2010年05月11日

イチローズモルト

若竹に出掛けた帰途、山下町の491ハウスに寄った。

バーテン氏が出してきたのが「イチローズモルト」の1本。
何でも東亜酒造という会社が趣味のようにモルトを製造。その後、社運が傾き、廃棄寸前にまで行ったモルト(モルトは蔵出し税である)を笹の川酒造が引き取る形で残し、それをその東亜酒造の創業家の末裔が製品化したのだという。

秩父で小規模の蒸留所を運営しているそうで、その筋では有名だそうな。

この日、出してくれたのは日英修好150周年記念か何かの記念ボトルで、味わいとすればまあカスクね、って感じ。

でもその筋では高い評価の蒸留所だそうな。

メーカー名が「ベンチャーウイスキー」。何とも怪しげな名前だが。


posted by 曲月斎 at 22:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「志ん生的 文楽的」


志ん生的、文楽的 (講談社文庫)

志ん生的、文楽的 (講談社文庫)

  • 作者: 平岡 正明
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/03/12
  • メディア: 文庫



面白い本だった。
というのは筆者が自身の脳内に蓄積したありとあらゆる知識を連想で繫いでいく妙技のゆえに。

長年、舞台芸術というのはその藝が演じられた場に居てこそ、すべてを共有できるという前提があるものと思ってきた。つまり再現性を期待しきれない、その場の空気こそ至上であると考えてきた。
だが、平岡は残された音源を手がかりにこれだけ縦横無尽に話を展開する。あたかもジャズ評論家がライブの場に立ち会わず(居合わせず)とも、残された音源を頼りにセッションを評価するように。

もちろん、筆者の及ばないところはある。たとえば音源の残っていない終戦直後の大連での森繁久弥、圓生、志ん生のバレ噺セッション。でも筆者は満州放送協会の番組を探り、当時の記録を探りして、その場の空気がどんなであったか再現を試みる。もちろん、事実の描写ではないけれど、正鵠を射たものであろうとは思うことができる。

それと落語の中に含意する古典の蓄積、たとえば歌舞伎であったり、浄瑠璃であったり、清元、常磐津、富本、一中節、あるいは能、狂言まで連想する限りの藝の下敷きを探り、展開してみせる。その即興性はジャズに通じるものがあるのかもしれない。

筆者が一つひとつ提示するテーマを追い掛けるだけでも、読者はかなりのトレーニングになると思う。そして、こういう舞台芸術の評論もあるのかと改めて思った。

かつて新左翼系の論客として知られた筆者の力量に敬服。楽しかった。
posted by 曲月斎 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

@横浜・八幡町 磯村屋

1230934.jpg八幡町、といってもピンと来る方は少ないだろう。横浜の地名としてはそうメジャーではない。

横浜橋商店街を抜け、三吉橋演芸場の脇の橋を渡ってまっすぐ山の方に向かう。坂を登り切れば平楽から増徳院の方へ抜ける道にでる。その山の下の集落が八幡町。中村町と唐沢、山谷、平楽に囲まれた谷あいにある。

その真ん中の通り沿いに目指す磯村屋はある。

名物は焼きそば。見ていると、蒸し麵を炒めてくれる。トッピングは3種類。肉、卵、ポテト。ソース味のほかにカレー味もあるようだ。
この日は初めてのことゆえ、3色の中盛りを頼んだ。

昔、よく駄菓子やのかたわらにあったあの味だ。ポテトがなぜか一緒にはいっているだが、この焼きそばには合っている。
磯村屋.bmpまだおでんが鍋にかかっていて、ちょっと美味そうだったけど、この日はすでに食事を済ませていたので、遠慮した。

先客2組もみな焼きそば。3色の大盛りで450円、中盛りで350円。おみやげも可、らしい。

縁日の焼きそばよりは上、でも中華料理屋のような体裁をつくろったところはない。個人的にはちょっと味が薄かったので卓上のソースを掛けて上々だった。

店主のおばちゃん、出前の米屋の配達のお兄さんにこう言ったモンだ。「はかが行かなくて悪いねえ。今、お父さんが入院していて。1人だもんだからはかがいかないんだよ」って。

詳しい店の口上は奥の壁に貼ってあるのでご一読を。店の隣にコインパーキングがあるので、車でいってもいい。

何がうまいのかといわれると困る店だ。でもうまいという分類に入る「ソース焼きそば」だった。

ふと八幡町に行ったのは2度目かなと思う。今から26年くらい前のこの位の季節ではなかったか。まだ今の商売の駆け出しのころに何か出来事があって行った記憶がある。でも何の出来事かはもう忘れた。思うにあのころからあの家並みは余り代わっていないような気がする。まるでヨコハマという街の中で、周囲の町とは違う時の流れがあるかのように。
posted by 曲月斎 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 美食飽食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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