2006年06月29日

名古屋の地下鉄

久しぶりに名古屋に来て、びっくりしたこと。
栄のど真ん中にあったダイエーが閉鎖されて空きビルになっていたこと。
それから、地下鉄が異様に複雑になっていたこと。
名古屋地下鉄


以前はもっと単純だったのに……。
posted by 曲月斎 at 16:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月27日

当分、手がつきそうもない本。

「メジャーリーグの数理科学」上下
「万物の尺度を求めて」
「エッセイの贈りもの」全6巻
「夕刻のコペルニクス」上下
「ニーチェ−美の永遠回帰」
「ニーチェ−ヨーロッパのニヒリズム」
「アディダスVSプーマ もうひとつの代理戦争」
「スポーツ・マネジメント入門」
「統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀」
「世界の作家32人によるワールドカップ教室」
「トップスポーツビジネスの最前線2」
「グローバル化するスポーツとメディア、ビジネス―スポーツ産業論講座」
「サーフィン検定合格ガイドBOOK―NSAクラス認定テスト」
「ドジ井坂のサーフィン・スクール―最新メソッドによるベーシックテクニック解説書 基本編」
「ビバ・オヤジ酒場―酔っ払いヴィジュアル系」

うーん。手つかず。
posted by 曲月斎 at 03:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 積本抛讀 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

45歳の若さで

北天佑

きょう26日は二十山親方(元大関北天佑)の通夜。
春先に脳梗塞ということで入院、それっきりになってしまったんだから。若いだけに病の進行も早かったようだ。

主を失った部屋、稽古場に設けられた祭壇では笑顔の親方の写真が真ん中に
あった。人間、天命があるとはいえ、それでは割り切れないような気がする。通夜には鳩山由起夫(選挙区だから?)、橘家圓蔵なんていう角界以外の顔も見えたけど。何か割り切れないまま、の気分だわな。

言葉を交わしたのは数度。「俺は出世が早かったから。俺が簡単にできたことが弟子が何度教えてもできないんだよ。歯がゆいよ」と漏らしていたのを思い出す。物静かで真面目。同期の親方衆はもちろん、廃業した同期生も顔を見せていたし、髷を落とした弟子も来ていた。

3度目の改名、勝徳院釈天佑。享年45歳。
posted by 曲月斎 at 03:17| Comment(1) | TrackBack(0) | 知進知退 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夢は実現する・・・

「会長への道」
東京で落語といえば、古典落語系の落語協会と、新作落語系の落語芸術協会が2大派閥。
で、26日に落語協会の総会が開かれて、会長には三遊亭圓歌に代わって鈴々舎馬風が就任したそうである(ちなみに、芸術協会の方は桂歌丸、上方落語協会は桂三枝がそれぞれ会長)。
ちなみにプロフィールには「豪快な芸風で『禁酒番屋』『親子酒』を得意とする」とあるけど、この人は「会長への道」しか聞いたことがない気がする。
そも落語協会会長は戦後は初代が4代目小さん(46年)、2代目が8代目文治(47年)、3代目が8代目文楽(55年)、4代目が5代目志ん生(57年)、再度文楽が就任(63年)して、6代目圓生(65年)。
72年に5代目小さんが就任して05年から10年、圓歌が会長職を勤めてきた。
別に、会長になったからといって、なにの役得も大してないだろうけど、かつて4天王といわれた志ん朝、小三治、談志、圓楽いずれでもなく、馬風が会長になったというのは意外だった。もっとも、先代会長も「中沢家のひとびと」が得意ネタだったのだから、「会長への道」一本槍だった馬風のことも言えまいが。ただ、せっかく落語ブームといわれている中で、落語のおもしろさをもっと全面に出せる人がトップにいた方が……、という気がするのは所詮素人なんだろうか。でも、夢は叶う、とはいうものの、ハリ扇バシバシの品位ある藝を見せてくれていた馬風師匠が会長とは、ね。
ちなみに今期、理事を降りたのは小朝と雲助。含むところあったと腹をさぐりたくなるのはゲスの勘ぐりかもしれない。
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2006年06月26日

ゲンゴロウさん

ゲンゴロウ

6月になると、近所に縁日が立ちました。それも10日、20日、30日と月に3回。約100メートルほどの距離だろうか。

金魚すくいに、ヨーヨー釣り、射的に輪投げ、宝釣り(分かります? 紐の束が在って、それぞれの紐の先には景品がぶら下がっている、というもの)やら、水飴売りなど定番の露店が並んでいる中で、ひときわ人気だったのが「ゲンゴロウさん」。

詳しく説明しますと、たらいの縁が仕切ってあって、その仕切りの壁面に5から15くらいまでの数字が書いてあるんですな。たらいの上には針金で作った丸い輪が掛けられておりまして、このたらいの中で遊泳していますゲンゴロウを網ですくってこの輪の中に投じる訳です。するとゲンゴロウはヒョコヒョコと泳いで、どこかの仕切りに入る訳です。

で、仕切りに書いてある数だけ、揚げ菓子をくれるわけなんですな。揚げ菓子と言っても、うどん粉を練って伸ばして、王冠くらいの大きさに型で抜いて、へたれ抜いているような油で揚げ、砂糖をまぶしただけ、という代物。白いうどん粉の生地が揚げたらもう茶色くなっているようなものであります。ま、うどん粉とふくらし粉を混ぜたものだったのでしょう。いろいろ試してみた結果、ちょっと上品になってしまうけど、森永のホットケーキミックスで作るとそれに近い味になる感じであります。

「ゲンゴロウさん、ゲンゴロウさん、お宿はどちら、お土産いくつ」てな囃子文句が書いてあったような気がするんですけどね。1回10円で、三角に貼り合わせたざら紙の袋にこの揚げ菓子を入れてくれるんです。

後にも先にも、こんな露店はこのじいさんがやっていたのをみただけなんですけど。ありゃ何だったのだろう、と今でも思い出しまします。
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2006年06月23日

小三治は体調不良?

新宿末広亭6月下席夜の部
という訳で、寄席である。
昼間、ウチの親分に聞くと、「夜の部の主任は小三治ですから」と声を弾ませていたので、そういう選択肢もあるな、と仕事を済ませて、主治医のところでの受診を終えて、銀座から一路、新宿3丁目へ。
着いた時には1階の客席はほぼ満杯。教えてくれた親分の頭も3列目くらいに見えたが、連れが居たようなので声を掛けずに、左右の桟敷の2列目くらいに座り込む。桟敷の1列目が埋まっている感じ。
ちょうど曲芸をやっていたので、あっさりとパス。同じ曲芸でも鏡味系の方が翁家系より何かスマートである。
で、さん八の「親子酒」に繋ぐ。短い時間ながら、きちんとこの日のサッカーW杯のブラジル戦の話から枕を振り始めて、きちんと親子酒に。そして扇橋。こちらは6月の節季払いの時期を意識してか「加賀の千代」。本来は大晦日の話だが、「朝顔に釣瓶取られてもらい水」の句が生きる時期らしくもある。光石宗匠らしい展開か。

で、中入り。燕路が「粗忽長屋」を手際よくやって、写真は若手の漫才の「ロケット団」。ちょっと大阪的で下品な振りが目立つけど、口跡は悪くないし、後はネタを磨くことだろう。将来に期待、というところ。ロケット団


で一朝。「蛙茶番」の圧縮版。鬼一法眼三略巻の天竺徳兵衛を茶番でやるということを一切振らずに、最後に「あそこにアオダイショウが居るから」はないだろう。端折っても端折らなくてもしなきゃ行けないことはあるはず。元々バレがかった噺だから、どう持って行くかなのだが。

さて本題のトリ、小三治である。
黒の五つ紋の羽織に紋付き。すっと平織りの羽織紐をほどいたところまではいい。そこから迷走。「ここに上がる時は何を考えてやろうか、何も考えないで来た時期もあるんですが」ては噺から、どうも二つ、三つは候補を考えてきたらしい。
でも、前に酒の噺あり、長屋ものありと、なってくると同じものは続けられないので避けていく内に、混乱したと説明する。ネタ帳を見ると、昼席初口の前座がやろうと思っていた噺をやっていたとか、同じく楽屋にいた兄弟弟子の扇橋に言われたものはやりたくない、とか。

で、「以前は60歳で死ぬといっていました」という占い師の話やら、「その占い師に言われた干支の中で午と未が良くないと言われたそうで、この日は午の日(正確には壬午)だから体調がよくない」という。途中で市ヶ谷に箪笥町や御納戸町、二十騎町という町名が残った噺に転じ、「これは共産党かぶれの飯沢匡が住んでいたからこういう風になった。頼りになるのは共産党」といったと思ったら、今度は征韓論の噺。日本はし向けられた戦争だったかもしれないけど、日本も回りの国に仕掛けて居るんだ。歴史を知らないといけないという噺になって、「七代将軍吉宗」「四代将軍綱吉」など珍解説続出。最後に天保の改革でその前にあったのは享保の改革(正しくは寛政の改革)、貨幣の改鋳などなど、活字に起こす意味もない漫談が続いた。

何でも出る直前まで、やろうかと思っていた「千早振る」を扇橋に言われて、意地でもやるかと思ったそうだが。

体調の悪いときには仕方ない。でも聞き捨てならぬ惹句があった。「これから寄席ではこうですから」。枕だけ(枕にもなっていないが)を振って45分。やろうと思えば何でも出来るのに。

一番簡単なのは自分の寿命の噺辺りから、死神に持って行ってしまう。占師に疫病神呼ばわりされたかかあの噺から、火焔太鼓に持ち込む。千早がダメなら薬缶にでもするか。

小三治だから何の逃げ手もあったろう。自分で自分の隘路を塞いで行くのを楽しんでいるように見えた。でも。

わるいけど、小三治は、かつて人形町末広で「寝かせといてやれ」といわれる志ん生の芸風ではない。2700円の割り前の半分は小三治目当てだったのが正直なところだ。何か釈然と出来ないままなのである。

ちなみに当の小三治は下がった幕の際まで頭を抱えていたが。体調が悪いなら、回復を祈るや切である。
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2006年06月22日

「先崎学の浮いたり沈んだり」先崎学

「先崎学の浮いたり沈んだり」


こんな雑文だって、評論といえば評論だ。人様の本が面白いの、映画が不出来のとご託を並べているのだから、怖い物知らずにも程があるかと思っている。
で、その評論について絶妙の一文を見付けたので、紹介する。
このごろ嵌っている棋士・先崎学の一文だ。週刊文春誌上掲載。「頭の中を翻訳する」というのがそのお題。要は竜王戦で、藤井猛竜王が羽生善治挑戦者を4勝3敗で下した時の話だ。
氏は「将棋世界」なる機関誌から観戦記を依頼されていたという。
家でテレビで見るつもりがその熱気に押されるように、現場に出向いてしまう。其所での話である。以下引用が長くなるので。

評論とは、感性の披露である。感性とは手持ちのカードのようなもので、出しているときはいくらでも出てきそうな気がするが、自分の残り札が少なくなってきていることには、なかなか気がつかない。
将棋を戦うということはすなわち、感情のぶつかり合いでもあるため、手持ちのカードは多ければ多いほどよい。だから棋士達は将棋盤の前に座る時、決して評論家の目にはならない。なったらお終いである。そこに在るのは体感であり、皮膚感覚である。
皮膚に染み込んだ感性を言語に換えることには非常な困難さがつきまとう。不可能だといってもいい。言語という表現を持った瞬間から、感性は色褪せてゆくからである。
将棋を指す側と語る側。この両立はさほど難しいものではない。ただし、知らず知らずのうちに、自分のカードの切り売り−将棋が弱くなるという危険を孕んでいる。
(中略)将棋は、残念ながらサッカーや野球などのスポーツと違い、動きはすべて両対局者の頭の中に在るため、そこをつつかなければ、観ている方は楽しみを享受することができない。そして高いレベルの感性を言語に換えるのには、やはり同じくらいのレベルを持った人間が一番向いているのである。(中略)
私はもちろん将棋が弱くなりたくないが、ファンの人には楽しんで欲しい。この矛盾を解決する方法は、評するのではなく、対局者の思考と心理を「翻訳」するよりない。
頭の中を翻訳するのだから、こちら側は想像力を駆使するよりない。従って観戦記を書く時の仕事の大半は、想像を言語にすることなのである。(同書74〜77ページ)

確かに評論ということは手持ちのカードを切っていくことに等しい。そのカードを今、一生懸命ため込んでいるのだが……。ちなみに先崎八段は現在順位戦ではB級2組に落ちている。
posted by 曲月斎 at 04:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

「千倉駅」

昭和40年代に、希代の民宿ブームが南房総の町に訪れた。
その時の中心になったのが千倉。両国から急行に乗って、館山を抜け、やっとの思い出ついた駅で迎えてくれたのがこの看板だった。
千倉駅

でも、民宿ブームも今は昔、何でも市町村合併で、内房線の富浦から和田浦までが一つの市になってしまった。
で、この駅名板、よくみると「千葉県安房郡千倉町」とある。改修工事が終わった暁にはお役ご免となるのだろう。
また、海が遠くなってしまった気がする。
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「別れてよかった」内館牧子

「別れてよかった」


人気女流脚本家にして、横綱審議委員を務める内館牧子のエッセー集。
読んでいくと、前半は藻掻く話が続く。男女の仲など、道を異なる方向に歩き出すことを決めてしまえば早い。男子は恋々とするものだろうが、女の方は切り替えが早い。そのきりかえの速さ、どこかくるのか、分析、後付が歯切れ良い。

真ん中は映画の論評集。こういう見方もあるのかな、と教えられること大。ただ、持ち前の啖呵の切れ味の良さは隠すべくもなく、内館らしい作品になっている。

最後、かつてを振り返っての一章。これが今の内館の気持ちを一番、鏡で見せてくれる部分かもしれない。あくまで鏡像、本当だとはいわない。一人、母校の武蔵野美大のラグビー部グラウンドに戻って、「グラウンドは心の故郷かな」なんて思う自分自身のクサさも好きだという。

臭いのもすべて、戯画化しているのだから、大した物だ。歯切れのよさ、そして書いている以上に考えていること。「北の富士の追っ掛け」をやったOL時代。しかし、今となっては「もし奥さんになっていたら大変だろうと思う」と言い放てる自分。この落差こそ内館の身上だと思う。
読んで面白い本である。
posted by 曲月斎 at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月20日

「五郎治殿御始末」浅田次郎

「五郎治殿御始末」


書かれた時期が2000〜2002年。解説で磯田道史が書いているが、日本の景気がどん底だった時期だった(今でもそう大差はない、と思っているけど)。そんな時代背景が生んだ小説群といっていいのかもしれない。

で、収められている6編はいずれも徳川幕府崩壊直後の武士の在りようを背景に据えたもの。彰義隊の生き残りが親友の遺児を引き取って育てる話、戦の中で命長らえるために千両の証文を書いていた3人の武士、旧暦から新暦に変わって家業の職を失う旧天文方の武士などなど。中でも、桜田門外の変で生き残った井伊直弼の近衆と水戸浪士の再会を描いた「柘榴坂の仇討」、そして幕末維新の混乱の中で翻弄された桑名藩の一武士の代々を書いた表題作の「五郎治殿御始末」は読み応えがある。どう生きていくのかという命題と同時に、どう死んでいくのかという難問の一つの姿を示すものになっている。

難解ではないし、読みやすいんだけど、読了した後にかすかな「澱」が心に残る。道具立ても上手いし、委細に引っ掛かるところがない。この人はやはりストーリーテラーとして、希有な存在であることを再認識した。
posted by 曲月斎 at 04:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月19日

アッツ島かガダルカナルか

といっていたら、まあ、キスカ島くらいで済んだみたいだね。
この局地戦は。
大局は動かない、けど。
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2006年06月18日

「ジューススタンド」

弱いんだよね、こういう店は。
地下鉄の永田町。あそこは乗り換えの階段が異様に長い。その峠の茶屋よろしく、このジューススタンドがある、という訳。
ミルクスタンド

やっぱり、ついよgてしまうでしょ。「イチゴジュースね」といった具合に。ちなみにイチゴは250円、余の大半は200〜220円かな。
posted by 曲月斎 at 06:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「先崎学の実況 盤外戦」先崎学著

「先崎学の実況! 盤外戦」


原稿のリズムがとてもいいです。そして、話の展開が急で品位がある。
棋士にもこういう逸材が出てきたのは喜ばしい限りであります。
1970年生まれ、米長邦雄門下。87年にプロ入り。現在は8段でA級順位戦に戦う棋士であります。

話のネタといえば、身辺に起こったことの点綴。でも、デフォルメの仕方が上手い。省筆が上手いから、読んでいる側も話題に採り上げられた側も嫌みが残らないのであろう。

一読三嘆とは言わないけど、読んで面白かったと無条件で言える本ではありますな。
棋士は白黒の決着の付く世界に暮らしているけど、白黒の決着の付かないエッセーという世界に取り組んでみたかった、というのはもっともであります。わかりやすいよね。その気分は。
posted by 曲月斎 at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「人間ドック」

馬齢を重ねると、人間ドックのご案内、ってヤツが来る。

主治医に相談したら、「このリストでドックで有名なのはIクリニックですよ。行ってみたら」という訳で、ノコノコと出掛けたのが某有名ホテルの中にあるこの医院。
朝から繁盛の様子で、検査衣に着替えた面々が次々。で、まず、受付(というよりもホテルのフロントといった風情)で何を検査するか、何を追加検査して欲しいかを相談。
胃の検診はバリウムでのレントゲン撮影だというので、それなら自前で胃の内視鏡検査をまた近々する予定なのでパス。バリウムを飲んだところで、外から撫でて検査をするようなものだからだ。
その代わりに主治医から進められたのが肺のCT検査。これがオプションで一番高かったけど、まあ愛煙家の定めと、これを追加注文して受診。合間合間に看護師に聞けば、きょうは40人くらい、多い日で100人くらいは受診に来るという。
流れ作業の手際よくスイスイと話は進んで、検査は終了。緊急の異常があればすぐに知らせるとのこと。

帰りに入居しているホテルの中の何軒かで食事が出来るチケットをくれたが、どうもそんな気分でもなく、東京メトロを乗り継いで目黒へ。目黒といえば「とんき」。だが、電話番号案内で尋ねると、西口と東口にあるという。確か店は権之助坂下だと思ったが、こちらは土曜は16時開店のよし。東口にある店に入る。おなじ「とんき」の支店なのかしらん。謎は解けないままにそこでトンカツを[食卡]す。

食事を済ませて今度は東急目黒線へ。ガキのころから目蒲線といっていたはずだが、何でも2000年に目黒線(目黒〜武蔵小杉)と多摩川線(蒲田〜多摩川)に分割された由。車窓に映る景色は高架工事区間あり、地下駅あり。上がったり下がったりしながら、大岡山、奥沢と緑の多いエリアを走って、気が付けば武蔵小杉。
一生懸命、脳裏の路線図をつなぎ合わせてみるのだが、未だに上手く繋がらない。こちらも謎のママ。多摩川が昔の多摩川園前というのは分かるのだが、あまりに景色が変わっているので実感がわかない。乗り換えの武蔵小杉のプラットフォームも様変わりで、ピンとこない。変わらないのは多摩川の河川敷くらいか。かつて日本ハムのファームが使っていた球場で少年野球をやっているのが見えた。

五臓六腑の検診もさることながら、肝心要の脳味噌が固まり始めているのかしらん?
posted by 曲月斎 at 05:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「伊右衛門」の風鈴

サントリーのペットボトル緑茶「伊右衛門」のおまけである。
この春の日本てぬぐいに続いて、今は「風鈴」が付いている。宮沢りえのCMに連動しての景品らしい。
1本150円のペットボトルの風鈴とはいえ、一応、本体は鋳鉄製(に見える)し、音もそう悪くない(原価がいくらかと考えると、おまけの方が本体より高いかもしれない)。

今は下手に軒先に下げようものなら、騒音苦情が近隣から来そうだが、どこかでも同じ音がしている。ならばいいか、とぶら下げた。

五月闇、というこの時候。風鈴の音を楽しむにはちょっとウエットな夜風だったようだ。柄にもなく、短調的なことをあれこれ考えるうちに、眠りこけてしまった。

ところで、おまけ好きの性分として、風鈴が付いているだけで、つい伊右衛門を買ってしまうのだが、さてこの風鈴、どうしたものか。余り軒先に下げたら、風鈴屋みたいになってしまうし、それこそ騒音苦情は必定。

風鈴


一度、5、6個、軒先にぶら下げてみるか……。どうせもうすぐ、周囲の家は窓を閉め切ってクーラーの季節になるのだし。独り身だから「親馬鹿ちゃんりん蕎麦屋の風鈴」の俗諺は当てはまらないのは先に言っておく。
posted by 曲月斎 at 05:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 身辺雑事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

この数日のこと

手紙というのは書き始めると苦にならなくなるもので、はがきを立て続けに出している感じ。
で、さる知人の病床に見舞いの手紙をと思ったが、書きようが難しい。
この方も活字相手の商売をずっとしてきた人。活字なしの生活は寂しかろうと、このごろ見舞い用に愛用している浅田次郎の「天切り松」シリーズ3冊を銀座・教文館で包装してもらう。
多少からだが不自由でも、文庫なら1冊ずつは軽いし、どこで止めても切りがいいのがこの本の特徴。荒唐無稽さと気っ風の良さが身上の小説だけに、見舞いには好適ではないかと思ってる。あとは見舞いのカードを書いて荷造りするだけ。

帰り道、駅前の本屋に寄った。
電車の中吊りで、丸谷才一の「輝く日の宮の物語」が講談社文庫に入ったという広告を見掛けたから。
店番をしていたのはかつての「おばさん」。
サラリーマンの帰宅時刻には息子が店番をしていることが多いのに、珍しくこの日は細木数子の番組か何かを見ながら、レジに座っていた。
昔は結構、文庫の品揃えも、雑誌の品揃えもあった本屋だったのに、今や通り一遍。お目当ての本は無かった。

まあ、それでも1冊、内館牧子の文庫本を買って、「ご主人は?」と聞いてみると「え? そういえば以前、見たことのあるような顔だわね。高校は?(何しろ、この駅は高校が2校、中学が4校最寄りになっている) あ、そう。Sだったの。あのころは校則も厳しかったから。そうよね。主人? 3年前に亡くなったわ。あのころの『おばさん』よ。いじわるおばさん。だいぶ、意地悪されたでしょ」とカラカラと笑った。

もう30年近く昔のことになるのだから、そういう時の流れもあるわな。

前夜は前夜で、とある酒席で、大阪の天王寺高出身の商社マンと出逢う。向こうからカウンターで寄ってきたので、話の接ぎ穂を探す。しばし、会話するうちに、落語好きと知れる。枝雀の修業時代がちょうど、彼の青春時代に重なる。「宇治電ビルってしってはりますか(ええ、新御堂の入り口から東に入ったところの)そう、あそこの裏のホールで独演会してましたんや。でも最後は死ぬやろな、と思ってましたけどね。面白かったけど」
新しく大阪で釈場が出来る話でも盛り上がり、機嫌良く帰りはりました。
後に残った身は終電で帰宅。

今の主治医のところが最近は大流行。糖尿病の専門医なのだが、引きも切らず、門前雀羅の如し。それでもよく見てくれるので、信頼してます。看護婦さんが歴代引き継いできた小生の診察記録4冊分を返却してきました。「最初のころからの患者さんなんですね」そうです、あなたで採血を担当する看護師さんは何人目になることやら。

とはいえ、明日は人間ドックの日。バリウム飲むなら、胃カメラを飲む方が楽だし正確。他のことをしてもらうよう、交渉するつもり。21時過ぎで食事は終え、今は水分をせっせと補給中。(ところで以下尾籠な話。検便を2日に分けてやれ、といいます。もちろん、昔みたいに回虫の卵を見つける訳ではないのでしょうが、楊枝の先のようなもので便の中をかき混ぜるだけ。そこに付着した便を規定の容器に収めて一丁上がりなんですが、この容器は冷暗所に保管せにゃならん。家庭で冷暗所といえば……。冷蔵庫しかありません。卵入れの部分に2日分の検便は入っております。まさに味噌も糞も一緒という気分)。
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2006年06月16日

「愛国者は信用できるか」鈴木邦男

「愛国者は信用できるか」


「一水会」の創設者で、新右翼の論客・鈴木邦男が書いた1冊。この春先の皇室典範改定、教育基本法改正などの案件が国会に姿を見せた中で出た本だ。

論旨は1点。「愛国心は国民一人一人が、心の中に持っていればいい。口に出して言ったら嘘になる。また他人を批判する時の道具にもなるし、凶器にもなりやすい。だから胸の中に秘めておくか、どうしても言う必要がある時は、小声でそっと言ったらいい」

あの市ヶ谷で割腹自殺した三島由紀夫がその死の数年前の1968年1月8日付、朝日新聞夕刊で「愛国心−−官製のいやな言葉」と題する一文を寄せている事から始まる。「愛国心の愛の字が私はきらひである。自分がのがれやうもなく国の内側にゐて、国の一員であるにもかかはらず、それを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。もしわれわれが国家を超越してゐて、国というものをあたかも愛玩物のように、狆か、それともセーブル焼の花瓶のように愛するといふのなら、筋が通る。それなら本筋の愛国心といふのである」
そして三島が考えていたのは「憂国」であり、永久革命に繋がる考え方であったと見る。この辺になると、孟子の革命論に近いくらいだ。

で、以下、愛郷心から愛国心が派生して、官製の言葉になっていく過程の後付け……。頭山満の玄洋社での憲則「皇室を敬戴すべし 本国を愛重すべし 人民の権利を固守すべし」の三箇条が紹介される。天皇論から皇室典範改正論、女系天皇の話、と筆捌きは鋭い。

先にベストセラーになった「国家の品格」で藤原は「愛国心と言う言葉は手垢が付いた言葉だから意識的に遣わない。代わりに祖国愛という言葉を遣う」(原文は多少のズレあり)というが、鈴木はこう論破する。「御手洗、トイレ」も今、手垢の付いた言葉になりつつある。なら昔遣っていた「厠」「雪隠」の方が新しい言葉になる。でも愛国心はそんなものではない、と説く。「愛国心」を捨て「祖国愛」にしたとする。何も変わらない。いや返って危険だ。だって愛国心はその名の下に暴走し、戦争に突入した過去がある。牙ももって居るし、暗い過去も持っている。だから常に反省がある。ところが無色透明の「祖国愛」になると、過去のしがらみもない、暗い過去もない、牙も感じさせない。でも暴走し、いざというときには利用される−−。
ベストセラーになった愚書のこれほどの反駁を知らぬ。

「言挙げしない」これが愛国者の良さであり、美徳だと説く(ある意味で全禅宗の教えの「不立文字」と同じことであろう)。驕慢で偏狭、押しつけがましい愛国者の跳梁跋扈に我慢がならなかったのだろう。「プロの愛国者」「日本一の愛国者」の真髄を見せつけてやろうと思って本書を書いたという。

今、2ちゃんねるを始め、ウェブ上で飛び交う愛国心論争に、一つの帰結点を示す1冊になっている。

ついでに言えば、サッカーのW杯だって同じ。本当の祝祭なら違う方向性はあるはずだ。稚拙な論評に終始するのはもういい加減にした方がいい。そもそも麒麟麦酒が言い出した「サムライブルー」というコピーに引きずられた「サムライジャパン」という言い方。何とも陳腐に響く。昭和初期、エログロナンセンスが流行った時期の「サムライニッポン」を連想させる。
posted by 曲月斎 at 04:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

丸い卵も切りようで四角

先に取り上げた「文壇挽歌物語」。
ゴシップ誌的な色合いも見せてくれる。例えば久保田万太郎の項。
万太郎が梅原龍三郎宅の会で、赤貝の握りを喉に詰まらせて急逝したのは知られている話だ。だが、この本ではその前段、後段がある。

1963年5月6日、万太郎は中村汀女の主宰する「風花」の15周年大会で芝白金の八芳園に行く。ただ、入れ歯を忘れてきたので挨拶は断り、乾杯の音頭だけを取る。
会を中座して、住まいの家主の入院先である信濃町・慶応病院をバラの束を抱えて訪れてから、赤坂の自宅に帰宅。入れ歯をはめてから、市ヶ谷加賀町の梅原邸に出掛けている。

宴席に連なっていたのは、小島政二郎、奥野信太郎、池田潔、美濃部亮吉、福島慶子、松山善三、高峰秀子夫妻。銀座の鮨屋なか田からの出張の板前が寿司を握る趣向だった。
そして事故。東京女子医大の医師の往診の後、信濃町の慶応病院に入院。この時には呼吸が止まっていた、と書く。

あとは委細、お上の仕事好き、文壇、俳壇、劇界を通じてボス的存在として君臨、政治力を弄した−−といった月旦が続く(同書321ページ〜327ページ)。

文台を下ろせば文反古、とはいえ、こういう風な見方もあるのだなあ、と妙な感心をした本でもあった。

確かに丸い卵も切りようで四角、ではあるが。
posted by 曲月斎 at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月13日

グミの実

グミ


昔、実家の庭にグミの木があった。この時期になると、真っ赤な実がなった。別に桑の実みたいに甘くて美味いという訳ではないけど、ハシゴを持ち出してもいで食べたものだ。
数日前、「ゆず」がメジャーデビュー前に路上ライブをやっていた伊勢佐木町のデパートの前で、鉢植えになったグミを見掛けた。
たわわに実った実が何か懐かしくなって、一鉢欲しくなってしまった。

posted by 曲月斎 at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 偶然忽然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一年の価値……

最近、こんなスパムが飛び交っているそうな。
以下引用


1年の価値を知るには卒業試験に落ちた学生に 聞いてみなさい
1ヶ月の価値を知るには未熟児を産んだお母さんに 聞いてみなさい
1週間の価値を知るには週刊誌の編集者に 聞いてみなさい
1時間の価値を知るには会うのが待ちきれない恋人達に 聞いてみなさい
1分の価値を知るには電車やバス、飛行機に乗り遅れた人に 聞いてみなさい
1秒の価値を知るには事故で生き残った人に 聞いてみなさい
1000分の1秒の価値を知るにはオリンピックで銀メダルを獲った人に 聞いてみなさい
時間は待ってくれません

ちなみに水陸は1000分の1秒は問題にしないはずだけどね。警句としては何か宗教がかっているような。
posted by 曲月斎 at 05:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 偶然忽然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする