2007年02月28日

12年目の修理

バイクの修理が終わって、先日、車体を受け取りに行った。

横浜・長者町のMMSだ。店主の松下さんもバイク好き、店員の斎藤君もバイク好き。話をしていて、そういう感覚が実に伝わってくる。

今回、フロントフォークを交換して、タイヤも乗っていないとはいえ、もう12年目なので交換した。考えてみると、もう元の車体で残っているのはエンジンとシートとナンバープレートくらいのものかもしれない。特に横浜に住むようになってからは乗る機会が減ったので、部品交換が多くなった。

普通、バイクは販売した車輌に限って自分の店のシールを貼る。今回はもうここまできたので斎藤君に無理を言ってMMSのシールを貼ってもらった。「どこでもいいよ」と言ったら、彼が磨き上げてくれただろうリアアームに貼ってくれた。

そのまま、タイヤ慣らしと感覚を取り戻すつもりで戸塚まで走らせたのだけど、面目を一新した、という印象。震災の年に買ってもう12年目、手放すに手放せないままになっているこのバイクではあるが、また生き返ってくれたようだ。追記
posted by 曲月斎 at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 鐵馬千里 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勧進帳/承前

先日、謡の師匠のところに稽古に行った。

また、前回と同様に安宅の勧進帳独吟。やはり、声が続かない。タバコの所為もあるし、長年の稽古不足もある。

特に、勧進帳は歌舞伎でもお馴染みの通り、弁慶が白地の巻物を勧進帳と称して読み上げる場面。ずっと強吟(現在の謡には基本的には弱吟と強吟の2種類のパートがある。弱吟は下→中→上と音階があるのだが、強吟の方は音の上げ下げというより息の強弱。昔は弱吟同様の上がり下がりがあったと言われるが、現在は上音と中音は同じ、下の中音と下音が同じ)なので、息で謡う感じなのである。

さらっと一通り謡った後、師匠のひと言は「音の上げ下げがまだ間違っている。もっと緩急を自在に付ける感じで、そのためにはもっと謡い込むしかないね」。自分では、晩年の近藤乾三の独吟みたいにさらさらと自在に謡うのがイメージだったのだが、たぶん、師匠は先代銕之丞のイメージが脳裏にあるのだろう。

とはいえ、まだ声量だけは何とか。というのは振り返ってみれば大学の4年間、授業に出ない日はあったけど、部室で謡本を開かない日はなかったからだ。先輩が後輩を捕まえて「ちょっとやるか」と始まってみっちり。特に学生の場合は、師匠が教えた通りというよりも、自分で能を観に行って、いいと思ったり、かっこいいと思ったりすることが教える側に混じり込んでいるから、師匠役の色が一人ひとり違う。ともかく理論武装する必要もある。

帰り際、師匠と飲んだ時に、「もっと現役は能を観て欲しいなあ」とつぶやいた。学生時代4年間で、ともかく能は観に行った記憶がある。しかも流儀に拘わらず。その時に見聞きしたことは今でも財産だと思っている。

1.jpg

今年、師匠は8月9日に多田富雄の新作能「長崎の聖母」を渋谷のセルリアンタワー能楽堂で再演するそうだ。「新作能をやるっていうことはやはり刺激になる。この世界の中にだけいればそれはそれで楽、なのだけどね」
posted by 曲月斎 at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 三間四方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月26日

[ 「若い」という字は……

「白川静の字解は面白い」と勧められたのはある若い作家からだった。
常用字解

「若」という字についての釈を引用すると「巫女が長い髪を靡かせて両手を挙げて舞ながら神に祈り、神託を求めている形。のちに神への祈りの祝詞を入れる器の『口』を加え、祝詞をあげて祈ることを示す。神託を求めて祈る巫女に神が乗り移って神意が伝えられ、うっとりとした状態にあることを示すのである」

なんて面白いんんでしょ。

世の中には、引く辞書と読む辞書があると思いますけど、完全にこの本は後者、ですな。

手元にあるのは簡易版ですけど、これでも十分に楽しめます。ちなみに3部作のうち字通以外が簡易版がありますが。新訂 字訓
字訓 新装普及版
新訂 字統
字統 新装普及版
字通


まさに白川ワールド、であります。もう一度、確かに読み直してみたくなってきました。
posted by 曲月斎 at 14:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

圓楽引退発表

「三遊亭圓楽 独演会全集 第十二集」

5代目圓楽が25日、引退を表明したそうだ。

この日の国立名人会で「芝浜」を口演した後、記者会見をして「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない。「3カ月けいこしてきて、これですから。今日が引退する日ですかね」と話したという(Asahi.comから)。

ま、74歳。板の上で一人で口演するのが仕事の噺家ならば、それも選択肢の一つだろう。

でも、この発言を聞いて思い出したのは世阿弥の「風姿花伝」の年来稽古条々の「五十有余」で「この頃よりは、大かたせぬならでは手立あるまし。麒麟も老ては土馬に劣ると申事あり」。つまり何にもしないでいるのが一番だ、ということ。だが、続きがある。「さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数はみなみな失せて善悪見所は少なしとも、花は残るべし。(中略)まことに得たりし花なるがゆへに、能は枝葉も少なく、老木になるまで、花は散らで残りしとなり。これ、眼のあたり、老骨に残りし花の証拠なり」と書き残している。かみ砕いて言えば、本当の名人なら何げないことをしても残りの花が咲いている老木のような風情がある、ということだ。

圓楽がやってきたことは、口跡よく話すことだけだったのだろうか。

8代目の文楽が「大仏餅」で絶句して「勉強しなおして参ります」と引っ込んだのと比べて、引き際という点で、なにかあざとさを感じてしまうのは自分だけだろうか。

さて、関西の重鎮・人間国宝の桂米朝の近況は、轟亭宗匠のhpから息子の小米朝の弁を引用させてもらうと「あの人間国宝は動くんですよ、動くから大変。 81歳、布団の上に敷いた寝茣蓙で滑って、背骨を圧迫骨折した。骨折の瞬間をヘルパーさんが見ていた。雄叫びのような声をあげたと報告があった。人間国宝の雄叫びはしょっちゅうで、お茶をこぼしても叫ぶ。目薬と間違えて、水虫の薬を目に差した時が、一番大きな雄叫びだった」そうだ。一門会でも「始末の極意」を繰り返していたやの情報もあったけど、板の上に足腰が立っているうちは、出続けるのがこれまでの支持への恩返しだと思うのだが。

また、能の話に戻る。ほとんど視力を失っても、舞台で見せた友枝喜久夫の仕舞、そして足が不自由になってからの近藤乾三の一調など、さっと描いたような藝が思い出される。圓楽にはそんな道の選択はなかったのだろうか。「道灌」みたいな噺で藝を見せる心境になかったのが不思議である。
posted by 曲月斎 at 02:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 高座下座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

「卒業」尾崎豊

「卒業」

昨日、山梨まで出掛けて、ふとFM富士という地方局から流れてきたのがこの尾崎豊の曲。

この時期になると、その叙情性から取り上げられることが多いけど、実際にこの曲のメッセージ性はガラスを割る話でもたたきつける話でもないと気が付いた。

本当の一句は「あと何度自分自身 卒業すれば本当の自分に たどりつけるだろう」

人間として生きていく以上、組織の中でのくびきや軋轢はやむを得ないことだ。それから脱却することの象徴的な意味で尾崎豊は「卒業」ということばを遣っているに過ぎない。本当の意味は別のところにある。

だから、年を取って聞き直してみると、妙に琴線に響くところがある。
posted by 曲月斎 at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 天象乃音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月24日

「これがほんまの四国遍路」大野正義

「これがほんまの四国遍路」

四国八十八カ所巡りというのは、静かなブームらしい。
それに乗りかかっている自分が言い出すのはおかしいのだけど、先に紹介した五来重の本の裏表の関係にある本ともいえる。

本当の修行者のためのシステムだった行道が、1687年(貞享4年)刊行の真念という風来坊が書いた「四国辺路道指南」という本が出たために、今の徳島から1番札所が始まるシステムが完成し、もっと霊場霊跡を廻るはずだったものが88の寺社に固定化され、アマチュアの修行と娯楽の場になったという解析は面白い。

さらに「行旅病人及行旅死亡人取扱法」(明治32年法律93号)がまだ生きており、
第一条 此ノ法律ニ於テ行旅病人ト称スルハ歩行ニ堪ヘサル行旅中ノ病人ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキ者ヲ謂ヒ行旅死亡人ト称スルハ行旅中死亡シ引取者ナキ者ヲ謂フ
2 住所、居所若ハ氏名知レス且引取者ナキ死亡人ハ行旅死亡人ト看做ス
3 前二項ノ外行旅病人及行旅死亡人ニ準スヘキ者ハ政令ヲ以テ之ヲ定ム
第二条 行旅病人ハ其ノ所在地市町村之ヲ救護スヘシ
2 必要ノ場合ニ於テハ市町村ハ行旅病人ノ同伴者ニ対シテ亦相当ノ救護ヲ為スヘシ
第三条 行旅病人又ハ其ノ同伴者ヲ救護シタルトキハ市町村ハ速ニ扶養義務者又ハ第五条ニ掲ケタル公共団体ニ通知シ之ヲ引取ラシムルノ手続ヲ為スヘシ
第四条 救護ニ要シタル費用ハ被救護者ノ負担トシ被救護者ヨリ弁償ヲ得サルトキハ其ノ扶養義務者ノ負担トス
第五条 行旅病人若ハ其ノ同伴者ノ引取ヲ為ス者ナキトキ又ハ救護費用ノ弁償ヲ得サル場合ニ於テ其ノ引取並費用ノ弁償ヲ為スヘキ公共団体ニ関シテハ勅令ノ定ムル所ニ依ル

とあり、松本清張の「砂の器」ではないが、これは実は四国遍路を「死に場所」を求めての旅、になる伏線となっており、江戸時代以前からの日本の「お互いさま」の意識に依拠しているという指摘は元門真市職員ならではの発想である。

後段は特に自己体験に基づく、遍路のハウトゥ編。大きめの靴で穴を開けてしまえ、開ければ水は入るけど蒸れないし乾きも早くて、肉刺の原因になる靴の蒸れが防げる、などという発想や、必需品とされる杖も2本持った方が合理的、とか、2万5千分の1の地図を歩きならば頼れとか、実に面白い。

最後に、八十八カ所すべてを網羅するスタンプラリーではなく、効能別に区切り打ち、あるいはコース設定をするのがいいのではないか、という指摘は五来にも通じる。五来は札所には本当の信仰の姿はなく、その奥の院にこそ隠れて残っていると再三説いていた。

ある意味で面白い発想の本である。と、ここまで書いてきて、この本の中身は著者の大野正義氏のHPにほとんど掲載されている内容と同一であることに気が付いた。何か不思議な感じである。
posted by 曲月斎 at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月23日

横浜三塔物語

愛用しているみなとみらい線のキャンペーンで3月10日で「3塔の日」というのがある。

横浜3塔というヤツで、その昔、外国航路の客船が大桟橋か新港埠頭につくと、真っ先に目に入ったという3つの塔のことだ。

Kingといわれるのが神奈川県庁の本館。1928年竣工。中央の塔は48.6メートル。国登録文化財の指定建築物だそうで、もろに昭和初期の帝冠様式。しかもスクラッチタイル。今となっては見えにくい。
king.bmp

Queenと言われるのが横浜税関の塔。1934年竣工。高さ51メートルにしたのは、国の出先機関が地方の出先機関よりも低いというのは気に入らん、という意地の張り合いもあったという説もあるけどさて。でも、新港埠頭側からみたときの偉容はなかなかに立派なものがあります。
queen.bmp


で、最後がJackと言われる、横浜開港記念館の塔。1917年竣工。高さ36メートル。横浜開港50周年を記念してつくられた。戦時中に失われた屋根も復元されてかつての姿に近付いているけど、やはりこの構内が立派。だけど、一番、見えにくい。
jack-2.bmp


で、今の大桟橋にはこの3塔が見えるポイントがマーキングしてあるそうだ。
sanbashi.bmp


ところで不思議なのが旧横浜正金銀行本店の塔(ドーム)が入っていないこと。1904)年に完成のドイツ・ルネサンス様式の本格的な西洋建築で設計者は、明治時代を代表する建築家の一人である妻木頼黄。日本橋や横浜新港埠頭倉庫などを設計したことでも有名です。地上3階地下1階の建物は、屋上ドームの先までで約36メートルあるのに……。
県博.jpg


ただ、このドームは関東大震災の際に焼失しているので、戦後復元されるまではなかった。となると、この「横浜3塔」という言い方は昭和初期に言い出した「都市伝説」なのではないか、と思う。
posted by 曲月斎 at 15:35| Comment(1) | TrackBack(1) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空前のアクセス

日々、20〜30件くらいのアクセス数で推移しているこのブログ。前日は突然、100件の大台を超えた。

というのはヘドウィグ・アンド・アングリーインチの件で山本耕史のことを書いたかららしい。

ちょっと戸惑うばかり。

でも一夜経ってみても、考えは変わらない。舞台は山本耕史の一人芝居の方がずっとおもしろかっただろうという思いは。

上手をつかって、元恋人だったコンサートをやっている風を見せていたけど、あの演出も過剰。芝居なのか、山本耕史のコンサートなのか、その中庸を狙う線の演出は十分にできたはず。

もし、次回上演する機会があれは、山本耕史の力量を信じて、脚本を突き替えて欲しいものだと思っている。
posted by 曲月斎 at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本橋人形町「松浪」

日本橋人形町の松浪に行った。
ここは知る人ぞ知る、鉄板焼き、お好み焼きの名店である。
matsunamigenkan.jpg
ごく普通の仕舞た屋の構え。その奥に美味が隠れている。

何を置いても名物は「松浪焼き」。中身の具はアサリに長ネギとシンプル。matunami.jpgしかし、これをじっくりと胡麻油を引いた鉄板で焼き上げると、実に香ばしく、醤油を付けて食べるのには最高のできばえとなる。

naniwayaki.jpg

箸でちぎって、口に運ぶと、アサリのかき揚げでもない、かといって単なるお好みでもない。江戸前の味である。

ほかに名物は、元の町名にちなんだ浪花焼き。naniwa.jpgこちらは小柱に三つ葉、卵という取り合わせ。

もう一つ看板の焼き物が土地柄にちなんで葭町焼き。卵に牛肉のそぼろが入る仕掛けだ。


もっとも、鉄板焼きも名物で、ここの合鴨は美味い。aigamo.jpg
女将に頼むと、まず脂身部分で油を出し、ころあいのいいころに身を載せ、最後に「鴨といったらネギ」で薄くレモンを搾って出来上がり。品のよさと、ネギの甘みと鴨の味が絶妙としかいいようがない。aigamo2.jpg

この店は昔、早大野球部のたまり場の一つだった。石井連蔵さんが監督だった時代の話だ。教え子の一人に知人がいて、ちょうど、今は楽天に居る礒部が全日本チームで遠征するときに、マネジャー業務をしていた彼に、宿舎を抜け出して連れてきてもらったのである。

「でも、体育会も先輩、後輩の関係が崩れているから。昔のようなことはありませんねえ。最近はお見えにならないから……」とちょっと寂しそうだった。

実はこの日、この松浪の並びの、ちゃんこふじ井でしこたま食べて、先輩をこの店に連れ込んだ。恨まれることしきり。彼は注文した生姜天をお持ち帰りにしてしまった。

この店は引き戸を開けると靴を脱いで上がり込む形式。もう仕舞おうかという自分に、シロと黒の斑の飼い猫が帰ってきた。また長いをしすぎたのかもしれない。でも、こんどはきちんとデザートの餡巻まで辿りつきたい、ものだ。あと、牡蠣のバタ焼きも……。

ちなみに2人以上の入店が原則。よく込んでいます。

posted by 曲月斎 at 06:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 美食飽食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月22日

キャンプイン・田口の場合

taguchi.jpg今年も始まったカージナルスの田口壮のメール通信。彼の通信は実に面白いし、日本の新聞を読んでいるよりも数倍、MLBの雰囲気を伝えてくれる。
田口は実にクレバーな選手であり、個人的にはあの中西太に「おまえ、バントをきちんと練習せい、そうすれば絶対に金が稼げるんだから」と言われて練習をしていた姿を見ているだけに、あれだけ外野手の充実していたカージナルスでプレーをし、値千金のバントを決める姿を見せられると涙腺の弱ってきている身には応えます。

今年は会いに行けるか。でもアイツが現役のうちにカージナルスの試合は見に行きたい。そう思ってます。
posted by 曲月斎 at 05:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 騙仕合傳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

491house

学生の時以来のことになるのだけど、横浜の中華街、491houseが妙に気に入っている。というのはバーテンダーの乗りがいい。古き佳き横浜、なのである。

カウンターの中に居るのは小作君。小生よりも遙かに年下なのだけど、店にしてみれば先々代のメインでやっていた加藤さんの乗りがあるのだ。

バーというのは乗りの良さが命だと思う。辛気くさくカウンターに向かうのもよし。でも491みたいに、明るくて、バーテンダーの知識もうんちくも豊富で、横ではjazzをやっていて、みたいなのが、やはり気持ちがいい。

この店の歴史を綴ればもっと長くなってしまうのだけど、今の491houseはとてもいい雰囲気であるのは間違いない。

キリストは490の罪を許したまうた。その次の罪、という意味の491house。横浜に来るなら、今は買い時、である。
posted by 曲月斎 at 04:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

こういう晩は「晴れ」の晩なのだろう。
新宿の劇場でロックミュージカル「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を観て来たのだから。hedwig07_070104.jpg

実に、能、狂言、歌舞伎以外の演劇をライブで観るのは、記憶を探れば、転形劇場の「水の駅」以来、というのだから恐ろしい話ではある。このミュージカルを選んだのは、読売新聞の劇評で誉めていたから。あの新撰組の、また、華麗なる一族にも出ている山本耕史が、どんな芝居を狭い劇場でするんだろう、という興味が先に立った。

結論からいうと、山本耕史は、見事な歌手であった。
20060905_220247.jpg

ロックを歌い揚げるパワーは見事だった。でも。芝居とすれば三文芝居になってしまった。なぜか。それは、中村中の存在であり、ウィグを付けている間は山本は所詮、三輪明宏の二番煎じであったからだ。

芝居なのか、山本のコンサートなのかは不文明なのだが(というのは観客の年齢構成を観てもおばはんがすごく目立った)、本当は一人芝居でやった方が面白かったと思う。すべて独白で。それは東ドイツで生まれた少年がアメリカに渡るために性転換手術を受けて、自分の片割れを探し続けるというのが基調低音の芝居で、中村の存在はじゃまでしかない。まして山本の芝居でウィグを外してからの姿こそ、最後の1曲こそ、彼が歌いたかった曲であるというのが、見え見えなので、構成を上手く入れ替えるなり、独白体で仕立てるなり、一人芝居の方が最後も空間が広がっていったような気がして成らない。

日本の男優がゲイの芝居をすると何で、三輪明宏風になってしまうのか。開幕からずっと観ていて不自然な感じだった。何のカタルシスもない。さらに確かに彼がシャウトする声は非常に見事だけど、特に、舞台装置がそれをじゃましていた。字幕を後ろの画面で流すな、といいたい。

ロックのバンドもいいし、バラード系の曲など、本当に彼の天分を感じさせるものだった。だからいいたい。山本耕史の一人芝居にしてしまった方がずっと良かった、と。バンドをオーケストラピットに入れ、マイクスタンド1本で彼に芝居をさせたら、どんなに面白かったろう。不用意な照明とか装置は役者の芝居の力を殺してしまうということを今回の演出家は知るべきである。

14センチのヒールブーツを履いて、網タイツ姿の山本はそれは妖艶だった。
画像2.jpg

でも。妖艶さがストレートに伝わってこないのは中村が脇で余計な芝居をし、バンドも余計なことをしているからだ。蹴り上げた足の美しさは見事だったのに(ただ、それに対して、上半身の捌き方は山本はなっていない。ノリのいい場面でもただ腕をくねらせるだけで、本当に自分がロックロールはしていない。ポンキッキのお遊戯程度だ)。

小さい小屋でやっているサプライズはある。山本の登場シーン。また客席を巡る中村。それぞれに小さい小屋でやっているからだろう。でも、2度観ないと楽しめないような芝居は如何なものか。芝居はどこまで行っても一本勝負である。

アンコールの拍手の中、山本がカーテン(ないのだけど)コールに応じて現れた。レザーのショートパンツ1枚の姿になるので「最後はプロレスみたいな格好になって寒いんですけど……」としゃべりだしたけど、これは言ってはいけない台詞である。客席の芝居の余韻をいっさいリセットしてしまう独白だ。

以下、追記であらすじを掲載しておく。リターンで新宿厚生年金会館で上演するそうだけど、せめて観るなら、小さい小屋の方がいい。追記
posted by 曲月斎 at 04:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 三間四方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月21日

岩波写真文庫について

岩波写真文庫というのをご存じだろうか。

岩波写真文庫は1950年6月10日【木綿】に始まり、1958年12月20日【風土と生活形態】を最後にシリーズ286冊を完結した。
写真で見せる文庫である。

最初に出逢ったのは父親の書棚にあったこの1冊だったか。
01141.jpg

で、次にこの存在を思い知らされたのはこの1冊。
fitatsuno-nipponn1.jpg


02091.jpgという1956年の本を元にこの時は30年後の1986年の同じ8月15日に、同じように読者から写真を募集して、収録している。つまり、横とじの本の前半が上記の1冊、後半が新たに加わった1冊。30年の時を経て、日本という国がどう変わっていたのかを思い知らされる。

で、当時としては画期的だったろう、読者募集の写真集。上記のほかにも01831.jpgが1冊目、で、02371.jpgが3冊目、02721.jpgが4冊目。それぞれに面白い。

こういう手法を取った写真中心の文庫というのは、発想自体、当時とすればすごいことだ。等身大の日本の姿を写しだそうという試みに他ならないのだから。

こういう企画の中心にいたのが名取洋之助という写真家。この人物は一番身近な著書とすれば、岩波新書の「写真の読みかた」
だろうが、その一方で、15年戦争の最中に、日本のプロパガンダ雑誌「NIPPON」を企画、発行した人物であり、そのことは「名取洋之助と日本工房(1931‐45)」
に詳しい。

ともかく、この岩波写真文庫というシリーズは面白いのだけど、これを専門に扱っている古本屋があって「寅の子文庫」という。ご店主が好きだから集めて、なおかつ珍蔵するのではなくて売っているという古本屋道を地でいくような話。今回、hpを見付けて、何冊か入手させて頂いたが、到着が楽しみだ。開いてみるまで、心躍る気分。

ともかく、古本屋に出掛けた時に、ちょっと手にとってみて欲しい。どのシリーズも今もって光っているから。追記
posted by 曲月斎 at 04:21| Comment(4) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

銀座和光にて

田舎者を地で行ったような話を披露させて頂く。

銀座和光といえば、その筋では知られた超高級百貨店である。かの柔道の山下泰裕が妻を見初めたのも和光の売り場であったと記憶する。
201.jpgで、である。
私はオールドファッショングラスが欲しかった。それは昔、福岡のBAR UDOにあったもので、バカラの製品だった。何もデザインはなく、底が厚い。持った時にずっしりとした感触があった。

当時、UDOにはこのグラスがいくつもあった。ロックを頼むと、このグラスで出してくれた。

このグラスが欲しくて、掻っ払ってこようかと思った時には、「もう1個になっとるけんね。ぎったらいかんよ」という下品な話になっているのであった。

で、和光。正直言って、服部時計店の和光には初めて入りました。食器売り場を聞くと地下1階。食器売り場に、何であちこちに商談用の机があるのでしょう。声を掛けて、「かくかくのグラスが欲しい。どうですか」と聞くと、こちらでお待ち下さいの声。その商談用の机に案内されて、目の前に出てきたのは希望の商品に近いもの次々。

でも最終的にはなかったので、取り寄せてもらうことにしたんですけど、気分としては買わずには出られない、という迷宮の気分でもありました。

あの店で自在に買い物ができるというような人が本当にセレブ、という人なんでしょうなあ。でも、いい商品が多いのには改めて驚きました。
posted by 曲月斎 at 03:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月20日

ある選手の引退試合

新聞の小さな記録を見ていて、とても気になる選手がいた。
全日本スキー選手権ジャンプ、複合の記録。今年はもちろん世界選手権の直前だから、代表選手はほとんど欠場していた。でも全日本の重みに変わりはないと思っている。

初日のスプリント。前半の飛躍が3位、で後半の距離が30位以下。で総合で3位に食い込んだ薄井智行選手だ。

050107_usui.jpg(写真は全日本スキー連盟から)
ただでさえ、競技人口が少なく、練習するのも大変なこの競技を続けてきて、年齢的なものもあるだろう。

で、この試合が実は引退試合だったことを知った。飛躍と距離。懸命の力走が、現場に行っていなくても目に浮かぶ。ぜひ生で見てみたかった。会って話をしてみたかった。そんな選手だった。

機会があれば話をしてみたい。今でもそう思う。長い間、緊張の生活をご苦労さまでした。彼のブログ「うすぃのgood life」に素直な気持ちが綴ってあります。もし佳ければ、覗いて見て下さい。追記
posted by 曲月斎 at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 偶然忽然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

不惑半ば過ぎて……

Oyasirazu.jpg(写真はウィキペディアから)

不惑も折り返したというのに、下の右アゴの親知らずを抜歯しなくてはいけないらしい。

親知らず、正式名称は第3大臼歯。原始の人類は上下4本映えていたそうだ。それが退化するにつれて、本数が減っている。

自分の場合は下アゴに2本。うち1本はすでに抜いたので内のだけと、こちらも水平埋伏という生え方で、隣の第2大臼歯を圧迫するから抜く、ということだった。

この時は歯茎を切り裂き、歯を鑿で割って、根っこを一つずつ抜いていった、今度のもそういうことになりそうだ。

親知らすとは佳く言ったものだと思う。抜糸は4月上旬の予定にしたい。
posted by 曲月斎 at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「花鳥風月の科学」松岡正剛

松岡正剛という人は、読み手としてはかなりの力量の人物だと思う。

「花鳥風月の科学」
今回取り上げた「花鳥風月の科学」という本でもその博覧強記ぶりを思う存分示している。
ただ、自身のHPで言っている通り、これは「編集術」なのであって、「創作」の部分はジョイントだけだといっていい。

実に山のイメージから始まって、日本の精神風土を説くようにしている。これは柳田国男だったり、折口信夫だったり、五来重だったり、あるいはインド哲学だったり、いろいろな方面からの積み重ねで出来上がっている本。言い方を変えれば、いいとこ取りだと言って佳い。

口当たりはいいのだけど、この本を読んでみようかな、と思う確率は、全盛期の丸谷才一に劣る。

最近は編集術というのを教えているそうだが、沢山の情報から取捨選択して提示する、というだけのこと。初めて、この人の活字本を読み終わって、読後感が極めて稀薄なのに驚く。言っていることは未知のことであったり、すごいと思うような連想があるのだけど。

これは何に由来するのやら。もう一度読み返すのなら、他の本を読むだろう。
ただ、中国思想、特に道教の思想が色濃く、今の日本文化に反映しているというのは正鵠を射た解釈だと思った。ただそれ以上、ではない。一つ思いついたのは、この人は民俗学を論じながら、あくまでも書斎の中の人ではないか、ということ。万巻の書物の中に生きてそれをシナプスでつなぎ合わせている。普通はこれを足で稼ぐものなのだ。追記
posted by 曲月斎 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 積本抛讀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

春節の夜

p070219l03.jpg(神奈川新聞カナコロサイトから引用)
というような具合で、春節の夜はにぎわったように見えるでしょう。一般的には。
確かに、ある時間まではにぎわったかもしれないけど、もう22時を過ぎると店は開いていなし、それを目当てに来る観光客がぞろぞろ。
数少ない、やっている店に大行列。山東なんて店のそとまで長い列ができちゃって。

春節祭をイベントでやるのは結構だけど、もう少し責任を持ってやって欲しいですな。昔みたいに爆竹を投げ合え、とは言わないけど、もう少しシャッターを開けている店が多い方がいい。そうしないと閑散としちゃって、赤いランタンが却って寒々しいばかり。

masobyo.jpgそのころの媽祖廟の写真ですわ。もう門は閉まっているし、閑散。

ちょっとほろ酔い気分で491から出てきたら、冷や水を引っ掛けられた心境。今の経営者連中と違って、初代のころはもっと土性骨があったような気がする。
posted by 曲月斎 at 01:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

ダウンジャケット

写真でお見せするのが恥ずかしいので、掲載はしないが最近、年代もののダウンジャケットを着ている。

ちょうど小生らが大学生のころ。もこもこの羽毛をキルティングしたジャケットが流行ったのである。往時を振り返れば、白いリバティベルなっていうブランドもあった。

まだ、スノーボードなんて、一部の好事家がやっているくらい。大学生といえば、テニスにスキーをやるサークルが花形だった時代である。

そんな空気の中で買ってもらったジャケットは、今でも冬もののブランドとして生き残っているフェニックスの水色と紺色のリバーシブル。年末の南京町で、爆竹が飛び交う中を歩いていたから、袖の何カ所かには焼け穴も空いているのだけど、それもまたガムテープで補修するのが格好いいという風に見られていた時代の代物である。

ポケットの中からは、賞味期限が99年までのタバコが出てきた。察するに20世紀の末ごろに着たのがたぶん、最後だったのだろう。

でも、そんな古めかしいジャケットなのだけど、実用的にはすこぶる暖かい。暖冬だから、というだけではない気がする。

最近、「バブルへGo」なる映画が封切られて、「面白かったと言っていたわよ」との評判も聞いたが、それはそれ。暖かく感じるのは、「買ったもの」ではなく「買ってもらったもの」だからのような気がする。

そういえば、今でも若いカップルでは彼女が彼のために手編みのセーターなんて作るんだろうか。
posted by 曲月斎 at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 紋付羽織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月17日

おほつごもり

百席(9)掛取万才/鰍沢
気が付けば大晦日である。

といっても旧暦での話。きょうが師走の30日。ちょうど氷雨が降り始めたものの、今年は暖冬とはいえ、旧暦の時代の歳末というのはこんな陽気だったのか、と思う。

旧暦の大晦日と言えば、まず思い出すのが圓生の掛取万歳。歌舞伎、雑俳、義太夫、喧嘩に最後は三河万歳までやって、1年の掛け取りに来る人間を次々と追い返していく。

一種の藝尽くしみたいな一席だけど、義太夫節など、元々が豆義太夫師だった圓生ならではの藝だった。ちょうど、何も賞は取れなかったけど、映画の「花よりもなほ」みたいな長屋での攻防戦だったのだろう。

一夜明ければ新玉の春、か。

桂文治(1)「掛取り」「火焔太鼓」-「朝日名人会」ライヴシリーズ9


で、ここ横浜では一夜明けると橋の両側が賑やかになる。方や南京町の春節、方や元町のチャーミングセール。というわけで、どちらも商売賑やかになる時節である。

机の前の旧暦カレンダーもやっと新しくなる。
posted by 曲月斎 at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 高座下座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする