2010年09月30日

と書いていたら……

いきなり地震でゆさゆさ。

なにぶん、時代を経た木造家屋ですから。
ま、2階だから大丈夫とタカをくくっていましたが。
縦揺れがなかったので不安はなかったとはいえ、

横揺れが延々と続きました。
カラス障子の間仕切りがガタガタと音を立てるのはあまり心地よいものではありませんな。
posted by 曲月斎 at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

水海道である。

水海道、といっても今は常総市。
市町村合併はよく分からん。

そして投宿しているのは旧水海道市役所と道を挟んで向かい側にあるK屋という日本旅館。

部屋は6畳に縁側。テレビ、枕行灯、テーブル、スツール様のもの2脚、小さな卓上鏡台。
床の間にはなぜかクレマチスの絵、ドアにはカギはかからない。

でも、何か気安い。

昔は市役所の職員の宴会で賑わったのだろうな。
こういう旅館、が日本各地にあった、あるいはあるのだろうけど、
官官接待、官民接待などなど、接待文化の衰退と、
若い世代が宴会を好まない風潮もあって、
消えていく文化遺産、ということになるのかもしれない。

そういえば藤枝で言えばT、島田ならS、といった旅館があったっけ。

ちなみに夕食を頼んだら、おかずはとんかつ、マグロのさしみ、煮魚。何か日本の夕食、の延長線上にある食事がいいなぁ。
posted by 曲月斎 at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月23日

すっかり黄色くなった。

mxtem00.pngあれだけ赤だの紫色だのの点で埋め尽くされていたのに。
すっかり、色褪せてしまったような気がしますな。

暑さ寒さも彼岸まで、というけど、急に寒くなりました。

今回は半袖しかもってこなかったので、明日、明後日と寒いわなぁ

posted by 曲月斎 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

表章さん。

お姿は何度も、能楽堂で見掛けたけど、声を掛けられたのは1度。

法大の能楽研究所でのことだった。

江戸時代の番外の謡本の研究で、原典を当たりにいったときのことだ。
「しっかり勉強してくださいね」と見ず知らずの若輩に声を掛けてくれた。

氏は能の研究では第一人者にて、横道萬里雄氏と共著で出した旧版の岩波古典大系の謡曲集上下は今でもその研究の考え方、手法として今に通じる内容。

そんな研究が戦後の混乱期に芽生えたと思うと、羨ましいような、妬ましいような、また畏敬せざるを得ない現実と。

ともあれ、氏の冥福を祈るばかりである。
著書は極めて……、なのだが。
posted by 曲月斎 at 01:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 点鬼簿控 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

某月某日。

某日。
一日、何もしない日を作ることにする。
本当は次の現場に移動しなくてはいけないのだけど、体が言うことをきかない。
惰眠と言う言葉があるが、動けない。

秋の彼岸とあって、墓参。遠戚がすでに墓参したらしく、小菊が1本ずつ供えられていた。

こういうのも浮世の義理の一つ、である。
檀那寺への供物は最中アイス。何しろ、暑かったから。


某日。
知人が過日入院。その見舞い返しに何がいいかとの相談。
五体満足の退院ゆえに、その店に脚繁く通えばいいだろうと言ったのだが、得心のいかぬ様子。
ならば菓子でも送るがいいと、恵那・寿やを改めて照会。

こうやって地方の文物は中央にしられていくのであろう。
まさにまれびとの力、というべし。

某日。
「藝の秘密」読了。
わざと、このブログでは「芸」という字を単独で使う時には「藝」としてきたが、藝というキーワードである意味、日本の近代化の歩みを切り取ろうとする試みは新鮮だった。
ただ、終盤に行くにつれ、話が既出のものと重複する感が否めないのは残念。
posted by 曲月斎 at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月20日

小林桂樹さん。

俳優の小林桂樹さんが亡くなった。

忘れがたい姿というのは、後のテレビで活躍した姿ではなく、
「人生選手」という映画である。

近藤貞雄さんの中指をケガしながらも投手として再起した逸話を元に映画化したもので、1949年封切。
近藤貞雄さんをモデルにした役を小林桂樹さんが演じていたような記憶があって、近藤さんが亡くなった時に一度、照会したことがあった。

無礼な話で、「近藤さんの役は堀雄二さんが演じられて、僕はその敵役です」というのが返答だった。ま、人の記憶なんてあてにならぬし、実に無礼な話だ。
役者六十年

役者六十年

  • 作者: 小林 桂樹
  • 出版社/メーカー: 中日新聞社
  • 発売日: 2005/08
  • メディア: 単行本



ともあれ、こんな馬鹿な話にも丹念におつきあい頂いたことをありがたく覚えている。

ちなみにこの作品は1949年、新東宝。一度だけ、この映画を特に見たのも、もう30年近く昔になってしまった。

ご冥福をお祈りしたい。
posted by 曲月斎 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 点鬼簿控 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

「藝の秘密」


芸の秘密 (角川選書)

芸の秘密 (角川選書)

  • 作者: 渡辺 保
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1998/10
  • メディア: 単行本



この筆者の本は総じて面白いのですが、この本は江戸時代の江戸、上方の歌舞伎役者の芸談から、エッセンスを取り出して、そのいわんとするところを説いているのです。

1人4ページほどでしょうか。
誰の芸談に載っていたのか、忘れてしまいましたが「見物が関心する藝というのはタバコ1服ほどの間のものだ」というのがありました。

一瞬のきらめきに、見物は心を奪われるものです。なかなかに性根のある言葉だと思いつつ、きょうも現場で、タバコを1服。

今時、四国八十八カ所の札所で、きちんと分煙しているかどうかの調査をするような御仁が出てきているご時世ですから、こんな比喩も不適切なのかもしれませんが。
実に枕頭に置いて楽しい1冊です。
posted by 曲月斎 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「だるま」堕落論。

生マトンのジンギスカンの草分けといえば「だるま」である。

こちらも店ももう何十年になるか。

ただ、今回、アレッと思ったことがあった。
マトンの肉汁が十二分に拭き取られていないのである。

マトンの肉は通常、パックされて配送される。それを捌いて供してくれるのだが、この際に入念に肉汁を拭き取ってしまわないと味が変になる。

ジンギスカン店をよくみるといい。きっとカウンターの中ではタオルで肉汁をぬぐい取り、さらには紙でくるんで肉汁を吸い取る。こんな作業をしているはずだ。

いくら繁盛しているからといって、こういう基礎的な作業は怠ってはいけない。

ちょうどきょうの夕刻、夏だけ札幌に在住する大先輩から「今どこ? 札幌? また、だるまか。でも、だるま、味が落ちたろ」という電話があった。お見通しの通り、ちょっと残念だったので、小言半分。
posted by 曲月斎 at 23:27| Comment(1) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハッカ油。

今回の北海道への出張で、会いたいと思っていた知人に会えた。

彼とはもう30年以上の知り合いになる。何しろ、予備校の同窓生だから。
彼は祐天寺に下宿していて代々木の某大手予備校に通っていた。小生はその大船支店に通っていたのだが、私淑していた英語の講師の取り持ちもあって、知り合った仲だ。

今はSE関係の仕事をしているそうで、なかなかに忙しいらしい。メンテナンスなど、どうしても休みの日になるので、休日返上もままあるようだ。

そんな彼が金曜日にひょっこりと小生の現場にきてくれた。

「たぶん、歩いていれば見付かると思って」

面影は残っているものだ。

会ったのはもう10年ぶりぐらいになるか。

この夜も急の仕事が入って網走まで出かけるという。「本当は夕飯でも食べたかったんだけどね」と恐縮してくれるのがかえって申し訳ないくらい。

コーヒー1杯、2人で呑んで、しばし雑談。そして別れた。別れ際に「これ、お土産。スーッとするから」と差し出してくれたのはハッカ油の小瓶だった。

有朋自遠方來。不亦樂乎。
posted by 曲月斎 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月18日

札幌で気をつけるべきこと。

札幌の中心部は一方通行路が多く走っています。そこでご注意。
右の路肩に止めた車である。

助手席のドアである。
運転手のドアは後方車両のことを気にして開けるが、助手席は気にしないで開ける習慣がありますな。
普通なら、車が止まるのは左の路肩。気にする習慣がないんでしょう。

右折しようと車幅を寄せていたら、突然前のドアが開いて、引っ掛けてしまうところでした。

くわばらくわばら。
posted by 曲月斎 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

札幌である。/8皿の壁

札幌である。
今年に入って3度目の札幌出張である。

来ると決まっていく店は2軒。
ジンギスカンの「だるま」と鮨の「鮨竜」である。

だるまの方は、肉を食うことだけは主。
ひたすら食べる。むしろ丸呑みにしているといった方がいいかもしれない。

で、丼飯1杯。タレ飯にして食べ、最後はタレのお茶漬けにして終わり。

で、以前は軽く10皿はいけていたのだけど、今回は2度挑戦して2度とも8皿でギブ。
イカンですなあ。何か老いを感じてしまう。

ところで、テレビでは「海猿」を今、放映しています。きょうが3作目封切りだからですな。

出ている役者はそれぞれ。
中で、伊藤英明はそんなに上達したという期待は持てないけど、一度俳優を廃業した海東健は復活したらしいですな。m_ken-kaitou.jpg
どうも、「Breath」という事務所に移ったらしい。
で、今日公開の3作目にも出ているらしい。でもちょい役なのだろうな。
初編では3番目に名前があったのだけど。

以前にも書いたけど藤竜也との共演した「村の写真館」のノリはなかなかによかったのだけど。
人間の運不運かな。

正直のところ、今日公開の作品はあまり期待していません。映画は基本的に「初仔」が一番だとおもっていますから。
posted by 曲月斎 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月15日

マウスピース。

最近、寝るときにマウスピースをつけている。

左下の奥歯が歯周病になってしまったのは、もう1年余も前。
後輩のJ歯科医師が熱心に歯石を取り、抗生物質を注入して、と手当を尽くしてくれたおかげで徐々に症状が治まってきた。

J君が最後に持ち出したのはマウスピース。きちんと型をとり、オーダーメイドである。

何でも寝ている間に歯ぎしりなど余計な負荷が患部にかかるといい結果を生まないのだそうだ。
マウスピースをつけるようになって、朝起きたときのモヤモヤ感は減ったような気がする。

人間、寝ていない間は何をしているか分からぬものだ。


そういえば、大学時代にアメフットをしていた畏友がこんなことを言っていた。「プレー中にしゃべらないかんヤツはオーダーメイド、ラインみたいにしゃべらないでいい連中はお湯につけて形を整える安物を使っていたんですわ。もうあんな安物ないやろなあ」マウスピース一つにしても、差別があるのを知った。
posted by 曲月斎 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

札幌である。

千歳の空港で出会ったご同業、「今年、何度目の北海道ですか?」

数えてみれば3度目、である。

今回の現場は北広島。

日中はさすがに暑い。でも林を渡る風は涼しい。
日が陰ってくると、もう1枚、はおりたくなるほどだ。

そんな風気の中ではあるが……。

札幌といって、まず出かけなくてはならぬのはジンギスカンのだるま。本店は大行列だったので、支店の方へ。すんなりと座れて、まず3枚。続けて3枚。さらに2枚。もう2枚はいきたかったのだけど、隣の2人連れの話を聞いていてばかばかしくなってしまい、食欲がなえた。

というのは行列のできるジンギスカンの店で、後ろに行列が出来ているのに、注文を繰り返すのはハイボールばかり。鍋は下げられ、卓の前には何にもないのに、残業代が出ないとか、作業場が欲しいとか、愚にもつかぬ話を2人はそれぞれに一方的に言って、言いっぱなし。
そういう話をしたいなら、店を出て、別の立ち飲みででもやって欲しい。それだけ周囲が見えていないから、そういう処遇を受けるのだと言ってやりたくなった……。

さくさくと食べて、さっさと出る。込んでいる店の鉄則である。
ということで50歳を過ぎたら、8皿が限界になってしまったのかもしれない。とほほ。
posted by 曲月斎 at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

洗濯である。

今回も仕事でポロシャツを着替えまくった。

宿で汗にまみれた1枚をさぼすつもりで椅子に掛けておいたところ、椅子のニスが移ってしまったようだ。茶色くなっていた。

仕方ないので酸素系漂白剤で今、別に洗濯中。こういうとき、全自動洗濯機は不便ですな。

さて、今回で一番美味かったのは、吉野山・ひょうたろうの柿の葉鮨。
出店は出していないようだけど、実にサバの締め加減、酢飯の加減。結構でありました。

ただ、土産に持ち帰ったものの、ものがものだけに冷蔵庫に入れざるをえないのだが、少し乾燥してしまった。冷たくておいしいんだけど、あの常温でおいしかったジュウシーな感じが抜けてしまったのはすこぶる残念。

仕方ありませんな、この陽気だから。
posted by 曲月斎 at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月08日

吉野である。(承前)

吉野である。

宿にあったチラシによると、金峯山寺では、本尊が開帳の最中とのこと。これは詣らなくてはなるまいと、朝、仕事に行く前に立ち寄った。

100day%20kaityou.gif蔵王堂は見事な建物で、拝観料1000円は高いかな、と思ったが、護摩木になる携帯ストラップ、トートバッグ付きなので、そう高いという感じではない。

釈迦如来、千手観音菩薩、普賢菩薩の3体が現世の救いがたい衆生を救済するために、力強い姿と変じてこの世に現れたとするのが蔵王権現の思想。むしろ、森の精霊への畏敬が、こういう形になったと言った方が正しいのかも知れない。

と言うわけで、今回の開帳では、障子で区切った半畳ほどの空間がいくつか本尊の前にしつらえられており、座ると短い線香を堂守が1柱立ててくれる。端座して本尊と向かい合う時間の目安だ。

青い御身の巨大な像が、圧倒的な迫力で迫ってくるのを、じっと見上げる時間は、不思議な流れだった。


さて。吉野である。
戦前の教科書では「南北朝時代」は「吉野朝時代」と読み替え、南朝正統の歴史観を押しつけたのではあるが、実際に吉野にきてみると、単なる「山岳ゲリラ」状態ではなかったか。吉野の町並みは尾根筋に広がるばかりで、下界との上り下りにはかなり難渋するのは想像に難くない。山城に立てこもった反政府派、という感じではなかったか。

言葉が俗に過ぎるかもしれないが、そんな感じがした。
posted by 曲月斎 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1936年以来の夢……。

都市対抗野球は東芝が勝ちましたな。

スタンドではサザエさん一家が今年も踊っていたのだろうか。

それより、JR九州が九仞の功を欠きましたな。
実に1936年以来の悲願ではあったのですが。

当時、門司鉄道局。
門鉄局が後に大分鉄道管理局、鹿児島鉄道管理局と一体化して今に至っているのですけど。
ものには歴史があって、因縁があって、面白いのですから。

そういえば峰崎部屋の木村堅治郎君がJR九州の大の贔屓でしたが。
さぞな悔し涙でしょうな。
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2010年09月07日

吉野である。

きょうから吉野。

花は吉野の、吉野である。

近鉄で移動するという訳にはいかないので(現場への移動があるから)、レンタカーで乗り付けることになるのだが、関空、京都、新大阪の3カ所から、時間的に一番近いのはどこかと探してみたら、意外や新大阪だった。

阪神高速松原線。かつて住んだ駒川の辺りを抜け、松原から阪和道。さらに南阪奈道へ。どんどんほそくなる。すでに夜だが二上山の姿がおぼろに見え、聖徳太子の廟所はこの辺りであったか、竹内街道とか言ったよなと思う間もなく奈良盆地に。畝傍、耳成、香具山と鼎に似たる姿にて、その間をすり抜けるように南下。壺阪寺の脇を抜けて吉野川。渡って吉野町。気がつけばもうすぐ宿のはずながら、近鉄吉野駅を過ぎた辺りから道は細くなる一方。

まるで川根路か、奥大井のような雰囲気。車の離合は無理だし、ヘアピンカーブの連続に少々驚く。何とかたどり着いたところは門前町の真ん中。車の向きを変えるのも難しそうな町並み。

ともかく宿にはたどり着き、通された部屋は地下室のようなところ。さてどういう構造になっているのか、とんと理解できぬ。何となく、部屋の窓から脱出はできそうなのだが、さて明るくなってみないと分からない。

ということで、今週はさてどうなることか。
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2010年09月05日

シンデレラエクスプレスなんて

かつて、夜の新幹線、特に休みの日の夜の新幹線は遠距離恋愛のカップルにとって、恋路をつなぐ鉄路であった。

ということで、今、のぞみの車中であるのだが、目につくのは、ドラゴンズの応援帰り、タイガースの応援帰り、そしてカープの応援帰り。

ユニホームやTシャツを着てござるので、一目でそれと知れる。

いいか悪いかは別にして、そんな思いのファンの存在というのが、妙に新鮮に見えた。

それぞれ見てみるとホームでの試合。日ごろは肩身の狭い思いをしての応援なのだろうが、本拠となれば思う存分、であったろう。

隣の座席のドラゴンズファンとおぼしき女性は名古屋駅頭、流れゆくホームを見詰めて「サヨナラ名古屋」と1人つぶやいていたが。
posted by 曲月斎 at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「栗きんとん」と「栗粉餅」

最近、この地方の秋の土産といえば「栗きんとん」である。

正月のおせちに出てくる代物とは違う。
栗の実をゆでて裏ごしし、砂糖を加えて、茶巾しぼりにしたものだ。

最初、小生が出会ったのは中津川の「すや」のものであったか。亡父がなぜかこれが気に入り、何度か取り寄せていたものだ。
昨今はデパートに行けばどこぞの店のものは出ているわけで、ご当地にきてみれば、どの和菓子店でも「栗きんとん」の看板が出ている。

こういう場合、何ごとも地元の評価を尊重する主義なので、十五代目女将に聞いてみると「恵那の寿やのものがおいしい」という。「すや」はすやでも、中津川は「すや」、恵那は「寿や」だそうな。
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店は恵那の駅前にあった。さすがに名の通った店だけあって、頼みもしないのに、郵送注文用のパンフまで入っていたが。

で、十五代目がいうことにゃ……。
「私たち地元の者には、『栗きんとん』はお遣い物、自分たちが食べるのは『クリコ餅』です」という。店の場所はおぼろげに教えてくれたが、そういわれれば食べたくなるのが人情。インターネットで検索すると出てきました。「大津屋の栗粉餅」であります。
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店はごく小さく、夫婦2人で切り盛りの様子、注文すると、奥の作業場でご主人が餅をちぎっては丸めてござる。そのかたわらで女将どのが粉をまぶし、折箱に入れ、この粉をいっぱいに詰めて包んでくれた。この粉こそが「栗の粉」。栗を蒸してつぶしただけのもので、甘さは少しついているけど加減はお好みでとばかり、粉砂糖が添えられている。餅の味、栗のこの粉の味、初めて食べた「栗きんとん」を思い出すような素朴な味だった。
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惜しむらくはこの菓子、賞味期限が「2時間」であること。栗も足が速いし、加糖していないので腐敗しやすいということか、あるいは餅が硬くなってしまうということか。
ともかく製造時刻が赤いペンで記入されて手渡される。厳かな感じである。

ということで、恵那路の秋の味はこの「栗粉餅」に尽きる、と思うのだが、いかんせん、賞味期限が2時間ではどうしようもない。現地に赴いた時にご賞味頂くしかない。ま、もっともこういうものに出会うとうれしくなってしまうのは、根性が小さな所為ではあるのだけど。
posted by 曲月斎 at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東濃行。

先週末は岐阜県南東部、木曽川に沿った一帯・東濃地方に仕事で出かけた。

去年も同じ時期に出かけ、岩村の宿に投宿したのであった。今年も同じところでもいいかな、と思いつつ、風呂場が農薬のような匂いがして閉口したこと、夕食が大きな広間の炉端で、ポツンと1人で炭火焼きに興じなくてはいけなかったこと、などなどを思い出し、別の宿を探すことにした。

ご同業の面々は恵那に投宿する向きが多かった。
ならばと探しては見たものの時すでに遅く、いわゆるビジネスホテルは満員。こういう場合は「××市観光協会」「××町商工会」みたいなHPから宿泊業を探して、電話をしてみるしかない。

今回も探してみると、日本旅館があった。「料理旅館いち川」なる店だ。

旧中山道六十九次のうち46番目の宿場が大井宿。今の恵那だ。ここの角屋なる旅館の後身がこの店であるという。

宿に着くと、女将が出迎えてくれ、仲居どのが離れの部屋に案内してくれる。
そうこうするうちに、菓子と茶が運ばれ、風呂から上がると十五代目女将と十六代目若女将見習いなる女性2人が現れてご挨拶である。

で、べつに頼んだ食事の時は、すでに後期高齢者だという仲居どのが付きっきりでお給仕。日本旅館の飯というのは基本的に酒の肴なので、これをつまみながら一献傾ける。仲居どのがお酌をしてくれるのだが、自分の母親よりも年上の女性の酌というの珍妙なもの。あれこれと昔話に花が咲き、結構面白かった。

さて、離れの部屋はいいのだが、普段は旅館といいながら、宴会が中心の様子、部屋を開けていないので、どうも「納戸」みたいな匂いがする。クーラーを掛けながらも、窓を開け放たないとどうにもたまらぬ。2日目の朝、仲居どのに「枕をよく日に当てておいて欲しい。窓は開けっ放しにしておいて欲しい」と頼み出かける。3日目にようよう納戸臭い匂いは抜けてきたようだった。

ちなみに離れは2間あり、道端の堀割りから水を引き込んだ泉水に臨んだ部屋が松の間、その隣の2階からの避難階段が見える草むらに面しているのが桐の間。ちなみに小生が通されたのは当然のごとく桐の間で、隣の松の間には女優の高畑淳子丈が映画撮影の為、泊まっていたよし。騒がしくなかったかと気がかりだが、聞かされたのは後の祭りである。

数日投宿して、話をしていると、後期高齢者の仲居どのは信州松川の出身だそうな。で、もう1人の仲居どのが地元出身。東海地方の例にもれず、「××ら」という語尾になるのは、お国ぶりである。

とこうかくあれ、最後の勘定に出てきたのは十四代目の女将だそうで、金の計算の反応が少々遅くなっているのは年相応。朝飯に「朴葉味噌をつけて置けば何杯でも飯が食べられる」という信仰をお持ちであったこと以外は、特に問題はなかった。

ともかく、今でもこういう旅館が残っていることがまた、旅の徒然の憂さ晴らしというべきか。
posted by 曲月斎 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする