2008年11月30日

鰹の塩辛/焼津・ぬかや

katuonosiokara.jpg鰹の塩辛、である。
酒盗とも言いますな。

正直のところ、塩辛いばかりで、余り美味いと思ったことはなかったんですな(たとえば、1回酒で濯いでから出したり、大根おろしと和えたりと塩気を和らげて出すところが多いでしょ)。

内臓の塩辛で美味いと思ったのは、和田浦のカネス寿司のカジキマグロの塩辛だけ。

それに次ぐくらいのものを見付けました。焼津の浜通りにあるぬかやの鰹の塩辛であります。

普通、腸管を切ったみたいのが多いでしょ。しかしぬかやのは違う。きちんと肝の部分も入っているんです。だから苦くて、しょっぱくて、オトナの味なんですね。

熟成も適当だし、塩気がこなれている感じ。

また行ったら、買ってくるつもりであります。これでお茶漬け、おいしいよ。
posted by 曲月斎 at 02:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 美食飽食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月28日

「本当にあった陸自鉄道部隊」

本当にあった陸自鉄道部隊―知られざる第101建設隊の活躍 (光人社NF文庫)
「本当にあった陸自鉄道部隊―知られざる第101建設隊の活躍」

簡単に言ってしまうと、旧軍時代の鉄道聯隊同様、陸上自衛隊となった後も、津田沼に鉄道部隊が置かれ、9600型機関車で戦前同様の鉄道敷設、保守、管理の演習をしていたという話であります。

創設が1960年で廃止は1966年。具体的に活躍したというのは、1963年、三八豪雪の時に除雪作業に活躍したこと、そして1964年の新潟地震の折に鉄道復旧に功績があったということ。最終的に輸送手段の主役が鉄道から自動車に変わり、鉄道部隊を維持運営していくこと自体に会計検査院も無駄という判断を下したこともあってわずか6年余で廃止の憂き目を見た、という話であります。

それでは話があまりに簡単なので、旧軍の鉄道聯隊の話とかをくっつけて1冊に仕立てています。これは正直のところ、外れの光人社NF文庫では外れの1冊。

☆0.5。

posted by 曲月斎 at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月27日

「妾二十一人 ど助平一代」

看板.jpg「あかさたな」と覚えていたのは「妾二十一人 ど助平一代」というのが正式な題名であった。DVD化されていないし、面白い映画だったのだけど、今のご時世だと差別用語の羅列でダメなんだろうなあ。

という訳で、あらすじは以下、gooのサイトから引用。

大森鉄平(三木のり平)は、妾21人を囲う精力絶倫の男である。それぞれに牛鍋屋“あかさたな"を経営させ、毎日、売り上げ金を集めに各支店めぐりをしていた。だが妾たちは、いずれも女盛り。月一度ぐらいの夜の勤めでは納得せず鉄平の奪い合いや浮気が絶えなかった。そんなある日、鉄平は浅草支店の見廻りの途中で、吉原遊郭から逃げだした女郎を助けた。遊女の名は小雪(佐久間良子)。鉄平は彼女に惚れ込み、早速身受けをすると十六番支店で働かせた。ところが、妾たちは大むくれ、連判状をつきつけ夜の勤めを拒否した。だが、鉄平は美しい小雪の旦那気分に酔い、妾たちの言い分などに耳を貸そうとはしなかった。鉄平の妻きよ(進藤幸)が死んだのはそんな折りだった。お蔭で鉄平の周辺はますます混乱し、本妻の座を目指してひで(森光子)とあさ(中村玉緒)が対立した。しかし、鉄平はそんな二人に無頼着。年功序列でと最長老のつね(浦辺粂子)を本店に引取り、新婚旅行に発っていった。“大島行き客船沈没"の号外が乱れ飛んだのはその翌朝だった。やがて、遺骨が届けられ、妾衆の前で、鉄平の遺言状が公開された。妾たちは各支店を与えられて狂喜したが、分け前として、小雪が遺産金を受けとると不満をぶちまけるのだった。その時、様子を伺っていた一人の男が怒鳴りこんだ。死んだはずの鉄平だった。彼は大島で漁師の娘むる(夏珠美)に助けられ生きていたのだ。鉄平は、やがて純真な小雪を恋人の学生と一緒にさせ、再び商売繁盛と妾たちの幸せにつとめるのだった。

何でこの映画を覚えているかというと、子供のころ、母親に「面白いよ」と言われて見た記憶があるから。とても子供に勧めるような内容ではないのだけどね。

posted by 曲月斎 at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀幕緞帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「至福の焼酎 極楽の泡盛」

至福の本格焼酎極楽の泡盛―厳選86蔵元 (ちくま文庫 さ 32-1)
「至福の本格焼酎極楽の泡盛―厳選86蔵元」

ルポライターとして持ち上げたことが、後の不祥事で失墜することほど、恥ずかしいことはない。

取材した時点ではそれが正しいことであっても、時代は流れる。時代が流れた果てで、それがいいのか悪いのかは判断される。その点で、この本は痛く恥ずかしい。

汚染米問題が起きた時、多くの蔵元がこの問題の直撃を受けた。富乃宝山を筆頭として、ブランドといわれた焼酎の多くが、実はその名声に裏付けられた信頼に足る行動をしていなかったということが白日の下にサラされてしまったのである。

少しでもコストを下げたい、下げなくては商売にならない、というのは商人、いや資本主義の中での本音である。しかし、その本音と、一方になくてはならぬ矜持というもののバランスの上に、本当はブランド名が乗っている。

その点で、この本は本当に恥ずかしい。読んでいて恥ずかしくなる。
山同敦子氏。どうこの疑問に答えるのだろう。

☆0.5。
posted by 曲月斎 at 02:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月26日

「やってみなはれ みとくんなはれ」

やってみなはれみとくんなはれ (新潮文庫)
「やってみなはれみとくんなはれ」

作家というのは人間を観察するのに長けた人種だと思っている。
まして自分が実際にその身近に居たとなれば、余計にそうだろう。この本は山口瞳、開高健が連作したサントリーの創業者・鳥井信次郎の伝記というか、壽屋一代記である。

日本のウイスキー醸造業を盛り立てた人物として鳥井信次郎が欠かせないのは言うまでもない。でもニッカの創業者・竹鶴政孝の評伝や自伝を読むと、双手を挙げて賞賛するまでの人物であるのか、という疑念が起こる。

自分の書架には1冊の私製本がある。竹鶴政孝が日経に連載した「私の履歴書」を文庫サイズにまとめたものだ。ニッカウヰスキーに就職内定したときにもらった1冊だ。内定書とかは全部、返しにいったけどこの本だけは手元に残した。

壽屋がその身代を守るために、合成酒、合成醤油、合成整髪料、そして歯磨き粉のスモカなどなど、合成と名のつくものに幾たび手を染めてきたか。それを「やってみなはれ」という突撃精神の発露として、受け止めるのか。贋造を潔しとしないのか。受け手によって見方は180度変わる。致し方のないことだ。自分自身、ウイスキーはサントリーよりニッカだと思っている。だから、余計にこういう礼賛伝記は本気になれないのだが。

それにしても、「あかさたな」という邦画を地で行くような破天荒な生き方と同時に、商売人としての眼力、そしてブレンダーとしての鼻と舌。これはある意味で一流だったのだろうと思うし、この御仁が居なければ国産ウイスキーなんてこの世の中に流通していなかったろう。

そんな人物の月旦は別にしても、この巧妙な書き手が人物伝を書くとかくも面白いものに仕上がるのか、と感心する。もともとはサントリーの社史のために書いた原稿だという。それを文庫に仕立てた新潮社の編集者の目に感心。巻末に北杜夫の娘斎藤由香が今の社風を書いているのがおまけ。

☆2つ。
posted by 曲月斎 at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月25日

「京都、オトナの修学旅行」

京都、オトナの修学旅行 (ちくま文庫 あ 10-19)
「京都、オトナの修学旅行」

元番頭サンお勧めの1冊。

赤瀬川原平と山下裕二のコンビシリーズの中の2冊目になります。修学旅行の定番、京都をおぢさんの目で見直すとどうなるのか、という対談集であります。2人で出掛けていってその感想を語り合うというスタイルが結構、ツボを押さえている内容になっています。

ものを説明する時に、「見立て」の腕前がものを言う。その点で赤瀬川原平というのはその達人だし、山下裕二もその見立てを補足するだけの説明ができるところが、この対談の妙味だ。

金閣寺。成金趣味で観光客目当ての好感の持てる寺だとは思っていなかったけど、「正面の建物は金閣です。金閣寺ではありません」という立て看板に触発され、「金梨地にレザー貼りのカメラみたい」と見立てる。執事長が「みんな金に魅せられて見にくるんだからその期待に応えなくてはいけない」という気概を見せているというのがおかしい。

二条城。「ゼネコン狩野株式会社の大仕事」という見立て。狩野探幽がゼネコンの若社長というのがおかしい。確かに信長、秀吉、家康と時代の主が変わる中で、その組織を維持しなくてはいけないのだから。その工房を支えた手腕という視点は再評価されてもいい。「慇懃無礼の極致」という評価が適切過ぎて何も言う言葉がない。

平等院。「平安貴族が夢見たサンダーバード基地」という。考えて見れば都は常に戦乱の渦中。この前の大火が蛤御門の変だという感覚は別にして、現実問題として建物は残らない。中でこの寺は創建当時の風合いを残しているわけで、それをハイテクで守りながら見せるという寺の運営姿勢。実に面白い。

という訳で、樂美術館(本当は神戸の香雪美術館も)、銀閣、待庵、嵐山、清水寺などなど次々に題材に取り上げている訳で、その珍道中ぶりが何とも快感であります。

確かに修学旅行っていっても、何がなんだか分からないうちに廻っている訳でしょ。訳知り顔の中学生、高校生が居たら逆に気持ち悪い。大人になっていってみるというのはある意味で、知識も了見も備えた上で見るという点で面白いと思う。もう自分の人生の残りを賭けてもこんな建物は造れないと思うこともあるだろうけど。

☆2つ。
posted by 曲月斎 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「静かなノモンハン」

静かなノモンハン (講談社文芸文庫)
「静かなノモンハン」

小説は普段、読まないのだけど、この1冊は買ってきた。

目的は巻末に付いている伊藤桂一と司馬遼太郎とのノモンハン事件についての対談。半藤一利などが司馬のことばをよく引用しているが、どういう形で吐かれたものなのか、興味があった。つまり対談の部分を読みたいから買ってきた。

騎兵出身の作者と戦車兵だった司馬。わずか17ページの対談だけど、「日本人はどこかでノモンハンをやっている」という司馬の警句が後味として残る、いい対談だった。

この部分を読むつもりだけでも、値打ちかな。
posted by 曲月斎 at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月23日

1割引き、2割引き

焼津のスーパー田子重の小川店では、店舗改装のため、23日はほとんどの商品が1割引きでありました。

なにぶん、メタボリックな体形であります。このところ、サントリーの黒烏竜茶(後輩が効いたといっていたので)やら、花王のヘルシア緑茶(洗剤メーカーだけに脂肪を溶かすのは得意ではないかという期待半分……)を飲んでいるのですが、これが決して安くはない。

それが1割引きですよ。10本買えば1本余分に買える。こういう話になるとツイ燃えてしまうんですな。

食用油も醬油もパスタも。備蓄用に買い置きして損はない。頭の中で他店との値段を比較して、安いのなら買っておく、という次第。

買い置きはいいんですけど、気が付いたら歯ブラシはずいぶんと買い置きがすでにありました。

ある知人が言ってましたっけ。「洗剤の買い置きをしておいて忘れてしまって引っ越しの時に捨てるタイプでしょ」って。確かにそういう本性であります。無駄な買い置きはするマジ、とまた自戒。

posted by 曲月斎 at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「サービスの達人たち」

サービスの達人たち (新潮文庫 の 13-1)
「サービスの達人たち」

ルポものは好きなのだけど(ま、小説はめったに読まないということですな)、ビジネス誌に連載したもの、っていうのは独特の匂いがある。筆者が意識しなくてもどこかに教訓臭みたいなのが滲んでくるのである。本人は「人間を観察し人間を描く」のが仕事だといっているのだが、どうしても作者の顔が覗いてしまう。それも得意げな。

ま、この本もそんなそしりは免れないのではあるけど、キュッと締めを決めた文章のいくつかは気持ちがいい。

サービスの要諦は何なのか。ロールスロイスの営業マン、伝説のゲイバーのママ、電報配達員の話などなど、点綴した職種は千差万別(といってもこの本では9編だけど)。

1台数千万円の車を誠意で売る営業マン、新潟から上京して裸一貫三助で銭湯の親父にまで出世した話、東京大空襲直後の罹災地に安否確認の電報を配った話、昭和40年代に時代の徒花のように咲いたゲイバーの文化の話、新宿のグランドキャバレーでナンバーワンホステスを張っている女性の話、などなどどれもよくこなれた取材ぶり。エピソードの切り取り方も上手い。

それよりなにより、オチの付け方の上手さだ(以下ネタばれもある)。ゲイバーの走りを開いた銚子出身の人物、引退した後、結局実家の世話になって大往生を遂げる。血縁があるとはいえ、伯父と甥の関係だ。それでもなお、面倒を見続けた血縁の思いが最後にスッと出てくる。電報配達員はITの時代になってもなお、電報が一番だといいつつ、もうああいう電報は届けたくないという。ホステスの話を綴っておいて最後はエレベーターのドアマンの話で落とす。

確かに解説で酒井順子が書いている「世の中そう捨てたモンでもない」と思えるのは、描写や着眼点の妙もさることながら、読後感を軽くしてくれるこのオチのゆえんではないか、と思っている。

☆1つ半。

ま、自分の商売もサービス業?追記
posted by 曲月斎 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「日本人は、なぜ同じ失敗を繰り返すのか」

日本人は、なぜ同じ失敗を繰り返すのか 撤退戦の研究 (知恵の森文庫)
「日本人は、なぜ同じ失敗を繰り返すのか 撤退戦の研究」

失敗を繰り返すことの多い自身を振り返る時、思わず手が出てしまった。

で、我が身とは無縁の1冊ではあったのだけど、中で「撤退戦」の話の部分が一番、内容が豊かであるように思った。

事が起きた時、それに一義的に対応するために人、もの、金を投入するのはだれしも思いつくことだ。瞬間的に対応できた次の瞬間から、どう収束させるのかの判断が始まる。

周囲を見回して、今撤退しても大丈夫か、補給、兵站は続けられるのか、解決までどのくらいの時間が必要なのか、どういう解決方法がいいのか……などなど、ことに対応すると同時に、判断を同時並行で進める必要があるのはいうまでもない。

この本で扱っているのは太平洋戦争、というか15年戦争での日本軍のありようが題材。今となってはあれこれと批判もすることはできるし、それについての論評も多い。でも、本質的なところは、この本で指摘しているように、撤退戦を考えていなかったことに尽きるのではないか。小さな敗北を懼れる余り、大きな敗北に迷い込んでしまう。厳に戒めなければいけないことだし、何も自分が聯合艦隊の司令長官でなくてもその判断の巧拙は同じだろうから。

ま、勧めはしないけど、☆1つ半。
posted by 曲月斎 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天そばどん兵衛

知人のブログでこの「ピンそばどん兵衛」が美味いという話を聞き、探しに出掛けた次第。

焼津の田子重で見付けたんですけど、結構人気のようで、残りは3個でありました。

ソバが従来はちぢれていたのだけど、真っ直ぐになったというのですが、確かに売りの「ツルツル」感は増した感じでありますな。

こういう味だったっけと、妙に関心した次第。

で日清食品のHPを見ると、東日本版と西日本版があるという話。この知人の家は何かと東西の境にもなる大井川よりも西なので、彼は西日本版を食べたのかなと確認したら、どん兵衛の東西区分は富山、石川、福井、滋賀、奈良、和歌山を結ぶライン以西が西日本、それ以東が東日本らしい。

あと、カレーうどんは東西の区別がなく、カップヌードルもないみたいで、あと区分が見当たったのはごんぶとの天ぷらうどんと肉うどんくらい。うどん、ソバはやはり微妙なものがあるんですな。
posted by 曲月斎 at 00:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月22日

Bar Tonaka/焼津

0X00091523_l1.jpg
最近、嵌っているのが焼津駅南口にあるBar Tonakaという店であります。

カウンターが10席、4人掛けのテーブルが2卓。ごく落ち着いたバーです。

バーテンダーの渡仲さんはごく穏やかな人柄で、作るカクテルはさすがというものがあります。よく気を配ったカクテルのアジであります。

気取っているわけではないのですが、自然と生み出される気品に引かれるものがあります。日曜休み。午前2時まで。
posted by 曲月斎 at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「創価学会の研究」

創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)
「創価学会の研究」


目下、身近で一番の課題は「総選挙」であります。
そこでよく出てくるのが「公明票」という話であります。

この春、大阪の府知事選の時に、行き付けの天五の焼鳥屋で呑んでいたのですが、その店の片隅で、元気のいい一群が居ました。
話を切れ切れに聞いていると、創価学会の青年部の面々らしいんですな。で、選挙に勝った、良かったみたいな話を熱っぽくしている訳です。
こんな熱っぽい語り口、あるいは同席しているメンバーに熱く語りかける口調、というのはどこまでいっても不自然にしか思えなかったのですが、それと同時に、こんな熱っぽい口調というのはどこから来るんだろう、というのが疑問として残りました。

で、島田裕巳とかの本も読みましたけど、依然として釈然としないんですな。

たとえば、日常的に付き合っている公明党の議員とかはごくノーブルに思える。妙に気負ったところがあるわけでもなし、辺りを折伏して廻るような気配もない。まして謗法払いと称して手当たり次第に他の宗教を排斥したあの気迫が滲んでくることもない。

自分が接しているノーブルな公明党の姿と、創価学会のノーブルならざる姿のギャップがどうしても理解できないままに来て居るんですな。

で、この本を読んでどうなのかと言われれば、結局のところ、分からないのでありますが、分からないなら分からないなりに、創価学会という在家仏教組織、新宗教組織が歩んできた部分は後付ができた、とは思います。階級闘争のように分析するつもりはありませんが、かつて日本に存在した「若い根っこの会」や「××県人会」のような要素もあるでありましょうし、在家仏教で日常的に行われていたはずの「おつとめ」をすることに関し、すこぶるメニューを明確にしたこと、いわゆる信者同士の法座が大きな役割を果たしていることなどは改めてなるほどと思う部分でありました。

とあれ、自分とは相容れない部分があるように思いますけど、それはそれ、信教の自由ですから否定するものではありません。
でも、選挙という政治活動に、あそこまで熱心になれる熱情がどこから湧いてくるのか、その疑問を解くものではなかった本でありました。

読み終わった今、創価学会って結局分からんなあ、というところで終わっております。
posted by 曲月斎 at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月19日

二八の法則

ishibashi_clip_image004.gif経験的に割り出された言葉だとは思うけど、「二八の法則」というのがある。
組織の中で2分の人間が8分の仕事をしている、という話であります。
あるいは世の中の富の8分は2分の人間が握っているという話でもあります(なんか、G20の話みたいだね)。
あるいは興行の世界で「2月と8月は入りが悪い」という話でもあります。

お役人に限らず、組織に属している限り、何となく実感してしまう気がする。

この話には後段があって、じゃ能率を上げようと、2分の働き者だけで編成する組織だとどうなるかというとやはり、2分と8分の人間に分かれていくというんですな。逆に8分の人間ばかりで組織しても2分の働き者が出現するという。

ハタラキ蟻の話ですけどね。何か分かる気がしますな。

もちろん、自分が8分の部類に属する人間であるという自覚は十分に持っております。
(図は 北海道大学大学院文学研究科行動システム科学講座社会心理学研究室H18年度修士論文「集団生産時の行動パタンにみる最適戦略と非合理的バイアス:「二八の法則」の心理的基盤」=石橋伸恵から))
posted by 曲月斎 at 01:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月16日

「江戸の組織人」

江戸の組織人 (新潮文庫 や 51-3)
「江戸の組織人」


江戸時代といえば士農工商、身分制度があったといわれているけど、本当に身分制度の中に身を置いていたのは支配階級とされた武士だったかもしれない。

地方分権の時代といわれる昨今、何だかんだといってもやはりまともな役人が出現する可能性は国>都道府県>市(特別区)>町>村だと思う。それと同様に、江戸時代も徳川幕府という巨大な官僚組織と、各藩という地方組織、そして自治組織が重層していたといえるだろう。

ただ、その組織では原則、家格がモノをいい、世襲が原則だったという点は今の組織とは違う。しかし、どのルートに乗ると、どういう出世をしてどういう帰結になるのか、なんて有る程度見えていた時代、というか組織というのは何とも情けないし、遠山の金さんも長谷川平蔵もそういう組織の歯車の1枚であったのである、ということを教えてくれる1冊。

ま、面白かったけどね、というレベルかな。
posted by 曲月斎 at 23:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

改名。

11029.jpg日常、吸っているタバコの名前が変わってしまうらしい。
というのは、セブンスターカスタムライトを吸っているのだけど、
今度は「セブンスターミディアムボックス」という名前に変わるのだそうな。

セブンスター(タール14mg、ニコチン1.2mg)>セブンスターカスタムライト(10mg、0.8mg)>セブンスターライト(7mg、0.7mg)という序列なもんで、ライトが被ってわかりにくい、だから変えるという論理らしい。

そもカスタムライトは昔は(11mg、1.0mg)だったのがいつの間にか、軽くなってしまって今度は名前まで変わってしまうっていうんですから。

タバコは嗜好品であります。
思えば、初めて吸ったタバコがキャビンのロング。その次がパートナー。チェリー(恩師の愛煙していた銘柄でした)の時期が暫くあって、マイルドセブンになって、セブンスター、ハイライト。金がなくなってエコー、わかば、ゴールデンバット。ウィンストンの時もありました。で、セブンスターに戻って、カスタムライトになってもう14年目、であります。

何か、サヨナラする時期なのかも知れないなあ。
posted by 曲月斎 at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「兵隊たちの陸軍史」

「兵隊たちの陸軍史」
こういう本を文庫で再び世に送り出した新潮社の見識をまず評価したい。大したものだ。

元は1969年に書かれた。元々、大宅壮一監修のドキュメント・近代の顔シリーズの初巻だった。このシリーズは完結することなく終わり、爾来約40年間、活字の山に埋もれた。

簡潔に言ってしまえば、中支に派遣され、終戦を迎えた1兵卒の見た「日本陸軍」の姿である。この組織が地上から消えてもう63年を経て、旧軍の体験をした人に巡りあうことも稀になってきた今、入営から実戦まで体験した人間の記述は貴重だ。

しかも筆者は極力、抑制の効いた筆致で話を進める。意気軒昂に武勇談を語るでなし、結果論としか思えないような訳知りの口調でもない。また、指揮官の立場とは違う視線がその実像に近いものを映し出している。

「軍隊では見付からない限り、いかなる悪い事をしてもかまわなかった」とか「一方では強姦したら殺せと言い、一方では発覚すると厳罰がくる」「制限と隔絶が現役兵の性欲をむしろ澄明化するのに比べると召集兵の性欲は饐えていくのである」
昨今、従軍慰安婦問題をそんなものはなかったくらいに言う者もいる中で、慰安所規程まで設けて実際にその体験を書いている。嫌らしいものでもなく、そういう実際もあっただろうなと思う。

そして中国大陸で「日本軍は点は抑えたが面は抑えられなかった」という表現がよくあるけど、後段の戦闘場面の述懐や、中支に駐屯した時の話など、なるほどと思わせられた。

日本陸軍の戦死者の大半は餓死と水死だった。そんな中で、終戦間際に阿南陸相が本土決戦を主張した思考回路もまた、矛盾と倒錯をそう感じることができなくなる環境にあったと思えばまた、納得できる気がする。

この本はウチの元番頭さんの薦めで読んだ。今年の5冊には入る本だと思う。
「虜人日記」
この1冊と並んで、あの15年戦争を考える時の貴重な手がかりになると思う。
posted by 曲月斎 at 00:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

「あっと驚く船の話―沈没・漂流・失踪・反乱の記録」

「あっと驚く船の話―沈没・漂流・失踪・反乱の記録」


光人社NF文庫っていうのは戦記系のものが多く、当然、当たりはずれが激しいのですが、この本は割合興味深い1冊でありました。
というのも、船というのは長い歴史があり、人間はその中で数々の失敗をしてきている訳であります。その判断ミスや不慮の出来事を振り返ってみるというのは、たぶんに有益であります。

老朽船をそのまま運航させていて機関が大爆発したり、乗客を放り出して船員が救難艇に乗り込んだり。無線標識を過信して駆逐艦が次々と座礁したり、殺人犯を船上で逮捕した船長が乗務した船が沈んだり。29隻の沈没なり、漂流なり、失踪なり、これらの事例はどこかに無理があってのことです。

レーダーやGPSが発達し、救命設備も昔に比べるべくもないほどに進歩した現在ではありますけど、船を動かすのは人間であり、人間はミスをするもの、なのであります。

きょうもミスをしないように自動車の運転をしなくては、と自戒するばかりであります。
posted by 曲月斎 at 19:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

主要地方道?

douro.jpg世の中には「主要地方道」というものがあるそうであります。

その根拠は1993年5月11日に出された建設省告示第1270号「道路法第56条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道」というもので、別表というところにその一覧が出ているわけであります。

で、ではその道路法第56条なるものは何かというと
「第五十六条  国は、国土交通大臣の指定する主要な都道府県道若しくは市道を整備するために必要がある場合、第七十七条の規定による道路に関する調査を行うために必要がある場合又は資源の開発、産業の振興、観光その他国の施策上特に道路を整備する必要があると認められる場合においては、予算の範囲内において、政令で定めるところにより、当該道路の新設又は改築に要する費用についてはその二分の一以内を、道路に関する調査に要する費用についてはその三分の一以内を、指定区間外の国道の修繕に要する費用についてはその二分の一以内を道路管理者に対して、補助することができる。」

つまり、建設大臣が認めた道は半分か3分の1を国が面倒見ますよ、ということらしい。

普通、都道府県道の1〜100号までがそれに相当するらしいのでありますが、田舎を走っているとこれが実に曲者であります。

町中は片側2車線とか3車線の太い通りかと思えば、山の中に入っていくに従って、2車線になり1・5車線になり、いつの間にかけもの道みたいになっているわけであります。

ちなみにこの写真も「主要地方道」。幅員1・8メートル、4トンまでの車しか走ってはいけないことになっているわけで、もちろんすれ違いなんてできません。

カーナビなんぞを信頼してスイスイと走っているといつの間にか、こういうトラップに嵌ってしまうわけで。

げに恐ろしきは主要地方道、であります。
posted by 曲月斎 at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月12日

Somewhere

niji.jpg
ヒョコヒョコと車で走っていると、東の空に大きな虹、である。

よく見ると、二重虹だった。

こんな虹を見るのは2度目かな。

この近所には飛行機が当分飛べない飛行場があって、その開港カウントダウンモニュメントが虹をにらんでいるように見えました。

さて、虹の彼方は。

もちろん、累積赤字であります。
posted by 曲月斎 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする