2010年09月05日

シンデレラエクスプレスなんて

かつて、夜の新幹線、特に休みの日の夜の新幹線は遠距離恋愛のカップルにとって、恋路をつなぐ鉄路であった。

ということで、今、のぞみの車中であるのだが、目につくのは、ドラゴンズの応援帰り、タイガースの応援帰り、そしてカープの応援帰り。

ユニホームやTシャツを着てござるので、一目でそれと知れる。

いいか悪いかは別にして、そんな思いのファンの存在というのが、妙に新鮮に見えた。

それぞれ見てみるとホームでの試合。日ごろは肩身の狭い思いをしての応援なのだろうが、本拠となれば思う存分、であったろう。

隣の座席のドラゴンズファンとおぼしき女性は名古屋駅頭、流れゆくホームを見詰めて「サヨナラ名古屋」と1人つぶやいていたが。


posted by 曲月斎 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「栗きんとん」と「栗粉餅」

最近、この地方の秋の土産といえば「栗きんとん」である。

正月のおせちに出てくる代物とは違う。
栗の実をゆでて裏ごしし、砂糖を加えて、茶巾しぼりにしたものだ。

最初、小生が出会ったのは中津川の「すや」のものであったか。亡父がなぜかこれが気に入り、何度か取り寄せていたものだ。
昨今はデパートに行けばどこぞの店のものは出ているわけで、ご当地にきてみれば、どの和菓子店でも「栗きんとん」の看板が出ている。

こういう場合、何ごとも地元の評価を尊重する主義なので、十五代目女将に聞いてみると「恵那の寿やのものがおいしい」という。「すや」はすやでも、中津川は「すや」、恵那は「寿や」だそうな。
08310932_4c7c4d9e52a6e.jpg

店は恵那の駅前にあった。さすがに名の通った店だけあって、頼みもしないのに、郵送注文用のパンフまで入っていたが。

で、十五代目がいうことにゃ……。
「私たち地元の者には、『栗きんとん』はお遣い物、自分たちが食べるのは『クリコ餅』です」という。店の場所はおぼろげに教えてくれたが、そういわれれば食べたくなるのが人情。インターネットで検索すると出てきました。「大津屋の栗粉餅」であります。
栗粉餅.bmp

店はごく小さく、夫婦2人で切り盛りの様子、注文すると、奥の作業場でご主人が餅をちぎっては丸めてござる。そのかたわらで女将どのが粉をまぶし、折箱に入れ、この粉をいっぱいに詰めて包んでくれた。この粉こそが「栗の粉」。栗を蒸してつぶしただけのもので、甘さは少しついているけど加減はお好みでとばかり、粉砂糖が添えられている。餅の味、栗のこの粉の味、初めて食べた「栗きんとん」を思い出すような素朴な味だった。
img91be1529zik5zj.jpg

惜しむらくはこの菓子、賞味期限が「2時間」であること。栗も足が速いし、加糖していないので腐敗しやすいということか、あるいは餅が硬くなってしまうということか。
ともかく製造時刻が赤いペンで記入されて手渡される。厳かな感じである。

ということで、恵那路の秋の味はこの「栗粉餅」に尽きる、と思うのだが、いかんせん、賞味期限が2時間ではどうしようもない。現地に赴いた時にご賞味頂くしかない。ま、もっともこういうものに出会うとうれしくなってしまうのは、根性が小さな所為ではあるのだけど。
posted by 曲月斎 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東濃行。

先週末は岐阜県南東部、木曽川に沿った一帯・東濃地方に仕事で出かけた。

去年も同じ時期に出かけ、岩村の宿に投宿したのであった。今年も同じところでもいいかな、と思いつつ、風呂場が農薬のような匂いがして閉口したこと、夕食が大きな広間の炉端で、ポツンと1人で炭火焼きに興じなくてはいけなかったこと、などなどを思い出し、別の宿を探すことにした。

ご同業の面々は恵那に投宿する向きが多かった。
ならばと探しては見たものの時すでに遅く、いわゆるビジネスホテルは満員。こういう場合は「××市観光協会」「××町商工会」みたいなHPから宿泊業を探して、電話をしてみるしかない。

今回も探してみると、日本旅館があった。「料理旅館いち川」なる店だ。

旧中山道六十九次のうち46番目の宿場が大井宿。今の恵那だ。ここの角屋なる旅館の後身がこの店であるという。

宿に着くと、女将が出迎えてくれ、仲居どのが離れの部屋に案内してくれる。
そうこうするうちに、菓子と茶が運ばれ、風呂から上がると十五代目女将と十六代目若女将見習いなる女性2人が現れてご挨拶である。

で、べつに頼んだ食事の時は、すでに後期高齢者だという仲居どのが付きっきりでお給仕。日本旅館の飯というのは基本的に酒の肴なので、これをつまみながら一献傾ける。仲居どのがお酌をしてくれるのだが、自分の母親よりも年上の女性の酌というの珍妙なもの。あれこれと昔話に花が咲き、結構面白かった。

さて、離れの部屋はいいのだが、普段は旅館といいながら、宴会が中心の様子、部屋を開けていないので、どうも「納戸」みたいな匂いがする。クーラーを掛けながらも、窓を開け放たないとどうにもたまらぬ。2日目の朝、仲居どのに「枕をよく日に当てておいて欲しい。窓は開けっ放しにしておいて欲しい」と頼み出かける。3日目にようよう納戸臭い匂いは抜けてきたようだった。

ちなみに離れは2間あり、道端の堀割りから水を引き込んだ泉水に臨んだ部屋が松の間、その隣の2階からの避難階段が見える草むらに面しているのが桐の間。ちなみに小生が通されたのは当然のごとく桐の間で、隣の松の間には女優の高畑淳子丈が映画撮影の為、泊まっていたよし。騒がしくなかったかと気がかりだが、聞かされたのは後の祭りである。

数日投宿して、話をしていると、後期高齢者の仲居どのは信州松川の出身だそうな。で、もう1人の仲居どのが地元出身。東海地方の例にもれず、「××ら」という語尾になるのは、お国ぶりである。

とこうかくあれ、最後の勘定に出てきたのは十四代目の女将だそうで、金の計算の反応が少々遅くなっているのは年相応。朝飯に「朴葉味噌をつけて置けば何杯でも飯が食べられる」という信仰をお持ちであったこと以外は、特に問題はなかった。

ともかく、今でもこういう旅館が残っていることがまた、旅の徒然の憂さ晴らしというべきか。
posted by 曲月斎 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。