2005年10月30日

老眼である。

5ca17c7d.gif老眼である。
元々は小学校時代からのど近眼で、眼鏡を掛けることに不自由を感じることはないが、それにしれも最近は細かい文字が見えなくなった。

例えば、知人と話をしていて「今度、キリバス(※コメント参照)に荷物を送るんですよ」といわれても、どのくらい大変なのかが分からない。そもそのキリバスなる国がどこにあるのかも??? というところで情けないが、老眼鏡の登場である。


ここでキリバスの正確な位地を名乗り出あれる方がいるのか、改めて問い申さん。正解は外務省のHPでも見てもらうことにして、場所は中央アジアの東の端。すぐ隣が中国で、「何にもなさそうな」ところではある。


友人の苦労は続く。どう運ぶのか。別にFedexが行ってくれそうもないし。何でも極東シベリアに荷揚げして、そこからシベリア鉄道を遣って運ぶのだそうな。行ったこともない国に、荷物を送り出すというのも考えて見れば不思議な仕事ではある。「消印には小さなロシア語の文字」っていう大滝詠一の歌じゃないけど、シベリア鉄道なんて、頭に中で走っている、という知識がじつはあるだけだからなあ。

それを身近に活用しているというのは、ちょっと不思議だ。いくら地球は狭いとはいえ。
posted by 曲月斎 at 06:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「日本系譜綜覧」

「日本系譜綜覧」
先祖代々なんぞ言ってもどこの馬の骨か分からない自身のことはさておき、この本は時代劇を見たり、ちょっとした本を読んでいたりするときに、実に便利であります。

日本の家というもの、技というものがどう受け継がれてきたかを一生懸命に一覧にした本で、天皇家の系図から画工、陶工の系図まで、1冊の本に纏め上げてあります。
この本は1冊になっている、というのがミソで、これだけあれもこれもと書き上げてしまう労力は並み一筋のものではありません。
でも筆者は町の歴史好きみたいな存在だったようで、長く学界に受け入れられることなかったといいます。それでも書き続けた、調べ上げ続けたというのは、どこからそのパワー、情熱がわき起こっていたのだろうと、不思議に思う本でもあります。
地図を傍らに置いておくと、ふっと開いてみて驚きがあるように、この本も何かの拍子につい開いてみてしまう、そんな1冊であります。
posted by 曲月斎 at 03:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月29日

ホッピー

72d3c07e.jpgホッピーなんて飲んだのはもう20年以上のブランクがあったような気がする。
要は、例え、養老の滝に駆け込んでビールを飲んだとしても、それではまだ高い。でも早く、安く酔ってしまいたい、というような気分の時に出現したのがホッピーだった。焼酎甲類をビール味の麦ジュースでわるというところ。
これでも不思議なものであっさりとした飲み口がいいことと、濃さを変えられるということで、結構したしんだものだが、酎ハイブームのころからスッと姿を消していた。

最近はプリン体なし。低カロリーということもあって、一部の店では見直されているそうな。この日も立ち寄った店は、グラスに焼酎、そしてこのホッピーが3点セットで供され、ご自由な濃さでどうぞ、というところ。

でもホッピーというとモツ焼きか、厚揚げ、煮込みが似合ってしまうんだなあ。少しでもまともに焼酎を飲みたいという試みは成功しているんだけど、ホッピーに鰻の白焼きという訳にもいかないような気もするし。

でも最近、ひそかに、じわじわと復権を遂げているようだ。同慶に絶えない。
詳しいことは、書きのURLへ。ホッピービバレッジへ。蘊蓄と即売をやってござる。
http://www.hoppy-happy.com/familly/idx_hp.html
posted by 曲月斎 at 03:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月25日

富士の高嶺に

d55c2cdd.jpgたかたま東海道線にのって帰郷。川崎を過ぎる前辺りから西の空を見ていると、富士山がぽっこりと見えた。
既に初冠雪の便りは聞いたが、均一に白くなっていくものではないらしい。どうも北側の方から白くなっている気がする。

ただ、自動車道が行き交う新五合目付近までは紅葉前線が登っていって居るようだ。秋と冬の同居、だろう。
知人とバイクで出掛けようといってそのままになっているけど、そろそろ限界が近づいてきているのかな。

横浜に向かって右側の土手には昔は三井製糖の倉庫があったように思う。今はリクルートなどの高層ビルが並ぶ。富士山の勇姿はあっという間に消えていってしまった。
posted by 曲月斎 at 05:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

原点に返る。

昨今はまだジンギスカンブームが続いているらしい。
俗にいうおしゃれな店もふえているのは事実。しかし、羊を焼く煙が立ちこめて、七輪を前に店のおねんさんやおにいさんと話をしながら突くというんがどこまでいってもジンギスカン鍋の本旨であるような気がしている。

その点で以前にも取り上げたけど、新橋烏森口のしろくまと、南新宿の北牧場は見事としかいいようのない、営業ぶりだ。

ぞんざいに扱うというわけではない。さっさと手際よく。肉も旨い。ならば、さっさと食べてしまうのが本旨ではないか。客の側として。

あらためて思う。しろくまと北牧場はお客の側としても大切な店として守っていって欲しいし、ご無体なことはしてほしくない、と。
いつまでも同じ場所で美味しいジンギスカンが食べられるというのはとても幸せなこと一つだと思ってくれるのなら。何も難しいことはないのだし。
posted by 曲月斎 at 03:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「最後の恋文」

「随筆 最後の恋文」

随筆の名手、出久根達郎の近著。僕自身は銀座の本屋でサイン本の残りを買ってしまった。版元の三月書房はこういうサイズの豆本もどきを出すのが得意でつい載せられてしまった感じ。

載せられたのはいいが、感じるままで、筆を進め、自在に収める。こういうのを名人の芸というのだろう。書きすぎない、書かなすぎない。文章に意味は通り、なおかつ、その一文全体に味が残る。

夏目漱石に寄せられた1通の手紙から手紙の主を探しだし、何を夏目漱石に送ったのかを探る話、毎年の賀状をもらう中ではなるが、ある人物は毎年ワープロで宛名はラベル。「生来の悪筆」を理由にしているそうな。そんな筆者に作者は文句を言う。ある時、文句の通りに肉筆の賀状が届く。その婦人の元には差し出し人のない賀状が。その間に悪筆の主は他界してしまうのだが、無名の賀状はその悪筆の主が死を覚悟して出した者としる。夫人はいう「夫からもらった唯一の手紙です」と。「正月は死んだ人をしのぶためにある。心優しいものが先に死ぬのはなぜか、己だけが生き残っているのはなせかと問うためだ」と紹介の詩は続く。読み手の側に後に残るものがある。

正直のところ、後半は文学修行時代の心付けが続く。半分まででよいから、随筆の楽しさを思い出させてくれるような本である気がする。
posted by 曲月斎 at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手帳フェア

銀座の伊東屋では年末恒例の手帳やカレンダーの即売会が始まった。
ここ数年はオックスフォード出版の大学暦を遣っていたのだが、やはり大きすぎるとあって、代替品を探していたら、この店で見付けることができた。
紙質が少々薄いのは仕方ないとして、個人的に手帳に要求するもの−−薄い、軽い、記入する欄が充実していて、土曜・日曜も一日として欄が設けられている−−などなどの条件を満たすものが幾つかあった。

中で1冊を撰んだが、これが結構使いやすい。くれに押し詰まってから買うのもいいかもしれないけど、手帳の中には9月始め、10月始めのものも多い。何か気分を変えるのにもいいかもしれない。

そして日記帳。ブログを始めるようになって少しご無沙汰ではあるけれど、万年筆の文字を書き連ねる場所を確保しておかないのは淋しい。今年も博文館の「大型横線登用日記」を確保してきた。
これはインクが下に抜けることもなく、造本が丈夫で、日記帳としては一番の者だと確信している。日記を付ける習慣を持っていた父が逝去してもうすぐ2年。父の日記をまだ開いたことはない(し、たぶん開くこともないだろう)けれど、自分の日記を読み返すと結構汗顔の至りである。
posted by 曲月斎 at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルギービール

知人と銀座の「ベルギービール専門店」のfavoriにいった。
favoriとは英語でfavarite(お気に入り)の意味だそうな。
店には無慮数百のビールがあり、客は冷蔵ケースから好みの1本を選んで飲む、という仕掛け。店にはお勧めの生が3種あるので、これを撰んでもいい。
名物はムール貝で、いったときは鉄板焼きしかなかったけど、結構旨かった。

ビールと一口に言っても、白ビールあり、香料入りのものあり、酸味の勝ったものあり。さまざまで、いろいろと楽しんでみるには、いいかもしれない。

場所は銀座2丁目18−5。電話番号は03−6226−6117。閉店は午前2時だそうだ。

正直にいうと、たいした量を飲んでいなかった気もするけど、結構、多彩なビールに酔った気がする。「ビールの聖地・ベルギー」の本場ビールを賞味してみたい向きには進めたい1軒。

実をいう。小生は酔眼朦朧として、ベルギーの醸造元を記した地図を見ながら、マジノ線はどの辺りだったのだろう、と考えていた。そんな時もビールを造っていたことに変わりはないのだろうけれど。
posted by 曲月斎 at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 美食飽食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月19日

「憲法なんてしらないよ」

「憲法なんて知らないよ」

ちょっと知人と話し合う機会があって、この本を読み返した。
そして、ちょっと引用する。

第20条
1)どんな宗教を信じるのもその人の自由である。国は特定の宗教団体を贔屓にしてはいけないし、政治がらみで特別あつかいしてはいけない。
2)誰でも宗教に関わる活動や、祭、儀式、行事などにむりやり参加させられることはない。
3)国やその機関が宗教教育をすることやその他のどんな宗教的活動を行うことも許されない。
posted by 曲月斎 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「時間の習俗」じゃないけれど(ネタバレあり)

「時間の習俗」
という松本清張の推理小説がある。名作「点と線」でコンビを組んだ警視庁の三原警部補と、福岡県警の鳥飼刑事が登場するアリバイ崩しもの、だ。
神奈川県の相模湖畔で交通業界紙の社長が殺害される。三原警部補はその容疑者としてタクシー会社の専務に注目するが、犯行推定時刻の数時間後に九州の和布刈(めかり)神社で行われた神事を見物していたと主張。犯人とされる男がアリバイの証明として示したのが1本のフィルムだった。
犯行時刻以前に撮影したコマと、犯行時刻以後に撮影したコマ。それぞれが時間が明かで、犯行時刻には本来、いることができないはずの北九州・和布刈(めかり)神社の和布刈神事(旧暦正月一日の未明、関門海峡に臨む和布刈神社の神職が磯に下りてワカメを刈り、それを神前に供えるという神事)が撮影されていた、というもの。


アリバイのネタを割れば、現実にはかなり難しい作業とは思うが、先に写真を写しておいて、数コマ空撮りして、その後のコマを撮影。フィルムを空撮りしたコマの部分まで巻き戻して、肝心の和布刈神事の部分を他人の写真から転写し、1本のフィルムで連続して撮影したもののように見せかける、という仕掛けだ。

光文社の新書版(だったと思う)の推理小説シリーズでは、そのカバーにパトローネから引き出したフィルムが花のように絡んでいる写真がカットで遣われていたと記憶する(何しろ、小学校のころに読んだのだから。実家にはまだこの本が残っているのかな)。

で、何でこんな本を思い出したかというと、先々週の週末、あるところの秋祭りにいったときの写真が仕上がってきたからだ。
ちなみに撮影に使用したのは昔ながらの銀塩写真。今時のデジカメではない。で、プリントができてきた時、実はおどろいた。まったく記憶のないコマの連続だったからだ。カメラを向けた記憶のない写真まで写っているではないか。3本撮影してそのほとんどが撮ったという覚えがない。自分で撮影した写真はある程度、デジカメではないけど、どんな写真を撮ったのか、イメージする絵柄は記憶に残っている自信があった。でも現実はそんなものではなかった。

家に帰ってCDに焼き付けてもらった写真をPCで見直してみたのだけど、間違いなく今年の祭の写真だった。写真に写っている人は毎年同じメンバーであるにせよ、着ている装束や、役割を示すリボンなどから、今年の写真であることは間違いない。あるコマだけ、あるいはあるフィルム(都合3本撮影していた)だけ、去年、あるいはそれ以前のものが紛れ込んでいるということはないようだ。デジカメならば画像ファイルをあれこれと動かしているウチにそういうこともあるかもしれない。しかし、今回は銀塩写真のフィルム。ごまかしようがない、はずだ(まして使用した機材は自動巻き上げ式のもの。撮影し終わると勝手にフィルムを巻き上げる。つまり途中で巻き上げることは空撮りしない限りむり、というカメラだし)。

振り返ってみるに、この祭では毎年のことながら、屋台の進行に合わせて酒を飲みながら進んでいくのだが、酒の飲み過ぎと諸般の事情が重なったのだろう。完全に、俗にいうひとりで「トンだ」状態だったらしい。

町の方々に無礼がなかったことを祈るばかりである。祭は都合2日間だった。まさに失われた記憶と、その空白の間を勝手に(というか正直に)記録していた写真。恐るべし。
屋台
posted by 曲月斎 at 01:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月17日

「杉村春子」

「杉村春子 女優として、女として」

ちょうど読み始め。文庫版で534ページの本だが、まっぷたつに割った辺りから読み始めて末尾まで行ったところ。
杉村春子というと、文学座。文学座の設立(1937年)から1997年に他界するまで60年間、この演劇集団を支え、看板女優であり続けた女性だ。
生の舞台はみる機会はなかった。それでもその代表演目である「女の一生」などは記憶に残る。まっぷたつに割った辺りとは、第9章の戦後に文学座が新劇界の代名詞として活躍していくくだりくらいからになる。筆者は多くの文献を渉猟し、多くの関係者に面談し、その事実を綴っていくことでこの一代の大女優の生涯を描き出そうとしている。その試みはかなり成功していると言ってよいと思う。安易な断定はせず、事象を示すことで、読者にその判断をゆだねているからだ。
中で、文学座の新座員が全座員の投票で決められていた逸話がでてくるのだが(484ページ)、杉村がかわいがっていた若い準劇団員を劇団員に登用するかどうかで、大きな指導力を持ち、収支の面でも支柱であった杉村の意見に反して否決される場面があったという。この時、杉村は「去年座員になった人も、30年やってきた人も同じ1票というのはおかしいんじゃない」と言い放つ。これに対して反対した者がこう云ったという。「30年いたから分かることと、30年いたおかげで分からなくなることがあります。それは等価だと」と発言したというのである。
この逸話は、以て命ずべき場面だろう。
この本を読む時に、もう一つ、取り出し直した本が1冊。井上ひさし・小森陽一が聞き手となって編纂した「座談会 昭和文学史〈第2巻〉」
だ。第7章の演劇と戯曲 戦前編と戦後編だ。併せて読みなおすと、立体的になる気がする。
posted by 曲月斎 at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月14日

MRI検査

気になり出すとどうにも収まらないというのは、人間だれしも、ではないのだろうか。
長年、世話になってきた先輩が咽頭に腫物が発見されて療養生活に入った。「原因? タバコだよ」と先輩。かくいう自分自身も喫煙の習慣があり、このところ、喉のいがらっぽさが抜けない。こんな話を聞かされたアトだけに、気になり出すとどうにも仕方ない。
そこで、主治医に無理を言って検査機関を紹介してもらい、頸部のMRI検査となった次第。受診した方はご存じだろうが、痛くもかゆくもないものの、気持ちのいい検査ではない。頭部や頸部の場合は、頭をベルトで固定されて、鉄仮面のようなケージをかぶせられる。bibibiってな、音が間歇的にして、画像撮影が進むという次第。
とあれ、検査結果が出るのは数日後。でも、自分にも腫物が発見されても、それはそれで、困ってしまうし、うろたえるだけなんだけど、ね。
posted by 曲月斎 at 02:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月13日

これほど迷う本も珍しい「佩文韻府」

「佩文韻府」と言う本です。ま、漢和辞典の大型判というところでしょうか。
欲しいなと思い始めてもうだいぶ経つのだけど、いまだにくりっくできないまま。
あったらべんりだろうなと思うけど、買ってから何に遣うのかあてが立っていないという奇本です。買って替えないものではないんですけどね。不思議な心境。
posted by 曲月斎 at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「昭和史発掘8」

「昭和史発掘」新装版 8

前述の「大いなる助走」で「あの連載をやめさせろ」といってモデルにされたひとりが一番大きな唇で「別冊文藝春秋」編集部へ怒鳴り込んで来たそうだ。この本の筆者も唇は厚かったけど、こんな簡単な戯画化だったのだろうか。
閑話休題。2/26事件から特別軍事法廷設置までの話がこの巻。正直のところ、買い続けているけど、くたびれる内容だ。習慣で買っているのに過ぎないし、買っていることを忘れて2冊買ったりすると後悔がいや増す。
で勧めるかといえば、此処辺りまで来ると、物足りない。類書は多いからだし、ずっと実証的だからだ。
そろそろこのシリーズも小説家の本文を生かすために戦後の対GHQ話辺りにワープした方がいいのだけど、筆者は死んでしまっているからそうも行かないんだよなあ。
posted by 曲月斎 at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母港

先日の浮気はさておき、やはりジンギスカン鍋は行き付けに限ると、新橋のしろくまに行った。何よりうれしいのは威勢がよくてきびきびしていて、そして行き届いた接客と、たっぷりと皿に供される美味い肉、である。
どんな大仕掛けな店構えも、いらない。満足できる量の美味い肉と、気配りのできる店員、それに尽きると思った。
手のひらの中にある幸せに気付いていながらも、次があるのではないか、とふと思いたくなるのが人間。でもそうは甘くはないのも現実である。炊きたての新米、道内産馬鈴薯の千切りもまたとりわけ美味かったのを記しておきたい。
posted by 曲月斎 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月12日

「大いなる助走」

「大いなる助走」新装版
「文学部唯野教授」という本はかなり衝撃的だった記憶がある。学内の権力抗争に奔走する教授像、気鋭の覆面作家としての教授、そして文学論を授業する教授という3つの像を描くことで、大学と文学を戯画化した作者にとってみれば、この本はその母型というべきか。
地方の一企業のエリートサラリーマンである主人公市谷が同人雑誌に入り、自分の会社をモデルにした社会小説を同人誌に発表する。文芸誌の注目するところとなり、一躍、直艸賞(直木賞にあらず)の候補作となるところから急展開する。
企業内の暴露をしたことで会社から馘首された市谷にとっては、何が何でも「直艸賞」を受賞して作家としての名声を確立しなくてはいけないが、その馘首された経緯を書いた第2作ですでに才能のほどを見切られてしまう。
300万円の軍資金を元に、勧誘活動をするのであるが、最終的には落選。破局を悟った作者市谷がこんどは選考委員を次々と殺害していくという暴走に至る−−というのがあらすじ。
筒井の文章だから戯画調に見えるけど、そんなことはない。長く日本の文学の母胎だった同人誌という存在について、市谷の所属した同人幹部がこういう。「小説書いて自腹切って安くない印刷代を払って同人雑誌を出して、その雑誌は仲間以外にほとんど誰も読んでくれず、たいていそのまま屑箱行きだ。とても日本の文化に貢献しているとは思えないんだよ。むしろ自殺者を出したり、精神の荒廃した無頼漢を出したり、生活無能力者を出したり、はては殺人者を出したり、反社会的傾向の強い人間ばかり育てている。反社会的行為がいくら文学の実践活動だといっても、小説そのものさえ認められていないのじゃ意味ないしねえ」
日本の私小説主流の文学を支えてきたシステムをこれほど犀利に切り取った表現をしらない。
もちろん、インターネットの発達した今、その時代は終わろうとしているのだけど、その風土に変わりはあるまい。大森望、豊崎由美が書いた「文学賞メッタ斬り!」
の指摘するまでもないことだ。
この本の秀逸さは、本文の仕掛けもさることながら、解説の大岡昇平、そして文庫化に際しての筆者の「新装版あとがき」にある。この本はこの解説とあとがきから読むと面白いかもしれない。
posted by 曲月斎 at 00:18| Comment(2) | TrackBack(1) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月11日

「富士山初冠雪」

甲府地方気象台は11日、富士山の初冠雪を観測したそうだ。
気象台によると、午前6時ごろ、山頂付近に雪が積もっているのを雲の切れ目から確認したという。秋雨前線の影響で雪が降り、さらに前線が南下したため気温が下がり、雪が残ったとみられる。山頂では午前3時に氷点下2・1度を観測した。

というともっともらしいけど、山頂にもう観測員はいないんだろうね。山の下からの確認で冠雪を確認しているのだから。ちなみに長年のデータはここに。また登山道が変容するほどの気候が続く時期になるんですなあ。
posted by 曲月斎 at 10:21| Comment(1) | TrackBack(0) | 偶然忽然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「勇気凛々ルリの色 福音について」

「勇気凛凛ルリの色―福音について」
週刊現代に連載したエッセー1年分。ちょうど直木賞を受賞した年の分に当たる。自分を一生懸命戯画化しているのは分かるし、その力業も面白いのだけど、いかにも次から次へと締め切りに追われている姿を告白されると、何かつらくなってくる。

直木賞受賞前後の辺りの心境をここまで緻密に描写、数回に渡って綴っている辺りはそれでも圧巻というべきか。小学生の時に作家になると決心し、執念で直木賞を獲得するまで、そして編集者とのふれあいは実に興味深いものがあった。

たまたま、出久根達郎の「最後の恋文」という小型本の随筆を並行して読んでいるのだけど、方や一番出汁の吸い物に譬えるなら、浅田次郎のこの1冊はフカヒレスープとでもいうべきか。濃厚だけど、どんぶり1杯をすすりきるには体力がいる気がする。
posted by 曲月斎 at 02:07| Comment(1) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「アースダイバー」

「アースダイバー」
縄文海進のころの東京の古地図を引き合いに、その汀線を示し、貝塚や墓地をドットダウンして、古代人の信仰の跡を点綴。その痕跡が今でも寺社や墓地などになっていて、今もその景物が深層心理の中に残っているのではないか、と考察している。ふと読んでいて「江戸名所図会」を思い出した。

最終的には天皇制への考察がこの本の主題だろうが、「女性天皇の誕生をもって、明治期にはじまる近代天皇制は、終わりをむかえる」という指摘はある意味で正鵠を射たものだろう。最終的に「ぼくのおじさん網野善彦」でも触れている「アジール論」に持って行っているが、はたしてそれはどうだろう。

今ひとつ、釈然としきれない部分の残る本だった。
posted by 曲月斎 at 01:43| Comment(0) | TrackBack(1) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「世の中ついでで生きてたい」読了

対談で年代記、というのも面白い構成。ただ、前半の若い時代のものは生硬い感は否めない。特に、山藤章二とのものや、江國滋とのものなど、後年のそれぞれの自在闊達な話芸を知るだけに意外な感がある。

中で、死を覚悟していただろう中で、現・正蔵のこぶ平と対談しているのが滋味深い。自分も名人といわれた志ん生を父にもち、何かと比較される中で育ってきた訳で、昭和の爆笑王といわれた三平を父にもつこぶ平の苦悩を察しつつも大きな看板に育ってもらわなければ困る、と繰り返す姿には天命を悟りつつも、悲痛なものすら感じる。

笑点でのこぶ平真打ち昇進口上の時にこういっているそうだ。「あたくしも経験がございますけれども、親のひいきだったなんということを、その同じ商売のせがれに言うというのは、誠に、そりゃあんまりうれしいことじゃあないんでございます」
この全文は「生活の柄」というhpの中の「志ん朝の部屋」にあり。志ん朝師参加寿襲名披露口上速記集というのがあるのだか、こういうことも有徳の士の力で読めるというのもWebのありがたさ。
posted by 曲月斎 at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする