2006年05月31日

ネクタイの結び方講座

ダイレクトメールが山のようにくるけど、洋服屋のサイトでネクタイの結び方講座をやっているとは。
http://www.brooksbrothers.com/TieKnots/TieKnots.tem

個人的にはウインザーノットは大きくなりすぎるので、ここの結び方でいうとフォー・イン・ハンドで結ぶのが普通ですけどね。
しかし、こんなに結び方が解説付きで出るのはいかにも今の時代。「紳士たるもの、結び方にも気を配りましょう」式の注釈が大仰で面白い。
ウインザー.jpg ハーフウインザー.jpg スモールノット.jpg
4インハンド.jpg クロスノット.jpg プリンスアルバート.jpg
posted by 曲月斎 at 04:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 紋付羽織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「キリスト教大研究」八木谷涼子著

「知って役立つキリスト教大研究」


別にキリスト教の入門書ではない。でも、日本人にとって、身近でありながら、よく訳の分からないのがキリスト教ではないか。自分自身も修道会が経営する学校に学んで、聖堂の掃除もした。でもあの空間がどういう意味を持って、どう使われるのかは、とんと知らなかった。そんな疑問を明快に説いてくれる1冊だ。

もちろん、キリスト教は仏教がそうであるように、分派を繰り返し、それぞれに教義が異なる。そういう現象面から始まって、日本に於ける影響や現状まで、深くはないものの言及しているのは、大したもの。もちろん、ローマカトリックと東方教会がまず分裂し、ローマカトリックが宗教改革の波の中で、旧教と新教に分裂していることぐらいは知っていますよ。でも、じゃあ本質的なところの違いは何なのか、また他派に対してどの程度寛容なのか、なんていう話はそうそう解説している本はありません。

宗教の本はどうしてもその信者が書くと一宗一派に偏りがちで、信用しきれなくなってしまうが、ここまで客観的に書かれると、ふふーんというしかない。

何気ない洋画でも、宗教の話はさらりと出てくるし、今のアメリカのブッシュ政権が福音派と呼ばれる一派に支えられているのも事実。そんな不思議はだれに聞いても答えてくれるものではないし、まして他派との比較なんてできないでしょ。そんな時には本当にああ、そうだったんだ、と納得できるものがある、というのはありがたいもの。

本文と同時に付録部分が出色。主要な9教派(東方正教会、ローマ・カトリック教会、ルター派、聖公会、改革派・長老派、会衆派=組合派、バプテスト、メソジスト、ペンテコステ派)の対照表や、各派の参考文献一覧、キリスト教会用語表現集、教派系統図、用語英和対照表に加えて、良くできた索引(索引のいい本はいい本です)と充実しているので、ちょっとしたキリスト教小事典であります。

ちなみに、日本ではキリスト教は学校経営に熱心でありますが、下記の学校はどの派にゆかりがあるのか、ご存じでありますか。答えは追記に。

・聖マリアンナ大
・九州学院
・立教学院
・聖路加看護学園
・東北学院
・フェリス女学院
・神戸女学院
・同志社
・関東学院
・西南学院
・青山学院
・関西学院追記
posted by 曲月斎 at 03:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

「高座のそでから」橘蓮二撮影

「写真集 高座のそでから」


手元の本棚を覗く。一番手前の書棚の上段は、落語関係の本。米朝落語選集、圓生全集、古典落語大系、落語事典……。その隙間に入れてあったのがこの人の処女写真集「おあとがよろしいようで」。1996年当時のちくま文庫の表紙を飾っているのが、談志、小朝、志ん朝、小さん。高田文夫監修の文字が躍る。

そして10年。今度は一枚看板での登場だ。「橘蓮二写真集」。解説高田文夫、玉置宏。時の流れの間に、小さんが死に、志ん朝が去り、正蔵襲名があり、宮藤官九郎の「タイガー&ドラゴン」で落語ブームに火が付いて。空前と言われるこの活況は今も続いており、あんなに閑散としていた寄席はおおむねにぎやかなものである。

そんな10年を写したこの1冊。高田文夫が「ご案内」と称する前書きで「96年10月、橘クンは写真集という本屋さんの中の寄席で初めて高座にあがったことになる。このカメラを持った前座さんの腕はことのほか良くて、プロの芸人さん達からもおほめのお言葉を沢山頂いた。10年間の修業の成果を見せる06年、この『高座のそでから』をまたちくま文庫から出せるというご祝儀、いわばこの作品集が写真家橘蓮二の真打披露といった趣きになる」というのはまさに、真打ち昇進披露の口上だろう。
「写真集 おあとがよろしいようで―東京寄席往来」


高座の袖、というのは独特の視点だ。玉置宏の解説によると、落語研究会で8代目文楽の落語を一度、舞台上手からも収録したことがあったという。しかし、非難囂々たるものがあり、以来画像は正面からのものになったという。確かに、枝雀のような背を見せるような躍動的な落語家さんは居るが、基本的には背中は素だ。その素からにじむものが面白い。

10年前の写真集。当時の写真には楽屋に入ることの嬉しさともの珍しさが見える。そして10年。舞台の袖から見た視線がしっかりしたのを思う。今を盛りの花緑も、談春も年輪を積んだのを目の当たりにする。

この1冊に出てくる百数十人の芸人の写真の中で、1枚をといえば、何でもないけど、春団治の1枚が好きだ。出囃子の野崎が聞こえてきて、高座に直ったような感じが素敵だ。そして、第5部ではあの圓楽が末広亭に復帰した2005年5月31日の余一会の日の楽屋の写真がある。小朝、正蔵、木久蔵らに囲まれて真ん中につくねんと座る圓楽の伏し目がちの姿。1978年の分裂騒動以来の年月への思いを雄弁に語っている。写真の怖さ。
追記
posted by 曲月斎 at 02:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 高座下座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「古本夜話」出久根達郎著

「古本夜話」


出久根達郎のアンソロジー。出典は「図書」「週刊読書人」「彷書月刊」「古書法楽」「古書月報」「ふるほんや」

筆者は後書きを兼ねた一編でこう言う。

『古本夜話』は、いってみれば「一場の座興」である。本をめぐる話は、嘘のようだが本当であり、真実のようだが虚構でもある。その虚実皮膜の間を楽しんでいただけたらと願う。私の初期の本「古書彷徨」と「古書法楽」の2冊から適当に選び、編集して下さった。古くからの私の読者には新著と誤解されかねず心苦しかったが、再編集の内容から改題すべきと考え、「古本夜話」とした。もっとも新著のつもりで読み直していただいても、けっこう楽しめるのではないか、とこれは作者のいささか強気の自負である。

すごい自負だけど、この人が書くと嫌みにならないのが不思議だ。古本を客の依頼で探す話、万引きの話、買い取りにいった時の話、仲間内での珍本自慢、二宮尊徳像を巡る思い出話などなど、内容は多岐にわたるのだが、どれが実話で、どれが虚構か、皆目見当が付かないのがこれまた不思議なものである。古本を巡る人間模様、といってしまえば裏表紙の売り文句になってしまうが、この人間の息遣いが見えてくるような描写がさりげなく、効果的なのだ。

ともかく、680円の値打ちはある。最近、この人にはまっている感じだが、すこぶる読みやすいのが何より。
追記
posted by 曲月斎 at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

「冠婚葬祭のひみつ」斎藤美奈子著

「冠婚葬祭のひみつ」


斎藤美奈子の新著。文芸書関係での快刀乱麻の筆捌きを見せていた人なので、この本も、と期待したがそれほどではなかった。

皇室の婚儀がその後の結婚式のスタイルに影響を与えたという指摘も、今の結婚・葬儀の形態も旧民法、旧戸籍法の定めるところの影響下にあったということも、サプライズではない。

だって、つい100年少し前までは、家で結婚式をして、野辺送りをして、というのが普通だったんだから。一夫一婦制となったのだって、旧民法施行以降のことだし。
ただ、目新しく見えるのは、晩婚化、非婚化にともなう葬送儀礼の変化と墓の問題の指摘くらいか。あと、ざっと読んだ限りで、香典の中に故人との関係を一筆書き添え、香典返しは不要、と明記してはどうか、との提案はごもっとも、と思う。

帯にあるとおり、この百年、日本の儀礼は時の要請に基づいて大きく変貌してきたのであり、今後も変わっていくだろうと言うこと。
最後の方に「行き倒れるのも只ではいかない。せめて火葬費用の20万くらいは用意しておきたい」というのは笑ってしまった。

最近は新書ブームだそうで、新書も目白押しで書店店頭に並ぶが、岩波新書に於いても、玉石混淆の観は否めない、か。
posted by 曲月斎 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ノートン」はどうなっている?

我が家のPCのセキュリティソフトはノートンインターネットセキュリティ2005年版であります。
ウイルス定義の更新の時期が迫っていて、新しくパスワードを買って更新しようかと思ったら、「サポート期間は今年の10月までです」とのこと。
1年分払っても無駄になってしまう、ということですね。
それでは新しいのを買え、と言うことなのでしょう。
それにしても、新しいソフトをインストールするのはやぶさかではないのですが、また他のソフトとの相性がどうのと始まると、痛く憂鬱であります。

そもそもインターネットを常時接続する環境で、ウィルスソフトだけで対応できのなら(もう一台にはウイルスバスターだけが入っているのに何の支障もないのだから、あれこれいれたくない。
まして、ノートンとトレンドマイクロが独占していた市場が崩れて、各社競合の時代。何をどう選んで、どうインストr−ルするのが一番賢明なのか、広くお知恵を拝借したいものであります。
posted by 曲月斎 at 03:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 電网恢々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「はらだしき村」原田宗典著

「はらだしき村」


原田宗典のエッセーを久し振りに読んだ。この人のエッセーに一時、はまっていた時期があって、小説の方はあまり楽しいと思えないので敬遠していたのだが、エッセーは出久根達郎さんの言葉を借りれば、「私の場合、作者と自分の共通項を見つける喜びに尽きる。俗な言い方をすれば、そうそう、そうです、そうですよねえ、その通り、全く同感です、ということである。自分と話の合う人を見つける嬉しさ、に他ならない」というところ。
ちょうど1959年生まれで、早大第一文学部演劇専攻卒業。たぶん、同じ時期にあの戸山町のキャンパスに居ただろうことは間違いない。(ちなみに中井貴恵は1年違いでダメだった。先輩の伝説ではとても美人だったそうである。なお、年下に当たる俵某は……)

原田は演劇にはまり、演劇と著作三昧の学生生活。こんな駄文を書いている当方はサークルと麻雀にうつつを抜かした日々であったが、ちょうど日本の高度成長期に育ったのは同じ。うん、そうだった、そうだったと思える快感がこの人のエッセーの身上である。

ただ、一時期、数々のエッセー集を量産に次ぐ量産を重ねたため、同じネタの使い回しがあったり、ちょっと辟易気味だったのがだ、何でも、HPの「はらだしき村」を開設する為に書き下ろしたもののよし。軽くて、話がリアリティがあって、うんうんと頷く感覚が久し振りに戻っていたので、ここに採り上げることにした。

「日常ええかい話」

ちなみに、若いころ、大量産時代のエッセーでは、この下に挙げた「日常ええかい話」が一番面白い。「すばらしき世界」シリーズなどよりも、ネタの選び方が秀逸なのであわせて挙げておく。ただ、この人の本は読み終わると、当然のことながら、島流しにしてしまっている。読み返すことはまずない、からだ。出久根さんの弁を借りれば、本屋が買った時に掛けてくれるカバーを付けたままにそのまま売りに出すのがいいのかもしれないが。


追記
posted by 曲月斎 at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「一日江戸人」杉浦日向子著

「一日江戸人」


昨年、死去した杉浦日向子の1冊。
いろいろなテーマを色々な角度から、得意のイラスト入りで江戸時代の生活ぶりを紹介していくというスタイルは、一緒。
中で、面白かったのが「江戸の三男」の項。一に火消しの組頭。無口で地味な出で立ちながら、備わる威厳を示す。二に力士。豪放磊落、巨体でともかく派手な出で立ち、気は優しくって力持ち。三が面白くて八丁堀の与力。粋で「威あって猛からず」。この辺りが受けたんでしょうなあ。相撲も晴天10日の時代で、相撲場で喧嘩をしてくるのが当たり前のご時世。自然と客席も女人禁制となるわけで、夏場所などは、冷房のない時代のこと、客に水を掛けるのが唯一の冷房だったというのだから面白い。杉浦も「そんな男のふかし芋状態」を見てみたかったというが、女心の微妙なところであります。
あと、豆腐料理の数々を、「豆腐百珍」から紹介していますが、今食べても美味そうなものがいくつか。今度改めて、この本を取り寄せてみようかな、という気分であります。
そういえば、春画を「わじるし」といいますが、これは江戸時代に「わらい絵」といったのがその語源というのは面白いこと。こういう絵も五穀豊穣の祈りの象徴ということでまじめに取り組んでいるのがまじめだけに好感が持てます。
ちなみに、筆者が最後に上げているのが江戸っ子度18のチェック。曰く。
1)衝動買いをすることがある。
2)見栄っ張りだ。借金をしても人におごったことがある。
3)早口だ。よく聞き返される。
4)何でも勝手に略語にしてしまう。
5)気が短い。推理小説はいつも初めに結末のページを見てしまう。
6)定食より丼飯の方が好き。
7)意外と潔癖。濡れた箸を気味悪がる。
8)下着は白、必ず毎日取り換える。
9)行き付けの床屋がある。
10)おしゃれに無頓着のように見えるが、本人なりのこだわりがある。
11)履き物には金を掛ける方だ。
12)間食が好き。
13)入浴時間は15分以内。摂氏45度異常の熱い湯に毎日入る。
14)アガリ性だ。緊張すると言動が怒っているように見える。
15)異性交際が下手。一旦くっつくと泥沼になりやすい
16)駄洒落が好き。人に嫌がられるほど駄洒落を連発する。
17)ウソ話を本気で聞いて後で笑われることがよくある。
18)涙もろいほうだ。

で、判定結果は追記で。

追記
posted by 曲月斎 at 02:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ナイト・オン・ザ・プラネット」

D110476959.jpg
ジム・ジャームッシュの監督・脚本作品。
ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキのタクシー運転手とその乗客が繰り広げる物語がオムニバス形式に綴られる。時差の関係で、すべて同時進行であると見せるのが妙味。
以前、近所のバーで、音声なしで流されていたのだが、今回、中古のDVDを買って、改めて見てみると、良くできているし、仕掛けも面白い。不自由に見えていることが実は自由であったり、自由なつもりが実は不自由であったり。外見とその実で、不条理がある、ということを示唆している作品群。好みはあるだろうが、パリとローマの編がその監督の意図するところを明確に示しているように思う。舞台となっている都市の空気、みたいなものもわずかなタクシーの車内という空間ながら、見せているのは技量。ちなみに、タイトルや、各編のつなぎ部分に現れる映像が、今流行のGoogle Earthみたいな動き方をするのがちょっと改めて主恣意。
DVDも既に製造が完了していたのだが、好評なのか、7月には再発売されるらしい。
追記の部分にGooからのあらすじを添付するけど、ネタばれありなので、念のため。追記
posted by 曲月斎 at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀幕緞帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

61年前。

5月29日は横浜大空襲の日。1945年のこの日、横浜は米軍の空襲を受けた。横浜の地元書店、有隣堂の月刊紙「有鄰」の数年前の号にに詳しい事情が出ていたので、要約すると……。
426_y-kusyu_r4_c1.jpg(写真は横浜市史から)
日本の大都市市街地への焼夷弾空襲は3月中旬、4月中旬、5月中旬から6月上旬の3期に分けられるという。3月中旬には東京大空襲に続いて名古屋、大阪、神戸が夜間焼夷弾空襲を受けた。4月には労働者の多い工場周辺の市街地が目標。13日に東京造兵廠があった北区、板橋区から赤羽にかけて、15日は蒲田と川崎、鶴見の工業地帯の周辺。
5月8日にはドイツが降伏します。沖縄戦もほぼ大勢が決し、米軍は中高度で爆撃しようということで、目標地域を選んで狙うことができる昼間の爆撃が始まる。
横浜大空襲はB29の500機による昼間空襲で、硫黄島基地の戦闘機P51の100機が護衛に加わっていたという。 いくつもの丘で区切られた各区域を狙って短時間に集中攻撃を行われたが、米軍は都市市街地の爆撃については、昭和15年の国勢調査を使って都市の人口変化などまで調べ、目標を決めていたという。 この国勢調査を一番よく研究したのは米軍だったという皮肉な言い方もあるくらいだ。
第1目標が東神奈川駅、第2目標が平沼橋、第3目標が市役所のそばの港橋、第4目標はお三の宮(日枝神社)の近くの吉野橋、第5目標が本牧の大鳥国民学校。
海風で目標が煙で隠れないように一番奥の東神奈川からこの順序で、ほぼ9機4列の各編隊が輪番で、4回りほど焼夷弾を投下し、午前9時20分過ぎから1時間ちょっとで投弾を終えたという。
空襲.jpg(写真は「有隣」から)

その5月29日から61年。焼失戸数約3万戸、死者は約4000人(1万人に上るとの推計もある)。
posted by 曲月斎 at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 平々凡々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月26日

「御ふみ」蓮如

浄土真宗八世の蓮如が手紙で法話したもの。室町時代の言葉がそのまま文章になっているので、ちょっと慣れてしまえば、つっかかることなく読み進める。今回読んだのは、平凡社東洋文庫版の「御ふみ」。5帖80通からなるこの法話集は、絶対他力の阿弥陀への信仰をひたすらに説くもの。信仰の話は別にして、こういう手紙がどういう形で信徒の前で読まれていたのか、ちょっと興味深い。
特に北陸の吉崎御坊に前半は宛てたものが多いようで、電話もインターネットもない時代に、人を引き付ける文章というのを書き続けたというのは、宗教家云々は別にしても大したものであると思うし、薄暗い燈火の下、一座に会した門徒に、朗々と読み上げていた僧侶が居たと思うと、不思議な気がしますな。文章自体も不思議な力のあるリズムであります。

今でいえば、カソリックなら、ローマ教皇からの回勅、というところになるんでありましょうか。

で、御ふみの中でも有名な白骨の御文章というのは以下の章句。


 それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫、末の露よりも繁しといえり。
 されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。


浄土真宗系の葬式で、この文章を聞いたことがあるという向きもあるかと思いまするが、この宗旨は布教ということをすこぶる重視するそうで、今の日本人には単なる文語体のお経の一環にしか響かないでありましょうけど、当時はそれは違った受け止め方だったでしょうなあ。字面に直すと、何となくは意味が通じるでしょ。
で、あれこれネットの上を飛び回っていると、その下敷きになったのが後鳥羽上皇の「無常講式」という文章であるという。本文は仁和寺に収められているらしいけど、その書き下し文は以下の通り。


 世をこぞって蜉蝣の如し。朝に死し、夕べに死し、別れるものの幾許ぞや。或いは、昨日已に埋みて、墓の下に涙を拭う者、或いは今夜に送らんと欲して、棺前に別れを泣く人。およそはかなきものは人の始中終、幻の如くなる一期の過ぎる程なり。三界無常なり。古より未だ万歳の人身あることを聞かず。一生過ぎやすし。今にいたって、たれか百年の形態を保つべきや。実に我や前、人や前、今日とも知らず、明日とも知らず、後れ先だつ人、本の滴、末の露よりも繁し。原野を指して、独り逝地と為す。墳墓を築き、永く栖み家と為す。焼きて灰となり、埋みて土となる。人の成りゆく終わりのすがたなり。

隠岐に配流された後鳥羽上皇が、こういうことを書いていたというのも、また、興味深いものであります。それを換骨奪胎した蓮如という人もまた興味深い人物であります。追記
posted by 曲月斎 at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月25日

「横浜メリー」どうしようか……

メリーさん、というのは、横浜で育った人なら、関内、伊勢佐木町界隈で見掛けたことがあると思います。白髪で白塗り、白いドレス姿は子供心にも奇異に映りました。
その商売は街娼。まだ進駐軍が町を闊歩していた時代から、そのなりわいを続けていたといいます。実際に商売をしていたのかどうかも分かりませんが、横浜の「都市伝説」の一人といってもいい人物です。
その後、五大路子が芝居にして上演したりしていますが、さて。
子供のころの謎解きをしてみたい気もするし、謎は謎のままでもいいような気もするし。そのドキュメンタリー映画が今、上映中です。
実際に見に行った方の話を聞くと、実物のメリーさんの姿は、故郷の老人ホームに行って素顔に戻った後の姿だけだったとか。そしてラストシーンは五大路子が伊勢佐木町をその扮装で歩く姿だったといいます。
1800円の値打ちがあるかどうか、悩ましいところであります。追記
posted by 曲月斎 at 02:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 銀幕緞帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「華族」小田部雄次著

「華族―近代日本貴族の虚像と実像」


「華族」。日本国憲法の施行と共に、廃絶した制度だ。
その一方で、今でも何かの折にひょっこり顔を出す。不思議なものだ。その実像は正直のところ、本書を読むまで知らなかったといってもいい。
もちろん、知識として、旧公家や江戸時代の藩主クラス、財閥の当主などがその顔ぶれに並んだことは知識として知っているものの、ではどういう成り立ちでどういう基準の下に選ばれ、どんな特権を有していたのか。意外にその素顔は分からないままに、過ぎているような気がする。
この制度が存在したのは78年あまり。その間に「華族」と呼ばれた家は1011家に及ぶ。日本の近代化の中で、資産家としての役割を果たした層がいた一方、華族たることに家財が追いつかず、爵位を返上した家もあったという。またその存在意義を自問した板垣退助が谷干城と新聞紙上で討論を繰り返したことも初めて知った。また、旧帝国議会内で、衆議院の会派の変遷は日本史の教えるところではあるけれど、同時に貴族院内にも会派が存在し、昭和になってから近衛文麿の存在を生み出す先駆になっている、という指摘も面白かった。
財政基盤を失い、家財を売り立てに付した家、また爵位を返上した家、共産主義に走って廃嫡された家、小作争議を起こされた家などなど、多岐にわたる。「皇室の藩屏」という建前はさておき、その実は、という部分はあまり知られてこなかった気がする。
書中で、個人で取り上げられている何人かを挙げれば、競馬の有馬記念にその名を残す有馬頼寧が社会福祉活動に専心したのと同時に大政翼賛会の事務総長を務めていたり、相撲博物館の初代館長となった酒井忠正が戦前は亜細亜文化協会を設立して、安岡正篤の金鶏学院の援助をし、2・26事件の関係者となる北一輝や大川周明、さらには戦後、首相を長く務めた吉田茂らとも繋がっていたり。閨閥、姻族、思想的な共鳴者など、そのしがらみも興味深い。
華族というと恵まれた特権階級、とのイメージが残る。
恵まれていた存在と見るか、そうではなかったと見るかは別にして、今まで等閑にされてきた日本の近代史の中の一側面に光を当てた好個の手がかりの読み物、といってもいい。追記
posted by 曲月斎 at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月24日

「《能》我は我なり」大河内俊輝著

「“能”―我は我なり」


「能評」 能楽批評の略語であろう。芝居には劇評あり、落語には高座評あり、スポーツには戦評あり。
 ただ、能評というのは、非常に偏った分野である。せいぜい500人も入れば一杯になる能楽堂で、1度限りの能を見て、それを評する。評したところで、同じ演者の同じ番組を見ることはまず不可能。再現不可能なのだから、それは評というよりも記録に近い。
 明治大正のころから、大和田建樹、坂元雪鳥の名が高かったが、筆者によると、その能評集は稀覯本以外のなにものでもなく、そういう筆者も能評集はダントツに多く出しているけれど、評伝とかエッセー集に比べると売れ行きは芳しくないそうな。
 「昭和平成の能の動行、藝の評価はわが能評集を見なければ分かるまいと気位だけは高いのである。後の世を待たずとも、現時点でも、能評が無用のあだ花である筈もなかった。演者にとっては今更解説書紐解いても仕方なく、演者優秀であればあるほど、心魂そそぎ込んだ自身の舞台、能評はどう見るか、それによって安心もし悲観もし、明日の糧になるも吸収しようの貪欲激しさを加えるのである。観客も教養課程を卒業し、藝そのものに三昧境を見付けようとする熱心家又、能評に指標を求めている」と書いているけど、さてどうなんだろう。「能評の責務は農に篤農家ある如く、根元にたえず水差し、土壌を耕し、いいをいいと督励し、害虫いればむしり取る、能の番人になること−−それが私の諫言である」というが、ちょっと待って、といいたい。

 確かに長い観能歴を誇り、名人上手に出逢ってきたことを財産にするのは分かる。宝生流の野口兼資しかり、松本長しかり。また宝生新、川崎九淵……。数々の名能役者が戦前戦後に覇を競うように存在したことは事実だし、私自身も、その末尾に連なる、後藤得三、桜間道雄、近藤乾三や、観世寿夫に辛うじてかするくらいの時代には能を見てきた。

 でも泉下に去った名人上手をいつまで懐かしんでもそれは詮無いことだ。もちろん、心の規範に置くのはいい。でもそれらが名人上手だった、それに比べて今の役者は、と嘆くだけなら、能評の意味はない。

 能評の世界で明治大正の坂元雪鳥、昭和の大河内俊輝、堂本正樹という言い方がある。いずれも能を評すること、一家言を示してきた大家であるのは認める。しかし、この本で大河内が言っているのは望蜀の嘆の羅列でしかない。同じく老大家で、能の研究では一時代を画した横道萬里雄に聞いたことがある。「昭和初期から能を見てきて、今と比べてどうか」と。彼は言下に「今の方がましでしょう」と言ったのが忘れがたい。常に今、なのだ。

 麒麟も老いれば何とやらという。世阿弥は「せぬが花」と言ったが、かつてのこの人の筆鋒の鋭さを知るだけに、老醜の姿は覆うべくもない。

 実はこの本、新古本のような格好で入手した。宝生能楽堂の売店で手にした時、4500円という定価がどうしても引っ掛かったのだ。その勘は間違っていなかった。的確な能評家を持たぬ今の時代、その業としての存在価値自体ももはやないのかもしれない。
追記
posted by 曲月斎 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(1) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

「風がページをめくると」出久根達郎著

「風がページをめくると」

総じて、出久根達郎さんの本は読みやすい。
例えば「書店のありがたみ」と題するこの章。こう始まる。

 エッセイ集を読む楽しみは、人それぞれに理由はあるだろうが、私の場合、作者と自分の共通項を見つける喜びに尽きる。
 俗な言い方をすれば、そうそう、そうです、そうですよねえ、その通り、全く同感です、ということである。自分と話の合う人を見つける嬉しさ、に他ならない。
 エッセイというのは、つまるところ、世間話であると思っている。浮き世の、どうでもよいようなことを、面白おかしく、上手に語るのであって、なるべく教訓めかしいことは言わず、言っても当たり前の内容で、あまり特殊はこまる。苦労した人のエッセイが面白いのは、以上の要素を満たしているからであろう。苦労人は当たり前のことが一番貴重だ、と身を以て知っているから、特に変わったものや異常な事柄を、目の色を変えて語ることはしない。苦労人の述懐くらい平凡なものはない。

 何で本を読むのを楽しみにしているか、といわれたら、確かにこの言い方に尽きるのではないか、と思う。簡潔で明瞭。適切な引用、凝った文体ではないけれど、読み返さなくても論旨が通じる仕掛けが施してある。
 で、この本は「本」についてのエッセイ集。本をネタに、話題を展開し、収めるという手立てを繰り返す。で、自分の読み癖なのだが、気になった個所はページの片隅を折り返す。ドッグイヤーというそうだが、そんな感じで折り返した個所多数の本になってしまった。本の杜を飛び歩く感じ、というか、これは経験したら、やめられない浮揚感である。
 で、今や「アマゾン」や「紀伊国屋」、「日本の古本屋」のHPがある時代。気になった本を検索して、クリックすれば手元まで本は届くということに相成る。

 と、こうするうちに、地元の本屋でこの本に紹介されている「クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々」(土屋嘉男著)が文庫の棚にあった。買って読み始める。確かに人物像が浮かび上がってくるので、読み継いでしまう本だった。

 「文壇栄華物語」(大村彦次郎著)を紹介した「戦後文学史の傑作」でこんなことを言っている。

 面白いエピソードを並べさえすれば、面白い文壇史が出来あがると考えたら、大間違いである。あくまでも選び方だ。その人となりを如実にあらわす話なりゴシップを、多くの素材から適切に抜きだし、それに磨きをかけて読者に供する、これが本物の料理人というものである。

ちょっと心するところあって、備忘も兼ねて抜き書きしておく。


posted by 曲月斎 at 21:51| Comment(1) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ニッポンの少数民族」


「ニッポンの少数民族―爆笑!レポート」


変な人、という違和感は、変と思わないご当人には分からない感覚だろう。この本で取り上げているのはそんな面々。
「行列のできるラーメン店で平気で2時間並ぶ男」族、「フライ物の衣を脱がす女」族、「新幹線が出発する前に弁当を食べちゃう」族などなど。

筆者はともに放送作家。世の生態をつぶさに観察している面々だ。ああ、いるいる、と思わせると同時に、自分も少数民族であったか、と思う項目も正直に言えば、いくつかあった。

そもそも、こういうマニアックな本を平積みにしている本屋が贔屓で、つい手を伸ばしてしまった私自身もその「少数民族」であるのは間違いない部分がある、のだろう。

どうも再刊もののようで、今の表紙は全然違う白地にイラスト入りのもの。わざわざ買うことはないと思うけど、パラパラとめくって立ち読みするのならば、お勧め。待ち合わせ時間に本屋で時間つぶし、などという時には格好の本かもしれない。数項目読んで、閉じても後は惜しくない、感じだから。
posted by 曲月斎 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

立山カルデラ

一般に立山黒部アルペンルートという観光コースの裏側に、立山カルデラと呼ばれる大崩落地域がある。 tateyama2.jpg

ここの砂防活動をしているのが、前述の立山砂防軌道。
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何でも「立山カルデラ砂防博物館」とかいうのがあるそうで、そこで今は見学ツアーを企画しているそうな。結構な競争率みたいで、トロッコに乗るのも大変みたいだ。

ところで、ここの砂防活動を小説にしたのが幸田文の「崩れる」。
未見であるけど、機会があったらめくってみますか。追記
posted by 曲月斎 at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 偶然忽然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

立山砂防軌道

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立山砂防軌道、なんていっても、ほとんどの方はご存じあるまい。
立山の黒部川から一筋裏側、常願寺川上流で明治時代から営々と行われてきた砂防工事の資材を運搬するためのトロッコ列車だ。
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それが、この18日、登録記念物に登録された。
以下、地元の北日本新聞から。

◇立山砂防トロッコ列車 初の登録記念物に
 国の文化審議会(阿刀田高会長)が、18日答申した登録記念物に県内から、立山砂防工事で工事資材を運ぶトロッコ列車(立山町)が選ばれた。遺跡関係では、合わせて答申された雲原砂防関連施設群(京都府福知山市)とともに、全国初の登録記念物となる。
 登録記念物は、昨年4月の文化財保護法改正で導入された。文化財としての価値はあるが、評価が定まっていない産業遺構など近代の文化遺産の保護を図る。
 トロッコ列車は、砂防事業に不可欠な資材運搬手段として、昭和3年に千寿ケ原−樺平間約12キロで開通。6年に終点の水谷まで開通し、標高差642メートル、総延長18キロを1時間45分で結ぶ。急勾配を登るために設置した折り返し式の線路「スイッチバック」が特徴で、日本一とされる18段の折り返しをはじめ、全部で9カ所、全42段のスイッチバックを備える。今年は、県が明治39年に立山砂防事業に着手して100周年の節目の年となっている。審議会では、「富山平野を守る立山砂防工事の歴史的経緯を踏まえ、登録に値する」と評価された。
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今を去ることもう30年近く昔、この列車に乗ったことがある。
もう一度、乗ってみたくなった。

posted by 曲月斎 at 02:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 偶然忽然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

深川森下「カトレア」

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あんパンは木村屋、クリームパンは中村屋。そしてカレーパンはここカトレアが鼻祖だという。
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地下鉄森下駅からすぐ。清澄通り沿いにあるこの店。名物のカレーパンは確かにおいしかった。中身がぎっしりと詰まっていて、ちょっと辛口のカレールーが揚げたパン生地によくあっている。
朝から何度も揚げて、店頭に並べている由。

それに加えて、揚げ物シリーズでは、小籠包ほどの大きさの肉まんをこれまた揚げたものもあって、こちらは秤売り。結構こちらもおいしかった。

森下というと、馬のみの屋に、どぢやうの伊世喜と夜には通ってくることが多かったけど、日中にお出かけになる機会あらば、一度、お立ち寄りを。
posted by 曲月斎 at 01:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

伊勢佐木町「戸隠」

山本周五郎の随筆に出てくる、蕎麦屋「戸隠」はここのことだろう。
昔風にいえば、伊勢佐木町の野沢屋(現・松阪屋)のちょっと先にある1間半間口ほどの店。
もう何年にも入ったことがなかったが、随筆を読んだ後だったので、頑固者の通い詰めた味とはどんなものか、ちょっと興味があって寄った。

出てきた蕎麦は、確かに手打ち風ではあった。幅が2〜3ミリと広く、蕎麦というより、稲庭饂飩みたいな感じ。腰もなく、口の中でごそごそする。

何か鯖味噌煮定食やら、若鶏定食なんてあって、蕎麦屋とは思えない品書きそろい。

そういえば、蕎麦を油で揚げて、あんかけを載せた「巣ごもり」が名物だったんだっけ、と後で思い出す。

ま、ともあれ、それは次の機会に。

横浜市中区伊勢佐木町1丁目10
電話:045-251-6210
posted by 曲月斎 at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする