2007年04月11日

鐵馬で駆けた四国八十八カ所#11/宿のこと(1)

四国遍路では、宿をどうするか、一つの課題だ。

団体さんは多くはホテルや宿坊に宿泊していく。今回の遍路では意識的に宿坊を避けた。というのは、団体さんの中に紛れ込んでしまうのが目に見えているからだ。

いわゆる旅館、遍路宿や民宿はどこも佳かった。前にも書いたけど、僕の場合は走行距離は1日平均180キロくらいになるだろうか。午後3時にどこにいるかでめどを立て、午後5時の納経締切の時間から次の札所までの距離を稼ぐかどうかを決める。で、宮崎本を見て、電話で予約を入れる。2、3軒電話をすれば、どうにか夕食付きの宿を確保することができた。以下、自分の泊まった宿の話をつづる。

徳島では失敗した。荷物を積んで走ることを煩わしく思うあまり、ワシントンホテルを起点に動き廻ったのだが、非効率だったし、何より生活のリズムが遍路の「早寝早起き」にならないので困った。

宿屋で1泊目は日和佐のむらかみ旅館。ちょうど、20番鶴林寺で立ちゴケをしてしまい、21番大龍寺までは何とか打ったが、修理のために阿南まで戻ったので、宿に着くのが20時前になってしまった。宿には連絡を入れ、遅くなる旨を伝えたが、国道55号とはいえ、道は暗さも暗し、寒さもつのって切なくなってしまった。そんな時に日和佐の駅の近くで宿を見付けられずにうろうろしていると、ご主人が迎えに出てくれた。「バイクでおいでると聞いていたので、まだかと思ったら、行ったり来たりしているのが1台いたので迎えに出たんですわ」。道中のあれこれも吹っ飛ぶような笑顔だった。

遅くなったけど、夕食も出して貰い、世間話。「世界遺産の認定も結構ですけど、それよりもきちんと歩きの遍路さんが歩ける道、歩道を国道沿いにも造るくらいのことをした方がいいんじゃないですかね」とご主人。確かに、ここ日和佐から先は遍路道は国道になる。バイクでも怖いと思うくらいにトラックが往来する道だ。せめてきちんとした歩道が確保できれば、より歩きの魅力に感じる人は増えるに違いない。
ここから22番平等寺に打ち戻ったのだけれど、そんなめげる気分も忘れさせてくれるような宿だった。

次の旅館は室戸の太田旅館。25番津照寺のすぐ下にある。宿を決めるとき、わかりやすそうな宿に決めるのが一つの条件のように思う。日も暮れ方になってから迷うのはやはり切ない。ここの旅館は不思議な構造で、2階建ての家が数軒連なったような形になっている。でも宿の方々の温かい顔は何より。土佐の名物鰹の刺身も食卓に並んだ。僕の場合、遍路の間は朝食と夕食の1日2食だった。夕食では飯を3杯は食べていたろう。朝食は軽めだったが。どこの旅館でも、そのおかずは心づくしでうれしいものだ。



posted by 曲月斎 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 辺地遍路 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親知らず抜く。

親知らずを抜いてもらいました。

診療時間は約4時間半。右下の奥に半分埋まっていた歯を、丹念に掘り出してもらいました。

抜いてもらった歯をみて驚きました。3本の根がまるで火鉢やいろりで使う鉄輪(かなわ)をひっくり返したような、根っこの先が内側にいずれも曲がり込んでいたんですな。これでは時間も掛かる訳で。「見て下さいよ。こんな根っこでしたよ。安易に割らなくてよかった。診療所開設以来の難物でしたね。ぜひ記念に持って帰って下さい」とは後輩の歯科医の誉め言葉、根気よく丁寧に抜いてくれたことに感謝するばかりであります。

今はまだ麻酔でしびれているのですが、そろそろ切れてくるころ。明日は昔のセデスのポスターではないけど、腫れ上がった右ほほになりそうです。鎮痛剤を飲んで早くねてしまうことにしたいと思います。
posted by 曲月斎 at 22:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鐵馬で駆けた四国八十八カ所#10/札所と札所の間

1カ寺ごとの印象記や来歴などは、他の方も熱心に書いておられることなので、以下ざっと綴っていく。

約15年ぶりに遍路をしてみて(といってもこの時は1〜11番と81〜87番を廻っただけだったけど)、どの札所も繁盛しているのだな、ということを実感した。納経所や庫裡が立派になった、どこも山門近くまで自動車が入れる道が付いている、などなど。四国遍路の「商業化」といったら言い過ぎだろうか。

NHKの放送によれば、年間150万人もが遍路に出ているそうだ。札所で納経をしていただけば、それだけで300円。笈擦に朱印を戴けばさらに200円。納経だけとしても、単純計算でいけば、1カ寺当たり年間4億5千万円になる。

檀家からの収入だけでは寺を維持しきれないこともあろう。広い地所を持っていたり、堂塔や仏像の補修、維持管理も大変だと思う。しかし、「札所」になっているからこそ、これだけの人が訪れる。

今回の巡礼では納経と笈擦2枚、御影を2枚余分に戴いて、大半は800円ずつ納めてきた(というのは、納経を巻子本にしたからで、「これは掛軸だ。軸が付いているものは掛軸」と言い切った寺が数カ寺あったから。ちなみに43番明石寺と52番太山寺ともう一カ所は失念。掛軸だと朱印代は500円になる)。収入の面で考えれば、札所とそれ以外の霊跡の格差は本当に広がる一方だろう。

そんな危機感もあって「別格霊場二十カ所」とか「新四国曼荼羅八十八カ所」とか名乗る寺が出ているのだろうが、その寺との差別化を計るのが狙いか「別格の朱印と八十八カ所の朱印は同じ朱印帳には捺さない」という取り決めもある。34番種間寺では札所の朱印の後ろに奥の院の朱印をお願いしたら、「八十八カ所は別。奥の院の朱印は捺せない」と住侶。その前に30番善楽寺の本来の札所だった土佐神社の印があるのも見咎めて「神社と一緒なんてとんでもない」と声を荒らげられた。神仏両参りは遍路の原則だろう。また霊場は札所に限ったものではないはずだ。印のあるなしはもうどうでも佳くなってくる。

僕が遍路をしていた期間が春だった所為もあるだろうが、団体のバス、あるいは大型ワゴンでの遍路が多い。で先達が一人付いて廻っている。歩きの遍路が確かに増えているとは思うし、個人で車で廻っている方、夫婦連れだっての方といるが絶対数は団体が多い。

団体だと添乗員が、納経所に預かった朱印帳やら一切を持ち込んで、ご一行さまがおつとめをしている間に筆を染め、印を戴いている。さらに四国は「重ね」といい、同じ朱印帳に重ねて印を捺す。その方が功徳が増えるといわれるので、帳面全体が真っ赤になるほど、朱印を重ねている方もいる。

納経所では「団体の場合は事前に申請をして下さい」との張り紙がある。聞けばかつては大学生が納経軸を10数本抱えて遍路し、仕上げたものを1本30万円余で売りさばいていたころもあったという。今はそういうアルバイトを防ぐために、数多くの納経をしてもらうには事前の連絡が必要ということらしい。

納経所

添乗員と寺側のやりとりを聞いていると何か不思議な気分になる。「新規が10冊で重ねが15冊です」と言うと、寺側は得たりや応と、新聞紙を挟んである個所を開いて一人が印を捺し、もう一人が筆を走らせるといった流れ作業を始める。添乗員は1冊ずつ受け取ると終わると新聞紙を挟み替えていく。「はい、これが領収書。お姿を枚数、忘れずにね」と添乗員に手渡している。添乗員は掛け軸ならせっせと備え付けのドライヤーで墨を乾かし、納経帳はキャリーバックに入れたり、風呂敷に包んだり。ある若い女性の添乗員が苦笑していた。「この若さで寝床に入っても、耳の中に般若心経が響いて居るんですよ」「あら、そんなのすぐになれるわよ」とは先輩の言葉だった。追記
posted by 曲月斎 at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 辺地遍路 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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