2005年09月29日

命脈

sakushi-ssakkyoku-k秋(とき)ぞ来たれ、今年もいよいよ将にその頂点に立たんとするばかり。今宵もまた、日本の、否、この地球のあちこちで、この2人の創造物は謳われることであろう。
1936年3月、この歌が披露されて爾来約70年。脈々と(実は長い間、埃を被っていた時期もあるけど)歌い継がれれば、この作者もその冥利に尽きることであろう。
死の病の床で作曲者は、自身の代表作の一つがテレビ中継から流れてきて、安堵の笑みを浮かべたという。

作詞佐藤惣之助、作曲古関裕而。作者の名など忘れ去られても。
posted by 曲月斎 at 19:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 天象乃音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「べけんや」

「べけんや」
落語界で昭和の名人といえば志ん生にこの8代目桂文楽が双璧だろう。自由奔放、酩酊して高座に登場して眠り込んでしまうことも藝にしてしまった志ん生に対し、端正で規矩に則り、北山杉の木目のように磨き込んだ藝が文楽。その文楽に「一目惚れ」して弟子入りし、その最期まで従った柳家小満んの師匠随問記である。

 東京農工大の学生が横浜駅西口のホール落語で文楽と出会い、一気に弟子入りまで決意してしまう。手拭い代わりに遣っていたハンケチを洗う話、お座敷に師匠が出る時の逸話、浮気がお内儀さんにバレたときの想い出などなど、身近に付き従っていた筆者ならではのものだろう。

 中でも声を立てて笑ってしまったのが、文楽自身が義太夫に凝って、落語の「寝床」さながらに素人会をやる話。仲間内を呼ぶのだが、2度目ともなるとそうは相手もお付き合いはできない。でも当時でも大看板。寝床の長屋連中同様に言い訳が来る。「小さんはどうしたい」「撃剣の試合があるそうで……」「撃剣かい。……円蔵は」「風月堂のゴーフルを持ってまいりまして、『ゴーフル、ゴーフル』(どうする、どうする!=筆者注、義太夫の掛け声)と洒落を云って帰りました」(事実)「小勝は」「病気です」(半身不随)「三木助は」「死にました」(昭和36年没)「三平は」「すいません……」
 何とも熱の入った話である。寝床は今でも枝雀の口演が随一と思っているけど、こんな話を地でやられては落語顔負けである。

 桂文楽最後の高座は1971年8月31日、落語研究会(国立小劇場)での「大仏餅」だ。途中で絶句して、「勉強し直して参ります」の一言で高座を下りた。実はその前から絶句するかもしれないという自覚があり、その前日も万一の時にはこの口上を言って下りることを口にしていたという。また、高座を下りたその帰途、小満んに「私も宮戸川をやりたかったが、何しろ明烏があったから。そのうちいい宮戸川になりますよ」と小満んがおなじ高座で口演した落語を褒めていたという。仕舞いをきちんと想定通りに付けられたという安堵からだったのか。こんな話も文楽らしい。

 ちなみに題名の「べけんや」は今に伝えられる文楽語の一つ。「あばらかべっそん」と並んで著名で、特に意味はないと思われる。いわば間投詞に近い語か。

 文楽はもう私の世代でもビデオ、DVDの中の名人。それでも目の前にその姿が浮かぶような気がするのは筆者の思いの丈のゆえだろう。今年の5指に入る1冊になりそう。
posted by 曲月斎 at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月28日

秋の味

家人をつれて、天麩羅屋に出掛けた。
たまには外で美味いものを食べないとね。家族も。
で、家人が気に入っている天麩羅屋に出掛けたという次第。
ネタを次々に供してくれるのだが、中で美味かったのがくりとハゼ。
秋の味ですなあ。
栗は丸く剥いてあって。薄い衣で外はカラっと、中は焼き栗のように甘い。この加減が実にうまいものです。
そしてはぜ。ハゼなんか、この時期になれば、束づり(100匹)するような魚だったけどね。それでも、同じ、泥砂のところにすんでいたものだろうけど、くさみがなくって本当に白身の美味い魚だった。身は勿論、尾びれまでカラリと揚がっているし、中骨も別にカラリと揚げてくれて、塩味で食べた。
何か最後にエビと小柱のかき揚げを出されて、これも結構。家人共々、幸せな気分になった秋の一夜だった。
という話を書きたかったのだけど、いささか、薬の影響で、何を書いていたんでしょうなあ。一度消してしまったものには。
posted by 曲月斎 at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 美食飽食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月24日

「憑神」

憑神

人気作家の浅田次郎の新刊。気にしていた訳ではないけど、ちょっとこの作家の筋立てに抵抗感があったので、手を伸ばしかねていたのだが、思い立って買ってきてしまった。
読み始めると、独特のリズムに引き込まれて今、本の半ばまで。読後感はまた後日。
posted by 曲月斎 at 04:35| Comment(0) | TrackBack(1) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

赤丸ジンギス

先途、知人と新宿・荒木町の赤丸ジンギスなるジンギスカン料理店に出掛けた。
店の内装は船をイメージして、ダクトなどはむき出し、コンクリート打ちっ放し。炭は店の中央の一角、ダルマストーブの置いてある脇の炭場から。

主なメニューは網焼きとジンギスカンに大別されようが、どちらも上品である。特に生ラムのネギ塩焼きは、肉の中央に塩味、ごま油で風味を付けた刻みネギを置き、2つ折りにしてちょうど口の閉じていない餃子を表・裏と焼くがごとくに扱って食べる。内側が多少赤くても大丈夫。結構上品な味だ。塩加減もいい。

ただ、上品というのは時に困ったちゃんへの言葉にもなる。肝心のジンギスカン。まずタレが濃い。リンゴを摺り下ろしていれているのだろうが、ちょっとどろどろ。この味が好みの方もいるだろるが、私はもう少し醤油っぽい方が好きなので、肉を付け、飯に載せ、タレがご飯に染みて広がる、といった愉悦はない。

そして肉。ともかく上々の肉だからといういしきなのだろう。厚い。網焼きにはいいかもしれないけど、ジンギスカンを食べている雰囲気ではない。

打ちっ放しの床。どうも落ち着かない感じ。美味いかといえば、十二分に美味い。でももう一度行くかといわれれば??? 何かコアなイメージが上手く厚化粧しているような感じ。店員各位もはきはきしていて気持ちよかったし、文句はないのだが。

店の場所はかなりわかりにくい。昔の三業地・荒木町ならではか。それでもジンギスカンに抵抗感のある女性を招待するのにはいいかもしれない。TPOの限られる店のように思う。
posted by 曲月斎 at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 鯨飲馬食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月22日

「風と友になる もう一度 オートバイライフ」

「風と友になる もう一度 オートバイライフ」であります。
副題に「中高年からのステップアップ講座4」というのが書いてあり、ちょっと悲しい。というのも、この筆者・近田茂の本を若い日に読みふけった経験を持つ人間がここに来ての再開である。当時の本は「シティ・ラン・テクニック」。新書版のこの本を読み耽って、結局、中型免許を取り、あげくにホンダのCBX400SFを買った。
まだ、革のツナギが当たり前のファッションだった時代。バイクを買い、大枚をはたいてツナギを買い……。いい年をして、バイクを乗り回していた。

でもある日突然、愛車は消えた。乗っていた本人ばかりは知らなかったのだが、旧車ブームで憧れのバイクになっていたらしい。しかも何も改造していなかったのだから。

ある朝起きてみると、忽然と消えていた。

空白の期間を挟んで復活させた。この度はやはりホンダのCB400SF。日本中の教習所で一番遣われているという噂だが、確かに名車だと思う。

これもまた間遠になっていたのに、また火がついた。
あれこれとアマゾンで探してみると、昔懐かしい筆者もぞろぞろ。近田茂、根本健……。ついつい買ってしまった。

いくつになっても「風と友達になる」というフレーズは魅力的だよなあ。もう一冊。
バイク"お助け"「大図解―バイクに乗るなら起こりうる「アクシデント」対策のパーフェクトマニュアル」

なにしろウンチなのは自覚してますから。
posted by 曲月斎 at 06:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月21日

峰の嵐か松風か

「峰の嵐か」と歌い出すのは、黒田節の2番。「尋ぬる人の琴の音か 駒を控えて聞くほどに 爪音しるき 想夫恋」と続く。その歌の源流が「越天楽」にあるのはいうまでもない。さまざまな形での受容をうけて、民謡に、箏曲に、平曲にさらには賛美歌、文部省唱歌にまで及ぶ。
音楽の水脈をここまで伸ばしたということは、意識するしないにかかわらず、日本人の中で大切な一曲であることにかわりはあるまい。

「越天楽のすべて」
というわけで、、満月の夜の浮かれ遊びから、キングレコードお得意の「××のすべて」シリーズの「越天楽のすべて」を紹介した。一度、耳にすれば、自分の音楽の一端がどこからながれてきているのか、思い知らされるのではなかろうか。
posted by 曲月斎 at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 天象乃音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月19日

三五夜中の新月の色

あら面白の折からやな。三五夜中の新月の色。二千里の外も遠からぬ。叡慮畏き勅を受けて、心も勇む駒の足並み。夜の歩みぞ心せよ。牡鹿鳴くこの山里と詠めける。嵯峨野の方の秋の空、さこそ心も澄み渡る片折戸をしるべにて。明月に鞭を揚げて駒を早め急がん。賤が家居の仮なれど、もしやとおもい此処彼処に駒を駆け寄せ控え控え聞けども琴弾く人はなかりけり。月にあくがれ出て給ふと法輪に参れば琴こそ聞こえ気にけれ嶺の荒らしか松風かそれかあらぬか。尋ぬる人の琴の音か、楽は何ぞと聞きたれば夫を思いて恋ふる名の想夫恋なるぞ嬉しき


と、ここまで引用したのは能「小督(ここう)」の駒の段といわれる型どころ、謡どころであります。明月というと、この謡の文句を嫌でも思い出してしまうんですね。


町中から観る月がそんなに美しいとは思えないし月の美しさを際だたせるには、周りが暗い方がいいに決まって居るんですけど、それでも馬ならぬ鉄馬に跨って、あちらこちらと月を見上げながら歩きました。想夫恋こそきこえなかったけど、1カ月ぶりにしては馬は元気で何よりという感じ。

本当は人も居ないような時期の寒月というのは一際美しいと思いますがね、本当は。中秋の名月のスポット。自宅近くのY橋のたもと。矩形に区切られた空に浮かんだ月はひきつけられるような色、でしたな。


ちなみに能の小督のつづき。メデタシメデタシで余りおもしろくない。駒之段まで、です。滋味があるのは。そういえば「月に憑かれたピエロ」はショスタコービッチだったっけ。
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2005年09月17日

中秋の明月

dc0f3fce.jpg机の前の月齢カレンダー。何に役に立つというわけではないけど、月の満ち欠けは自然と季節の移ろいを思う。
十三夜に始まって、望月、十六夜の月、立待月、居待月、臥待月と月齢以外の名がつづく。ふと見上げて観れば、見事な月。「角力いまはねし賑ひ今日の月」(万太郎)今年は秋場所中日が中秋の名月。撥太鼓を聞きながら明月を見上げるというのもまた楽しみな気がする。
ちなみに画像はとらやの特製菓子。栗名月だけに、この他にも栗を遣った製品が充実している。虎屋は羊羹ばかりではない。月の名菓
posted by 曲月斎 at 05:51| Comment(0) | TrackBack(1) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「TVドラマが好きだった」

「TVドラマが好きだった」

「ちゅらさん」「ビーチボーイズ」などのヒットドラマの作者、岡田惠和の著作。筆者は1959年生まれ。ほぼ同じ時代を生きてきたといってもいい。脚本家ならではの視点で数々の名作ドラマを振り返っていく。

ストーリーよりも主人公の生き方が巧みに造形された日本のアメリカンニューシネマ「傷だらけの天使」、国民的大河ドラマとなった「北の国から」などなど。

フジテレビの看板番組となったトレンディードラマも、この局ではそれまでは人気ドラマといえば「銭形平次」くらいしかなく、予算が過剰ではなく、スタジオ代を遣うならロケで、新鮮なキャスティングといわれた配役も大御所はフジテレビのドラマに出てくれなかったから、という。筆者は集団恋愛劇から、個々の恋愛劇へ、流行をしていても次々と新しいスタイルのドラマを作っていった点を評価する。

そしてテレビ人の映画への思いは「エデンの東」のジェームス・ディーンのような感じだと分析する。計算上は視聴率の振るわない番組でも映画よりは観られているし、数字は挙げているはず。でも……。筆者は今、独自の路線を貫いているのは、TBSの磯山晶プロデューサーと脚本家宮藤官九郎のコンビのみと指摘しつつ、絶対に面白いといわれるTVドラマをまた作りたいと書く。

最後の「脚本家の仕事」と題する講演録はこの本の抄録部分として読みやすい。「僕はテレビが好きです。視聴者の顔が見えない分、めちゃめちゃ厳しい。そういう中で人に何かを伝えていく。知らないひとに単純に面白かったとかいわれる時の感動というのは、こたえられないものがあります」と結んでいるが、ここの部分が脚本家冥利、ということになるのか。

平易な文章の中で、心中独白を(でも、ドラマをつくっているテレビ局の人たちは基本的に勝ち組なんだけど。エリートだし間違いなく)みたいな形で書いているのが気になったけれど、日本のテレビドラマの系譜をたどっているのが自分の人生の系譜とある部分で相似形になっているのに気付く。読んで損のない1冊だろう。

ちなみに取り上げているドラマを最後に。「氷点」「想い出づくり」「傷だらけの天使」「金曜日の妻たちへ」「淋しいのはお前だけじゃない」「北の国から」「冬の運動会」「TBS水曜劇場=時間ですよ、寺内貫太郎一家、ムー一族など」「太陽にほえろ」「青春ドラマとは何だ=青春とはなんだ、これが青春だ!、飛び出せ青春、われら青春、から3年B組金八先生へ、そしてウオーターボーイズへ」「21世紀の朝ドラ」「トレンディードラマとは何か=男女七人夏物語から、君の瞳をタイホする、恋のパラダイスで終焉を迎え、さらに東京ラブストーリーに変化していく」

それぞれの読み解きが巧緻で作り手側の視点で作られている点が面白かった。
posted by 曲月斎 at 05:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

「私の好きな悪い癖」

「私の好きな悪い癖」


このごろ、読み返すことの多くなった作家の一人に吉村昭がいる。硬く、事実を積み上げて事を語るような文体が心地よいからではないか、と思っている。
で、筆者はエッセーを小説を書く作家の素顔だという。書くに足る対象は人間に限られていて、エッセイは人間を書くことでそれ以外にはないと決めている。

取材先でのできごとや出逢った人びと。あるいは戦中戦後を生き抜いた想い出とそこで出逢った人びと。自分の文章修行での世話になった先輩の思い出など、点綴していく人物の姿は過不足亡く、犀利に描かれる。快感でもある。

末尾に放浪の俳人・尾崎放哉の公演もまた、同じような部分がある。

ココロに残った一編を。「長崎と私」と題する一編で、彼は書き記す。「長崎を熟知していると思っていた私は、改めて他所者であるのを知った。他所者はあくまで他所者であり、その地に生まれくらしている者しか土地の息づかいは知り得ないのだろう。私は謙虚な思いで自転車を見つめていた」

自分も房州のある街に出入りするようになって思うこと。これほど簡潔な表現をしたものを知らない。
posted by 曲月斎 at 05:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月15日

上川産サフォーク

今や東京でジンギスカン激戦区ともいわれるようになった新橋。中で、贔屓になっているのは「しろくま」だ。

以前にもここに書き込んだことがあるので委細は省略するものの、今週初めに店を訪れてみると、北海道上川産のサフォーク種の羊肉が入荷していました。

北海道ではもともとは羊の育成は盛んだったものの、一時、さびれてしまい今に至っているよし。やはり国内産の羊肉には、いい味わいがあります。

ちなみに1人1人前限り(もっとも、一緒に行ったご連中のような面々にがばがばと食べられてはたまったものではない)だったが、軽く炙って、塩味で食べるというのは上品なものだ。

いわゆるジンギスカンのイメージを新たにしてくれるような味だった。同行した連中は「羊というとあの脂の匂いが……」といい出していたのだが、いざ箸を進めるうちに、全然気になりませんと言い出す始末。

世の中には食わず嫌いなのであるのでありませう。

ところで、この日は既製品のタレの話になったのですが、ベルは醤油風味が生き、ソラチは焼き肉のタレ風という感想でありましたが、これもまた実際に試してみるしかないことでありますな。

余り教えたくない話だけど、やはり上川産サフォークは美味しかった。
posted by 曲月斎 at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 美食飽食 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月14日

「おいしいおいしい」

「おいしい おいしい」
と言う本を見付けたのでありますが、要は家庭料理が一番いいんじゃない、という話。ペエージをめくって楽しいかといえば、かつて平凡パンチの表紙を飾った筆者のこと、文章よりも絵がずっと楽しい。それを覚悟に買うなら、600円も高くはあるまいよ。

たしかに外食をしているとそれに見合うだけの野菜分を確保するのは至難の業であります。その点で、自宅ならいかようにも用意はできるし、たべることができます。

そうはいっても、そのとおりにならないのが世の常。最近、密かに勧めるのは韓国料理であります。焼き肉に代表されるように、にくがたくさんという感じですけど、実はちがうんで、「エゴマの葉」なんぞをかじりながら、料理を食べると、全く栄養的にも問題がない。
簡単な指標で、血液の酸性化、アルカリ性かをはかるのがあるのですけど、野菜が少なくなると極端に酸性に振れます。対して、野菜や海草が十分に摂取できると、数値は大幅に改善するのであります。

肉嫌いの向きには如何かもしれないけど、韓国料理は実はとてもヘルシーなんだと思い知らされましたね。


ご家庭で一家っての食事なんで、昭和時代のホームドラマの残滓、なのだから。
posted by 曲月斎 at 03:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 汗牛充棟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月13日

孫引き

「TVドラマが好きだった」という脚本家・岡田恵和の本を読み終わったところ。目次を引き写せは、「氷点」から始まって、「想い出づくり」「傷だらけの天使」「金曜日の妻たちへ」「淋しいのはお前だけじゃない」「北の国から」「冬の運動会」、TBS水曜劇場、「太陽にほえろ」、青春ドラマとは何だ、21世紀の朝ドラ、トレンディドラマとは何か、と続く。

それぞれに今のドラマの書き手としての視点から、その世相や背景を読み解くのがねらいの1冊なのだが、その中で金曜日の妻たちの作者・鎌田敏夫が書いたあとがきを引用している。そのあとがきをまた、引用しておく。何かに遣えそうだから。



切なさとは一体なんだろう。考えてみると、生きること自体がひどく切ない。いつか死ぬと分かっているのに、人間は一生懸命生きようとする。そのことがそもそも切ない。自分というものが、自分でもよく分からないことが切ない。本当の自分というもを分かっている人は少ない。分かっているつもりで、少しも分かっていないのが自分なのだ。真っ直ぐ歩いているつもりなのに、何故か横にそれてしまう。曲がってはならないと分かっていながら、何故か曲がってしまう。行ってならない場所に、また行ってしまう。自分とはいったい何なのだろう。恋をして人が切なく感じるのは、日頃分かっていたはずの自分の中に他人を発見するからだ。自分が自分で思うようにならない、それはひどく切ないことなのだ。



本の中身については又後日。一つだけ。職業もの、刑事ものドラマの原型となったのが「七人の刑事」という作品だったそうでありますが、そのアンチテーゼとして登場したのが「太陽にほえろ」だと読み解いています。アクティブに、とにかく走ろう、みたいな。この確立した定型をまた否定したのが「踊る捜査線」だといいます。刑事をニックネームで呼ばない、犯人側にドラマを作らない、犯人と刑事の一対一のドラマにしない。一話につき一つの犯罪という描き方も止める。殉職もしない。刑事もサラリーマンである、という描き方。これが今の定型になっているわけで、この次にまた、新たな否定要素で構成されたドラマも生まれうる、これからの時代を映した刑事ドラマがきっと生まれてくる、と筆者は結んでいます。それが「交渉人真下正義」から「容疑者室井慎次」になっていくという訳ではないでしょうけど。

知人が面白かったといっていたから、観にいこうかな。
posted by 曲月斎 at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 糊塗弥縫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

風呂で温泉気分

215ed852.jpg六一〇ハップ」ってご存じだろうか。旧軍の衛生兵だった武藤鉦八郎という人物が考案して、1927年から発売されているロングセラーの入浴剤である。ペットボトルのような容器に赤く透明な液体が入っている。湯に溶かすと、不思議や白く濁り、硫黄の匂いが漂う。

数年前、ニセ温泉騒ぎがあったが、あれは草津温泉ハップという入浴剤だったけど、これもほとんど同じじゃなかろうか。最近は人間に遣うだけではなく、ペットのダニ駆除などにも愛用されているようで、そういえば、競馬の栗東トレーニングセンターの厩舎ではときどき見掛けた。馬にも遣っているのだろう。

なんといっても硫黄を原料に作っているので、風呂桶によっては使用できないけど、なかなかに気持ちのいいもんです。白い湯、硫黄の匂いイコール温泉、という条件反射があるようで。バスクリンなんかがヤワに思えるような、コアな入浴剤、という感じであります。こんな湯につかりながら「日本を今一度洗濯いたし申し候」なんて呟くのは珍妙な景色かな。

医薬品なので、薬局で探せば見付かると思いまっせ。きっと棚の下の方にこっそりとあると思うから。なお、残り湯は洗濯には使えない、と注意書きにあります。
posted by 曲月斎 at 05:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑事雑用 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

自民圧勝

勝ちっぷりといえば、総選挙は見事な自民党の勝ちっぷりでした。
改選前が212議席だったものが、296議席。これも「民意」ということになるのですから。

昔、「暮らしの手帖」で花森安治(太平洋戦争中に「ほしがりません 勝つまでは」というコピーを考えたという伝説のある名編集長)が、「みんなで『×』を書こう」と執筆したことがありました。

選挙というのは民主主義の根幹ですけど、実は選択肢がない、でも不満が残るというのが本音なのではないかと思うのであります。そんな意思の表示として、「×を書こう」という発言になっていたと思うのであります。しばらく、この記事に触発されて「×」を投票していたんですけどね。今回は……、ですけどね。

とあれ、「選良」は自民党を撰んだわけです。処方されている薬を服用して、寝ることにします。

でも、この選挙ではっきりしたのは、いいたいことをはっきり意思表示したいと思っている人間が多いということ。絶対多数を獲得した自民党にはこの際、重要法案に関しての「国民投票法」の制定でもして欲しいなあ。
posted by 曲月斎 at 07:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 冠婚葬祭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月11日

唐突に「独楽吟」

江戸時代末期の歌人、橘暁覧の越した作品に「独楽吟」と題する一群の作品がある。しょうじきのところ、総てできがいいとは思えないでけど、改めて読み直してみると、ガキのころとは全く違う感慨がある。
さて、メモ代わりに。

次に読み返す時、どう思っているだろう???


   たのしみは艸のいほりの莚敷ひとりこゝろを静めをるとき

   たのしみはすびつのもとにうち倒れゆすり起すも知らで寐し時

   たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたる時

   たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時

   たのしみは百日ひねれど成らぬ謌のふとおもしろく出きぬる時

   たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時

   たのしみは物をかゝせて善き値惜みげもなく人のくれし時

   たのしみは空暖かにうち晴し春秋の日に出でありく時

   たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花咲ける見る時

   たのしみは心にうかぶはかなごと思ひつゞけて煙艸すふとき

   たのしみは意にかなふ山水のあたりしづかに見てありくとき

   たのしみは尋常ならぬ書に画にうちひろげつゝ見もてゆく時

   たのしみは常に見なれぬ鳥の来て軒遠からぬ樹に鳴しとき

   たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふとき

   たのしみは物識人に稀にあひて古しへ今を語りあふとき

   たのしみは門売りありく魚買て烹る鐺の香を鼻に嗅ぐ時

   たのしみはまれに魚煮て児等皆がうましうましといひて食ふ時

   たのしみはそゞろ読ゆく書の中に我とひとしき人をみし時

   たのしみは雪ふるよさり酒の糟あぶりて食て火にあたる時

   たのしみは書よみ倦るをりしもあれ声知る人の門たゝく時

   たのしみは銭なくなりてわびをるに人の来りて銭くれし時

   たのしみは世に解がたくする書の心をひとりさとり得し時

   たのしみは炭さしすてゝおきし火の紅くなりきて湯の煮る時

   たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき

   たのしみは昼寝せしまに庭ぬらしふりたる雨をさめてしる時

   たのしみは昼寝目さむる枕べにこと/\と湯の煮てある時

   たのしみは湯わかし/\埋火を中にさし置て人とかたる時

   たのしみはとぼしきまゝに人集め酒飲め物を食へといふ時

   たのしみは客人えたる折しもあれ瓢に酒のありあへる時

   たのしみは家内五人五たりが風だにひかでありあへる時

   たのしみは機おりたてゝ新しきころもを縫て妻が着する時

   たのしみは三人の児どもすく/\と大きくなれる姿みる時

   たのしみは人も訪ひこず事もなく心をいれて書を見る時

   たのしみは明日物くるといふ占を咲くともし火の花にみる時

   たのしみはたのむをよびて門あけて物もて来つる使えし時

   たのしみは木芽煮して大きなる饅頭を一つほゝばりしとき

   たのしみはつねに好める焼豆腐うまく烹たてゝ食せけるとき

   たのしみは小豆の飯の冷たるを茶漬てふ物になしてくふ時

   たのしみはいやなる人の来たりしが長くもをらでかへりけるとき

   たのしみは田づらに行しわらは等が耒鍬とりて帰りくる時

   たのしみは衾かづきて物がたりいひをるうちに寝入たるとき

   たのしみはわらは墨するかたはらに筆の運び思ひをる時

   たのしみは好き筆をえて先水にひたしねぶりて試るとき

   たのしみは庭にうゑたる春秋の花のさかりにあへる時々

   たのしみはほしかりし物銭ぶくろうちかたむけてかひえたるとき

   たのしみは神の御国の民として神の教をふかくおもふとき

   たのしみは戎夷よろこぶ世の中に皇国忘れぬ人を見るとき

   たのしみは鈴屋大人の後に生れその御諭をうくる思ふ時

   たのしみは数ある書を辛くしてうつし竟つゝとぢて見るとき

   たのしみは野寺山里日をくらしやどれといはれやどりける時

   たのしみは野山のさとに人遇て我を見しりてあるじするとき

   たのしみはふと見てほしくおもふ物辛くはかりて手にいれしとき
posted by 曲月斎 at 06:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 糊塗弥縫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月07日

颱風来襲

63114d35.png「洞爺丸はなぜ沈んだか」

振り返るとこの本が頓珍漢な人生に歩み出すきっかけになったのかもしれない。大学時代、当然のように大学院に進むつもりだった。何がしたいから? とにかく大学院に行って時間を稼ぎたい、というのが本音だったのかも知れない。
大学3年の夏、指導教官のところを訪ねた。本を借りるためだ。師匠は快く不肖の弟子の願いを聞き入れてくれ、本を貸してくれた。で、その席でのこと。
「最近、何か面白い本読んだ?」と恩師。「そうですね。『洞爺丸はなぜ沈んだか』が面白かったです」
師匠はもっと違う答えを想定していたことだろう。でも不出来な弟子は専門外のノンフィクションものを挙げた。
答えに窮したのだろう。「スイカでも食べない」と勧めてくれた。

たまたま、時間つぶしに乱読した1冊。その直近に読んでいた本に過ぎない。読み返すと、かなり無理のある筋立ての本だ。でも、いろいろな関係者に話を聞き、ストーリーを構成していく、という構成が面白く思えていた。颱風が接近しているのに、ほとんどの青函連絡船が運航を見送っていた中、ただ1隻、函館を出稿した洞爺丸。その背景にはその船に東京へ出張する国鉄幹部が乗っていたからではないのか、というのが筆者の見立てだ。

でも真相は違うだろう。「青函連絡船」
という本で元国鉄マンが詳細に跡づけをしているが、真相は出航を決断したこの洞爺丸の船長しか分からないというのが本当だろう。でもこの1冊の方が謎解きとしては真実に近いデータを集めている。

何でこんなことを思い出したかといえば、颱風14号の所為。九州を縦断し、今は日本海を北上中だ。たぶん、偏西風にのって、津軽海峡の方に曲がっていくだろう。上記「青函連絡船」によると、レーダーも気象衛星もない昔のこと、船長は各地の気圧の変化で颱風の所在地を推定し、船を運航していたという。事故当時、日本海側に入った颱風の動きを推定するポイントは石川県輪島の気圧変化だったという。

今、颱風14号は隠岐の沖合。颱風同様、この夜の出来事以降、自分の生き方が急速に曲がっていったような気がする。
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2005年09月06日

横浜のバーでは

3adcec20.jpgなぜか、横浜のバーではバーテンダーさんが誕生日を迎えると、常連がバーテンダーさんにテキーラを勧め、ストレートで煽り合う、という風習があります。

確かにテキーラはストレートで飲んでも旨い酒です。でも杯を重ねて楽しいか、といえばそうでもありません。とはいえ、「オレの酒が飲めないのか」というノリで、バーテンダーさんとともに煽りつづけるというのは、一種の奇習というようなものかもしれません。

で、6日の夜はR君の誕生日でした。当然のように、風習を重んじる私は杯を勧め、彼とともにその誕生日を祝ったのでした。

でももっと温和しい誕生日っていうのもあっていい、と思うんですけどね。これも習俗ですから。R君、誕生日おめでとう。共にテキーラの杯をあおれたことを幸せに思います。

ちなみに、クエルボとはカラスの意味だそうな。それにしても竜舌蘭から何で酒を造ろうとおもったのだろうね。一種の畏敬の念すら覚えるアルコールへの執念、ですなあ。
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2005年09月05日

実録不二登山行曼荼羅

不二登山の写真が出来上がってきた。壮絶な登山ぶりを記録に残したい。
hujitoizan1

深田久弥は「日本百名山」で得意の紀行文ではなく、富士山を「偉大なる通俗の山」と読んだ。得意のルポもない。ただあの大いなる単純の美に不二を無役の弁で飾り立てる常道をはずれ、説くことを辞めた。この稿では得意の紀行文ではなく、富士山の大きさを説く。「富士山は万人の摂取に任せてしかも何物にも許さない何かをひかえて、永久にそびえ立つ」」といっているが、本当にとらえどころのない山でありました。
3f28ffc6.jpg

日本百名山
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