2011年05月30日

新潟である。

海は荒海、向こうは佐渡よ、という訳で、今週の現場は新潟である。

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投宿したのはH館という旅館。
谷間の1軒宿で、携帯電話はFomaは×、auはかろうじて通じるようになったそうな。

宿の隣は野池で、何でも小千谷から錦鯉が夏季保養に来るよし。
「地区で7〜8万円で貸していましてね。秋になると水を落として、鯉を集めてまた、小千谷に帰るんです」とのこと。

で、現場の仕事を終えて帰ろうと思ったのだが、レンタカーの営業所は20時まで。24時間営業の店を探して新潟まで足を伸ばしたものの、最終の新幹線に間に合わず、投宿することになった。

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泊まったホテルは万代島。何でも新潟地震のころは島(というか中洲)だったそうで、避難するのに難渋したそうな。ま、でも、何でこんなところにホテルを造ってしまったのだろう???と思うような位置だった。

で、投宿することになったのだから、先達を求めたい。ちょうど今、新潟にいるA君に連絡をとり、一席つきあってもらった。
連れていってくれたのが古町・五郎
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出てくるものはすべて魅力的だった。
ワラビのおひたし、栃尾揚げの焼いたもの、アラやミル貝のさしみ、何を食べてもおいしかった。
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店主安野君も気持ちよく、実にありがたい夜を過ごしたのであった。

何ごとにもあらまほしきは、先達である。

また、新潟に来るのが楽しみになった。
ちなみに店の名は本店が五郎で支店が十郎。曾我兄弟、なのかしらん。
次の店の名は虎御前、かね。
posted by 曲月斎 at 00:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月25日

「日本史再発見」

日本史再発見―理系の視点から (朝日選書) [単行本] / 板倉 聖宣 (著); 朝日新聞 (刊)

個々の数字を元にして推論していく。

この手法は去年ベストセラーになった「デフレの正体」に通じるものがあります(というかこの本の方が先なのだけど)。

前半は車の文化に就いての論考です。なぜ平安時代には牛車の文化がありながら、江戸時代には大八車やベカ車(上方の大八車)が普及しえなかったのか。これは馬借を中心とした既得権益を持つ職業層への幕府の配慮だった、という論考はとても面白いです。
そして車の生産台数を対数グラフで調べ、日、米、韓の比較をする。飛躍的に生産量が伸びる時期は実は世間の常識よりずっと前にその萌芽があるという指摘は興味深いものです。

後半は磐城相馬藩の人口動向をカギに米の収穫高との相関関係の論考。どちらも実数を根拠にしての立論なので、非常に説得力があります。新田開発が行き着くところまで行くと、生産量は頭打ち、まして人口増が止まり、耕作放棄地が生まれる、さらには人口の減少。つまりは労働力の減少につながるわけで、特に後段の人口動向と年貢の増減の考察は、今の少子化社会の問題とも共通するものがあり、ちょっと前の本ですけど、今でも示唆に富んでいると思います。

表題の西南雄藩との比較の部分は少し食い足りないのですけど、それ以外、実数を使って目の前の現象を分析していくという手法は本当に「デフレの正体」と同じ手法で説得力があります。
ちょっと古い本で版元品切れみたいだけど、すこぶる良著。
posted by 曲月斎 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「国鉄列車ダイヤ千一夜―語り継ぎたい鉄道輸送の史実」

再三の事故や事件が起こった組織ほど、その再発に懸命になるもんです。
その点で船舶と鉄道はミスの集大成みたいなものです。
逆の例が今回の原発といえるでしょう。
国鉄列車ダイヤ千一夜―語り継ぎたい鉄道輸送の史実 (交通新聞社新書) [単行本] / 猪口 信 (著); 交通新聞社 (刊)

手痛い犠牲を繰り返すうちに、限られた資源の中でどう鉄道輸送を安全に進め、大量に速く、旅客や荷物を移送するのかというテーマに取り組んだ人々の苦闘の歴史です。

勿論、コンピューターなんてなかった時代の。
線を引くだけの話なら面白くなかったかもしれません。山陽新幹線開業時に想定外の16分の遅れをどう解消するかの工夫や、各鉄道本部ごとの葛藤もあって興味深い。安芸の宮島で全国の担当者があつまって会議をしたというのも時代を感じさせる話です。

ファクスもなかった当時、列車の遅延や運休、臨時列車の増発、運休、貨物列車の運行や回送車の運行などなど、多彩な情報が指令から駅長へそして運転手や駅員にと伝わっていた時代、鉄道電報や鉄道電話が果たしていた役割、各指令が藝のように捌いていたサマを見ると。頭が下がります。

ただ、今日の経済優先の世の中にあって、消えていった急行列車や、時間のかかる長距離列車の復活はぜひ果たして欲しいことであります。かつての京都〜下関(山陰線経由)や新宿〜松本(中央線、篠ノ井線)列車は復活して欲しいですね。これは高齢化社会にニーズにも合っていると思うのですが。
posted by 曲月斎 at 00:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「近代ヤクザ肯定論」

山口組を題材にヤクザ稼業100年史みたいな感じの内容。

近代ヤクザ肯定論 山口組の90年 (ちくま文庫) [文庫] / 宮崎 学 (著); 筑摩書房 (刊)

前半は港湾荷役前史から終戦後の混乱から顔役としての存在を確立するまで。

戦後に正業としての港湾荷役業と芸能興行が成功した時代から、海上輸送の形態変化(機械化、コンテナ化)により荷役専門の労務者が不要になっていく、港の革命と同時に、警察というか資本側からの「反社会的勢力」という烙印とともに、表舞台から追放され、地域社会との結びつきを失うのが高度成長期。

バブル経済へ社会が歩み始めると、情報のネットワークを生かしての資本主義社会での「掃除屋」稼業に転身していく様子を描く。そして暴対法、改正暴対法以降の「企業舎弟」からの進化を追う。

ある意味で、「ドロップアウトした人間の受け皿がない」=「セーフティネットのない社会」ということもできる。で今日的な暴力団の存立基盤と、NPOなど簇生する諸団体の発想が類似しているとの指摘は見事だろう。

さらに長年にわたって暴力団への人材供給源として在日朝鮮人や被差別部落民があったが、暴力団の関係まで言及して余すところなし。

裏の社会の論理だけで話を進めるのではなく、西欧の社会学用語や、一般社会の動きとリンクさせてきちんと考察が進められているので、単なる仁俠の本ではないことも、お勧めする理由です。
実によく出来た本です。お勧め!!。
posted by 曲月斎 at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月19日

警固・寺田屋のすみ処

もう小田君が独立して何年になるだろう。

元々は大名の「寺田屋の二階」という店を任され、切り盛りするうちに、その才覚を認められて店舗を譲られ、のちにこの警固に「寺田屋のすみ処」なる2号店を出すまでになった。小田2.jpg

実に豪快な男で、あれこれ無理難題も応えてくれる。

ただ板前としては以前は致命的な欠陥があった。
というのは白身の魚とかは置かず、エビ、カニ、貝類など、甲殻類の店だったのである。そんな彼も進歩して今では何でも吟味した魚がそろう。

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炭火の前には配下。
やはり、この店では「さがり」「馬ひも」などなど、おいしいのである。
posted by 曲月斎 at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

閉店当日。

先日、歩いていたら、これも和田の師匠の紹介で知り合いになったYさんが教えてくれた店を思い出した。

「奉天本家」なる店である。
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何しろ古い店構え。
床は脂で滑りそうになるくらいツルツル。
でも餃子とラーメンがおいしかった記憶があった。

で、のぞいてみるとこんな張り紙。
奉天2.jpg

ちょうど閉店の日だった。
中は名残を惜しむ常連さんでいっぱいだった。
ビルの建て替えなのだろうか。
また1軒、知っている店がなくなる。
posted by 曲月斎 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福岡・天安

福岡で忘れられない店である。
法務局前の交差点にある天ぷら屋さん「天安」である。

この店は死んだ先輩のYさんがご贔屓で、11月の出張の時には数度、足を一緒に運んだものだ。
差し違えの伊之助もご贔屓で、いつも大入り袋と番付が飾ってあった。

すでに鬼籍に入ったYさん、Sさんは決まって帰京前には先代のオヤジさんに魚河岸で買いだしを頼んでいた。

さて、久しぶりに行く。
風の便りに先代が亡くなったと聞いたが、当代に聞くと「もう5年になります。おふくろが死んでもう3年」とのこと。
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その昔、西鉄ライオンズがまだ平和台球場にいたころのこと。三原脩監督は子息が天ぷら屋になるのに際して、その修業先の世話を先代に頼んだなどという昔話をYさんから聞かされたものだ。

天安3.jpg
いつもここは天ぷら定食を頼むのである。
時期になれば「ふぐ」も天だねに加わる。それとほかではあまり見かけないのだが、なぜかおいしいのが「豚」。なぜか天ぷらにキチンとなっているのである。

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あれこれと考えているうちに、「さあどうぞ」と目の前に盛り合わせが出てきた。
気取らず、でもおいしい。

カウンターの隣には、泉下のYさんや、Sさんが座って歓談しているような気がしてならなかった。
posted by 曲月斎 at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福岡・柳橋連合市場。

空港のお土産品売り場の充実度は、1に札幌千歳、2に福岡だろう。
空港でおおよその用は済んでしまう。
でも、福岡に出かけたらぜひ立ち寄りたいのが柳橋連合市場である。

今回も帰り便の出発前にササッと立ち寄ってきた。
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福岡、博多の台所とも言われるこの市場。
店がアーケードにそって軒を連ねている。

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およそそろわぬモノはないだろう。
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博多のうどんには欠かせない丸天や平天を売っているてんぷら屋さん。おきうとも見える。


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地魚も豊富で色鮮やかな気がする。
馬刀貝を大きくしたような「揚げ巻き」という貝も売っている。
担いで帰りたいのは山々だが、飛行機の機内に持ち込むには鮮魚はいささか抵抗感がある。

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入り口のお茶屋ではいつも「焼きアゴ」を買う。
博多雑煮を作る時には欠かせないといわれる出汁の素。
一晩、水に浸して戻す。
確かに上品な味がする。

そして。
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一番の目当てはこの店。
辛子明太子といえば「幸村英商店」である。

支店はなく、この柳橋の市場の店だけ。
アルコールで滅菌したような臭みや、仇塩っ辛くないこと、適度な辛さと申し分ない。
この店を教えてくれたのはYさん。
何ごとにも一家言の持ち主で「それはですねえ」が開口一番の決まり文句だった。

今回も切り子を数個買って帰ってきた。
相変わらずのうまさ、飯が進むので用心用心。
posted by 曲月斎 at 00:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福岡・かつえだ。

福岡に出かけるとなると、真っ先に思い浮かぶ食べ物屋というと平尾北の「かつえだ」である。

ここはとんかつ屋さん。でも「ちゃんぽん」が名物だ。
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ちゃんぽんというと、リンガーハットか、長崎の吉宗くらいしか思い浮かばないのであるが(関東人にはあまりなじみのない食べ物なのである)、今となってはここのこのひと皿を思い出す。

最初に教えてくれたのは、和田の師匠の紹介で知り合ったYさん。
実にいい店を教えてくれたものである。

厨房の奥を覗くと、野菜や具を炒め、そこにスープを入れ、チャンポン玉を入れ、茹であげて、皿に取り分けていく。実に手際のいいことである。

そして忘れてはいけないのはポークソテー。
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素朴で昔懐かしい感じのバターソースが添えられたポークソテーは和辛子がよく似合う。

キャベツにこのソースを絡めて食べるとまたうまい。

夕方5時の開店には数人の行列が出来ていたが、むべなるかなと思う。
気持ちのいい店である。
日曜定休。
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2011年05月18日

片の瀬温泉。

柳栄館.jpg
先週の筑後の出張、投宿したのは片の瀬温泉というところだった。

旧田主丸町にあり、その昔は火野葦平らがここで「河童倶楽部」なる座興を繰り広げたよし。
確かに河童が出てきても不思議のない風情である。

宿は筑後川の堤防の下。濃尾三川地帯にあった「輪中」集落の中の「水屋」みたいな構造で、周囲の田畑からは顕かに標高が違う。
周囲は堅牢な石垣で囲まれているようだ。

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建物は築120年とか。年季の入った廊下、部屋などは、こぎれいに改修してあるので、何も不自由はない。便所もウォシュレット付きである。通された部屋は棹縁天井。8畳ほどあるのだけど、部屋の真ん中で棹の向きがタテヨコ変わる。どういう構造なんだろうと思いながらの3日間だった。でも窓を開けると青い風が流れ込んでくるようで。

ただ、畳の部屋はウグイス張りなのか、歩くたびにぎしぎしときしむ。
これには少々閉口したが。

2階の大広間から眺めると堤防越しに筑後川。
夏の花火大会の時には特等席になるそうな。

さて、宿の看板には「鮎 鯉」と名物を打っている。
「鮎はまだ解禁前ですから……」とのことだった。
posted by 曲月斎 at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

麦秋。

先週は筑後の甘木だった。

宿は田主丸。
現場との往復は筑後平野の縦断だった。

辺りはちょうど麦の秋。
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真っ平らな平野に麦の穂が重そうに実っている。

この辺り、甘木、大刀洗、田主丸。本当に真っ平らだ。
関東平野なら、大きな川の背後には「後背湿地」があり、「自然堤防」がある。
自然堤防は自然に出来た高み。そこに民家が群れるように建っているのだが。

このあたりは散村なのか。
本当に真っ平ら、目当てにするものがない。

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もうすぐ刈り取りになるのだろう。
もう黄色く色づいた穂もあった。

育っているのはたぶん裸麦? 大麦?
中学の地理の時に、「西日本は暑いから裸麦、東日本は大麦」と教えられたけど、今時裸麦なんて聞かないしなあ。

でも筑後平野、麦の秋、であった。
posted by 曲月斎 at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

肉たたき。

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野球の選手は新品のグローブを遣い込んで自分のものにする。
特に二遊間の選手など、試合で使うものは十分に練習で使い込んで革が手になじんでからでないと実戦に使うことはない。

最初のうちのお手入れで便利なのがこの槌。
新しいグローブを脂を塗ってはたたいて形をつけていく。

で、なんでこの木槌の話かというと、肩が凝った時に、ちょっとたたくのに具合がいいからだ。
首筋から肩に掛けて凝った時にトントンとやると結構、気持ちがいい。

ただ、その原理は洋食屋が肉をたたきのばすのにハンマーでたたくのと同じなのかもしれないけど。
つい自分の姿を他人が見たらば、そのようにしか見えないのではないかと。
posted by 曲月斎 at 18:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

のむヨーグルト。

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先週の現場で「のむヨーグルト」が売っていた。
小さい瓶で165円、大きい方で530円(だったかな)なので決してやすくはない。

場所が場所の売店なので、スーッと愛飲していたが、考えてみれば高い。

でもなかなかにコクがあって美味かった。
ということで、ミルク工房もりやの「のむヨーグルト」である。

そういえば「ウンこころ」によると、ヨーグルトを飲むと善玉大腸菌が増えて、ウンチがよくなるそうだ。そういえば病原性大腸菌O111の件。

例えばアフリカとかにいる水牛が保菌していてもおかしくはない。たぶん、親戚同士みたいなものだから。で、この水牛を食べたライオンはどうなるのか。ライオンもトラも、内臓から先に食べると聞く。絶対に加熱処理などしていない生肉のはず。ライオンとかトラとか、野生の肉食獣は感染しないのだろうか。もっと身近な例で言えば、アメリカの草原で飼育されている牛を襲うオオカミとかクマだったらどうなのだろう。すこぶる疑問な話だ。

ヨーグルト→大腸菌→O111と話が転んでいってしまった。
posted by 曲月斎 at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歯ブラシの寿命。

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3年前に歯科の主治医から「歯周病です」と診断されて以来、セッセと歯を磨くようになった。

小生の小学生時代は、ローリング法(歯茎から歯の先端に向かってブラシを回転させるように磨く)が推奨されていたけど、のちにバス法(歯茎に対して45度の角度で当て、歯と歯茎を一緒に磨く方法)やスクラッピング法(歯に対して90度で当てて磨く)だが、発症前はともかく力任せに歯ブラシを左右にゴシゴシやればいいと覆ってきたのだが。

ちなみに小生はデンターシステマのコンパクトヘッド4列植毛を愛用し、歯磨き粉(今はチューブ入りだけど。最近はこの伝統を守っているのはスモカ歯磨きくらいだね)はデンターシステマEX歯磨き(これがなぜかドラッグストアの安売りでも値引き幅が小さい。ライオン歯磨きが強気なのかしらん。ちなみにライオンの本社は両国国技館の正面)

何が疑問かというと、歯を丁寧に磨けば、歯ブラシは毛先が2股に分かれて四肢舞う。気がつけば遣い終わった歯ブラシが洗面所に溜まりだした。洗濯機のフィルター掃除に便利なのだが、それも程度問題。さてこんなに早いペースで歯ブラシは交換していたものかと思案愚考した次第。
posted by 曲月斎 at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水海道・あとひき煎餅。

先週は茨城県常総市に投宿した。

常総市?
要は水海道である。なんでこんな訳のわからない名前を付けちゃったのだろね。調べてみれば当初は旧・水海道市は谷和原村、伊奈町との合併を目指したものの破談。旧石下町を編入合併したけど、市名を換えちゃった。ちなみに水海道は茨城県だけど、実は下総國だったと初めて知った。利根川、鬼怒川、小貝川が入り組んでいるエリアだからだろうね。

さて、宿の女将と話をしていて、「水海道土産といったら何?」と聞いたら、教えてくれたのが「あとひき煎餅」。天野屋なる店が手作りで作っている醬油煎餅である。
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いわゆる稲作地帯であり、醬油の名産野田も近い。水運の発達したこの街では意外に煎餅屋が多いのだそうだ。就中、この店は昔ながらの味でいい、とご推薦だった。

また曰く。「昭和天皇の侍医で水海道出身の方がおられた。その方が昭和天皇への手みやげにこの煎餅を持参したところ、甚くよろこばれた。という訳で、入江相政侍従長が店までお使いにきた」という逸話付き。

真偽のほどは定かではないが、確かに塩辛すぎず、懐かしい味がする。薄目でカリッと歯ごたえがあり、種が口に残らない。1個で結構満腹感もある。

という訳でお勧めである。

ついでだけど、水海道の荒井味噌もうまい。味噌は赤、白の2種。
posted by 曲月斎 at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロケ弁、である。

先日、機会があって「ロケ弁」なるものを食べた。

そも、「ロケ弁」とは。
「映画やテレビ番組などのスタッフや出演者が撮影・収録現場などで撮影・収録の前後や合間に食べる弁当の事である」だそうだ。確かに芸人が「ロケ弁」を2つ持ってかえったとか、人気ランキングまであるのだから、それは大事なことである。が、まあ普通にくらしているなら、無縁なんだけど。
普通の幕の内ながら、少し「業界っぽい」風味がついているのであろうか。

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これが上石神井・津多屋の「のり2段幕の内弁当」。要は昔懐かしいネコまんまの海苔弁がメーンである。でもご飯の量も多すぎず、実に美味いのである。
おかずの味は濃いめと評するブログもあるようだが、元来弁当のおかずの味は濃いものであって、すこぶる適切であると小生は思うのである。

上石神井駅の南側にあるらしい。小売りもしてくれるらしいから、近くに行ったら寄ってみたい。hpに載っている「さけまぶし幕の内弁当」「2色そぼろ幕の内弁当」もおいしそうだ。

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もう一つは「代々木上原・金兵衛 魚屋さんのお弁当」なる業者の鶏照り焼き弁当。
こちらは飯とおかずが2段になっていて、おかずの方はメーンのほかに、クッキングホイルカップにポンポンと入っている。
八重洲には直営売店もあるみたいだ。ちょうど八重洲富士屋ホテルの裏辺りらしい。
魚屋さんの弁当との謳い文句ながら、今回は鶏照り焼き弁当を選んでしまった。「銀だらの西京焼き弁当」とかおいしそうである。
ぜひ足を伸ばさなくては。

てな、関心をしていたら、この道にも先達はおられる訳で、
ロケ弁ウオッチ」なるhpがあった。

実に弁当屋というのは多いのですな。
弁当一つで心豊かになってしまったここ数日でありました。
posted by 曲月斎 at 03:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

鍋の味。

名古屋・光村の話の続きである。

合いの手が入った通り、ここの名物はかき揚げ。
かき揚げ.jpg
本当にさっくりとしていてうまいのである。
エビの甘みがよく分かる。

そしてこの季節限定の
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山菜の天ぷら。
春先は冬眠から目覚めた熊同様、青いものの生気を人間も欲するのか。
ほろ苦さが味わい深い。

で、夜の部は9時過ぎに注文止め。
カウンターの中では片づけが始まる。
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大きな銅の鍋が2口。
それぞれの前に職人が陣取って手際よく揚げていくのであるが、
仕事が終わればまず油を切り、磨き砂をつけてピカピカに磨いていく。
下職がするのではなく、揚げ手、いわば「花板」の仕事なのである。

いつ来ても鍋がきれいだなあと漠然とは思っていたが、当主の教えなのだそうだ。
自分で使った鍋は自分で洗え、と。長年、鍋の前に立っていた当主もきっと修業先でそのように教えられたのだろう。

始末のよくない鍋で揚げた天ぷらは衣の上に黒いポチポチが着いてくる。
いわば「鍋かす」
そんな品のない代物を決して出さない、というプライドともいえるだろう。

厚手のゴム手袋で金たわし。力を込めて磨いていく。
光村の天ぷらは鍋の味でもあった。

かつて帝国ホテルの料理長だったムッシュ村上は下職のころ、鍋磨きで一目置かれたという逸話があったが、それとはまた違う世界である。

そういえば、大阪の酒肆上野の上野さんは店を終うとカウンターに巡らせてあるバーとドアノブ、つまり真鍮の部分をピカールでいつも磨き上げておしまい、だった。

いずれにせよ、毎日続けることの尊さを思う。
posted by 曲月斎 at 21:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

4月に読んだ本。

4月の読書メーター
読んだ本の数:10冊
読んだページ数:3079ページ

戦前昭和の社会 1926−1945 (講談社現代新書)戦前昭和の社会 1926−1945 (講談社現代新書)
今の世間を見回すと既視感にとらわれる。いつの風景なのか。それは大正末期から太平洋戦争開戦前まで。今の姿と瓜二つに見える。筆者は3点を指摘する。1にアメリカ化、2に格差社会、3に大衆民主主義である。3つのキーワードに収斂される種々の現象を点綴していく。デパート、アパート、映画、モガ・モボの出現、家の光やひとのみち(現PL教団)の出現などなど。カリスマの出現(戦前に於いては近衛文麿首相誕生)を待ち望む空気。今の日本はこの段階まで来ている気がする。この相似形ぶりにある種の危惧を覚えるのは小生だけではあるまい。
読了日:04月23日 著者:井上 寿一
あの戦争と日本人あの戦争と日本人
幕末から日清、日露の両戦役を経て太平洋戦争に突入していく日本。司馬遼太郎は軍部の「統帥権」を「魔法の杖」と呼んだ。半藤は掘り下げて、「軍部大臣現役武官制」「帷幄上奏権」の2つにスポットを当てる。統帥権は天皇の大権とされた一方、前者は気に入らない内閣なら陸、海軍は大臣を推薦しなかったり、辞任させさえすれば内閣は総辞職に陥る。また後者も参謀本部や軍令部は天皇に直接裁可を仰げば、陸海軍大臣に事後報告で可、とする制度です。確かにこの3振りの宝刀は実に有効とよくわかります。さてどこかで空気が今、似てはいませんか
読了日:04月20日 著者:半藤 一利
料理のお手本 (中公文庫―BIBLIO (B18-24))料理のお手本 (中公文庫―BIBLIO (B18-24))
「きょうの料理」で「お塩は大さじ何杯ですか」と聞かれて「そりゃ加減ですわ」とこたえていたような記憶が。うまいと思う舌のそれぞれを認めつつ、ひとつの物差しも示していたように思う。口調をそのまま文章にしたような1冊。読み直してもおいしそうに思う。
読了日:04月19日 著者:辻 嘉一
料理歳時記 (中公文庫)料理歳時記 (中公文庫)
タケノコをゆでるのに、再読。そのつもりが余計なところまで読み進んでしまう。口調の歯切れのよさ、所作、立ち居振る舞いの品。筆者のようなああいう人はいなくなってしまったなあ。
読了日:04月19日 著者:辰巳 浜子
能ナビ ~誰も教えてくれなかった能の見方~能ナビ ~誰も教えてくれなかった能の見方~
今までにない能の解説書でしょう。能を演劇として見るという立場は観世寿夫が提唱して以来の考え方ですが、他の演劇の見聞やテキスト(能本)の読み込みに依って生まれる見識などを具体的に案内してくれる本はなかったからです。総合藝術という言葉に踊って観ることが難しくなってしまいがちな能を芝居として読み解いています。文章は「渡辺節」なのですけど、自身が能ににじり寄っていった軌跡、経験が生きています。専門用語を遣わないで、明快にドラマを分解してくれれば作者の世阿弥や元雅、金春禅竹、観世小次郎信光も泉下で喜んでいるのでは。
読了日:04月12日 著者:渡辺 保
センセイの書斎---イラストルポ「本」のある仕事場 (河出文庫)センセイの書斎---イラストルポ「本」のある仕事場 (河出文庫)
書斎を覗いてみたい、というのは今に始まった好奇心ではない。山藤章二登場前の週刊朝日には各界の方々の仕事場をグラフで紹介するコーナーがあった。アサヒグラフの「我が家の夕めし」と並ぶ名物だった。そして観察とリアリズムの極地、妹尾河童の「河童の覗いた××」シリーズもあった。その系統に属する1冊。イラストは柔らかい調子、文章は基本的には「へえ、すごい」と驚きの連続で、ちょっと綾が欲しいかなあ。でももっとこのシリーズは続けてくれたらいいなあ。
読了日:04月11日 著者:内澤 旬子
大日本地名辞書〈第1巻〉汎論・索引 (1971年)大日本地名辞書〈第1巻〉汎論・索引 (1971年)
よくできた「工具書」です。通読する本じゃないけど、拾い読みも楽しい。
読了日:04月08日 著者:吉田 東伍
括弧の意味論括弧の意味論
筆者は週刊誌の中吊り広告に必要以上の括弧があるのに気付き、意味を考え始める。アプローチの仕方たるや、論理学、数学と大手搦手から総掛かり。でも正直に言う。話の展開が疲れる。引用例の浅田彰らに代表されるポストモダンの書き様はだれが読んでも韜晦的だし、””(爪カギ)は今の日本語表記からは消えた。筆者提唱の「括弧率」=括弧が文中にどの頻度で登場するか=の言いは面白いけど、読み間違いや字面のリズムを作る上で括弧が今や欠かせない、の1点に収斂されるのではないか。むしろ例にある「こそあど言葉」の思索が面白い。
読了日:04月08日 著者:木村 大治
江戸の気分 (講談社現代新書)江戸の気分 (講談社現代新書)
何か物足りない。江戸時代の論理は落語の世界だけではなく、重層的なはず。それを落語の間尺だけで推し量ろうとするのには無理がある。拾い読みを繰り返して読了したが、通読するには脳裏で補わなくてはいけないものが多すぎる。落語の解説本として読むのなら差し支えないとは思うけど。
読了日:04月07日 著者:堀井 憲一郎
夜中の薔薇 (講談社文庫)夜中の薔薇 (講談社文庫)
筆者の没後に出された随筆集。ベルギーの旅行記、アマゾンの旅行記(アマゾン川のさまを仙台味噌と八丁味噌に例えるのが、らしい)が、そして人物評が、と、軽く読めて滋味が豊かなものが多い。最後の方に並ぶPHP掲載分はちょっと心学の先生みたいな感じだけど。同じ文といっても脚本と随筆は違うはず。手練れになってきたんだな、と思った時には遺稿集、という感じ。改めて惜しい人物である。
読了日:04月05日 著者:向田 邦子

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posted by 曲月斎 at 20:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする