2008年09月15日

「ベートーヴェンの交響曲」

「ベートーヴェンの交響曲」


よくできた本、だと思う。
新進気鋭(といったら失礼か)の指揮者、金聖響がベートーヴェンの9曲の交響曲に就いて、今の所感、曲の来歴、指揮をしている上での心得など、腹蔵なく語っているのである。

最近のCD売り場に行って驚いたのだが、LP時代にはあれほど全盛を誇ったカラヤンが廉価盤である。フルトベングラーもバーンスタインもそう。トスカニーニなんて数えるほど。セル、ショルティ、ワルター、クリュイタンスなどなどに至ってはほとんど見掛けなくなっていた。

何でも、この本によると、こういう人々は老大家の時代の指揮者といわれるそうで、荘重に振ることが一つの価値であったのだが、原典に帰れというムーブメントや、作曲当時の楽団編成、奏法などに基づけば、ベートーヴェン自身が意図した音はこうだったはず、という解釈も成り立つ訳で、そういう一種のルネサンスが起きていたのだった。

ちなみに玉木によれば、最近小生が嵌っていた「7番」は誰が振っても名演に聞こえる曲だそうである。

でも、この1冊を読むと、スコア(総譜)が見てみたくなるから不思議な話。元番頭(この人は異才の人なのだが)が「最近、スコアが追えるようになりました」と言っていたが、確かにそんな楽しみ方もあるのかもしれない。

老大家の時代、最後の指揮者でもあるカルロス・クライバーの「7番」のDVDの話はまた機会があれば別稿で。

そう、一番大事なことを忘れていました。

この本ですばらしいのは「年譜」です。ベートーヴェンの生きた時代、世界では、あるいは日本ではどんなことが起きていたのかをつぶさに教えてくれます。時代の位相の中での音楽という視点を思い出させてくれる貴重な資料です。こういうのに手間を掛けた本、って好きやなぁ。


posted by 曲月斎 at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

素人カメラマンの跳梁跋扈

zen.jpgで、このお祭り。実に供え物が多種多彩。

米、塩、酒はもちろんのこと、稗、粟、黍、小豆、ヒシの実、栢の実、タニシ、カワニナ、鮎、スルメ、カジメ、アラメなどなど。この祭典は供え物が杉板に載せられて、次々と神前に供えられる訳です。

で、そんな祭りでありますから、素人カメラマンが群れる訳で、驚いたのはおばさんやおじさんがヤラセをすること。「もう一度歩いて」「そのまま目線を隣の人に」なんて言い出すのですから、恐ろしい限り。

スナップ写真なんて、自然な姿を写すから生き生きとするのに。赤の他人の祭りに乗り込んで来て、ポーズを付けるなんて信じられないことです。

ましてマナーの悪さ。平気で前は横切る、割り込む、神事の最中に社殿の前を突っ切る、神事の真ん中に飛び込んで行くなどなど。祭りに参列させてもらっているんだから、最低限のマナーってものがあるでしょうに。声を荒らげても仕方ないんだけどね。

この供えものの中には秋の実りということで松茸も入っているのですが、このエリアではもう松茸なんて生えないわけです。そこで氏子の衆は「スーパー行って買ってきただよ。国産なんて買えるわけない。もちろん中国産。でも見物の衆がどうせ真っ先に持って帰ってしまうんだから」とあきらめ顔でありました。

お下がりをいただくのはまだしも、それもマナーがあるはず。器は割る、握り飯など取り散らかしたまま。あれじゃ嫌になっちまう。

一眼レフを振り回す初老の方々は、マナーというものをもう一度再確認して欲しいものであります。
posted by 曲月斎 at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

芋の煮っころがし

oke.jpg
近所で秋祭りがありました。
本殿の脇、広庭の片隅に間瀬垣を結い回し、その中が若い衆の控え所になるのですが、その真ん中の桶の中を写したものがこの写真。

さて中身は何に見えるでしょう?

小生は唐辛子がまず目に付き、茶色いころころとした物体に、ニンニクのみそ漬けを連想した訳であります。

次に連想したのが梅干し。どうもこれも違う。さて何なんだろう、と思ったまま、祭典を見たわけであります。

結論からいうとサトイモとコンニャクの煮物、だったのであります。
聞けば、醬油と酒で炊くのだそうで、南蛮(唐辛子のこと)はもっと細かく刻んだ方が辛くておいしいそうであります。

で、「あれは何だったんですか?」「あら芋だよ。食べてみるけ」というわけでお裾分けに預かったのがこれ。

imo.jpg
食べて見ると微かに甘く、醬油の味がして、素朴な味わい。酒の肴には好適であります。

「もっと本当は辛くするんだけど、それじゃ酒が足りなくなるら」というご説明でありました。それでも、若い衆は酒を飲み、境内を練り回すうちにいよいよメートルも上がるという寸法。秋祭りの新しい味の発見でありました。
posted by 曲月斎 at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。