2006年11月29日

「昭和能楽黄金期―山崎有一郎が語る名人たち」

「昭和能楽黄金期―山崎有一郎が語る名人たち」

 長く能楽の評論に携わってきたのが筆者。父・楽堂は明治時代から昭和にかけて、能舞台の設計などで活躍した人物で、その子息である筆者は現在横浜能楽堂館長で、現在93歳。今も時折、能楽堂でその姿を見ることがある。

 長く観ていると得だなあ、と思う。どんな役者であったのか、もう知っている人がいなくなってしまうと、上手かったも下手だったもない。空になってしまう時代だったからだ。今残っているとしてもレコードがせいぜい、わずかにフィルムが残っているが、全容を知る術はない。昭和という時代はそうだったような気がする。

 能楽堂にしばしば通っていたころ、この御仁はいい席でよく眠っておられた。演じる側がプロであれば、観ている側もプロになると、迷惑をかけないように下手のところでは寝ることができるようになるそうだが、この方はもうすべてでよく寝ていたような気がする。

 ただ、悪口はさておき、何気ない逸話が楽しい。例えば、ワキ方の名人で夏目漱石に謡を教えていた宝生新の没後、その高弟で後の能楽界を背負うワキ方となった松本謙三が「楽屋で師匠が座っていた場所には決して座ろうとはしなかった」なんていうのは、らしい話ではないか。

 文中に出てくる役者で、辛うじて観たことがあるのが数人いるだけだが、あの人が若いころはこんなであったのか、と思いを馳せるとなるほどと思ったりする。そういえば、公設の能楽堂を除けば、実は能楽堂には切符売りの窓口があるところはない、という指摘があった。もともとは、パトロンが年間通しで席を確保するのが当たり前で、切符を売る必要がない、というのがこの世界の「当たり前」だからだ。それはそれで、今でもそういう気風はある。

 そういう空気を打ち破ろうという動きが今、無反応になっているような気がする。もう観客層が生き生きしていないのではなかろうか。かつて、能と能の間に上演される狂言など、休憩時間のようになっていたものだが、今や野村萬斎が出るというだけで逆に能の会の観客が増える。やはり活気のある部分に人は惹かれるものである。
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知らぬこととは言いながら

 知らないうちに世話になった方が亡くなっていた。

 昨年末、亡くなった方の墓所を訪ねようと、この方の所に電話したら、夫人が電話口に出て「ご存知ありませんでしたか。この8月に亡くなりました」。と言われて、愕然とするやら、恥ずかしいやら。ずいぶんと世話になりながら、どうにも格好のつかない話になった。

 この方は人生を2度生きたような方だった。京大工学部を卒業して、帝人で技術畑一筋に歩いてきたものの、オリックスが球団を買収し、幹部を公募した時に突然のひらめきで転身。新生球団の重役として活躍した。幾度となくご自宅で話をしたものだが、才気煥発、語れば領域を超えての話題に及ぶアイデアマンで、笑顔の柔らかい人だった。それで野球少年のような純粋さがあった。振り返ればあのころのオリックス野球クラブというところは新生の意気に燃えたようなところのある球団だった。長谷川、田口、イチローらが次々と入団していたころの話だ。

 「どうも生前は本当にお世話になりました」と夫人。聞けば、第一線を退いてからここ数年はガンで闘病中だったという。一度は車いすで生活するまでに回復したものの、再発して病魔に倒れたそうだ。

 金光千尋氏、享年67歳だった。まだ若い。
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「四国遍路の寺 (上)」五来重

四国に行こうかな、病をかき立ててくれる本です。
「四国遍路の寺 (上)」


四国というとサーフィンの世界ではよい波が立つので有名なのですが、大昔の日本には海に向かって拝む、海の彼方を崇拝する、という信仰があったらしい。それで、その業の一環として辺路といってぐるぐると磯辺や山を巡りながら海を見て拝む、という習俗が始まったと説いています。そして海の神様に捧げ物として火を焚いて見せていたことから、逆に、船乗りには山が拝む対象になっていった、という話が続きます。

この五来重という人は修験道の研究では第一人者といわれた人なのですが、日本人の心の襞、というか忘れてしまっているようなものをDNA解析してくれるような感じが、とても快感であります。

行場で修行者の世話をしてくれる所が寺に変わり、険阻な場所から町中に移り、修行の呼び名も辺路が遍路に変わり、四国に88ある札所のスタンプラリーみたいになってしまっている今の四国八十八カ所巡り。NHKでもドラマを放映していますが、それでも心の皺の奥が広がるような体験が今でもできるのかもしれません。

ただ、この本は面白いんですけど、とても眠くなる本でもあります。博覧強記の故でしょうか、話の類例が実に多いんですね。

ところで、石井秀明というサーフィン雑誌の名編集者がテケテケの小生宛の手紙の中で、「波乗即仏道」と説いてくれたことがあります。凡夫はその意味を完全には理解していません。ただ、彼も感じていたことは、この本で五来が説いている思想、あるいは民俗学者の折口信夫が説いた「常世の国」の思想に裏付けられたものだったのかもしれません。

確かに下手なサーファーは板にまたがってじっと沖を見つめているしかありませんから。その点で格好の修行なのかもしれません。

ところで、全然関係ないのですけど、八重洲ブックセンターの8階洋書売り場で、イビチャ・オシムそっくりの人物を見掛けたのですけど。何を買っていたかまでは確認できなかったけど、気になりますなあ。背格好といい、あの顔つきと言い、本物だと思うけど。
posted by 曲月斎 at 01:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月28日

「お札」再登場

「お札」にみる日本仏教

この本は2度目の登場。
でも読み通してみて、本当に面白かった。
というのは、仏教というのはインドに生まれて、中国、朝鮮と経て、日本に渡ってきたものだけど、その由来、信仰の淵源が何気ない言葉や姿の中にあることを教えてくれたからだ。

こういうのは日本の仏教専門書でもいざ知らず、サンスクリット語まで遡って、学問として研究を重ねてきたフランスの学者ならではの姿勢だろう。
たとえば、修験道の開祖といわれる役小角のお札だ。前鬼、後鬼という2人の従者がいて、片方は今でも大台が原の奥で宿を開いているというのは知っているのだが、その持ち物が薪と水。どちらも行で不可欠なものを捧げ持っている。だから従者であり、役小角なのだ、という絵解きまでしていることは少ない。

個人的には本当に知的な刺激の多い本だった。読み進めるのが本当に楽しみであった。
posted by 曲月斎 at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リヤカー

博多といえば、屋台。屋台といえばリヤカーである。

リヤカーを製造している東京・南千住のムラマツ車輌によると、全部当然ながら手作りである。

もうふた昔にもなろうか。このムラマツ車輌に出掛けたことがある。というのは、その直前にアフリカに出掛け(何しろ、初の海外旅行はケニア、タンザニアだったのだから)て、現地で日本から持ち込まれたリヤカーが大活躍をしていたので、面白くなって、見に行ったのである。

確かにアフリカのように、人手は余っていて、物資が不足しているところでは、リヤカーほど便利な運搬手段はあるまい。タンザニアのダルエスサラームには日本の援助でリヤカー工場ができている筈だが、今はどうなっているだろう。

最近は新製品でマウンテンバイクに取り付けられる小型のリヤカーも発売しているそうだ。ちなみにHPによると、タイヤのサイズはすべて26インチで荷台の大きさによって、72000〜84000円だそうだ。フルのウエットスーツ1着というところか。

おどろいたことに、今や楽天市場で通販もしているようで、他のメーカーからはアルミボディの折りたたみ式のものまであるというのだからすごいものである。

博多の屋台は開いているときにはそれなりの間口に見えるものだけど、昼間は路肩に駐車してあるのを見ると、本当にこじんまりしたものだ。ちんまりと主人の帰りを待つ忠犬のようにも見える。
posted by 曲月斎 at 20:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 偶然忽然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月23日

「美酒楽酔飲めば天国」

「世界の名酒事典」掲載の座談・エッセイ・酒論から、珠玉の15編を精選。阿川弘之、開高健、丸谷才一、埴谷雄高、吉行淳之介、遠藤周作ら、座談の名手・酒の哲人18人が大集結。今、昭和・平成の洋酒史が立ち上がる−−というふれこみのこの1冊。
「美酒楽酔飲めば天国」


中でも前半の方がおもしろい。開高健と阿川弘之の対談とか、丸谷才一らの対談とか。蘊蓄を傾けるという訳ではないのだけど、酒とのつきあい方が自然と伺える。

「死霊」のような難解な小説を書いた埴谷雄高が、甘いワインが好きでそれを夜毎に嘗めていたというのもおもしろいし、阿刀田高はさすがにショートの達人らしく、バーでの心得と心理を簡潔に纏めている。遠藤周作の随筆も、日本人と酒の付き合い方を説いてやまない部分がある。

世界の名酒事典というカタログ本が今も長い命を保っているのは、こんな作家を選ぶ、編集者の心がけがあるからだろう。
posted by 曲月斎 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

博多へ、福岡へ

やっと福岡、である。

国内各地の中で、食べ物が一番充実しているのがこの街であろう。もちろん、繁華街の中洲はさておき、その両岸や天神、さらには市内各地にある屋台。まさに不夜城の趣である。

福岡に行くのは2年ぶりになる。前回は1泊2日の強行日程で、馴染みの店に顔をともかく出し回るのに、手一杯だった。せっかく取ったいいホテルに戻ったのが午前5時前だったことを思い出す。この時は計8軒を駆けめぐったのであった。

今回は少し余裕があるので、そこまでの強行軍ではない。しかし、今度また、福岡に行けるのはいつになることやら。「檀家」周りは入念にしておかずはなるまい。

しかし、ここまで心躍るのはなぜなんだろう。この街は大阪と同様に、値打ち相応のサービスがえられるからに相違ない。しかも店主がそれぞれに個性的で、情に篤い。

ちょうど折り返しの飛行機が今、ウイングに着いた。もうすぐ搭乗案内である。
posted by 曲月斎 at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月22日

日本橋はいばら

はいばら

和紙というと、この「はいばら」。日本橋にある老舗で、雁皮紙の草分けだそうだ。最近はオンラインショップまで開いているのだけど、ここの店は見ているだけでも楽しい。
posted by 曲月斎 at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夜の街

元町


元町もすっかりクリスマス模様。気が早い気もするけど……。
posted by 曲月斎 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

虫の便り

スパムメールが相変わらず、大量に届いております。
メールソフトは相変わらずのBecky。これ自体は優れものでありまして、安定性もいいのですが、これに関連してのスパムメール阻止用のフィルターを付けてもダメ。

そこでスパムメールの多い、アサヒネットとiij4uのアドレスにプロバイダ提供のフィルターを付けたのですが、iij4uの方は有料ですがなかなか高性能、アサヒネットの方は今一つであります。

仕事用はOutlookを遣わなくてはいけない仕様になっているのですが、これもVerの2000は遣い勝手が悪く、2003の方がまだまし。

すでに立冬を過ぎたというのに、こちらの「虫」は収まる気配がないのは、本当に困ったものです。

プロバイダのフィルターを付けても、結局、大事なメールが間違って引っ掛かっていないか、チェックに行かなくてはいけないし、2度手間です。ま、山本夏彦翁の再々説いていたところの「機械ある者は必ず機事あり。機事ある者は必ず機心あり。機心胸中に存すれば則ち純白備わらず」なのであります。
posted by 曲月斎 at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8メートルのサーフボード

数日前、南米からの外電で、8メートル余りの板で波乗りをした話題が写真付きで紹介されていたんですけど、ヤード・ポンド法で換算したら、約27フィート。つまり9ヤードってことです。アメリカンフットボールならあと1ヤードで1stダウンが与えられるという長さです。

普通、ロングボードと言われるものでも、9〜9.5フィートくらい。それの約3倍であります。確かに浮力はあるけど、取り回すのが大変だろうなあ、と思う次第。ちなみに北の富士さんが昔、ハワイで乗り回したと自慢するボードは10フィート(約3メートル)だったそうであります。

確かにメートル法で育った人間ではありますが、部屋の広さは何畳で、土地の広さは何坪で、着物を仕立てる時は尺貫法。家を建てている時も現実は何間何尺で考えています。

そもそも子午線の1000万分の1が1メートルと定められた時の話で、
「万物の尺度を求めて―メートル法を定めた子午線大計測」

とかいう本は、書評欄を見て買っておいてあるはずだけど未読。自分で手に取ってみないと面白そうかどうか分からないものだなあ、と思う次第。

そんな話はさておき、人間の感覚は時と場合によりけりの度量衡で感じが変わるものである、と再発見したのであった。ちなみにあの小錦でも最重量のころで、75貫半くらい。なかなか世の中には「100貫デブ」というのは存在しえないのであります。
posted by 曲月斎 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最近買った本

あれこれ、最近買った本。何か支離滅裂、ですなあ。相変わらず……。

「文学全集を立ちあげる」
(丸谷才一、鹿島茂、三浦雅士)

「サッカーで燃える国 野球で儲ける国―スポーツ文化の経済史」

(シマンスキー、ジンバリスト)

「実録 メジャーリーグの法律とビジネス」
(エイブラハム)

「四国遍路の寺 (上)」
(五来重)

「四国遍路の寺 (下)」
(五来重)

「必携!四国お遍路バイブル」
(横山良一)

「88の祈り―四国歩き遍路1400キロの旅」
(秋元海十)

「メディアスポーツ」
(広瀬一郎)
posted by 曲月斎 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 積本抛讀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月19日

「イノなき」井ノ原快彦

「イノなき」


いわゆるブログ本です。ちょっと評判になっていたので、取り寄せてみたのですが、あきまへん。どうにも。というのは、プロットがぶつぶつに切れていて、活字という媒体に載せた時にはどうにも間が保たない。

最近、知己に文章がブログの影響を受けていますねといわれたけど、確かにそうなのかもしれない。思考を最後の落ちまで持って行かなくても、ブログならばぶちっと切ることができるから。そんな嫌な点がよく分かる、反面教師のような本です。

もっとも、この筆者の好きな向きには日常生活の機微がにじみ出ていて、そういう本来の意味では面白い本なのかもしれないけど。
posted by 曲月斎 at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 積本抛讀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1通の手紙

もう2週間ほど前のことなのだが、銀行のキャッシュディスペンサーのところで黒革の二つ折りの財布を見付けた。ちょうど機械の上に置いたままの状態。たぶん、カードを出したり入れたりしているうちに忘れてしまったのだろう。

困っているだろうと思い、窓口に届けると、「ありがとうございました。万一の連絡先にご住所をお願いしていいですか」とのこと。出された書類に記入すると、お荷物になりますがと、芳香剤を一つくれた。

忘れかけていたのだが、昨日、その銀行から手紙が届いた。ハトロン紙の封筒には三文判が2つ。たぶん、発送する際に、手紙を書いた人間とチェックした人間のものだろう。で、手紙の中身は以下の通り。「先日はおさいふのお届けありがとうございました。無事に持ち主にご返却する事ができました。ご連絡が遅くなって申し訳ありません」

この内容がA5版の紙に書かれていた。
こういうものなのだなあ、と妙な感慨にふけってしまった。追記
posted by 曲月斎 at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「風俗 江戸東京物語」岡本綺堂

「風俗 江戸東京物語」

岡本綺堂の随筆集。河出文庫の風俗江戸物語と、風俗明治東京物語の合本でもある。
江戸時代から明治にかけての東京の行住坐臥が軽い筆致で綴られていく。
非常に読みやすいし、時代劇などで見聞している姿が実際とは史実が違っていたことも分かるし、この本をネタに小説の世界を広げていくことも十分にできるだろう。某小説家氏がこの本を粉本にしていたというのももっともなことだ。

相撲に能に歌舞伎に祭り。魚河岸の四季など、繰り返し描かれていく世界は、小泉政権の誕生以降のここ数年で特に一気に失われていってしまったものかもしれない。そしてどんな風俗も支える人間の風気がなければ、成立しえない。

ただ、「風」がよく生きていくということは、いつの時代にも変わらない価値観だろう。そんな彼方の記憶を思い出させてくれる1冊でもある。飛ばし読みがしにくい本だったので、読み終わるまでに随分と時間が掛かってしまったけど、玩味する値打ちはある。

ちなみに、岡本綺堂の関連で、充実したHP「綺堂事物」があったので、リンクを張っておく。
posted by 曲月斎 at 19:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

「お札」にみる日本仏教 ベルナール・フランク

「お札」にみる日本仏教


世の中には、読む本と眺める本があると思いますけど、これは両方、です。

神社仏閣で、信者に配ってきたお札を鍵に、日本人の信仰や仏教のありようを考えている本でありまして、全国で蒐集した約200点に及ぶお札を分類、掲載しているのです。

難しい仏教哲学はさておき、日本人にとって、宗教とはどんな存在だったのか、というのを考える上で、これほど好個の手がかりはありますまい。

筆者は1954年からこの収集を始めているのですが、日本という国は今に至る間に高度成長時代という時期を挟んでおり、既に退転してしまったものも多いようです。

でも、この本に載せられているお札をながめ、また、フランス人の筆者が解説していくところを読むと確かに「信心」の構造が少し分かってくるような気がします。

先般、東京・町田でこのコレクションの展覧会をやっていたのですが、見逃してしまいました。残念に思っていた矢先に見付けた1冊です。もし、日本人の信仰について考えるきっかけを見てみたいと思えば、手に取る価値のある本です。
posted by 曲月斎 at 14:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月16日

笈の中より到来の巻物一巻取り出し

能の世界で「三読物」といえば、安宅の勧進帳、木曽の願書、そして正尊の起請文をいいます。
普通の能のリズムとは違う節当たりで、強吟と弱吟が入り交じったもので難曲といいますが、一度習ってみたいと師匠に言ったらいいよ、のひと言。

「そうだね、やるならやっぱり安宅か。勧進帳がいいね」
そう、勧進帳がいいですねえ。

てな会話をして早数か月。酷い弟子であります。

一人朗々と読み上げるのは実に気持ちいいものです。ササッと年内に上げてもらおうかな。
posted by 曲月斎 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 三間四方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人形町・世界湯

日本橋人形町に行き付けの店があるので、店に行きがてら、近所の銭湯に足を伸ばす。
屋号は大きく出て「世界湯」である。

世界湯


ここは何もない昔風の銭湯。
流し場は島が2列とれそうなのに、1列だけで広々。壁際にはシャワー付きのカランがある。湯船は2槽で、左が深くて少し熱い。右が浅くてちょっとだけぬるい、といっても43度くらいはありそうだけど。

で、あとはなにもなし。風呂の背景は山水で、女湯側の方を仕切り越しに覗くと富士山が見えるという定法。

脱衣場の外には坪庭があって、お定まりの池もある。その濡れ縁の奥が便所という設計は本当に昔ながら。天井は高いけど格天井ではない。番台の上のタテに並んだ明かり取りのサッシと天窓が何かモダンである。

下町の銭湯は熱い傾向があるけど、ここもその例にもれない。でもいい湯、だった。
posted by 曲月斎 at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 街角辻辻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

鹿児島・鰻温泉

鰻池

師匠が鹿児島の指宿に旅行してきた、という。
行くのを知っていれば、教えれば良かった、と思ったのが、鰻温泉である。

開聞岳の周りにはいくつか噴火口跡があるのだけど、この鰻池もその一つ。そのほとりに湧くのが鰻温泉である。
鰻温泉


指宿から車で15分ほどながら、丘陵地から突然、火口湖の畔に急坂を下りていくと秘境ムードが漂う。ほんの十数軒の集落だが、それぞれの家で噴気口を持っているそうで、蒸したり炊いたりは、この熱を利用しているそうな。

集落の真ん中にはこの鰻区営の共同浴場があり、硫黄の匂いたっぷりの温泉に入れる。指宿というと観光地だけど、ここは一気に田舎、という感じで、できれば泊まってみたかったところの一つ。

もう何年前になるのだろう。

間違っても往年の11PMのウサギちゃんは出てきてくれそうにもない温泉場だけど。
posted by 曲月斎 at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 津々浦々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

依らしむべし。

「スポーツ・マネジメント入門」

「スポーツマネージメント入門」を読み返していて、こんな項目に出逢った。
メディアトレーニング、という項目である。

NHLのある球団の選手に対するマスコミ対応十戒を引用している。孫引きをゆるしてもらうと、
1)公然と審判を批判してはいけない。
2)(負けた)言い訳や言い逃れはしない。
3)専門医や監督、あるいはGMの許可なしにケガについて話さない。
4)広報担当のいないところでオフレコの話はしない。
5)相手チームをオーバーに誉めない。
6)チームについて思惑で話さない。
7)偏執的にならない。
8)メディアに対してチームと同じ言葉遣いは混乱を招く。
9)フロントへの尊重を忘れない。
10)ファンへの言及を忘れない。

だそうな。

Jリーグの選手らの木で鼻をくくったようなインタビュー場面を見ていると、この十戒を守っているような気がして仕方ない。
体系化するということは面白くなくする、ということになるのだろうか。そんなことはないとは思うのだけど。
posted by 曲月斎 at 01:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 積本抛讀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする