2011年06月27日

何で??

こう地方への出張が続き、レンタカーを乗り回す日常だと、運転の「お国ぶり」が目につく。

今回の備後地方。
なぜかヘッドライトの点灯が遅い。
確かにこの時期は夏至過ぎたばかりで、日暮れは午後7時半ごろまで薄暮が続く。

でも自分で見えるのと、他人が見やすいのとは大きく違う。

周りのことを考えたら、早めの点灯しかないのに。

この前の信州佐久もそうだった。

地方の人は目がいいのか、ライトを付けると電気代がかかると思っているのか。

無灯火で突然、追い抜かれたりすると、実に怖いのに。


それと。
このごろ、自転車を利用する人が増えているけど、LEDの白い灯火が点滅する仕掛けの照明器具があるでしょう。
あれは見た目はかっこいいのですけど、自動車を運転している側としては非常に目視しづらい。
点滅するので、後ろを走る自転車との距離感がつかみにくいこと、自動車のヘッドライトに埋没しやすいこと。自分ではかっこいいつもりなのだろうけど、何か改良してくれないかなあ。

自転車が余裕をもって走れるほど、日本の道路は広くないので。
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2011年06月26日

農道空港。

今度の現場の地図を見ていたら、気になるものを見付けた。
「笠岡地区農道離発着場」

要はかつて農水省が全国に建設した「農道空港」である。農道の機能拡充を模索する中で、小型飛行機により付加価値の高い農産物を空輸する事で地域の農業振興をはかる目的で作られた。ゆくゆくは旅客輸送まで視野に入れた計画だったという。全国8カ所で作られたところで、さすがに無駄と気がついて、建設はされなくなったらしいが。

なにしろ真っ平らな農地の上の農道なんて、地上からは見付けるのは困難。
走り回っていると、農道空港4.jpg
てな看板を見付けた。

この先に農道空港があるらしい。

農道空港2.jpg

大きくて頑丈な門扉が現れた。
でもいつにも閉まった気配はなく、すっかりさび付いていること甚だしい。

「この先行き止まり」とあるが、農道は一直線に続いている。

もちろん、無視をして走っていくと、橋の欄干のように見えた鉄パイプは滑走路の「車止め」だった。

農道空港.jpg
西を望むとはるかに滑走路は続く。さすがに農道よりは広い。
現地では気がつかなかったけど、画面の左端に空港の管制塔があるらしい。

今では年に1回ほど、航空ショーもどきが行われていること、ラジコン飛行機を飛ばす場所としては西日本屈指のスポットであること、そして救急救助用のヘリがいるらしいこと……。

農道空港3.jpg

東を望むとすぐおしまい。終端が見える。
きっとこの辺り、イチジクが名産らしいので、「イチジクを都会に輸送するのには飛行場が必要」
なんて論理が通ったのだろうなあ。

今はヒマワリの花、菜の花のフェスティバルなんてのも。

そもそもこの空港のある「笠岡湾干拓地」。
しらべて見れば1966年に国営事業として1810ヘクタールを干拓したそうな。
当時は米、米、米の時代だ。
ダムまで造っての事業だったようだ。

しかし、今走ってみると、牧畜がわずかにあるくらい。休耕地が目立つ。
かつての島が陸続き。
日本海側の象潟は地震の隆起で今の景色になったというが、この風景はあまりに殺風景に見えた。
そんな感傷は行きずりの人間だからだろうか。
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2011年06月25日

福山〜宝塚

飛行機〜自動車というルートで福山入りしたので、全然気がつかなかったのだけど、JRの福山駅の北側は福山城なんであります。
福山城.jpg
天守閣は見えないけど(あるのかな?)、明石城と同様にいい風情ですね。

こういう石垣の上の城壁。いい物であります。

で、この日は宝塚が現場。

宝塚GC新9番.jpg

フルフルといっていた雨はなく、その分、必要以上の酷暑。

へろへろになりながら、出先の仕事場に戻ってくる途中。
ふと見上げれば、実に生駒の山並みまで見通せる。
こういう景色をチラと見せられると、疲れも吹き飛ぶ、というものでありますな。
posted by 曲月斎 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福山・おの

宮通り.jpg
福山でどこか美味い店はないか。
この難題に、こたえてくれたのは、まったく更新されていない、あるhpだった。
1番目の店はもうつぶれていたが、2番目のこの店はまだ健在だった。

宮通りの「おの」である。

この鳥居を抜けて、右の露地に入ったところにある。

地酒全国各地でそろえているのがうれしい。

中でも「磯自慢」。
駿州焼津の銘酒である。
これがあるのであれば、2年間のお世話にこたえなくてはいけない。

3日通ってセッセとのむのであった。

アテとしておいしかったモノ。数々ある中でも、この「ネブト揚」は珍物。
ちなみに正式な学名は「テンジクダイ」。
9499.jpg
岡山県のhpでは、耳石があるので、丸かじりはできないとあるけど丸かじりしていた。

ねぶと揚.jpg
50ミリで撮って、後ろがボケボケで申し訳ないが、実にかりっとしていて美味いのである。
これをすり身にして薩摩揚げ状にしたのが「ガス天」という。

というような訳で、水、木、土曜と3日間、愉しませてもらった。
おのおやじ.jpg

ということで、見送ってくれたのである。

福山は雨。さて明日はどうなることだろう。
雨の現場は嫌だなあ。

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笠岡ラーメン。

備州笠岡である。

笠岡といえばカブトガニ。
中学時代に、生物のM先生がなぜか天然記念物の「カブトガニ」を時々、生物室に持ち帰ってきた。
卵から孵ったばかりのものや、甲の径5センチほどのものも。
M先生は確か、出雲の産であったから、備州にも「つて」があったのかもしれない。
でも、いずれもそう長生きはしなかったようであるが。

そんなことはさておき、今や名物は「笠岡ラーメン」だそうな。
そのhpに曰く。
「金色の脂が浮かんだ親鶏ガラスープ、親鶏の腿肉の醤油煮と手間をかけて仕込んだメンマがのったストレート麺の醤油味中華そば。小さめの切り立ち型丼になみなみとスープが張られています。スープがあふれながらテーブルに置かれた熱々の中華そばは、まずフーフーして丼鉢の淵のスープを直接すすります。スープを減らして扱い易くしておいて持ち上げて一気に食べる。映画館華やかなりし頃、映画と中華そばは同時に楽しむのが庶民の娯楽のあり方でした。
 笠岡の住人に愛され続けてきた中華そば。昔話をすれば必ず思い出の中華そばの話が遠い目で語られるのです。
 最近では海に面している笠岡ならではの瀬戸内の魚介を使ったラーメンも現れてきました。近隣の町や都会からラーメン好きの方も多く訪れるようになりました。今も地ラーメンとして庶民に愛され続けている笠岡中華そば、そして新しい有名店もどんどん増え続けています。今、笠岡には笠岡独特の進化を果たしたラーメンが生まれています」

いではら.jpg
現場の出店で、真っ先に売れ切れになるのがこの笠岡ラーメンのコーナー。
醬油味、細麺、魚介のあっさりした味。チャーシューならぬ鶏の身が添えられており、非常に結構なのである。

豚骨云々が大嫌いな小生にとっては干天の慈雨のような味だ。

で、店先にあったパンフに基づき、行ったのがこの店。
笠岡駅北側の道沿いにあった。
メニューはラーメンとラーメン大盛りのみ。

笠岡ラーメン.jpg

非常に結構なので、ハシゴをしようかとほかの店も訪ねてみたが、
笠岡は地方都市。
夜が早いのであった。

明日もいけたらいってみるしかないね。
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2011年06月22日

可亭補足。

茂原の可亭である。

チキンライス.jpg
どうしてもチキンライスが食べたかった。
「我が人生に悔いはない」と言えるようにする。
たぶん、小生の場合は「××の○○を食べておけばよかった」という一点に尽きるだろう。
だから、可亭に足を伸ばし、チキンライスを食べるのである。

元気なチキンライスといえば、たぶん曙町の「アポロ」の方が元気はいい。
でも、ここのチキンライスは老成しているのだ。

この年輪の味わい、代え難いものがある。

そして。
看板メニューのとんかつ。
今回初めて食べたのであった。
ロースカツ.jpg
ソースとろーりのこのカツ。
実に挑戦的な処がない。
丸和のロースカツはおいしい。
でもどこか挑戦的だ。
あくまでも温和なロースカツなのである。

ということで、また秋に。
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岡山行き。

雲上2.jpg
岡山行きという飛行機に初めて乗った。

岡山に行くルートはこの日は、富士山の北側を通るルートだった。
同じ仕事のN先輩が「僕は西に行く飛行機の時には必ず右側の窓側をとる」と話していたのに従ったのだが、この日は富士山とは無縁の席だった。

羽田を飛び立つと一気に急旋回して鶴見川沿いに西へ。丹沢山塊、道志川、大月辺りを眺めつつ、甲府盆地の全景が見え、南アルプス、中央アルプスを越え、遠くに北アルプスを望む窓辺。

山1.jpg

「今は名古屋の上空を通過中です」と言う機長のアナウンス。久しぶりに機長が客席に話すのを聞いた気分だった。

ついた岡山空港、これがまた、山の中。

岡山市といいつつ、とんでもないところまで岡山市。

レンタカーの手配ミスで、ノソノソとする羽目に陥り、それでも何とか笠岡までついた。
その道中はまた。
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「時代」。


このごろ、空耳のように、この曲の歌詞が浮かぶことがある。

伝われ、愛―月曜のスタジオから [単行本] / 中島 みゆき (著); 新潮社 (刊)
本棚部屋の卓子の上に、震災で崩れた本がそのままになっているのだが、その一番上にこの本がある所為かもしれない。

1979年に始まった「オールナイトニッポン」を聴取していた世代としては、こんなご時世だとふと思い出すのかもしれぬ。

中島みゆきといえば、今は人付き合いを辞しておられるTさんが思い出話でよく登場した。
Tさんは「店の名はライフ」に出てくる「三階は屋根裏」の主だったようで、「あそこが隠れ家だったんだ。藤女子大にいた中島みゆきも店の隅にいたらしいけどな」と大阪弁のアクセントそのままに話していたことを思い出す。

あと島田某であったか。中島の生家が熱心な天理教信者で、名前の中に教祖の「中山みき」の名が韻を踏むように入っていると書いていたが。

そんなことはともあれ、ふと歌詞を思い出す。
posted by 曲月斎 at 03:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

某月某日。

某日。
出張と出張の合間の休み。
やることと言えば、まず洗濯。
そして不在の間に溜まった雑用をこなす。
何をしなければいけなかったのか、頭が混乱してくるくらい。
こういうときはツイッターに備忘的に書き出す。
書くと頭の整理ができる。
結構、いい方法かもしれない。

某日。
久しぶりに漢方の女医さんであるI先生を受診。
桜木町にあった診療所で出会って以来だからもういい加減長い付き合いだ。
漢方医というのは半分カウンセラーだと思っているけど、今回も同じ伝。
話したいことを話し、あとは先生が脈診と舌診、触診。
「あなたは一人で何でもやってしまわないと気が済まない性分だからねえ」
と半分、あきらめ顔で言われる。
そうなのかもしれない。

某日。
会社の経理から突然メール。
出張旅費の精算で社に戻し入れが発生しているという。
そんなバカな話はないわけで、再照会してもらったら、
精算の書類が一部、会計で未承認になったままだという。
どうなっているんだろう??
ということで、この夜は出張と出張の合間に、出張の精算作業。

某日。
島田の高森商店から新茶が届く。
談ボール箱の横に「茶」の一文字と上には「手鉤無用」の四文字。
昨年は新茶の摘み取り直前に、霜害が遭って一番茶は御難だったのだが、今年は上々の出来のよし。
藤枝に赴任していた2年間の間に、お茶にだけは確実にうるさく成った気がする。
それもしっかりと味の出る深蒸しに好みが傾いているような。
今年は原発事故でまた茶が御難。
「検査済み」のシールが特に貼ってあるのが今年らしい、というのは少し情けない。

某日。
横浜駅東口の鳩居堂に行く。
今週は笠岡が現場。途中、お世話になったKさんのところに線香を上げにいけたらと思っている。
もうなくなって3年。
スカウト (講談社文庫) [文庫] / 後藤 正治 (著); 講談社 (刊)
奥様に電話したら、なかなかにお忙しい様子だったが。
Kさんが現役を引退した後、故郷の広島に戻らず、夫人の故郷の倉敷に戻った理由を話してくれた。
Kさんは広島で被爆しているのだけど、場所は土橋、今の中国新聞社のある辺りだったらしい。
夫人にはこう話していたそうだ。
「原爆の時に、自分の目の前で人が燃える時の脂の匂いが本当に忘れられない。仕事だったから広島に住んでいたけど、できれば行きたくないし、住みたくないんだ」と。
Kさんは毎年、8月6日の前、5日にそっと広島に、ご自身が被爆した辺りに、手を合わせに行くのが常だった。

某日。
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) [新書] / 橋爪 大三郎, 大澤 真幸 (著); 講談社 (刊)
この本を読み始める。
なかなかに対談形式で面白い本。
憚りながら、カソリック系の中学、高校を出ているのだけど、とんとこのご宗旨のことは理解していない。というか感覚が分からない。
アミニズムの権化のような自分の感覚と、「God」の観念はどこまで行ってもかけ離れた世界の気がしてならぬ。

同時並行で
戦国誕生 中世日本が終焉するとき (講談社現代新書) [新書] / 渡邊 大門 (著); 講談社 (刊)
という本を読んでいるのだけど、こちらは面白いのだけど、「日本系図綜覧」か「尊卑分脈」でも手元に置いて読まなければ理解できない。
外国の小説は登場人物名が覚えきれないとよく言うが、日本の歴史書でもここまで登場人物が入り組んでいると同じであると知る。
posted by 曲月斎 at 03:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月20日

房総横断道路

この辺りの現場となると、よく使うのがこの道であります。
正確にいえば、国道409号、県道27号、国道128号の総称。

で問題の区間は409号の部分。
国道、しかも横断道の命名の割に、実に道がしょぼい。

しかもその道はブラインドカーブが多いのですが、制限速度40`に道を、地元の軽自動車は100`近くでぶっ飛ばしていくわけで、怖い怖い。

特に木更津側に下りる辺りはつづら折れの道が続くのに、であります。

圏央道が茂原の方まで通じれば、だいぶ道路事情は変わるような気がするんですけどね。

これまでは「酷道」に耐えなくてはいけません。

窓から入ってくる牧場の香りとともに。
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「夏は来ぬ」

「卯の花の匂う牆に時鳥早鳴き初め……」
聞いたことはあると思います。

佐佐木信綱作詞、小山作之助作曲の「夏は来ぬ」であります。1896(明治29)年5月、『新編教育唱歌集(第五集)』にて発表されたそうでありまして、文部省唱歌ではありません。

一応、著作権が歌詞については存在(佐佐木信綱先生は1963年没)しているそうで、引用はさけますが、引用したとしても、著作権継承者であろう佐佐木幸綱先生は「日本文学概論1」で謦咳に接した恩師(ちなみに欠席が多すぎて「不可」でしたが)ですので、ご寛恕頂けるかとは思うのですが。

で、ひょんなことから。

藤枝在勤中に大変お世話になったKさんから、電話がかかってきました。

「この歌のね、中に出てくる『怠り諫むる夏は来ぬ』って歌詞があるんだけど、どういう意味かな」
車の中でのことですので、PCを開く訳にもいかず、かといって歌詞を丸暗記しているほどの愛唱歌でもない。むしろ昔は「カネボウ絹石鹼」のCMの曲というすり込みの方が強いくらい。

「ま、なまけちゃいかん、という意味でしょう」「何で怠けちゃいかん、なの?」
と疑問は続きます。

そこは千番に一番の兼ね合い、とっさに思いついたのが「眠り流し」の習俗であります。
「眠り流し」とは、睡魔を払う行事で、主として七夕として、水浴をしたり、形代(かたしろ)などを模型船や灯籠・笹竹などにのせて川・海に送り流したりする。東北地方に盛んであるが、北陸・九州などにもみられる。ねぶとながし。

という説明の行事のこと。ちなみにこの「眠り」は日本脳炎のことを指すという説もあるそうですけどね。

で、Kさんには「ともかく夏は暑くて眠い。それを戒める行事もあるくらいだから、夏は怠ける季節っていう季節感があったんじゃない」と連想ゲームのような回答で納得してもらったのであります。

ですが。

よくよく歌詞を見直してみれば、問題の3番であります。
「橘の薫る 軒端の/窓近く蛍飛び交い/おこたり諌むる/夏は来ぬ」
であります。

何のことはない、「ホタルの光、窓の雪」の「螢の光、窓の雪、書読む月日、重ねつゝ、何時しか年も、すぎの戸を開けてぞ今朝は、別れ行く」の東晋・車胤と孫康の故事をふまえて、「怠けちゃいけない」といっているだけで、「眠り流し」は邪推だったような。

強いて言えば、1句目の「橘の薫る」の言葉から「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
」(古今集)を連想させ、戒めるのは昔の人という連想を効かせている気もします。

という訳で「怠りを諫むる」のは他人事ではなかった話。

で、蛍に関連して与謝蕪村がこんな句を残していますな。
「学問は尻からぬけるほたる哉」

そんなものかもね、と思った次第。

posted by 曲月斎 at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

茂原・可亭

今回の千葉行きでは茂原に投宿した。

現場は下総、投宿は上総。

で、目指すは可亭である。

去年の秋に教えてもらって以来、茂原といえばこの店を擱いて考えられぬ。
ご夫婦2人で切り盛りしているこの店は実に飾り気もなく、気取ったところもない。

でも、味がいい。
野菜炒め.jpg

なんでもない野菜炒めである。
でも、おいしい。
日本酒のおかずになる味なのである。
いわんや白いご飯をや。

ポークソテー.jpg
ポークソテーもいい。
付け合わせはポテトサラダに、ドレッシングで和えてある野菜。
肝心のポークソテーは焼き加減よろしきを得て、トロリソースがおいしい。
ポークソテーといえば、福岡の「かつえだ」と並ぶといっていい。
ポークソテー番付があるとすれば、間違いなく役力士である。

コロッケ.jpg
蟹クリームコロッケ。
これもうまい。

トロリホワイトソースに蟹の身がいっぱい入っている。
揚げたてで熱々なのを承知していながら、口の中に入れたくなる。
そして案の定、やけどをするのである。

ドライカレー.jpg
最後にドライカレーを頂いて、この日は終了。

このドライカレーについてくるみそ汁もおいしい。
この日はタケノコとワカメが具だった。

なんでもないところにおいしさが隠れている。

酒は九十九里の酒「梅一輪」だったか。
銘柄を聞くのを忘れたが、そんなことはどうでもよくなる心地よさ、である。
posted by 曲月斎 at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

平積み。

書籍店の店頭の花形といえば、平積みの本でしょう。

その寿命はどのくらいなのか、気にしたこともなかったけど。

売れる本ならいつまでも平積みですけど、売れない本ならスッと姿を消す訳で。

気にもしたことのなかったことが少し気になるこのごろです。追記
posted by 曲月斎 at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

神戸・北野通り

看板.jpg
神戸で思い出のある店といえば、この店だ。

もう20年近く昔、仕事先で知り合ったKさんに連れて行ってもらった焼き肉店だ。

金泉苑.jpg

店の名も場所も忘れていたのだが、Kさんの連絡先が分かり、もう一度、教えてもらったのである。

Kさんはもう現役を離れ、週に1度の草野球と図書館通いの日々だという。

さて、この店といえば、まず真っ先に挙げなくてはいけないのは「赤セン」(牛の第4胃)だろう。
テッチャンみたいに薄くない。しかも味は濃くがある。
赤セン.jpg

後輩のO君を誘ってこの店にいったものだが、生来の大阪人である彼はこの味を愛した。

ハラミ.jpg
そしてハラミ。
昔、関東ではそう一般的ではなかったこの部位。要は牛の横隔膜。内臓肉扱いなので、元々はやすい食べ物だったのだが、最近は人気の部位になっている。

懐かしい店を再訪することができた。
オヤジ.jpg

ご亭主と久々の再会、焼き肉以上に楽しいひとときだった。
posted by 曲月斎 at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神戸・加納町

加納町.jpg
今回の現場は神戸・六甲山の裏側。
ということで、新神戸トンネルを抜ければすぐにたどり着ける三宮に宿をとった。

この辺りは加納町という。
なぜか母方の祖父と2人で出かけたことがあった。
父親の転勤で関西に暮らしていたころの話だ。

ちょうど祖父母が遊びにきて、その折のことである。

その年の7月、生田川の水害で大きな被害が出たこともあって、祖父は神戸の知人を訪ねる気になっていたのかもしれない。ともかくひと筋裏に入ると、しもた屋が並ぶ町だった。祖父と2人で出かけた記憶はこの1回。

さて。あの当時、市電に乗って出かけた町はすっかり様変わりしていた。

でもこんな景色も裏通りにはあった。
勝美.jpg

お好み焼き屋さんである。
現場の長老でご意見番のMさんが教えてくれた。
Mさんは毎年、この店にくるそうな。

関西圏の主婦の約3割は昼食にお好み焼きを食べるという調査もあった気がする。
とんぺい.jpg

ここも「テコ」をチャリンと言わせながら、お父さんが手際よく次々と焼き上げてくれる。
これは「とんぺい」。生タコの鉄板焼きや、豚とモヤシの炒め物、などなど。そしてお好み焼き屋である。オヤジ工夫の「生タコとあぶらかすのお好み焼き」なぞ、本当に美味かった。

大将.jpg
来る客はみな常連ばかり。
客の飾り気ない会話も、大きなごちそうのうちだ。

今回、これで神戸にも行くのが楽しみな店が1軒できた。

ちなみにオヤジ殿。ゴルフの腕前もなかなかのモノらしい。
posted by 曲月斎 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

浅間山には……

遠く浅間山が見えた。

浅間山.jpg
梅雨の合間の五月晴れ、新緑に映える山容は美しい。

御代田から佐久辺りにかけて、この時期は不思議にアヤメが道端に咲いている。

あやめ1.jpg
なぜか道端に咲いているのである。

あやめ2.jpg

宿の女将に聞いてみると、「今の大きな花はジャーマンアイリスでしょう。でも小さいのは浅間の自生のアヤメですよ。紫と白が基本で」

いずれアヤメかカキツバタ、いや花菖蒲。
ということで、東信の初夏、である。
posted by 曲月斎 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

上州から碓氷峠へ

先週は信州・御代田が現場だった。
利用するのは長野新幹線である。

東京駅でいつものようにチキン弁当を買って車中へ。
と、上野を過ぎた辺りで車内販売が来た。
「とりめし、ある?」と聞いてみると、「ございます」と取り出してくれたのがこれ。
鶏飯.jpg

高崎弁当特製「とりめし」である。

別れた元嫁の実家が前橋、1度だけ一緒に帰省した時に、彼女が教えてくれた。
確かにうまいのである。
ちょっと個人的にはほろ苦い味もあるけど。

鶏飯2.jpg
鶏のそぼろ、鶏の照り焼き、そして海苔の香り高い上にまた鶏。脇にはつくね団子。実に鶏尽くしなのだけど、素朴なごちそう、という感じがして、うれしい。
大正、昭和のころの掛け紙のデザインそのままに味もいい。

本当は崎陽軒のシューマイお弁当のように、箱が経木製だったら、もっとおいしいんだろうけどね。

ということで、実は往路に乗ったあさま号は東京→上野→大宮→軽井沢と停車。高崎は通過だった。

さて。
信越本線といえば碓氷峠である。
日本の鉄道史の中でもここは難所中の難所、北の板谷峠、東の碓氷峠、西の瀬野八(山陽本線の八本松〜瀬野間)と言われた天下の難所。かの「信濃の国」では「穿つ隧道二十六、夢にも越ゆる汽車の旅」とうたった長野県民夢の鉄路の名物は「横川の釜めし」である。

釜めし.jpg

今は信越線も盲腸線になってしまい、横川で行き止まり。当然のことながら、釜飯も峠の上下で売っているのであるが、軽井沢駅は午後8時まで駅構内で売っている。

何と言うことはない釜飯なのだけど、たまにたべるとうれしくなってしまう。

遠く。
高校1年の時であったか。
学校の友達3人に連れてもらってこの峠を越えた。急行能登だったか。

補機をつけるために必ず横川では一時停車があり、あの当時の客車は旧型客車だったから扉も手動、のんびりしたものであった。

そんな思い出も含めて、釜飯がうまいと思う歳になったのだな、と思う。
posted by 曲月斎 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

兵庫県道16号明石宝塚線

今を去ること16年前。
阪神大震災の後、久しぶりにまたバイクに乗り出したころだ。

この県道をよく走った。

要は六甲山の上を東西に横切って走っている道である。

今週の現場はその西の端から北上した辺り。ということで、この道を走っていくことにした。
震災後、この道は各所で大きな崩落事故を起こしており、走ってみたいなと思っても走れない道だった。その思いを晴らそうという心づもりもあった。

西宮の甲山から鷲林寺、西宮北有料道路入り口の盤滝トンネルの入り口が130番のカーブ。うねりながらの道はバイクで走ると楽しい。

途中で芦有道路の分岐が現れる。
すぎると突然、茶店が。
六甲1.jpg

この山並みの最高峰六甲山931b。昔でいう魚屋道の尾根だ。

茶店の中はうどんにカレー。
茶店.jpg

表六甲側の山道から上がってくると、立派な石碑が目に入るという計算だったようだ。
茶店2.jpg

見上げた六甲山。最高峰.jpg

ということで、この県道にはカーブごとに番号札がついているのですが、最後に確認できたのは神戸弘陵高校辺りの5番。

ここまで来ると森林の道、という感覚はなくなってしまいます。
ま、全国広しといえど、「ヒツジの飛び出しに注意」という看板がある道も珍しいでしょう。景色を期待していくのあ、ブッシュが茂っているので、昼間はダメですが。
posted by 曲月斎 at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

佐久、と言えば。

かの「信濃の国」では「松本、伊那、佐久、善光寺。四つの平は肥沃の地」と歌われておりまする。
東信・佐久の名物は鯉。

「佐久鯉」の誉れ高く、生命力も強いらしい。
濡れ新聞に包んでおけば、1日くらいは生きているらしい。

今時、鯉といっても「泥臭い」というイメージが強いのでありますが、さすがにこの佐久の鯉は看板というだけ在って本当においしかった。

鯉こく.jpg

東京の人間にとってみると、鯉こくというと、甘みそで煮たみそ汁で甘くておいしいとは思えない、というのが第1感なのですが、全然違いましたね。

そう、ここは信州味噌の産地。赤味噌系でじっくり煮込んだ鯉はなるほどにおいしいし、腹の部分にはしっかり脂ものっているし。鯉というのは本当はうまいものなのだ、というのを知りましたね。

あとは
洗い.jpg
鯉の洗い。山葵醬油という気分ではなく、酢味噌で食べたのですが、和辛子を持ってきてもらってっその辺りを自己調整。

本当は甘露煮もあったのだけど、それは写真なし。

で、佐久はもう一つ。信州味噌発祥の地なのだそうな。市内にある安養寺がその始まりだというのであります(ちなみに長野県味噌工業協同組合では「信濃国筑摩郡(現在の松本市)出身の法燈国師覚心和尚が宋からみその製法を習い帰国後布教のかたわらみその製法も広めたとされている」とあるのでよくは分からない。ま、安養寺はこの和尚さんの遺言で作られたらしいけど)。

で、町おこしのために始まったのが「安養寺らーめん」。
味噌ラーメン.jpg

全国に発信する味噌ラーメンをつくろうというその意気やよし。
小生は
食道園.jpg
この焼き肉屋さんで食べたのでありますが、安養寺チャーシュー麺+カルビ入り。

ここの焼き肉屋さんが適当に庶民的でおいしそうだったのでありますが、今回はラーメンだけで我慢したのでありました。

佐久、味噌と鯉とラーメン。ということであります。
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2011年06月02日

5月に読んだ本。

いや、ひどいもんです。激減。というか、読んだけど書き込むのがおっくうで書いていない本も数冊はあるのだけど。本が読めないと何か生活が荒む感じがする。

5月の読書メーター


読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1495ページ

国鉄/JR列車編成の謎を解く―編成から見た鉄道の不思議と疑問 (交通新聞社新書)国鉄/JR列車編成の謎を解く―編成から見た鉄道の不思議と疑問 (交通新聞社新書)
ま。よくある系統の本です。でも列車を編成して運行するということは、プラレールのおもちゃとは違い、ブレーキのかかる車両、あるいは電源器のある車両をうまく組みあわせ、なおかつ路盤のこと、動力源のことを考えながら、編成しなくてはいけないというのがよくわかりました。筆者が冒頭に指摘している通り、鉄道が新橋〜横浜で開業してこの方、先の寝台特急の富士・はやぶさの廃止で、東京駅から機関車が客車を引っ張るという編成が消えたという指摘は面白いです。
読了日:05月26日 著者:佐藤 正樹
国鉄列車ダイヤ千一夜―語り継ぎたい鉄道輸送の史実 (交通新聞社新書)国鉄列車ダイヤ千一夜―語り継ぎたい鉄道輸送の史実 (交通新聞社新書)
再三の事故や事件が起こった組織ほど、その再発に懸命になるもんです。その点で船舶と鉄道はミスの集大成みたいなものです。その中でどう鉄道輸送を安全に進め、大量に速く、旅客や荷物を移送するのかというテーマに取り組んだ人々の苦闘の歴史です。勿論、コンピューターなんてなかった時代の。当時、鉄道電報や鉄道電話が果たしていた役割、各指令が藝のように捌いていたサマを見ると。頭が下がります。ただ、今日の経済優先の世の中にあって、時間のかかる長距離列車の復活はぜひ果たして欲しいことであります。かつての京都〜下関のような。
読了日:05月25日 著者:猪口 信
近代ヤクザ肯定論 山口組の90年 (ちくま文庫)近代ヤクザ肯定論 山口組の90年 (ちくま文庫)
山口組を題材にヤクザ稼業100年史みたいな感じの内容。前半は港湾荷役前史から終戦後の混乱から顔役としての存在を確率するまで。正業としての港湾荷役業と芸能興行が成功した時代から、警察というか「反社会的勢力」として追放され、地域社会との結びつきを失うと同時に、情報のネットワークを生かしての資本主義社会での「掃除屋」稼業に転身していく様子を。そして暴対法以降の「企業舎弟」からの進化を。さらに在日朝鮮人や被差別部落民と暴力団の関係まで言及して余すところなし。実によく出来た本です。お勧め!!。★★★★★。
読了日:05月24日 著者:宮崎 学
「清張」を乗る―昭和30年代の鉄道シーンを探して (交通新聞社新書)「清張」を乗る―昭和30年代の鉄道シーンを探して (交通新聞社新書)
視点は面白いのだけど、どこからどこまでが引用なのか、話が次に進んでいるのかがすごく分かりづらい。連載だったのか、話に重複感もある。いい狙いなのだけど、すごく読みづらい本です。企画自体は面白いし、作者の視点には拍手。
読了日:05月19日 著者:岡村 直樹
日本史再発見―理系の視点から (朝日選書)日本史再発見―理系の視点から (朝日選書)
個々の数字を元にして推論していく。この手法は去年ベストセラーになった「デフレの正体」に通じるものがあります(というかこの本の方が先なのだけど)。前半は車の文化に就いての論考、後半は磐城相馬藩の人口動向をカギに米の収穫高との相関関係の論考。どちらも実数を根拠にしての立論なので、非常に説得力があります。特に後段の人口動向と年貢の増減の考察は、今の少子化社会の問題とも共通するものがあり、ちょっと前の本ですけど、今でも示唆に富んでいると思います。良著。
読了日:05月18日 著者:板倉 聖宣

読書メーター
posted by 曲月斎 at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする