見れば分かることなのだけど、小さな丘の上に寺があり、丘の下は今駐車場だけど、昔は田んぼだったろう。田んぼの向こうは溜池。西日が差したら、本当にきれいに見えるだろう。

西方浄土から阿弥陀如来がお迎え(来迎)してくる姿をイメージしているという。心なしか像も前下向き、堂の正面側の板戸に寄りかかって見上げてみると実にいい。

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境内の伽藍配置は、西側にこの浄土堂、小さな池を挟んで、東側に薬師堂が立つ。
浄土寺6.jpg

九体寺とも言われる奈良の浄瑠璃寺の配置と同じ。花崗岩からできた西日本特有の白い砂が広がる境内は、唐招提寺みたいな空気の抜けの良さがある。
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東南の隅に開山堂。
浄土寺4.jpg

安宅の関で、弁慶が白紙の勧進帳を読み上げた時も、この重源の勧進の一行という体。
「夫れつらつら惟見れば大恩教主の秋の月は。涅槃の雲に隠れ生死長夜の長き夢。驚かすべき人もなし。こゝに中頃・帝おはします。御名をぱ。聖武皇帝と/名づけ奉り最愛の。夫人に別れ。恋慕やみがたく。涕泣眼に荒く。涙玉を貫く/思ひを。善途に翻して廬遮那仏を建立す。かほどの霊場の。絶えなん事を悲しみて。俊乗房重源。諸国を勧進す。一紙半銭の奉財の輩は。この世にては無比の楽に誇り当来にては。数千蓮華の上に坐せん帰命稽首。敬つて白す」

きっと、浄土堂の本堂の正面の扉を開けて、重源さんは「寄進すればいまわの際にはこんな風に阿弥陀さんがお迎えにきてくれるんだよ」てなことを言ったような。

ちなみにかつては薬師堂に仮橋を渡して、お面被り(二十五菩薩来迎会)みたいなのをやっていたんじゃないかな。お面も残っているみたいだし。

ちなみに北側は八幡神社。村の鎮守さまだったみたいだけど、寺では東大寺の手向山八幡を模したという。でも拝殿と本堂、結構は高野山の堂上伽藍西側にある、四所明神と山王堂の姿に似ているなあ。一応、重源も高野山の念仏聖の系譜ではあるから。

こんな現場でもないと行くことのない、小野という町で、かつてから知っていた寺と仏像を生で見られて、ちょっと収穫、というか余録でありました。
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2011年08月17日

神奈川新聞花火大会。

横浜はきょう花火大会だった。

昼に中華街に出掛けたら、人でごった返している(ま、毎度のことだが)。
で、しかも浴衣をきたアベックがたくさんいる。

真っ昼間から何で浴衣、と思ったのだが、要は今夜を目指してのデートの第1歩だったわけ。

今年は横浜港の花火大会はこの1回だけ。
今度の市長選の公約で「花火大会は年に2度やります」なんていうのを掲げる御仁はいないかな。

夏と冬、結構一興だと思うけど。

#3.jpg

で、そんな喧噪をそっちのけで、こちらは関西出張。
新横浜駅のホームに出ると、遠くで花火の音が。

じっと目をこらしたのだけど、なかなか見付からない。
しばしたつうちに、花火の方角が見付かった。
#2.jpg

この花火大会、1989年の時には打ち上げの台船の上で爆発事故を起こしたことがあって、それ以来、OBの神主殿がお祓いを欠かさなかったと聞いた覚えもあるが、さて。

ま、画像が汚いのはご愛敬。
50ミリで手持ちで撮ったのだから。

「恋は遠い日の花火ではない」というのはサントリーオールドのキャッチコピー。今となっては尾崎放哉の方が心境に近いかな。
「花火があがる空の方が町だよ」。
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2011年08月16日

嵐のアラシ。

四一は子の総取り、九一は親の総取り。アラシは5倍、というのはオイチョカブであるが、

この前の千歳空港。とんだ景色に出会った。

というのは今、JALが夏のキャンペーンで嵐を採用している(ANAのポケモンみたいなもの)のであるが、
嵐.jpg

これが駐機場に現れるとファンが群がるのである。
hito.jpg

そういうことで、JALのhpから。
画像1.jpg

この秋口までこのジェット機は就航しているらしい。
今が旬、という感じがしますな。
posted by 曲月斎 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月15日

夕張行。

この前の北海道行きの帰路、飛行機の便まで時間があったので、夕張に足を伸ばした。

道東道の今の終点・夕張ICで下りる。
まず現れるのが紅葉山という集落。新夕張駅前というところ。本当の夕張駅はこの先になる。
三菱大夕張鉄道が分岐していた清水沢、夕張鉄道がわかれていた鹿ノ谷なんていう駅名を横目にたどり着いたのが夕張駅。
夕張駅.jpg

なんてことのない駅に見えるでしょ。
でも。
振り返ってみれば。
駅前旅館.jpg
スキー場に隣接するホテルということで、このホテルが。ほかに町中にもう1軒ホテルが。

さらに登っていけば、
希望丘.jpg
なんていう煙突が見えてきたり。
元々、北炭の炭坑住宅街だったところみたいですな。

炭坑文化村.jpg

駐車場は広いのだけど、車の気配はまったくなし。

夕張でなんでこんなにハコものが、と批判するのは簡単です。
確かに、行政に関心を持たなかった住民にも責任はあるでしょう。

それ以上に、日本の炭鉱都市で、無事にエネルギー革命を乗り切ったのは山口・宇部と、茨城の日立くらいしかないという現実も考えなくては。

人の気配がまばらな街を実際に訪ねてみて、考えることは多かったなあ。
本当はもっとあれこれ書こうかなと思ったけど、北海道炭鉱汽船や三菱石炭鉱業などの数々の山で起きたことを知れば知るほど、あれこれ軽々には書けない気分になっています。
posted by 曲月斎 at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

軽井沢行。

この週末は軽井沢が現場だった。
盆休みの軽井沢、ぞっとする。

そも、仕事の足となるレンタカーがない。
軽井沢になし、佐久平になし。
仕方なく高崎で借りて、碓氷峠越えである。

眼鏡橋.jpg
軽井沢の宿にカーナビをセット。するとなぜか、国道18号の旧道へと導かれた。

ま、碓氷峠越え。この道をこの前通ったのはいつだったろう。大学3年か、4年の時だったか。

途中、旧信越本線の碓氷峠越え。今はこの鉄路跡は遊歩道になっているそうな。

途中、道端から1匹のウリボウが飛び出してきて、びっくり。
今のレンタカーには一定の重力加速度が懸かると、ドライブレコーダーが動き出す仕掛けがついていることがあるんですけど、このウリボウ一件でも動き出していましたな。

碓氷峠にもカーブに番号がついているのですが、個数は184。川根筋を走った身には苦になるものではないですが、ね。
碓氷峠.jpg

登り詰めて、突然現れる県境。峠というのは登って下りるものだけど、この峠は軽井沢が高原になっているので、正確に言えば「碓氷坂」というのが正しいのかもしれない。

軽井沢。
小生が大学の頃は、「見栄軽井沢」なんていう記事がビッグコミックスピリッツに出ていた時代。西武ブランドが輝いていた時代。バブル前夜だった。夏休みには大学のサークルが軽井沢でテニス合宿、なんていうのが流行だった時代。今でもそんな名残のようなペンションが残っている。

今回の宿もそんな1軒。
どう考えてもユニットバスに4畳半ほどの部屋、硬いシングルベッド2台。テレビ。これで1泊15000円ですよ。ほかに選択肢がないから、投宿したのだけど、どうにも理不尽ですな。

現場の仕事を終え、帰宅。
帰りの新幹線は指定席は満席。信越本線は横川〜軽井沢間が廃止されているので、ほかに回避のしようがない。その意味で、今においても碓氷峠は天下の要害であるのかも知れませぬ。
posted by 曲月斎 at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月07日

某月某日。

某日。
夏風邪が続く。
帰宅した間に何とかしなくてはいけないのであるが、どうにも咳が抜けない。
自宅そばのK病院に行く。
人生ただ1度の入院を経験した病院なのだが、今は医師、看護師の確保も難しいのだろう。K診療所に衣替えしていた。
元々は結核の療養所。待合室には「入院シタ時ニ、結核ハ必ズ治ル、タダ我儘ハ身ヲ亡ス。必ズ療則ヲ守レト。今、完治シタ喜ビノ印ニ拙作ヲ贈ル」と銘文の入った元院長の石膏像があったのだが、今は真ん中から階段の下の隅に。時代の流れである。
ただ、療養所としての環境をもはや望むべくもないが、目の前の丘の上、日本石油の社宅跡地には巨大なマンションが建設中。完成したらまた景色も変わるだろう。

某日。
再び札幌。
今回は北広島が現場。
現場の食堂でうまかったものは開所当時から続くというラーメン。
そはさておき。
この出張の最中に誕生日が過ぎた。
もう祝う年でもなし。
山崎.jpg
札幌の夜は深いのである。

鮨竜の山崎さんがマグロを下ろしているところに居合わせ、結構、幸せな夜は過ごしたのではあるのであるが。

某日。
旧友何人かに会う。
まず予備校時代の友人のS君。
先週の現場で会った。
「どう、体調は」こんな会話を交わす年になった。
何でも去年、胆囊の摘出を受けたそうだ。
とる前も痛かったけど、とった後も痛かったそうな。
月末にもう一度、北海道に来る出張があるので、他日の再会を約して別れる。
次に同業のY君。
この2月ほど前に、京都から転勤してきたのである。
名古屋でチラと会ったが、再び札幌での再会である。
ただ斗酒なお辞せずという男だったが、このごろは酒を過ごすと全身に湿疹が出る由。
この夜も湿疹まみれであった。ポリポリと腕を搔く姿が痛々しい。

某日。
数日滞在してきたホテル。明日は出発である。
これだけの滞在となると、部屋が自分の部屋化してくる。
要は乱雑になるのであるが、さてどう荷物をまとめようか。
まず持ってかえらねばならぬもの。洗濯物である。
posted by 曲月斎 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

札幌・だるま。

札幌といえば、ジンギスカンである。

中でも名店は「だるま」にトドメを指す。
近年、味の評判がいま一つなのであるが、何をいうても「タレ」が上手いもんです。

鍋1.jpg
ここで、小生流のジンギスカンの食べた方をご紹介しましょう。

まず肉は3皿。鍋の頂点部には脂がのりますが、その周囲は空地にして、肉をのせるスペースを確保しましょう。さらに肉をのせて行く。
この時の火加減に注意。さっと肉が焼き上がるならよし、焼き上がらずは、炭の火力を上げてもらうなり、注文をするべきでしょう。

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肉がスタートして3皿、次の3皿はタレを足してもらってから。このタイミングが後に行きます。このタイミングで中メシを。焼いた肉をタレにつけ、メシでワンクッションして、食べる。いわばタレメシをつくる覚悟で念をいれていくべきですね。

最後の2皿、食べて、のんで。鍋の上には肉はないはず。タレめしで最後のビールを飲みきり、お茶をもらう。
お茶をメシにかけ、タレを絞って掛ける。ちょっと物足りないので、チャンジャを追加注文するのも可。個人的にはさらにタレの鉢に茶を再度ついでもらって、上澄みをのむ。
ここまで楽しめれば満点でしょう。


今回の旅行で、係になってくれたのは塗師田さん。彼女は火曜定休です。
塗師田さん.jpg
きびきびしているし、物腰が低い。
頭が下がります。
この支店を任されている申ジエ似の副店主をよく支えています。

重ねていいます。ジンギスカンは何を食べたいのか(肉なのか、メシなのか)をはっきりさせること、そしてタレメシを作りながらの鍋事情であることを考えつつ、勧めること。

あと。メシを食ったら席はさっさと立つ。さっきあなたも嫌な思いをしたはずです。さっさと席を立ちましょう。
posted by 曲月斎 at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

「へうげもの」第13服。

へうげもの(13) (モーニングKC) [コミック] / 山田 芳裕 (著); 講談社 (刊)
気が付けばもう13巻である。

このマンガとの出会いははっきりしている。
2008年6月17日に放送されたNHKのBSマンガ夜話で取り上げられたからで、翌日、焼津の谷島屋だったか、藤枝の本屋かに買いに走ったのであった。まだ、4巻くらいまでだったか。

ともかく営々と続けてきたこと自体、今となっては奇跡だろう。山田芳裕氏は作品を途絶してしまうので有名な作家だったから。

で、13巻は豊臣秀吉死後から関ケ原前夜まで。最後が直江状で終わっている。
相変わらず古田織部は織部なのだけど、その周囲に徘徊する人との立ち位置がいよいよ複雑怪奇になっている感じ。そして、どう収束させるのか。

時にこの本について岩波の月刊誌「読書」にも1番目の随筆でこのマンガが取り上げられていたのだけど、マンガという手段を通じて、この時代の空気を描くことに成功しているのがやはり長続きしている理由ではないだろうか。

あと1巻か2巻か。最後までどうなるのか。山田流の捌きが愉しみである。
posted by 曲月斎 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする